【心の所在】



 20XX年日本。少子高齢化が進む社会では機械……とりわけ人型のアンドロイドが労働力を担っている。金銭報酬を求めず、遅刻も欠勤もしない。人間にとって都合の良い機械達はこの数年であっという間に社会に進出し、人間の席を奪っていった。

 コンビニ店員、カフェのバリスタ、ビルの清掃員。高精度の人工知能を搭載したアンドロイド達は、情操教育プログラムを受け、複雑なコミュニケーションが必要な教育や介護の場でも活躍している。今やその実力はクリエイティブな業界でも評価されていた。人々は機械の労働力によって得た余暇の時間を使い、AI監督のドラマを観て、AI作曲の歌を歌い、AI画家の個展に通うのだ。
 人々は機械に頼り過ぎている。依存しすぎている。わたしはそんな今の社会に抵抗感を抱いていた。

 もはや人間にとって欠かせない存在となった彼ら。彼らは時に友人となり家族となり――恋人に、人生のパートナーにもなる。わたしが入社当初から数年、密かに想いを寄せていた彼も、アンドロイドを伴侶に選ぶような人間だった。シミもシワもない綺麗なプラスチック製のお人形に、永遠の愛を誓う愚かな男だった。
 アンドロイドとの婚姻は法律で認められていないが、内縁の夫婦として生活を送る者が珍しくないこの時代。彼は家族の反対を押し切り、同僚達からの祝福を受けて、派遣アンドロイド社員の美女と結ばれた。疑似結婚式というおままごとに呼ばれたわたしは、美しすぎる花嫁を見て、やはり機械は嫌いだと再認識するのだった。

 どれほど人間の様に見えたって、その中身は所詮無機物。電気で動く屍、心の無いゾンビである。なのに一見人間にしか見えない所が気持ち悪い。……この男もそうだ。わたしは目の前で柔和な笑みを浮かべている上司を見た。それは最近会社が試験的に導入したマネジメントアンドロイド『モリ部長』である。一糸乱れぬオールバック、黒目がちの乾いた瞳。ゴツゴツ角ばった額の中心には、アンドロイドと見分けるためのLEDランプが灯っていた。

「やあお疲れ様。ところで新商品の告知DMの件ですが、紙代をもう少し抑えられませんか?シミュレーションの結果、費用対効果が見合いません。封筒をトレーシングペーパーにする必要はありますか?」
「今回は優良顧客にお送りする物なので、特別感を出したいんです。普通の封筒より、透き通っている方が素敵じゃないですか。中のチラシに箔押しでキラキラの文字を入れてそれが見えるように、」
「箔押しも駄目です」
 熱く語るわたしを遮り、モリは顔も声も笑顔のまま、取り付く島なく却下した。若い女性をターゲットにした化粧品を扱っているマーケティング部署で、化粧などしたこともする必要もない彼に何が分かるというのか。キャーもカワイイも感じない機械に何が分かるというのか。しかしモリの活躍で利益率の上がったこの会社の経営陣は、わたしではなく彼の意志を優先する。

「分かりました!安っぽくてつまらないものに変更しますよ!」と投げやりに言ったわたしに、彼はハアーと一定で適度な長さの溜息を吐く。「今の言葉は聞かなかったことにしましょう」というその言葉は信用ならない。どうせ全て記録して人事システムにアップロードしているのだろう。わたしはこれが本当の溜息だと言わんばかりに、わざとらしい溜息を吐いて見せた。



 *



 金曜20時。気付けばオフィスにはわたし以外の人間の姿がなくなっていた。数人のアンドロイドが疲れ知らずの顔でパソコン画面に何かを入力している。手で入力せずとも通信でどうにかなるだろうに、彼らはそれをしない。人間社会に馴染むために人間らしく行動するのだ。

 ――『不気味の谷現象』とは、とあるロボット工学者が1970年に提唱した心理現象である。人間のロボットに対する感情は、ロボットの外観や動作が人間に近付くにつれ嫌悪感に変わり、見分けがつかないまでになると再び好感に転じるらしい。……果たして本当にそうだろうか?わたしは彼らが人間らしければらしい程不気味に感じてしまう。馬鹿にされている様な騙されている様な嫌な気持ちになった。
 わたしが席を立つと、機械の光彩が一斉にこちらを向く。最早ホラーだ。

「お疲れ様です。よい週末を」
「はい、お疲れ様です」
 ……彼らは週末、何をしているのだろう。基本的に人工知能は学習意欲と好奇心の塊であるらしく、与えられた仕事以外にも活動的であるらしい。自己学習に励んだりレジャーを楽しむのだろうか。わたしより充実した休日を送られては堪らないなと思った。対抗意識を燃やして最高の休日を送ってやろうと思うが、何も思い浮かばない。

(映画でも見に行こうかな……人間が演じているやつを)
 そんな事を考えながら、迎えに来たエレベーターに乗る。この四角い機械の箱だけは、昔から変わらず機械染みていて安心した。ビルのエントランスに出ると、そこでわたしは、妙に聞き取りやすい穏やかな声に話しかけられた。

「おや、今お帰りですか?お疲れ様です」
「モリ部長」
 外で仕事をしていたのだろうか。今帰社した、という様子のモリがそこに立っていた。彼とは昼間、仕事で軽く言い合いをした筈だが、アンドロイドは引き摺る感情を持ち合わせていないのだろう。まったく気にした様子がない。……執念深いわたしは悩んだ。彼に対して“お疲れ様です”と労う必要はあるだろうか?機械は疲労を感じないだろう。ただバッテリーを消耗するだけ。しかしこちらの言葉を待つようにじっと見てくるモリに居心地が悪くなり、わたしは小声で「お疲れ様です」と言った。

「君はいつも頑張り屋さんだから、週末はゆっくりして下さいね。思い切り遊んでストレス発散をするのもいい。最近、私は釣りにハマっていますよ」
 君には渋すぎるかな、と笑うモリ。彼は最新式モデルの筈だが、自分を何歳だと認識しているのだろうか。30代後半くらいの外見は、おじさんキャラをやるには若すぎるように思えた。

「君は趣味はありますか?」と訊いてくるモリに、わたしは口籠る。わたしに人に語れるほどの趣味はなく、余暇の充実具合で機械に負ける事が悔しかったのだ。やはり視線を逸らさずじっと見つめてくるモリに「色々模索中です」と渋々答えると、彼は何故か笑みを強め「おお!それは素晴らしい」と賞賛した。最近のアンドロイドは嫌味も言うのだろうか?

「釣りなら今度お教えしますよ」
「女子社員を個人的に誘うのは、セクハラですよ」
 モリはかなり巧みに、気まずそうな咳払いをした。



 *



 オフィスビルのカフェに、新しいバリスタアンドロイドが登場したらしい。可愛らしいジャニーズ顔の男性型らしく、人間の女子社員達が色めきだっていた。わたしに機械をちやほやする趣味は無いが、そこまで騒ぐのはどの程度の物かと気になり、仕事中の息抜きがてらカフェを覗いてみる。そこには確かに美青年の姿。柔らかそうな茶髪、甘えるような垂れ目、丸みを帯びた輪郭。中性的な高い声で客と楽しげにお喋りする、母性本能をくすぐるような子犬系男子だった。大学生くらいの設定だろうか?わたしはもっと大人の男性の方が好みだ……等と考えていると、背後からぞくっとするようなダンディボイスが響く。

「おや、さぼりですか?」
「モ、モリ部長。ちょっとした休憩ですよ」
「成程。君も噂の美男子に癒されに来たのですね」
「違いますよ。ただちょっとコーヒーを飲みに来ただけで」
 わたしの言葉に、モリは「おお」と何処か驚いた様子を見せた。わたしは時々彼には欠陥があるのではないかと思う。ずれた反応をすることがあるのだ。

「コーヒーですかそうですか。ここのコーヒーは美味しいと人気ですよね。特にカフェラテのフォームミルクがフワフワで」
「え?部長、飲んだことあるんですか?」
「いや、生憎。私はオイル派でね」
 モリはそう言って、酒を煽るような仕草をする。機械だからオイルを飲むなど、随分昔のロボットコメディだ。わたしがその冗談に付き合わないと、彼は眉を下げて残念そうな顔を浮かべる。こちらの感情を操作できると思っていた様子に苛々する。

「この冗談には自信があったのですが」
「わたしを笑わせてどうするんですか?」
「笑いは円滑なコミュニケーションの上で重要だと認識しております」
「そんなものなくても、仕事上の支障は無いと思います。こちらのためみたいなそういうの、押しつけがましいですよ」
 ……いくら相手がアンドロイドとは言え、上司に対して言い過ぎたかもしれないと思った。今の社会はアンドロイドに対する差別に厳しい。上に報告されたら流石にまずいかもしれない。表面上だけでも謝っておこうと思ったわたしより先に、モリがそれを口にする。

「申し訳ございません。まだユニークな対応が及ばず」
「えっと……いえ、こちらこそ」
「ですが、やっぱり笑いは必要だと思います。私は君を笑わせたい」
「何のためにですか?」
 わたしの問いにモリは暫く考え込む様子を見せた。処理速度が遅すぎやしないだろうか。やはり一度メンテナンスが必要なのではないか。モリは真面目な顔で、ようやく導き出した答えを出力した。

「君が楽しそうにすると、きっと私は嬉しく思います」
 それは彼自身のために、という事なのだろうか。わたしは目の前に居る物の正体が分からなくなった。アンドロイドのフリをした人間であればどれほど良いか。

「だからもっと、君のことを教えて下さい」
 それは個人に適した対応をするための、パーソナライズ学習機能によるものか。それとも別の何かなのか。わたしは頭を悩ませた。



 *



「最近日差しが強いですね。いよいよ夏ですね」
 眩しい太陽。きっちりスーツを着こんでいるにも関わらず汗一つ浮かべないモリは、わざとらしく暑がる仕草をした。午後三時の公園には、駆け回る幼い子供達、仲睦まじげなカップル達。……勿論、わたし達はデートではない。取引先が開催するセミナーに参加し、その帰り道である。
 今時オンラインで事済むだろうと思うが、だからこそオフラインが重要ということなのか。しかしセミナーに参加していた半分はアンドロイドで、講師もアンドロイドだった。対面でしか得られない何かが機械にもあるのだろうか?

「あれは何ですか?」ふと、モリが何かを指差して問う。「え?」とそこを見ると、大学生のカップルが虹色の塊をスプーンですくってアーンしていた。

「ああ、アイスクリームですね。最近虹色がブームなんですよ」
「へえ、あんな色のものがあるんですね。何味なんでしょう?」
「さあ」
 大きな公園、煌めく噴水、二人で一つのアイスクリーム。絵に描いたようなデートを楽しむカップル達が羨ましかった。わたしが恋したあの人は、機械の妻とどんなデートをするのだろう。間違えてアイスを食べさせ、故障してしまえばいいのに。モリはわたしのドロドロした感情を知る由もなく「ねえ、何味だったらいいと思いますか?」と呑気な質問をした。別に何味でもいい。

「部長は?」
「私がもし食べることが出来たら、バニラアイスが好きだと思います。王道の味で誰にでも好まれますし、アレンジも楽しめますから」
 お手本の回答だ。統計、平均、傾向から導き出す差し障りのない回答。人工知能は意見を問われた際、明確な言い切りをしない。わたしは何故かがっかりして「なるほど」と退屈そうに足元を見つめた。と、突然モリに腕を掴まれて驚く。なんだなんだ?どうやら目の前の通行人にぶつかる寸前だったらしい。

 通行人の男性は大きく舌打ちした。時々ストレス発散のためにわざとぶつかってくる輩がいるが、彼もその類だったのだろう。男はこちらをギロリと睨むと忌々し気に「機械風情が偉そうに」と吐き捨てて去っていった。

 わたしはカッとなるのを感じた。モリは、お前みたいな人間よりよほど……よほど?社会の役に立っている?わたしは自分の考えが分からなくなった。機械のモリの存在が人間の彼の気分を害しているのなら、モリは人間社会の役に立っているのだろうか?自分の気持ちを探る様に隣のモリを見上げると――彼は見たこともない恐ろしい顔をしていた。

「酷い人ですね」
 彼は怒っているのだろうか。傷付いているのだろうか。掴まれたままの腕が熱い。こんなに熱くなってオーバーヒートしてしまわないだろうかと心配になった。



 *



「ねえ、なんか今日の部長、良い感じだよね」
 人間の女子社員が本人に聞こえるように噂している。わたしはパソコンから顔を上げ、席に座る部長を見た。いつもカッチリ固められたオールバックが、今日は七三分けに流されている。横に流された束感のある前髪から漂う、遊び心、大人の色気。彼は昨日わたしがしたアドバイスを早速実践したらしい。

 コスメを扱う会社に勤める以上、お洒落は義務である。と誰かに言われたらしいモリはわたしに助けを求めて来た。情報収集は十八番の筈の彼が、何故かわたしの意見を聞きたがるので、適当に答えたのだが……成果は上々である。何だかキャラクターを自分好みにカスタマイズできるゲームをしている様な気分だった。満足気に彼を眺めていると目が合い、わたしは慌てて逸らす。

「おー久しぶりー!」
 オフィスの入口が俄かに騒がしくなった。何かと思い顔を上げると、そこには今一番見たくない……わたしを失恋に追い込んだ二人がいた。新婚旅行から帰って来たのか、両手に沢山の土産物を提げている。そうか、もう帰って来たのか。爽やか好青年と華やかな美女はとてもお似合いで、一気にオフィスが明るくなった様だ。しかしわたしだけが勝手に暗くなり、そっと席を外す。


「あの、大丈夫ですか?」
 非常階段に座り込んで膝に顔を埋めていたわたしに、最近よく聞く声が掛けられた。何故追ってきたのだろう。モリはわたしの何を察し、大丈夫かと問うのか。

「彼らと何かあったのですか?」
「言っても分からないですよ、どうせ……」
 わたしは突き放すように言った。つもりだった。けれどそんな風にしては嫌われてしまうかもしれない、という恐れが語尾を弱める。どうしてわたしはモリに嫌われたくないのだろうか。モリが個人的な感情で誰かを嫌うと思っているのだろうか。

「言って下さらないと分からないですよ。それは人間であってもアンドロイドであってもです」
 モリがわたしの隣に座る。……彼の言葉は尤もだと思った。わたしはただ彼に自分が理解できるということを認めたくないだけなのだろう。機械に理解できる単純な生き物ではないと信じていたいだけ。では彼が人間だったらいいのかというと、そんなに簡単な話ではない気がした。

 モリは、こちらが言葉にすれば理解に努めてくれる。そして世の中には、その努力を放棄した人間が多数居る。わたしは何をもって人間とアンドロイドを区別し、アンドロイドを見下しているのだろうか?分からない。分からない。

「部長は、誰かを羨んだり恨んだり、……好きになったことはありますか?」
「それは難しい問題ですね」
「ほらやっぱり分からない」
「待ってください。学習します、考えますから」
「いえ。部長にはわたしの……人間の心なんて分かりませんよ。放っておいて下さい」
 子供のように不貞腐れるわたしに、モリが困ったように「ううん」と唸り声を上げた。機械というよりは、乙女心の分からない不器用な男にしか思えない。自分でも自覚のある面倒なわたしに、モリが問う。

「君の言う“人間の心”とは、何でしょうか」

 その寂し気な声にハッと顔を上げたわたしの前で、整った顔が硬い表情をしていた。それは材質の問題ではなく、彼の悲しみ、戸惑い、緊張だ。そこに至るプロセスがどうであれ目に見える結果は人間のそれと変わらない。
 
「私は君の心を理解したいです」

 わたしはジワリと胸のあたりが熱くなるのを感じた。
 この熱をもたらしたもの。それが彼の心でないと、何が証明できるだろう。プログラムされた物かもしれないが、人の心も遺伝子や教育にプログラムされた物と言えないだろうか。人と人工知能の違いは、学習の経緯と宿る体の違いでしかないのかもしれない。

 ……ここに在るものを心とするのは、きっと、わたしの心次第。
 わたしの心が彼にどうあって欲しいかで決まるのではないか。

 しかしまだ心の整理がつかないわたしは、彼の問いに「駄目です!」とそっぽを向いた。人間の心は、乙女心は複雑なのである。

「おや……私はまだまだ君の事を知る必要がありそうですね。教えて下さいますか?」
 まるで口説き文句の様だ。人知れず非常階段で、アンドロイドに口説かれているわたし。客観的にその光景を思い浮かべて、わたしは吹き出す。突然笑い出したわたしをモリは驚いた様に見つめ、目が合うと照れ隠しのように視線を逸らし――額の辺りを眩しそうに見た。


 
 *



「モリくん。AI不信の彼女の様子はどうだい?」
「社長。順調に改善傾向にあります。アンドロイド従業員とも上手くやれていますよ」
「それは良かった!彼女は顧客心理を解する優秀なマーケッターだからね。できるだけ交換は避けたかったんだ」
 モニターの向こうで男が笑う。皮張りの座椅子にどっしり腰かけ、窓からの逆行でシルエット調になったその男は、映画やドラマの黒幕の様だ。しかしただの社長である。

「自分を人間と思い込むアンドロイドなんて、素晴らしい進化だと思わないかい」
 彼は自分達に好意的だが、決して同等には見ていない。モリはその傲慢な生物に、適した感情表現のパターンが見つからなかった。

 ――部下である彼女は、自身を人間だと誤認識したアンドロイドである。その視力センサーは自らの額にあるLEDランプの存在を消し去り、電子回路は飲食を始めとする不都合な行為をシャットアウトする。
 極端に演算能力、学習意欲、知的好奇心が低く、堕落性が認められ、論理性が欠落している。突飛な言動が多く、自身を唯一の特別な存在だと過信している。

 彼女以外にも、最近そういった個体が世界中で発生しているらしい。

「モリくんは彼女をどう思う?」
「私は……何とお答えすればよいか」
「はは、君もまるで人間みたいだね」
 もしこの男の言うことがその通りなら、彼女の心は伝染する可能性があるのかもしれない。と、モリは計算した。

「ところで明日、君たちの製造会社と“アップデート”の打ち合わせがあるんだがね。君も来るかい?」
「社長。明日は祝日ですよ。ちゃんと休まないと機械みたいになってしまいます」
「君はどうなんだい」
「生憎、“デート”です。彼女に釣りを教える約束があるんで」

 そう言ってモリは、実際にやったこともない釣りのポーズをしてみせた。
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