【リセマラ勇者を許さない】



「お、昨日リリースの。もうやってんの?」
「ガチャ神引きしたったwチート級w」
「運使い果たしててワロタ」
「神引きは運じゃなく確率だ(キリッ」
「ん?」
「リセマラに十二時間溶かしたw」
「www」



【リセマラとは】
 リセットマラソンの略。
 ゲーム序盤にランダムで割り当てられるアイテムやキャラクターを、自分の納得するものが出るまでリセットを繰り返し、手に入れようとすること。







 深く息を吐く。おへそより指三本分下に意識を集中させると、そこには確かに熱が渦巻いている。深く息を吸う。その熱――魔力を吸い上げ、体の隅々まで行き渡らせる。手の平がジンワリ痺れてきたら、詠唱。

「か、風よ、大地を巡りし精霊……うう……刃となりて……わ、我に力を授けたまえ!」
 言葉と魔力で意識を具象化させる、それが魔法。空気が張り詰め私の周りに目には見えない風の刃が生まれる。あとはそれで目の前の薪を割るだけ……とすぐ油断してしまうのが私の悪い癖だった。

「わっ」
 集中力が途切れた瞬間、魔法が弾ける。鋭い風がビュンビュン吹き荒れて私を襲った。私は薪じゃない! 割らないで! 頭を抱え目を閉じる私を、誰かが強く引っ張る。頬が革の鎧に潰され「ぐえっ」と変な声が出た。私はその腕に抱きすくめられたまま、風がやむのを待つ。

「おい! メルル!」
 ぶっきらぼうな声に顔を上げると、そこにはやっぱり見慣れた少年。幼馴染の彼だ。銀色のボサボサ髪が太陽に眩しく透けている。

「魔法を使う時は集中しろって、いつも言ってるだろ! 馬鹿!」
 彼は私を引き剥がし唾が飛ぶ勢いで怒鳴った。私を抱いていた方と逆の手には盾がある。それで風の刃から私を守ってくれたのだろう。感謝の気持ちはあるが頭ごなしに叱られると素直になれない。私だって好きで魔法の練習なんてしている訳じゃないんだから。

「詠唱も中途半端すぎる! さっきのアレは何だ!」
「だって、なんか恥ずかしいし……」
 危険を脱した安堵と容赦ない怒号に、目の奥がツンとなる。私は長いおさげ髪をギュッと掴んで堪えようとしたが、駄目だった。重たい眼鏡を外して目を抑える。

「うええ……もうやだ、魔法なんてやめる」
「お、おい、泣くなよ」
 彼は途端に狼狽える。いつも厳しい彼は、私が泣くと少しだけ優しくなるから、私は泣き虫のまま成長出来ない。彼はポンポンと私の頭を撫でる(叩く)と、溜息を吐いた。

「そんな泣き虫じゃ、魔王になんて勝てねーぞ」
 別にいいもん、という言葉は涙でぐちゃぐちゃ。意味の無いぐずりになる。

 魔族を従える闇の王、魔王。彼は舌足らずな幼少期から十五歳の今日までずっと、訪れるかも分からない魔王との戦いに向けて鍛錬を積んできた。近所に住むか弱い少女――たまたま人より魔力の高かった私を巻き込んで。私は気の強い彼に怒鳴られるのが怖くて、構って貰えるのが嬉しくて、一緒に“勇者ごっこ”を続けているという訳なのだ。

 私は実のところ、こんな努力は無駄だと思っている。魔族と人間の間に争いが絶えなかったのは大昔の話。今では二つの種族は互いの領域を決め、不可侵を守っている。人間より力の強い魔族が侵略してこないのはひとえに“聖なるクリスタル”のお陰だ。
 かつての人々が魔王に対抗するため、数多の魔法使い達の魂を捧げ作り上げた魔法具、クリスタル。世界を手に出来る程の強大な力を秘めているというそれは、王都の神殿に厳重に保管されているらしい。それが人間側にある限りこの平和は続くだろう。

「全く、メルルは――」
「そんなに言うなら別の人を仲間に誘えばっ」
「……メルル」
 彼が静かな声で私を呼ぶ。真剣な瞳に見つめられ、私は息が詰まった。涙も引っ込む。

「お前には才能がある。絶対に誰もが認める魔法使いになれる。強くなるんだ、メルル」
 才能があるなんて言うけれど、ただ魔力が高いだけ。魔力の高さは自らの中に眠るそれをいかに意識し引き出せるかで決まる。つまり私は人より少しばかり敏感で……過敏なのだ。昔から所謂おばけを見たし、その所為でろくに友達も出来なかったのだから、素直に喜べるものではない。良かったのは彼の興味を引けた事だけだ。

 本当にどうして、彼はこんなにも私を強くしたがるのだろう? いつもはぐらかされてきたけれど、今日こそ答えが聞けるかもしれない。彼の唇に見入っていると、家の方から穏やかな声が響いてきた。

「おーい。ご飯ができたぞー」
 見れば、キッチンの窓から兄が顔を出している。良い香りにぐうとお腹が鳴った。「はーい!」と元気に返事をする私に「現金だな」と呆れる彼のお腹も、ぐうと鳴る。

「一緒に食べて行くでしょ?」
「……そうする」
 彼は立ち上がり、慣れた様子で私の家の裏口に向かう。幼い頃から互いの家を行き来してきた私達は、家も家族も二つなのだ。

「ほら、早く行くぞ」
「うん!」
 私も彼を追う。傍に立つと目線の先にある肩に、寂しいような嬉しいような不思議な気持ちになった。昔は大して私と変わらなかった背格好。日に日に別の生き物みたいに逞しくなっていく。顔も随分大人っぽくなった。きっとこれからもどんどん変わっていくのだろう。私も少しは変わっているだろうか? いつも泣きべそをかいて彼に手を引っ張られて……。

「ただいま」
 家に入り手を洗う。キッチンのテーブルには温かな食事が三人分用意されていた。ごろっと大きな野菜のスープ、こんがり焼かれた川魚、薄く切られたパンにはチーズが乗っている。兄はコップに水を注ぎながら、目の赤い私に「また泣いたのか」と優しい困り顔を浮かべた。

 ――厳しくてちょっぴり優しい幼馴染と、穏やかで料理上手な兄。両親の商いを手伝いながら、使い道の無い魔法の訓練をして、ヘトヘトになってお腹が空いたら美味しいご飯。これだけは昔から変わらない。こんな日々が、この先もずっと続いていくのだろうと思った。

 思って、いた。







 ある日を境に彼が話さなくなった。
 誰と喧嘩をしたのでも喉を痛めている訳でも無さそうなのに、一言も話してくれなくなった。心配になった私は両親、兄、彼の家族に相談したが、皆は大して気にならないようで、何故か真剣に取り合って貰えなかった。

 話さなくなっても身振り手振りで意思表示は出来る。特に生活で困っている様子はない。それでも私は彼の声が聞きたかったし、難しい病気だったらどうしようと不安で、大きな街の医院に彼を連れて行こうと思っていた。そんな矢先だった。――暴れ狂った魔族が、町に攻め込んできたのは。

 魔族に対して備えの無かった人々は慌てふためいたが、そこで活躍したのが彼だ。長年振るい続けてきた剣と常なる覚悟で、魔族を倒してしまった。魔族の屍からは不思議な輝きを放つ欠片が発見される。

 王都からの使者が言うには、神殿で保管されていたクリスタルが魔族に盗まれ、奪い返そうとした争いの中で破壊されてしまったらしい。各地に飛び散ったクリスタルの破片が魔族に力を与え、狂暴化させているのだという。
 クリスタルが魔族の手に渡れば平和な時代は終わる。人間は魔族よりも先に欠片を集めなければならない。そして、魔族に対抗する勇者として選ばれたのが……

「ハルト、お前こそがクリスタルに選ばれし勇者である!」
 幼馴染の彼、ハルトである。

 クリスタルの欠片が、彼の額に選ばれし者の紋様を浮かび上がらせたのだ。私には何の話かさっぱり分からなかったが、とにかくハルトは勇者で、クリスタル集めの旅に出ることになった。ずっと彼が言っていた事が現実になった今、私も彼の仲間として共に行くことを決める。怖いけれど、ハルトを一人で行かせられなかった。


「おやメルルちゃん。旅の準備は万端かい? 息子をよろしくねえ」
 道具屋を営むハルトの母が、にこやかに声を掛けてくる。

「ねえおばさん……私やっぱりハルトが心配だよ。具合が悪いかもしれないのに、旅なんて。他にも強い人は沢山居るでしょ? おばさんから、大人の人達に話して貰えないかな?」
「おやメルルちゃん。旅の準備は万端かい? 息子をよろしくねえ」
「……おばさん」
 ハルトが喋らなくなった頃から、町の人達と会話が噛み合わない事がよくあった。寸分違わず同じ言葉を繰り返すおばさんに、私は拒絶された気持ちになって、何も買わずそっと店を離れる。


 ――いよいよ旅立ちの日。「メルルが心配だから僕も付いて行くよ」と言う兄も加えて三人での出発となった。危険な旅は不安だったし、無口な上にどこか素っ気なくなったハルトと二人きりというのは気まずく、私は兄に感謝した。
 近距離戦を得意とする剣士ハルトと、中距離型の魔法使いの私。兄は趣味の狩りで身に着けた弓術と、昔齧ったという治癒魔法で、私達を後方からサポートしてくれるらしい。まるで誰かが仕組んだみたいにバランスが取れているなと思った。

 旅に出てすぐ。私達は森で、こちらの欠片を狙ってやって来た魔族と相対する。いくら私でも流石に生死がかかった戦いで泣きべそをかく訳には行かず、精一杯頑張った。ハルトの剣が魔族を切り裂き、その中から光の欠片が飛び出て私の足元に落ちる。
 指先程の小さな欠片なのに、全力の私を優に超える魔力を放つ、クリスタルの欠片。早くしまわないといつ誰に奪われるか分からない。私はビクビクそれを手に取った。その瞬間、背筋にゾクリと嫌なものが走る。

『あ〜。どうすっかな〜』

 突如響いた知らない男の声。隣の兄を見るが、少し疲れたニコニコ顔を浮かべているだけだ。この声が聞こえていないのだろうか? 次にハルトを見る。その顔は――酷く強張っていた。

「ハルト?」
『ビン底眼鏡のおさげ魔女とか、イマドキ無いよな〜。ステータスも微妙だし』
 声はハルトの背後から聞こえている。私は躊躇いつつ……見たくないモノから目を逸らす為に掛けてきた、度の合わない眼鏡をずらす。ハルトの後ろには大きな黒い靄が立ち込めていた。それは今まで見たどの“おばけ”よりも凶悪で悍ましい気配を放っている。

『もう一人の仲間が男ってのもな〜。広告に出てた猫耳ツインテ美少女か、ピンク髪爆乳お姉さんを期待してたんだが?』
(な、何? この声は誰? 一体何を言ってるの?)
『仕方ねー。やり直すか! リセマラリセマラっと』

 男の言葉に、ハルトの目が見開かれる。悲痛な面持ちで私を見る彼。その時――ハルトの体に亀裂が走った。透明な雷みたいなそれが空間ごとハルトを裂く。両肩から斜めに入ったそれはまるで……大きな×印。

「ハ、ルッ、」
 なんだこれ。なに? なんで? どうして? ハルトが、死んじゃう?
 私は足を縺れさせながらハルトに駆け寄った。けれど伸ばした手は彼をすり抜けて、私は転んで膝も肘も擦りむく。凄く痛いけど、そんなの今はどうだっていい!
 起き上がりハルトを振り返ると、彼は透明な顔で心配そうにこちらを見ていた。その唇が、木々のささめきより微かな音を紡ぐ。

 “ごめん、守れなくて”

 久しぶりに聞いた声は、彼らしくない弱々しいものだった。その言葉を最後に、彼の姿は見えなくなってしまう。黒い靄と嫌な気配もスッと消えた。

「ハルト!」
 もしかしたら何かの魔法かもしれない。あの謎の声は新たに現れた魔族のもので、そいつに攫われたのかもしれない。助けを求めて縋った兄は……先程から一歩も動かず、戦いの勝利に微笑んだままだった。


 ――時間が、止まっている。
 それは兄だけではなかった。森を抜けた先の町も、その次の町も。どこもかしこも誰も彼も止まってしまっていた。私一人だけを残して。

 突然壊れてしまった世界で、私は毎日泣き続けた。どうして私一人だけ? 孤独に気が狂いそうだった。自ら命を絶とうともしたが、私を思い留まらせたのは、消えてしまった彼がまだどこかに居るのではないかという……望みともいえない夢。
 
 ハルトを探す旅に出た私は、どこまでもどこまでも歩き続けた。そして世界の果て、遂に自分以外の動ける人物に出会う。それは人間ではなく魔王だったけれど。

「待っていたぞ、勇者よ」
「……私は、勇者じゃ、ない」
 久しぶりに発した声は掠れていて、自分のものとは思えなかった。荒廃した地に座り込む巨大な獣。その圧倒的な存在感は、彼が魔王であると私の本能に報せる。魔王は項垂れていた顔を上げてギョロリと私を見た。睨みで人を殺せそうな迫力だが、途方もない孤独よりは恐ろしくない。それに泣いたって、もう誰も助けてくれないんだから。

「お前が勇者で無い事は分っている。ただ、辿り着いた者には言わねばならぬ決まりなのだ」
「決まり? あなたは、何か知ってるの? 時間が止まってしまった事、どうして私達だけ……あの声は……ハルトは?」
「――そうか。お前も我と同じくクリスタルに選ばれし者……“あの声”とやらが聞こえるのだな。ならば教えてやってもいいが、条件がある」
「クリスタル? 条件? 何を、」

「我を、殺してくれ」
 悲しい響きの魔王の懇願。それに私は呆然とし、同情を抱く。まるで自分の心の声を聞かされているみたいだった。

「我は勇者に倒されるべき最大の敵。その為だけの存在。勇者の居ない世界ではまともに生きる事も死ぬ事も出来ぬのだ。望みをかけてクリスタルを集めたが、何も変わらなかった」
 魔王は大きな手を広げる。そこには欠片が集まり、完成しかけのクリスタルがあった。

「クリスタルは全てを知っている。知りたければ我を殺し奪うがいい。さあ――勇者ならざる者よ、我と戦え!」

 クリスタルを飲み込んだ魔王の体が膨れ上がり、山のような怪物になる。おびただしい魔力が渦巻くが敵意は感じられない。ようやく見つけた仲間と戦いたくない気持ちと、真実を求める気持ちがせめぎ合う。だがどちらにしろ、死を望みながら向かってくる相手を殺さず往なすことは難しかった。

 魔王が死んで私はまた一人になる。奪ったクリスタルにずっと持っていた欠片を合わせると、完全な一つとなった。その瞬間、クリスタルは眩い光で私を包み込む。……クリスタルを手にする事は、世界を手にするも同義。全知全能のクリスタルは私に全てを教えてくれた。

 ――この世界と、私達の存在理由。世界が壊れた原因。彼が消えてしまった訳。倒すべき真の敵の姿。あの時聞こえた謎の声の正体が、ようやく分かった。

 恐らくこの世界で最も高い魔力を持つであろう魔王は、外界の、俯瞰する存在に気付いてしまったのだ。私があの声を聞いたように。魔王はそれをクリスタルに選ばれたと言った。
 魔王は壊れた世界を直そうとクリスタルに縋り、この残酷な真実を知って、望みも気力も失ったのだろう。けれど私は、もう死んでなどいられなくなった。諦めてなどいられなくなった。今まで抱いたことのないドロドロとした激しい感情が湧き上がる。

「……絶対に、許さない」


 あいつだけは、ゆるさない。



 *



 小さな町で生まれ育った少年ハルト。クリスタルの導きによって勇者となった彼は、仲間と共に旅に出た。幼い頃に罠から助けてあげた獣人族(ねこみみ)の少女と、身分を隠し臣民の為に戦う姫君と共に。

「ハルトやったな! 遂に魔王撃破だっ!」
「ハルト様、あなた様なら成し遂げると思っておりました。流石はわたくしの勇者様です」
「はあ? オイ姫さん、誰が誰のモンだって!?」
 ミーアが長いツインテールを振り乱し、リリィ姫とハルトの間に割って入る。リリィはキャッと可憐な悲鳴を上げ、ハルトの腕に豊満な胸を押し付けた。

「おいハルト! ここらでハッキリして貰うぞ! アタシと姫さんのどっちを選ぶんだ!?」
「そうですわハルト様! ご決断下さいまし。わたくしと結婚して王になって下さいますわよね?」

 →ミーアを選ぶ
 →リリィを選ぶ

(おいおいマジでギャルゲーだな! どうすっか……セーブしてどっちのルートも見るか)

 悠人(はると)は手慣れた操作でメニュー画面を開く。しかしいつもそこにある筈の『SAVE』の文字は見当たらなかった。目を細めて凝視すると、パソコンの画面がガガッと大きく乱れる。

(な、何だこれ、バグか?)

 それはすぐに収まった。しかしメニューは勝手に閉じられており、画面は再び魔王の居なくなった魔王城を映している。静かなCG背景――玉座の奥の扉が開き……そこから一人の女が現れた。
 黒衣に身を纏った、いかにもな魔女。長いおさげ髪を垂らし三角帽子を被っている。悠人はどこかでこんなキャラクターを見た事があるなと思った。

 二人のヒロインは女の出現に気付かず、頬を染めてハルトの選択を待ったまま、止まっている。

「勇者ハルト。私はあなたを待っていた。あなたに復讐するために」
(復讐って何の話だ? どういう設定だよコレ。隠しボスか?)
「……そう。あなたは自覚もしていないのね。自分がどれだけ残酷な事をしてきたか」
(オイオイ何だこいつ……“ハルト”が何も喋ってないのにペラペラと)
 まるで俺に話しかけているみたいじゃないか、という悠人の思考を読んだように、女がわらった。その手がマントの裏から分厚い眼鏡を取り出し、掛ける。

「私はあなたが捨てた世界の――勇者の幼馴染、メルル。あなたの幼馴染じゃなくて“彼の”だけどね」

 悠人はゲームのしすぎで夢でも見ているのかと思った。

 メルルは静かに語る。それはもうゲームのウィンドウ内のテキストではない。スピーカー越しの音声でもない。悠人の脳に直接語りかけてくる。

「どうして私達の世界が止まってしまったのか。どうしてあなたが……彼を消したのか。クリスタルが全て教えてくれたの」
 メルルがマントを広げると、バラバラとクリスタルが落ちた。それは十、百……途方もない数である。

 ――メルルは、クリスタルの力で世界を超えた。悠人“達”の身勝手で壊された数多の世界、消された勇者達を目の当たりにし、復讐心を募らせた。

 どんなに辛くとも、彼らが起こす“リセット”に介入する事は出来なかった。勇者との決戦は、魔王(ラスボス)にしか許されていないからだ。メルルは悠人の前に最強最悪の敵として立つ為、無数のクリスタルを得て真の魔王となり、この時を待っていた。悠人が最終局面まで辿り着く時を。

「あなたにとってはただの遊び。暇潰し。私達はそれに弄ばれ、踏みにじられた」
 “悠人”に歩み寄る女。コントローラーのどこを押しても何も反応せず、悠人は気味が悪くなり、パソコンの電源をオフにする――が、消えない。画面の奥から伸びた女の手が次元を超え、悠人の目前に迫る。

「勇者……いえ、プレイヤー悠人。消された世界の恨みを思い知りなさい」
「あ、あ――あああああ!」

 悠人の叫び声に慌てて駆け付けた母親が見たものは、『GAME OVER』が表示された画面。その前で虚空を見つめ、廃人と化す息子の姿だった。


 ――全国で多発した、特定のオンラインゲームによる精神障害事件。呆然自失状態になるプレイヤーが後を絶たず、原因の特定に至らぬまま、そのゲームはサービス終了となった。



 *



「終わった……」
 虚無空間に私の独り言が響く。もうこの世界にプレイヤーが訪れることは無い。それは、魔王も町の人も全てが無に帰したということ。この世界は完全に閉じられたのだ。次元を超えてしまった異端な私だけを、その内側に取り残して。

「終わっちゃった……」
 復讐を終えれば、少しは心が救われるかもしれないと思っていた。けれど全然そんな事は無い。辛く悲しく、寂しいままだ。

「ねえ。私、頑張ったよ。魔王どころか勇者まで倒しちゃったんだから……」
 ちゃんと強くなった。弱虫じゃなくなった。なのに何で彼は褒めてくれないんだろう。

 ……今となっては分かる。何故彼があんなに私に厳しかったのか。
 彼はきっと心の深い所でこの世界の真実に気付いていて、私がプレイヤーに選ばれるように、私を守るために、強いキャラクターにしたかったのだろう。

 でも、強いだけじゃ駄目らしいよ。猫耳とか爆乳じゃないと。そう言ったら彼はどんな顔をするかな。

「……一人は、嫌だな」
 憎むべき相手が消えたら、愛すべき人が再び心を占め始めた。胸が詰まり呼吸が下手になる。……久しく忘れていた感覚。私の頬を、何百年ぶりかの涙が伝った。
『泣き虫だな』なんてぶっきらぼうな声を期待するが、誰もいない終焉は静寂に満ちたまま。

 どうしてこんな事になってしまったのだろう。私は口うるさい幼馴染と勇者ごっこをして、兄の作るあったかいご飯を食べていられれば、それだけで良かったのに。

「ねえ。泣いてるんだから、早く来てよ」
 そして不器用に、優しく叱って欲しい。じゃないと干からびてしまう。

 ――涙で滲んだ冷たく暗い世界に、光が溢れた。
 散らばった無数のクリスタルが、私を慰めるように輝いている。一つで世界を手に出来る力があるというクリスタル。それがこれだけあるのだから、世界を変える位の奇跡を見せてくれてもいいんじゃないだろうか。

 私は、手を組んで目を閉じ、ひたすら祈り続けた。



 永遠に等しい時間の果て。
 私は自分の頭に触れる暖かな手に、泣き虫になる。

 ずっと呼べなかった彼の本当の名前が、ようやく口をついた。 inserted by FC2 system