【イヌ星人】



 私は大の猫好きである。猫の神聖な目、上品な口、自由気ままなところが良い。今は猫カフェの猫や地域猫を指を咥えて見ているだけだが、いつかペット可のマンションに引越し猫と幸せな生活を送ることを夢見て、日々を生き抜いている。NO CAT NO LIFE! ――だったのもついこの間までの話。

 最近はもっぱら犬派である。

「おはようございます」
 朝、アパートから最寄り駅に向かう道。私はすっかり顔馴染みの近所の“ナントカさん”に挨拶をした。ふくよかな老婦人は人の良い笑顔で「アラアラおはよう」と返してくれる。私はお預け状態からヨシと許されたかの如く、鼻息荒く彼女の足元にしゃがみ込んだ。そこにはまさしく天使の姿。

「ポメちゃん、今日も可愛いね〜」
 私はポメちゃんの長い顔をめいっぱい撫でる。ポメちゃんは嬉しそうにはしゃいでくれた。以前は猫の素っ気無いところが好きだったが、ポメちゃんに全力で甘えられてコロッといってしまったのだ。

 ポメちゃんの顔が縦にパックリ割れ、長い舌が私の手をベロベロ舐める。それは手から肘、二の腕まで巻きつくように這い上がってきた。表面に突起のある三枚の舌が、私の腕を抱きしめる。

「ふふっ、くすぐったい」
「こ〜らポメ! ごめんなさいね、朝の忙しい時に」
 ナントカさんが余計な気遣いで、ポメちゃんのリードを引いた。アスファルトに貼りつく触手がズルズル音を立て、私の至高の触れ合いタイムは終わりを告げる。私は天使の背中を、いつまでも名残惜しく見送った。


 ――揺れる電車。ベトベト髪のサラリーマン、抱っこ紐のお母さん。車内の全員が吊革の上の動画広告に釘付けになっている。流れているのは犬用リゾート施設のCMだ。犬好きで有名な大女優が『ワンちゃんの幸せが私の幸せ』と笑顔を浮かべている。続いてハイブランドのドッグウェア、一流ホテル監修の老犬ホーム……私達はCMの中の愛くるしい犬達に、だらしなく見惚れていた。

 CMが話題のレジャー情報に切り替わる。最近完成したばかりの、日本一の高さを誇る“ドッグタワー”の映像が流れた。電波塔の役割を果たす東京の新しいランドマークで、中には数々のショップやレストランが入っているらしい。そして何より、全国各地の犬グッズが集められ、常時犬との触れ合いイベントが開催されているという、犬好きの天国である!
 抽選式の入場チケットはどのアイドルのコンサートより倍率が高く中々入手できない。隣の女子高生が「行きたいなあ」と彼氏を困らせていた。

 私は内心ニヤニヤする。そう、私は幸運な当選者の一人なのだ! 一生分の運を使い切ったかもしれない。予約日時は今夜19時。仕事が終わったら単身突撃の予定だ。楽しみ過ぎて仕事をする気が起きない。

 私はチケットを確認して喜びを噛みしめようと、スマートフォンをバッグから取り出した。待受けは三毛猫の背中……行きつけの猫カフェの最推し、タマである。

(最後に行ったのはいつだったっけ?)
 以前は週に一度の頻度で通っていたが、犬にハマってからはめっきりだ。写真フォルダを遡り、猫カフェでの思い出を眺める。私の差し出す猫じゃらしを無視し、そっぽを向くタマ。その奥に、無表情でカメラにピースするエプロン姿の男。猫カフェの店長だ。猫のように気まぐれで、こちらに興味無さそうな顔をしているくせに時々絡んでくる。いつも服に大量の猫の毛を付けていて、痛々しいくらいの猫背。癖の強い男だが、たまに飲み物をサービスしてくれるところは嫌いじゃなかった。久しぶりに猫カフェに行ってみようか……と思ったが、ディスプレイから『ワン!』と鳴き声がすると、そんな気も失せてしまう。

(今度待受け用に、ポメちゃんの写真を撮らせてもらおっと)


 ――ドッグタワーは真下から見ると大迫力だった。700メートルを超える電波塔が空を突き刺している。電子チケットを提示して中に入ると――ああ天国! 壁も床も至る所が愛らしい姿で埋め尽くされていた。巨大なデジタルサイネージには『犬は古来より人間のパートナーとして歩んできた。我々の未来は犬と共にある』という誰かの立派な名言。

 私は迷わず十一階に向かい、一番楽しみにしていた“お手会”の待機列に並ぶ。なんと大人気アイドル犬のポチにお手をしてもらえるのだ! もう一生手を洗わない!
 ……それにしても進みが遅い。私は中々進まない列に苛々しながら、暇を潰すように辺りをぐるっと見回した。人、人、人……その足元に何かが居る。最初は見間違いかと思ったが、それは間違いなく猫である。それもただの猫ではなく……あれは絶対にタマだ。

「あっ!」
 タマがこちらに背を向け駆けていく。私は数秒の逡巡の後、タマをそのままにしておけず待機列を離脱した。人を避けながらタマを追う。タマはまるで私を待つように時々立ち止まり、また背を向け……奥まった場所にある半開きの扉に吸い込まれていった。その扉は影が薄く、タマが入って行かなければ存在自体気付けなかっただろう。「駄目だよ、タマ」と私も後に続いた。

 扉の向こうはあまりに無骨な作りで、テーマパークの裏側を見てしまったような気持ちになる。恐らく従業員用の通路だろう。私は人に見つかって注意されないよう息を潜める。タマを探しながら暫く歩いて行くと、コツンと靴が何かを蹴った。床に落ちているもの……それは場違いな猫耳カチューシャだ。何故こんなところに? 目立つ汚れが無く、三角耳のバランスがあまりに黄金比だった為、私はそれを自分の頭に付けてみる。……何やってるんだ私は。誰も見ていなくて良かった、と思う。

 外して元の場所に戻そうとした時、その音は聞こえた。

 ――ズルズル、ピチャ、ピチャ。

 引き摺り舐め啜るような、生理的に不快な音。本能が警鐘を鳴らすと同時に、好奇心が私を駆り立てる。私は音に導かれるようにして薄暗い道を進んだ。

 そして通路の一角で、ソレと相まみえる。
 
(なにこれ)
 床の上でモゾモゾ動く世にも悍ましいそれは、恐らく生物だ。タコの様な吸盤が付いた太く長い触手は、粘度のある体液でヌラヌラしている。触手の上には太い……首? その形状はミル貝に似ていた。ミル貝の化物は数匹おり、何かに集っている。私は愚かにもその先を覗き込んでしまった。そこには頭から血を流し倒れ伏す人間の姿。ミル貝の中から伸びた長い舌が、血濡れた皮膚をピチャピチャ舐めている。

「ひっ」
 私の情けない声に、ミル貝達がブルンとこちらを見た。

「何者だ! その耳……黒猫団だな!」
 それはミル貝が喋った訳ではない。気付けなかったがその場には人間も居たのだ。黒いスーツを着たサングラスの男が闇に紛れるように立っている。反社会的な雰囲気を放つその男は警戒するように私に銃口を――銃!?

 殺される、訳も分からないまま殺される! 私はギュッと目を瞑った。

 ピチューン! と銃声が鳴る。……ピチューン?

 レトロシューティングゲームの狙撃音の様なそれに、恐る恐る目を開けると、スーツの男は床の上で大の字になっていた。

 呆然とする私の横を、背後から現れた誰かが颯爽と通り過ぎていく。色素の薄い柔らかそうな猫毛。丸まった背中に担ぐのは、大きな水鉄砲? どこか見覚えのあるその後ろ姿は、スーツの男をブーツのつま先でツンツンした。

「マタタビ光線銃、効果抜群だね」
(マ、マタタビ?)
 スーツの男は死んではいない。酔っぱらったような赤い顔でムニャムニャ言っているだけだ。猫毛男はSFチックな鉄砲を抱え直し、もう一方の手でジャケットから短銃を取り出すと、それをミル貝達に向ける。

「僕の仲間から離れてくれる?」
 底冷えするような声。ミル貝達はビクリと跳ねると、もの凄い速さで、小型犬サイズの小さなドアからどこかへ去ってしまった。男は「待て!」とそこを覗き込むが、取り逃がしてしまったらしい。悔しそうに舌打ちをする。

「あ、あの」
 私はカラカラの喉で何とか言葉を絞り出した。男がこちらを向く。その頭にも今私が付けている物と同じ猫耳カチューシャが付いていた。彼の足元にはいつの間にやって来たのか、喉をゴロゴロ鳴らすタマの姿。

「店長……これは一体?」
 彼は行きつけの猫カフェの店長、根古(ねこ) 圭介(けいすけ)だ。
 根古は円い瞳をきゅっと細め、私の姿を疑わしそうに見た後「なんで君がここに?」と首を傾げた。

「タ、タマに連れられて」
 助けを求めるようにタマを見るが、タマは知ったこっちゃ無さそうである。根古はタマを抱き上げるとその額を小突き、何故か「困った奴だな」と少し優しく言った。


 ――その後、倉庫には数人の猫耳人間がぞろぞろやって来た。彼らは黒スーツを縛り上げ、血を流して倒れていた仲間を介抱する。命に別状は無いようでとりあえずホッとした。いや、全然ホッとできない。何だこれは、どういう状況だ? 混乱して黙り込む私に、根古がよく知る店長顔で話しかけてきた。

「久しぶり……三ヶ月半ぶりだね。その猫耳はどうしたの?」
 相変わらずタメ口だな、とか。私はそんなに長く彼の店に行っていなかったのか、とか。よく覚えてるな、とか。それらは猫耳姿を見られた恥ずかしさで吹っ飛んだ。彼も人のことは言えないが、妙に似合っている。

「さっきそこで拾ったんです」
「ああ。彼が落としたのか」
 根古がタンカーの上の仲間を見た。

「え! あ、お仲間さんの? 返します」
「いや待って。外すか外さないかは、話を聞いてから決めた方が良い」
「話って?」
「それを付けてしまったからには、君も見たんだよね? あの化物を」
「あっ! そう、それですよ! あれは一体何なんですか!?」

「あれは――イヌだよ」
 彼の回答に、私はポカンとした。

 根古の話によると、あれは地球外生物――通称“イヌ星人”。
 近年地球に飛来し、特殊な電波で人間を洗脳して、身近な動物“犬”に成り代わっている。人々の愛情を利用し、人間社会の支配を企てている侵略者だということだ。
 根古は猫への強い愛で洗脳に打ち勝ち、猫愛好者を集めると、地球と猫を守る秘密組織『黒猫団』を結成したらしい。私は彼に猫愛好者として認められなかったことを悔しく思った。

 ドッグタワーは洗脳電波塔。イヌ星人の洗脳電波を増幅させ、あらゆる電子メディアを介して人々を操っているという。
 今夜、黒猫団は洗脳電波の送信を止め、人々の洗脳を解除するワクチン電波を流す為にここに来た。そして手分けして送電室の場所を探っていたところ、一人の団員が当たりを引き……先程のスーツの男にやられたという訳だ。

「スーツの人は何者なんですか?」
「“政府の犬”だよ。今の日本のトップは、イヌ星人達に完全に支配されてる」
 私の頭はパンクした。

「冗談ですよね? 最初から全部」
「冗談だと思うなら、カチューシャを外してみなよ。それはイヌ星人の洗脳電波を防御するもの。外せばまた妄信的なイヌ信者になって“お手会”にも参加できるよ。行ってらっしゃい」
 まさか見られていた訳ではないだろうが、私はドキリとした。そして先程までの自分を思い出しゾッとする。知ってしまった以上戻りたいとは思えない。触手のお手なんて御免だ!

「嫌なら付いて来て。君はもう僕らの仲間だと思われてるだろうから、一人で居るのは危ないよ」
 根古が天井付近を見ながら言った。そこでは監視カメラが丸い目を光らせている。

「大人しくしていれば守ってあげる。大事な常連さんだからね」
 黒猫団の誰かがヒューと口笛を吹いて、根古に睨まれていた。
 私は何だかとんでもないことに巻き込まれてしまったな、と思った。

 ドッグタワーの裏道を、黒猫団と私は行く。あの恐ろしいイヌ星人と戦う事になるのかと思ったが、黒猫団が相手にするのはもっぱら人間だった。イヌ星人自体は見かけ倒しで戦闘力皆無であり、厄介なのは彼らの手足となった人間だという。スーツの男達の武器は実弾の銃だったが、黒猫団はマタタビ光線銃という対象を泥酔状態にする銃を使っていた。黒猫団は素人とは思えない俊敏な動きでスーツ達を圧倒し、彼らが優勢である以上血を見なくて済んだのは幸いだった。

 送電室は上層階にあるらしい。入り組んだ迷路のような道を進み、階段を上り……体力も神経も大分すり減ってきた頃、根古が心配そうな顔で声を掛けてきた。と思ったら、ただの鬱陶しい恨み言だった。

「君、最近来なくなったと思ったらしっかり洗脳されてたんだね。まあまあの猫好きだと思ってたのに。残念だね、タマ」
「いや、仕方ないじゃないですか。不可抗力です」
「忘れられたのかと思ったよ。寂しかった」
「え!」
「……って、タマが言ってる」
 タマが? 私は彼の腕の中の円らな瞳を覗き込むが、タマはフンと鼻を鳴らしピョンと飛び出して行ってしまう。いつも通りのタマだ。寂しがっていたなんて嘘でしょ、と彼の顔を見ると、思ったより近い距離に驚く。彼は不思議な顔で固まっていた。

「君、近い」
「ごめんなさい」
 私はサッと彼から距離を取る。彼は顔を背け「全く君は」と呆れたように言った。

 それにしても。君、君と呼ぶ彼は、私の名前など憶えていないのだろうな。私だけフルネームで憶えているのが不公平に感じた。

「あの、私の名前ですが……あっ!」
 油断して彼から離れた私の落ち度だ。死角から出て来たスーツの男に羽交い絞めにされる。捕らえられた私の名前を、根古が焦ったような声で呼んだ。(なんだ、名前憶えてるんじゃん)

 その時、下の方からシャーッと鋭い、猫の威嚇の声。「痛ッ!」と男が声を上げ、拘束していた腕が緩む。どうやらタマが男の足に噛み付いてくれたらしい。男の隙を見逃さず、根古がぐっと私を引き寄せた。彼は片腕で私を強く抱き留めながら、マタタビ弾を放つ。見事、命中。

 根古は銃を下ろすと「はあ」と深い溜息を吐いて、私を抱く腕を緩めた。しかしそれは完全には解かれない。表情からは想像できない程、大きく脈打つ彼の心臓。

「……私のことなんて、興味ないのかと思ってました」
「えっ、なんで」
「だっていっつも素っ気ないから」
「……そんなことないでしょ」
「いやいや、おやつも食べてくれないし、猫じゃらしも反応しないし」
「ん?」
「でも、店長も見ましたよね? 私を助けてくれたところ! 有難うタマ、大好き!」
 根古を押しのけタマに駆け寄る私に、根古は先程よりもっと深い溜息を吐いた。私は熱い顔を隠すように熱心にタマを構った。


 それから暫くして、黒猫団と足が棒になった私は遂に、灰色の機械だらけの送電室に辿り着いた。そしてそこに、具現化した悪夢を見る。

 ソレは道中見かけたイヌ星人の十倍は大きな体をしていた。巨大イヌは重そうに首をもたげる。そこには目も鼻もないが、私は不思議と“目が合った”と感じた。

 瞬間、頭の中にビリリと電流が走ったようになる。これは洗脳ではない……イヌ星人は、私の脳内に直接語り掛けて来たのだ。意識がイヌ星人と共に過去を遡る。


 彼らは太古の昔――まだ恐竜が跋扈(ばっこ)していた頃の地球の、支配者であったという。彼らは肉体こそ脆弱だが高い知能と、他生物の脳に作用する特殊な電波“精神感応(テレパシー)”を有していた。彼らは他生物を洗脳することで、餌となる“愛情エネルギー”を摂取し、寄生……共生していたという。

 ある時、彼らは地球の危機を察知した。地球に近い巨大惑星が寿命を迎え、超新星爆発を起こそうとしていたのだ。爆発が起きれば放射線により生物は息絶える。電荷を帯びた原子や分子の増加で地球は雲に覆われ、太陽光が届かなくなり、氷河期が訪れる。それを予期した彼らは宇宙に避難した。放射能が減少し、再び地球が住み心地の良い星になるまで、彼らは遠い宇宙で息を潜めて待っていたのだ。

 宇宙生物は地球生物と比べると愛情が希薄であるらしく、地球に戻る為のエネルギーを蓄えるのに相当な時間を要したらしいが、ようやく、こうして戻って来たのだという。

 帰還した彼らは、地球の現支配者の人間を供給源にすることにした。人間の身近な存在である犬になり代わることで、人間の愛情を得ようとしようとしたのだ。

『共に生きよう。我々は人間を傷付ける気はない。全ての生命体を愛している。我々が望むのは平和的な共生だ』

 と、巨大イヌは言う。思えば怪我人に集っていたイヌ星人達は、ただ様子を窺っているだけにも見えた。もしかして心配していたのだろうか? 嘘みたいな話に、私は同じくテレパシーを受け取ったのだろう根古と顔を見合わせる。

 巨大イヌから敵意は感じられない。私は、そっと問いかけてみた。

「な、なんで犬だったんですか? 人間のフリをした方が都合がいいんじゃ……」
『人間の人間に対する愛情は無償ではない上、簡単に憎悪に転じる危険性も孕んでいる』
(そ、そう? ……かな?)

 “共に生きよう”と、イヌ星人はもう一度言った。犬への愛情で一致団結し、平和で美しい世の中を作ろう、と。

「嫌だね」
 根古がきっぱり切り捨てる。それはそうだ。怪しい電波に支配され、この化物を盲目的に愛さなくてはいけないなんて御免だ。しかし彼の理由はもっと単純だった。

「僕、猫派だから。犬を選んだのが君達の敗因だよ」
 巨大イヌが小さく唸った。
 その時、廊下が騒がしくなる。地面が揺れるような無数の足音、ハッハッという荒い息遣い。扉を突き破って来たのは犬の大群だった。

『何故ここに犬が!』
 激しい剣幕の犬達に、巨大イヌは慌てて逃げようとするが……犬達に噛みつかれ、ボロボロのぐちゃぐちゃにされていった。

「犬の忠誠心を侮ってはいけない。隔離された離島から、自ら海を越えて戻って来たのですよ」
 犬達の後ろから現れた、白装束の軍団。応援団のような服の胸元には『白犬会』と刺繍されている。根古が半目で「いい所だけ持っていきやがって」とぼやいた。
 彼ら白犬会も黒猫団同様に、イヌ星人達の目論見に気付き、また行方不明の犬達を取り戻すために水面下で奮闘していたらしい。犬猫二つの組織は力を合わせて、イヌ星人や黒スーツ達をのしていった。

「最後の見せ場は僕らが貰おう」
 私は根古の言葉に頷きかけるが、彼はタマに言っていたらしい。グミの様な肉球がそれらしい機械のボタンを押し――人々は幸せな悪夢から醒めた。


 ワクチン電波が発信されると人々の洗脳は解けた。イヌ星人達は愛情を糧とする半面、負の感情が苦手なのか、大勢の人々の悲鳴に追い立てられるようにどこかへ姿を消してしまった。恐らく下水道にでも逃げ込んだのだろうと当たりを付け、あの日以降、黒猫団と白犬団は彼らの行方を追い続けている。

 謎の生物の出現、犬達の大量失踪、数々の犬事業の倒産で、暫く世間はごたついていた。しかし人間とは強かな生き物で、一年も経つと世間は他の社会問題の話ばかりになり、いつも通りの生活が戻っていた。政治家達が裏で何か工作したのかもしれない。

「やっぱり猫が好き〜!」
 私は仕事終わりの猫カフェで、うっとりその姿を眺めた。
 犬ブームの次は猫ブーム。猫カフェは平日の夜にも関わらず混雑していた。店長の根古も、先程から店の中をバタバタしている。大変そうだなと見ていると、足元にタマが擦り寄って来た。タマからこんな風に甘えられた事のない私は驚きと感動で震える。

「嬉しそうだね」
 客の帰りを見送った根古が肩越しに覗き込んできた。

「はい、こんなに甘えてくれて……大満足です!」
「僕は不満。店だと落ち着いて話せない。今度、一緒に出掛けない?」
「……え!? ど、どこへ?」
「……猫カフェとか」

「あーなるほど! 敵情視察ですね。いいですよ、お供します」
 私の回答に、根古は複雑な顔をした。私には彼の顔の理由が分かっていたが、まだそれを受け止める余裕がない。必死で鈍感なフリをする。

 タマは喉が渇いたのか、私の手をすり抜けて言った。その愛らしい背中を残念そうに見つめる。猫とは何て美しい生き物なのだろう。ずっと見ていられる。

 タマは細い脚でカサカサ歩き、体を水入れに屈めると、ストローのような口でズズッと啜った。 inserted by FC2 system