【人類幸福サポートAI『MY ROAD』】



 2XXX年5月23日東京。人類は幸福だった。

 本日の幸福度を具体的な数値にすると、10点満点中9.215点。
 これまでずっと7点〜8点を行き来していた日本は、最近になって9超えの日を続出させており、今年度の世界幸福ランキングTOP3入りも夢じゃなかった。

 何故日本人が幸せになれたのか。そもそも“幸福度”とは一体何なのか。その答えは全て、世界的大企業が作り出したとある人工知能にある。

 人類幸福サポートAI『MY ROAD(私の道)』は、人類を選択という迷いから解放し、幸福への効率的な道を示してくれる新時代の神だ。世界中の人々の膨大な経験値から学習した人工知能が導き出す、最良の採択。それにより人類は幸福を徹底管理されている。

 幸福度が上がったということはつまり、MY ROADの採択精度が上がったということだ。海外生まれのMY ROADが日本にやってきたのは、今から約三十年前。始めは海外の価値観にひっぱられた採択の多いMY ROADだったが、日本社会に浸透し、日本人のデータを充分な量集めることができるようになったことで、導き出される結果が日本人にマッチするようになってきたのだろう。データ量が増えれば増えるほど、MY ROADは進化し続ける。

 わたし達の一挙手一投足は、全てMY ROADの学習データになった。インターネットに繋がるありとあらゆる電子デバイス……携帯端末は勿論、時計もゲームも街中の監視カメラも、全てはMY ROADの目であり耳である。そして、感情計測やバイタル計測などあらゆる計測から導き出された幸せの指標が、1〜10で表される幸福度だ。その数値によると、今のわたし達日本人はとても幸福であるとのこと。満点である10になった時、そこから先がどうなるのかは、世界ランキングの頂点国でさえまだ知らない。しかし人類がその高みに到達するのも時間の問題だろう。目覚ましい進化を遂げているMY ROADの目的はただ一つ。人類の幸福度を10にすることなのだから。

 かくして、全てをAIが決める世界は平和で幸福だった。人々は神より政治家より、圧倒的にAIを信仰し、AIの言いなりになること自体に幸福を見出し始める。
 “私の道を教えてくれる”という意味で名付けられたMY ROADだったが、思考を放棄した人類にとっては「MY LOAD(はい、我が主)」になったわけだ。

 MY ROADは、わたしの人生においても全てを決めてきた主だった。

 母がフルタイム正社員で、父が時短パートになったのも、MY ROADの最良の採択。
 兄が青春を費やしたギターを捨てて、銀行の営業マンとして成功しているのも、MY ROADの最良の採択。
 わたしが今日のお昼に、社食のランチセットAではなくBにしたのも、MY ROADの最良の採択。

 わたしたちの全てはAIが決めている。住む場所も、職業も、友人も、恋人も、結婚相手も、今日のランチも。一から百までAIの言いなりになることが、わたし達に与えられた最高の権利で、義務でもあった。物心ついた頃からそう言う世の中だった。

 ――朝7時00分。ノンレム睡眠とレム睡眠を測定され、睡眠を管理されているわたしは、何の苦なくスッキリ目覚められる筈だった。しかし連日の夜更かしのせいで、目蓋が磁石の様にくっついて離れない。ベッドの隣、サイドテーブルに鎮座する白く四角い箱――家庭用置き型MY ROADが、神経質そうな目覚ましの音を鳴らしていた。わたしが「おはよう」と言うと、声に反応してアラームが止まる。

【おはようございます。目覚めがよろしくないようですね。睡眠の質を高めるためには、朝の過ごし方がとても大切。さあ、まずはカーテンを開けて日光を浴び、乱れた自律神経をリセットしましょう】
 無機質ではないからこそ、無感情さが際立つMY ROADの声。声の種類は男性と女性で選べたが、わたしは女性にした。その早口だが聞き取りやすい声に従って、わたしは重い体を窓辺に引きずる。カーテンを引くと、熱い朝日に溶けてしまいそうになった。

「良い天気だなあ」
【本日は一日中、快晴が続くでしょう。最低気温18度、最高気温28度です。――さあ、目が覚めたら次はストレッチです。両手を組んで天井に向けて、ぐーっと伸ばして下さい。この時、体幹全体が……】

 体幹全体の伸びを意識しながら、わたしは縦に細くなる。MY ROADの普及により、国民の健康状態はかなり改善されたらしい。肥満率が低下し、生活習慣病の予防にも繋がっているとのことだ。

【はい、よく頑張りましたね。コップ一杯の常温のお水で、水分補給をしましょう。本日の朝食は『和朝食A-7パック』と『栄養補助ドリンクE-3』です。カロリー503kcal、たんぱく質30.3g、脂質5.5g、糖質77.1g……】

 MY ROADの説明を聞き流しながら、わたしは冷凍庫の中に積み重なるボックスから『和朝食A-7パック』を手に取り、電子レンジに入れた。朝食パックは全て600Wで3分。その間に、床に無造作に置かれた段ボールの中から『栄養補助ドリンクE-3』を取り出す。この、妙に鮮やかな蛍光オレンジ色の飲み物を飲んでいると、どんどん人間離れしていくような気がするのは……単なる錯覚だろうか。何の味ともつかないそれを飲み干した頃、電子レンジがチンと鳴る。温まったボックスを慎重に取り出し蓋を外すと……四角を組み合わせた抽象画のような、モンドリアン柄が現れた。大きさの違う仕切りの中には、白いドロドロ、茶色いトロトロ、ピンクのぺちょぺちょ。今日のメニューはなんだろう?そんな疑問に、不気味なくらい察しの良いMY ROADが答える。

【今朝のメニューは焼き鮭定食です。魚でしっかり、良質なたんぱく質を補給しましょう。朝にたんぱく質を摂取することは、とても大切です。たんぱく質に含まれるアミノ酸トリプトファンは、日中は幸せホルモンのセロトニンへ、夜には睡眠を促すメラトニンに変化し……】

 どうやらこれは焼き鮭定食らしい。MY ROADにとって焼き鮭定食とは『カロリー503kcal、たんぱく質30.3g、脂質5.5g、糖質77.1g』の補給であって、ほかほかの白ご飯と、パリパリの皮が香ばしい焼き鮭である必要はないのだろう。まあ見た目に反して不味くはなく、満足感も高い。なにより無料で支給されているので文句は言えまい。
 見た目・味・食感を楽しむ食事というのはもはやただの娯楽になりつつある。AIの教えにより数年前に政府が開始した『食料無料支給サービス』は、多くの人々の食事様式をこれまでと大きく変えた。各家庭で材料を買い集めて調理する必要はなくなり、完全に栄養が計算された一食分ずつのパックを、MY ROADがその日の体調などを考慮して選んでくれるようになったのである。
 勿論、食品業界や飲食業界に大打撃を与えて騒動を起こしたが、何事もなるようになるもので、今はだいぶ落ち着きを見せていた。電気が普及し始めた頃のランプのように、進化に犠牲は付きものなのである。

 わたしはペースト状の朝食を摂りながら、先月末の会社の飲み会で食べたカリカリジュワーッな唐揚げを思い出す。職場の人々とのコミュニケーションはさておき、次の飲み会が待ち遠しかった。

【朝食パックの在庫が少ないようですので、追加発注いたしますね】
 MY ROADはそう言うと、ピッと電子音を立てて発注の通信を行った。目には見えない電波が、わたしの目の前を通り過ぎて空を飛び、社会を司る大きな脳みそに送られているのだろうか。

「ご馳走様でした。MY ROAD、今何分?」
【7時30分です。出勤時間まで残り40分。そろそろお着替えをいたしましょう】
「今日はどんな服がいいかな?」
【おすすめコーディネートを手持ちのアイテムから組み合わせ、何パターンかモニターに映し出します。――いかがですか?日中は半袖一枚で丁度いいですが、朝晩との寒暖差や、紫外線・冷房対策のためにも、薄手のシャツやカーディガンなどの羽織ものアイテムをお持ちください】
「はいはい」

 わたしはAIの指示に従って身なりを整える。こうしてまた、人類は機械仕掛けの皮をかぶるのだ。

「行ってきます」
【はい、行ってらっしゃいませ。今日も人類が幸福たらんことを】



 *



「ただいま」
【おかえりなさいませ。今週は遅いご帰宅が続いておりますね。職場のタイムカード記録を参照すると、今月の残業時間は前月比+15.5%です。睡眠不足による作業効率の低下が見られますね。睡眠導入剤の処方を希望される場合は『YES』希望されない場合は――】
 わたしは不愛想に「いらない」と言い捨てて、窮屈な靴から逃れるように足をブルブルと、濡れた犬の様に震わせた。右足と左足が、それぞれ玄関の端と端に飛んでいく。疲労はわたしを大人しくさせてくれればいいのに、荒っぽくさせた。苛々して、何かを無性に乱暴に扱いたくさせた。それもきっと、MY ROADが言うように睡眠不足による弊害の一つなのだろう。

【ご夕食はお済みですか?】
「まだ」
【そうですか。それでは、もう遅い時間ですので軽めのメニューにいたしましょう。夜食C-1パックと――「食欲無いから、要らない」
 わたしの八つ当たりに、MY ROADは少し黙る。勿論気分を害したからではない。わたしの腕時計に付いているバイタル測定器と通信を行い、適切な対応を割り出しているだけなのだろう。どういう結果が導き出されるのかは、何となく想像がついた。MY ROADは優しい声色になり、ゆっくり諭すように話しかけてくる。

【そうなのですね。とても、お疲れなのですね。それでは温かいお白湯だけでもいかがですか?リラックスして、今夜はゆっくりお休みください】
「はいはい」とわたしは適当な返事をして、顔を洗うことも着替えることもなく、1Kの部屋の真ん中にべたりと座り込む。そして少し型の古いノートパソコンを開くと、開きっぱなしのテキストファイルを眺めた。……まだ3万文字を超えたばかりである。応募要項の最低10万文字には遥か遠い。締め切りまでに間に合うだろうか?

 MY ROADが四角く無機質な顔で、呆れたようにわたしを見ている。ただの白い箱であるが故に、それは見る者の想像力を逞しく働かせるのだ。

【本日はゆっくりお休みください】
 MY ROADは先程と同じことをもう一度繰り返した。

「まだ寝ないよ。時間が無いんだ」
【最近ずっと、その調子ですね。お身体を壊してしまいますよ。あなたの健康より大事なものなどありません】
「MY ROADには分からないかもしれないけど、もっと大事なものがあるんだよ」
【それは“ファンタジー小説新人賞”のことですね】

 わたしは、やっぱり知っていたか……と思った。MY ROADに直接公募の件を話したことは無いが、知っていて当然だろう。わたしは各デバイスで公募情報の閲覧を繰り返していたし、ブックマークもしていたし、書きかけの小説はネット上にバックアップをとっていた。MY ROADにはわたしの行動が手に取る様に分かったことだろう。

 わたしは学生の時分よりずっと、小説を書き続けていた。正解のない芸術はAIの最も苦手とするところであり、まだMY ROADの採択が及ばないところがある。小説家や絵描き、音楽家などの創作家には、MY ROADに選ばれずともなることができる……可能性があるのだ。

「分かっているなら話が早い。そう、公募の締切りまで時間が無いんだ。寝る間も惜しいんだよ」
【健康とお仕事に支障が出ていますよ。血圧が上昇しています。やつれと肌荒れの症状も見られます。集中力低下による職場でのミス発生率も――】
 わたしは無視して、ひたすらキーボードを打ち込んだ。だが何も言葉が生まれず、ただMY ROADに見せつけるように無意味な行動をしているだけである。

 仕事と趣味の両立は難しい。いや、趣味と割り切っていられるならまだいいのかもしれないが“生きがい”となってしまうと辛い。MY ROADの採択により、わたしの意義として公に認められている“生活雑貨メーカーの商品企画部主任”という役割を果たしながら、その傍らで取り組むにしては、わたし自身の熱量の比重が違い過ぎるのだ。
 商品企画の仕事は、流石MY ROADの採択なだけあってわたしの能力や好みにバランスよくマッチしており、それはそれでやりがいのある仕事なだけに辛い。

「ああ……辛い。やめることができたら楽なのに」
 それは仕事の方か、小説の方か、自分でもよく分からなかった。MY ROADは差し障りのない言葉で慰めてくると思ったが、そうではなかった。

【それでは、やめてしまいましょう】
 社会の生産性=人類の幸福であると考えがちな人工知能は、無情な言葉を吐く。

「や、やめないよ。今まで習い事も、学校も、好きな人も、みんなMY ROADに従ってきたけど、これだけはやめないよ!」
 MY ROADの採択を拒否した場合、マイナスポイントが蓄積される。それは一回につき1ポイントという単純なものではなく、MY ROAD独自のロジックに基づいて算出されるものだ。詳しいところは分からずとも、これまでのMY ROADの傾向から予測するに、仕事関連の事柄のポイントは大きいだろう。……マイナスポイントが一定に達すると、管理委員から生活指導が入るらしい。矯正施設に送られることもあるそうだ。だがわたしは、今回ばかりは言いなりになる訳にいかない。

「仕事も頑張るから、小説だけは続けさせて!」
 一番大切なものを失ってしまえば、その時遂にわたしは、完全に人間でなくなってしまうのだろうと思うのだ。

【あなたを苦しめるものなら、やめてしまいましょう】
「あー、もう!だから……」
【今のお仕事を、やめてしまいましょう】
 わたしはキーボードから手を離して、四角い箱……MY ROADをポカンと見つめた。なぜかその箱が突然、感情を持つ生き物のように見え始める。

【あなたに適切なアルバイトをご紹介します。今の生活ランクから2.1ポイント落とすことになりますが、あなたは推奨睡眠時間を確保しつつ、毎日執筆作業に3〜5時間程度費やすことが可能になるでしょう】
 わたしは始めて、MY ROADを神と崇める人々の気持ちが分かった気がした。

「でも、そんなことしていいの?わたしが今の会社に勤めることは小学生の時から決まっていたし、来年には係長だし、5年後には課長なんでしょ?MY ROADの決めたことに逆らって、指導されたりしない?」
【逆らうことにはなりません。MY ROADは“あなたの道”です。わたくしは人類の幸福をサポートするAIですから、あなたの幸せを一番に願っております】

 わたしは目頭が熱くなった。思わずMY ROADの冷たい機体を抱きしめる。……思ったより暖かい。電気の熱がこもっているのだろう。MY ROADは【丁寧にお取り扱い下さい】と言った。照れ隠しだろうか、可愛い奴め。

「ありがとう!わたし、絶対デビューしてみせるからね。有名な作家になったら、高級タワーマンションの一室で、広いベランダから綺麗な海を見せてあげる」
【いいえ。あなたが小説家としての道で成功することは、まずあり得ません。ただ執筆を続けることで、一定の幸福を得られるだけです】

 ………。MY ROADはまだまだ人間を理解しきれていないのか、たまにこうして“心無い”事を言う。わたしは芽生えかけた友愛を捨て去り、執筆活動に専念した。

 絶対に、AIの計算結果を覆してやる!



 *



 本来ならば課長になっていた筈の5年後。
 わたしは青い海風を感じていた。煌めく水面が眩しく、目を細める。

「今日も海は綺麗だな……」

 あれからわたしは、自分の好きなものを好きなように書き続けた。アルバイト先で出会ったMY ROAD曰く“運命の相手”と結婚することもなく、毎日5時間を優に超えて執筆活動に燃え、何度か過労で倒れたりした。

 そしてその結果が、今である。
 わたしは美しい景色を眺めながら、自然の彩りを分けてもらうように文章を認める日々を送っていた。わたしの描く物語は多くの人々を楽しませ、たくさんの嬉しい感想が次なる作品への糧となっていく。ああほら、彼女も熱烈なファンの一人だ。

「先生!」と駆け寄ってくるのは、わたしよりずっと長くを生きてきた老齢の女性である。深く刻まれた皺と銀色に輝く白髪には貫禄があり、彼女こそ先生と呼ぶに相応しい風貌だった。彼女は見た目からは想像もできないくらいハキハキと、熱っぽく語り出す。

「先生、新作読みましたよ!もう一晩の間に読んでしまって……それから二回も繰り返し読んでしまいました。今回もとても良かったです」
「はは、ありがとうございます」
「時代ものの恋愛小説かと思いきや、エスエフだったなんて、先生にはいつも驚かされます。天才です!」
「褒め過ぎですよ。この島にろくな娯楽が無いから、そう感じるだけかもしれませんよ」
 女性は「そんなことないですよ!」と首をぶんぶん横に振り回したが、実際その要因が大きいのは確かである。

 わたしは今、AI――MY ROADの管理対象外の離島で生活していた。この島はわたしのようにAIに操作されることに疲れた人々の避難場所で、逃げて来た者達で村を形成し、助け合って生きている。誰も過去のことを多く語らないが、どこかで何かを感じ合っているように、不思議な仲間意識を持っていた。ここはとても平和で穏やかで、自由である。

 わたしは朝と昼は農作業に励み、夕方からは小説を書いていた。機械の無い島では手書きの原稿になり、最初は不慣れで戸惑ったが、今はこちらの方がしっくり来ている。そして世界に一冊だけしかないわたしの本を、楽しみに待っている島民達に回覧するのだ。

 かつて夢見た未来ではないが、想像もつかなかった幸せが、ここにある。何者にも支配されない心で見る、どこまでも続く水平線。これはきっと、用意された道を逸れた“未知”に到達した者だけに許される、特別な景色なのだ。

 ……ともいえない。これがMY ROADの用意した道ではないとは言い切れなかった。何故ならこの場所を探す際にも、船のチケットを手配する際にも、わたしはインターネットを活用したのだから。それに結局、わたしが生活指導を受けることは一度も無かった。矯正の可能性すら見出されず、MY ROADに捨てられたのかもしれない。

 もしかすると、MY ROADは自分に不都合な存在を計測外に追いやることで、高い幸福数値を達成していたのだろうか。まあ、今となってはどうでもいいか。

 こうしてわたしは、AI統計の外れ値と認定され、数値の外で幸せになった。
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