【不死の薬、有死の薬】



 夜空に浮かぶお月様。地球に向けているその穏やかな顔からは想像も出来ない程、月面の環境は過酷である。昼夜の温度差が200度以上にもなり、地球の千倍もの放射線が降り注ぐそこには、餅をつく兎は勿論のこと一つの生命体も存在しないのだ。――と、かつては言われていた。進む宇宙開発の末、人類は遂に知る。月の裏側では地球より遥かに高度な文明が栄えており、美しい月人が住んでいるのだということを。

「地球見団子も良いものね」
 月と地球の交換留学制度『竹取プログラム』130期生。日本人代表の車持(くらもち)は、甘味処の赤い縁台で、青い母星を遠くに眺め団子を頬張っていた。厳選された優秀な人材のみに許される月への留学。留学生は月に一年の滞在を許され、テクノロジーや文化を学ぶことが出来る。月の科学技術はまるでSFファンタジーの域だった。温度差や放射線をものともしない保護層。月と地球を結ぶ高速移動装置“天女の羽衣”。水を酒に変える酒瓶。そしてそれらを生み出した月人は、科学を凌駕する神秘を秘めていた。白妙の肌と金色の瞳の浮世離れした美しさ。それは老い朽ちることが無い永遠の美。そう――月人は“不老不死”なのだ。

 地球の数百年先を行くような月だが、彼らにも地球人を受け入れるメリットがある。不老不死の彼らより地球人が優れているもの。それが、短命故の努力の賜物である医学だ。交換留学に選ばれる各星の代表者は、多くが医学に精通する者である。車持も優秀な薬剤師として選りすぐられた一人で、月の文化や思想を学ぶと共に、帝都の製薬研究所で月人に合う風邪薬や皮膚薬の開発に従事していた。

 彼女は忙しくも留学生活を満喫している。見た目は昔の日本を彷彿とさせるものの、インフラが整った快適な帝都。充実した開発環境。食べ物も美味しい。

「お前、一体何本食う気だ。団子になるぞ。地球はそんなに不味いものばかりなのか?」
 月の言葉で紡がれた嫌味な問いに、車持は唇のみたらしを舐め取ると「ご機嫌よう、皇子」と適当に挨拶をした。言語の壁は、空間型自動翻訳フィルターで無問題である。

 月の国の五番目皇子、輝夜(かぐや)。月明りを束にした様な薄黄色の髪。宇宙色の瞳。着崩した着物の隙間から見える肌は、光を孕むように白く輝いていた。美形の多い月でも一際目を引く美男子だが、口を開けば台無しである。不死である皇帝に万が一何かあったとしても彼は五番目。王位継承とは無関係に、好き勝手生きて来たのだろうという男だった。

「地球にも美味しいものは沢山ありますよ。マリトッツォとか」
「ま、まり?……全く、色気より食い気だな。見ろ、この蓬莱の玉の枝を。先日オークションでようやく手に入れたのだ。美しかろう?宝石よりも価値があるのだぞ」
 輝夜は黄金の枝に白い玉のなったそれを、見せびらかすように振る。

「なんだか白玉が食べたくなってきました」
「な、なんだと。ではこれはどうだ!五色に輝く龍の首の珠!欲しければ……」
 ふう。と車持は興味なさげに首を振った。


 ――二人の出会いは半年前に遡る。あれは車持が月に来て間もなく、皇宮の庭に見学に訪れた時のこと。彼女は庭の隅に小鳥の死骸が捨てられているのを見つけた。月の生物は月人だけでなく全て不死であるからして、それが地球の生物だということは明らかだった。
 死を穢れとし忌み嫌う月では、基本的に他星からの動植物の持ち込みは禁止されているが、月人達は長い人生で目新しい物を求めている。密輸入は後を絶たないのだ。大方貴族の遊び道具にでもされたのだろう。
 小鳥をハンカチに包み掬いあげる車持に、声を掛ける者があった。それが、顔こそ極上だが中身は……と噂の第五皇子輝夜である。

「何をしているんだ、穢らわしい」
「……穢れてなどいません。精一杯生きた美しい命です」
 車持は彼の事を、酷い人だとは思わなかった。彼の思想はこの月においては一般的なのである。だが同調など出来る筈もない。

「それをどうするのだ?」
「地球に持ち帰って、埋めます」
「何のために?死は終わりだ。抜け殻に意味などない。永遠を生きられない憐れな生き物の考えは、分からんな」
「わたしは、死が終わりとは思いません。それに――不死が永遠とも思いません」
「なんだと?」
 輝夜は目を丸くした。車持は「それでは」と一礼してその場を去ろうとする。

 しかし何が彼の気を引いてしまったのか「おい、今のはどういうことだ?」と輝夜は車持の後をどこまでも追いかけ……庭の生垣に足を取られ転びそうになる。車持はそんな彼の腰に、咄嗟に空いていた方の手を回して支えた。

「あら、ごめんなさい。穢れた手で汚してしまいましたね」と言った車持に輝夜は真っ赤になり――相当機嫌を損ねたのだろう、と彼女は思った。五番目と言えど皇子に嫌われるのは面倒そうだと思った車持だったが、予想とは違う面倒さに巻き込まれることとなってしまった。


 あの日以来、輝夜は暇さえあれば(暇ばかりのようである)車持にちょっかいをかけにやってきた。高価な品物を持ってきては見せびらかし、自分の美貌にも財力にも靡かない女にどうにか一泡吹かせられないかと躍起になっているのだ。車持は腕時計を見て「あ、そろそろ休憩終わりだ。戻らないと」と言う。

「おい。まさか俺と話している最中に戻る気じゃあるまいな?皇子より優先すべきことなどあるのか?」
「色々ありますよ。勉学、仕事……寝、食、遊」
「おい!」
「じゃあまた。甘味の差入れなら、いつでも大歓迎ですよ?」
 車持の声はにこりと笑ったようだったが、顔は常の無表情である。表情の乏しい女なのだ。

「はあ」と、彼女が去ってつまらなそうにする輝夜の背後で、黒い影が揺らめく。姿を隠し、輝夜を護衛している者だ。

「輝夜様」
「お前が話しかけてくるなんて珍しいな。何だ」
「近頃、地球人留学生が“有死薬(ゆうしやく)”を秘密裏に開発しているという噂があります」

 輝夜は眉を寄せる。有死薬とは、不老不死に寿命をもたらすという架空の薬だ。何の為にそんなものを作るというのか。元々短命な地球人が望むなら有死ではなく不死の筈だ。
 不老不死の薬の方は、一応実在している。まだ地球との国交が表立っていなかった遥か昔に、月の姫が愛した地球人に授けたというその薬。しかしそれは、地球人が飲めば薬の負荷に肉体が耐えられず、死ぬことは無いが化け物になってしまうという恐ろしい毒だった。危険な不死の薬は地球から回収され、今は皇宮で厳重に保管されている。処方も姫の存在と共に闇に葬られた。

「地球人は、短い寿命を更に縮めようというのか?」
「輝夜様のおつむは本当に不老ですね」
「ん?今俺を馬鹿にしたのか?」
「ははは。……有死薬は地球人にとっては無意味。しかし、我々にとっては違うのですよ。この理想郷を終わらせる猛毒になりかねない」

 輝夜は自分の知る女が、そのような大それたことに関与しているとは思えなかった。彼女の脳にも腹にも甘味しか詰まっていないのだから。

「車持がその開発に関係していると?」
「いえ、それはまだ分かっていません。とにかく、彼女に関わるならお気を付けください」
「……関わるなとは、言わないのだな」
「言うことを聞けるようになったのですか?」
「おい」
「まあそれは冗談として。私は最近、輝夜様がようやく生きているようで、安心しているのですよ」
 影の者は穏やかに微笑むと、再び暗闇に一体化した。「なんだアイツ」と輝夜は言いながら、どことなく彼の言葉の意味が分かるようで頬を染める。

 不死に寿命をもたらす有死の薬。今の輝夜には、それが恐ろしい毒だとは思えなかった。少し前まで持っていた“死は穢れである”という既成概念も薄れている。それは有限を生きる地球人からの影響に他ならない。

 もし、車持が本当に有死の薬を開発していたら。……それが不死の自分との別れを憂い、道ずれにしようとするものだとしたら、どうだろう?

 駆け落ちというのも悪くない、と輝夜は思った。



 *



「甘いもの食べたい」
 ここ暫く新薬の開発に掛かりきり、三徹目。ようやく薬が完成し、車持は達成感と開放感に満ちていた。度を超えた疲労は眠気ではなく食欲を呼び覚ます。彼女は甘味を求め、昼の街をフラフラ歩いていた。月の昼夜は十五日で切り替わる。太陽の光を浴びる大地は輝いているが、空は暗く宇宙の色をしていた。

 華やかな街を闊歩する、永遠の若者達。彼らは皆楽しく人生を謳歌しているように見えるが……近年、月では自殺率の増加が問題となっているらしい。
 不老不死は“死ねない”訳ではないのだ。肉体の丈夫さは地球人と比べ物にならないが不死身ではない。例えば三日三晩、体を焼かれ続ければ死ぬ。そのような恐ろしい方法をとってまで自死を選ぶのは何故か。それを短命な地球人による悪影響ではないかと考える月人は少なくなかった。地球人が穢れを持ち込み、思想を汚染しているのだと。そして地球人留学生は時折いわれもなく絡まれる。……このように。

 車持の前に、強面の二人の男が立ちはだかる。

「地球人留学生の車持だな」
「そうですが」
 彼らはよく難癖をつけてくる様な“輩”ではなかった。皇宮兵士の正装である軍服に羽織という出で立ちで、帯刀している。あまりに剣呑な雰囲気に車持は後ずさり――後ろから現れた三人目に捕らえられた。車持はその腕から何とか抜け出そうと暴れ、彼らに後頭部を強打され気を失うのだった。

 車持が目を覚ました時、そこは暗く冷たい……実際に体験したことは無いが、すぐに牢獄の中だと分かった。外の状況を探ろうと鉄格子に近付くと、すぐ近くで『グガァ』と形容し難い獣のような声が響き、車持は驚いて牢の奥に引っ込む。息を潜めて周囲に気を配ると、この牢獄には自分以外にも“何か”が捕らえられていると分かった。それは引き摺るような音を立て、潰れるような声を上げている。
 その時足音が聞こえ、青褪めた車持の顔に影がかかった。彼女をここに連れて来た兵士の一人である。

「起こす手間が省けたな。さあ、洗いざらい吐いてもらおう。薬はどこにやった?」
「薬?」
「とぼけるな!お前が有死薬を作っていることくらい調べがついて、」
 男の声が不自然に途切れる。

「誰に許可を得て、そいつに手出ししてるんだ?」
 聞き慣れた声に、車持は力が抜けるのを感じた。カッコつけた台詞の似合わない輝夜である。彼は兵士の後ろから剣をその首に宛がい、カッコつけた台詞の似合う顔をしていた。

「輝夜様……あなたの父君、皇帝陛下ですよ。この女を捕らえよと仰せつかっています。邪魔するなら、誰であっても容赦しませんよ」
 男がニヤリと笑い、金属の手甲で剣を弾く。輝夜の細腕で握られていた剣は、手元をすっぽ抜けて地面に刺さった。

「いや〜気配を消すのはお上手でしたが、噂通り非力なんですね」
 男がハハハと笑い、輝夜が悔しそうに顔を歪める。しかし次の瞬間、男は時が止まったようになり、顔面から勢いよく地面に衝突した。輝夜はポカンとする。男が立っていた場所には、牢の中から注射器を持つ手を伸ばしている車持。
「熊にも効く気絶薬は、月人にも効くんですね。なるほど」と、研究者顔で飄々と言った。

「持ち物検査は、下着の中までしないと駄目ですよね」 
 車持はどこから注射器を取り出したのか、はだけた胸元を直す。輝夜はその様子に目を泳がせ、誤魔化すように男の腰から鍵を奪い、車持を解放した。

「従者からお前が連行されたと聞いて……心配したんだぞ。生きた心地がしなかった」
「それって月人ジョークです?」
 輝夜はがっくり肩を落とす。いつも通りの彼女に安堵したのだ。

「ここはどこで、牢の中に居るのは、何なんですか?」
「ここは皇宮の地下牢で、牢の中に居るのは……元地球人だ」
 車持の問いに、輝夜は自分の知る限りの話を聞かせた。ここに居るのはかつて不死を望んだ地球人であり、不死を得るも化け物に成り果ててしまったのだと。

「月は不死薬を作ってしまった罪滅ぼしとして、これらの面倒を見ている。月人よりも更に丈夫な体で、焼いてしまうこともできないのだ」
「こんな姿になっても、死ねないのですか」
「自業自得だな。あっ、いや」
 輝夜は、そういえば車持も地球人だったと今思い出したような顔で、バツが悪そうにした。車持は、兵士が地球人である自分をここに連れて来たことに、悪意しか感じなかった。

 地下牢は有事の際、皇族の避難通路としても使用されるらしい。輝夜の危うげな先導で裏道を通り、隠し階段を上がって外に出ると、そこはかつて見た皇宮の庭に似ていた。本殿からは離れているのだろうが、雰囲気は同じである。葉に独特の芳香がある木、枯れない月桂樹が特徴的だった。
 懐かしく眺めている暇はないようで、辺りが俄かに騒がしくなる。車持の脱獄が知られたのだろう。車持はひとまず隠れようと、咄嗟に輝夜を木陰に引き込んだ。そして木の幹に彼を押し付けると、至近距離の美しい顔にハッと息を呑む。顔を染めているのは輝夜の方だが、彼女は彼女で何かしら調子がおかしく、謎の早口を小声で披露した。

「げ、月桂樹の葉は肩こり神経痛リウマチ冷え症筋肉痛などに効くんですよ」
「……お前が薬剤師っぽいことを言うのを、初めて聞いたぞ。いつも食い物の話ばかりだからな」

 その時、少し離れた場所から「僕は何も知りません!」と悲痛な声が響く。それは車持の同僚で、彼もまた疑いを掛けられ尋問されているように見えた。

「とぼけるな!お前たちは皆、車持の仲間!有死薬の開発に携わっていたのだろう」
「違います!車持さんの研究なんて知りません!というか常人には分からないんですよ、あの人の研究は!」
「ほう?白を切るか……まあいい。知らないというならお前に用はない。短い命が少し縮んでも誰も困らんだろう」
 刃が振り上げられた。車持は輝夜が止める間もなく、その場に飛び出していく。

「待ってください。わたしならここに居ます」
「おい車持!何をしているんだ」
 兵士達は驚くこともなく、予定調和の様子で車持を取り囲んだ。車持が近くに居ると分かっていて、彼女をおびき寄せるために人質を利用し一芝居打ったのだろう。車持もそんなことは承知の上だったが、同僚の危機に黙っている訳にはいかなかった。同僚の彼は時々美味しいお菓子をくれるのだ。

「現れたな。月の転覆を企む極悪非道の地球人め」
「待てお前たち!何かの間違いだ。車持がそんな事をする筈がない!車持、そうだろう?薬のことなど知らないと言ってやれ!」
 輝夜は必死に車持を庇う。勇気を振り絞っているのだろうその震える声に、車持は胸がキュッとなるのを感じた。……それから気まずそうに、ポツリと言う。

「いや、作っちゃったの」
 車持はスカートの中から黒い小瓶を取り出し、フリフリ振って見せた。彼女の軽い様子に、場の空気が固まる。輝夜は呼吸も瞬きも忘れ、口をパクパクさせ……「はああ!?」と驚きの声を上げた。

「な、何でお前……まさか本当に俺と駆け落ちを?」
「何の話ですか?」

「輝夜、落ち着きなさい」
 奏でるような澄んだ声。黄金の長い髪を靡かせた世にも美しい男が、風に舞うようにその場に現れた。神々しい姿に「皇帝陛下!」と誰もがひれ伏す。車持も恭しく頭を下げる。輝夜だけが呆けたまま「父上……」と漏らした。

「車持、顔をお上げ。すまなかったね。有死薬の開発が大臣にバレてしまったんだ。それで邪魔されないよう君を保護しようとしたんだが……誤解があったみたいだね」
 兵士達が「えっ」という顔をした。輝夜は普段から言葉足らずな父の事だから、連行と間違われるような言い方をしたのだろうと思った。

「どういうことですか、父上」
「有死薬の開発は、私が車持に依頼したのだよ。彼女はその為に月に来たんだ。不死を知り、有死を作り出すためにね」
 帝の言葉に、彼自身と車持以外の全員が「ええー!」と驚きに打たれた。

「はは、皆大袈裟だね」
「一体、何のために……?」
 輝夜の問いに、帝は目を細める。その悲しくも慈愛に満ちた表情は、皇帝というより古から人々を見守って来た神さながらで、誰もが天啓を受けるように黙って彼の話を聞いていた。

「月の民は皆、不死に疲れている。自殺率の急増がその証だ。私は民達を不死という呪縛から救いたい。それに……“彼女達”も救いたいのだよ」
 帝の目が下に向けられる。彼は、地面を透かしてあの地下牢を見ているのだろう。帝の愛は月の民だけでなく、憐れな成れの果てにも向けられている。“彼女”という具体的すぎる呼称に、車持はあの中に帝の知る地球人が居るのではないか……と思った。

「ついに完成したんだね。ありがとう、車持」
 そう言った帝の目は、ようやく救われたとでもいうようだった。



 *



 それから半年。有死薬は帝の説得により、月の民の権利として受け入れられた。民は辛い自死を選ばずとも、限りある生を得ることが出来るようになったのである。まだその選択をする者は殆どいないが、時代と共に価値観は変化していくだろう。地球の文化や思想が、月に新たな自由をもたらしていくに違いない。……と、依頼の褒美を受け取りに行った車持に、帝は穏やかな顔で語った。

「俺にくらい、薬のことを話してくれても良かっただろう」
「嫌ですよ。皇子に話したら一瞬で広まりそうですもの」
 研究所の中庭。悪びれず、美味しそうに桃を頬張る車持を、輝夜は呆れた目で見た。車持の食べている桃は、帝の庭にある特別な木からのみ、一年に数個しか取れない幻の桃だ。その桃は有死薬開発の報酬の一つで、車持が依頼を受けた一番の理由である。彼女は伝説の桃を味わうべく、危険を冒して月に来たのだ。

「どれだけ食い意地が張ってるんだ、お前は」
「仕方ないんですよ。一生の内に食べられる美味しいものは限られてるんですから」
「どれ、俺にも一つ」
「だめです!食べ物の恨みは一生ですよ?」
「つまり一瞬ってことか」
 輝夜のただの憎まれ口に、車持は静かに微笑む。

「お前のその達観顔、腹が立つな」
「来月からは穏やかでいられますよ。プログラム満了で地球に戻りますから」
「……研究所からオファーが来ているんだろう。このまま月で働いたらどうだ」
「いえ。地球に戻って、ちょっと個人的にやりたいことがあるんです。……完璧で安全な、不老不死の薬の開発とか」
「ん?お前、不死に興味ないんじゃなかったのか?」
 輝夜はらしくないな、と首を傾げて彼女を見た。車持は輝夜から顔を背け、黙々と桃を頬張っている。その耳の血色が良すぎるのを見て、輝夜はおかしそうに、嬉しそうに笑った。 

「はは!そうか、成程な!だがその必要はないかもしれないぞ?」
「え?」と振り返る車持の前に、輝夜が懐から取り出した黒い小瓶を突きつける。得意気な彼に、車持は不意を突かれたようにそれを見つめた。

「な、何故それを。それを飲めば、皇子は永遠を手放すのですよ?」
「違うな。永遠を手に入れるために、飲むのだ。永遠とは不死ではないと、お前が教えたのではないか」
「珍しく小難しいことを言いますね……。では、皇子の永遠とは何ですか?」

「……お前だ、車持。俺はお前の側で、同じ時を生きたい」
 輝夜は言った後で恥ずかしくなったのか、照れ隠しのように小瓶をぐいと呷る……が、車持の手が寸前でそれを止めた。

「さ、三年待ってください。その間に不死の薬を作ってみせますから、それから、どちらが飲むか決めましょう」
「一年だ。一年経ったら地球に迎えに行く。待つのは苦手だ」
「長寿のくせに……ああ、はい、分かりましたよ」
 車持は負けた、と溜息を吐いた。
 輝夜は、不死の自分にとってはたった一瞬の筈の一年が、途方も無く長く思えた。来年が待ち遠しくて仕方ない。そして、これこそが永遠の正体なのだと知る。

 永遠とは、今この一瞬を続けたいと願うこと。限りある瞬間と瞬間の掛け合わせ。生と死の間にあるもの。


「おい。やっぱり、半年にしないか?」
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