【自殺日和】(後編)



 ■PM3:30



「本当にタメになる自殺講座〜!」
 人がまばらな電車の中で、それでも僅かばかり居た乗客達がぎょっとした顔でわたしを見る。しかし目が合うと、おかしな奴とは関わり合いたくないとばかりに、皆一様に寝たふりを始めた。

 唯一寝たふりをせず、呆れた半目でわたしを見ている男は、先ほどわたしによって自殺を邪魔されたハカセだ。わたしは何を思ったのか……恐らく最期の気まぐれで、彼を連れまわすことにしたのだった。折角お洒落をしたのだからデートなんかをしてみても良いと思ったのかもしれないし、準備不足の彼に簡単に死なれることが、朝から努力しているわたしとしては許せなかったのかもしれない。

「遊園地に行きましょう」という突拍子もないわたしの提案に、彼は意外にも乗ってきた。断る気力さえ無かったのだろうか。

 と、いうことでわたし達は今、電車に揺られているのだが、先程会ったばかりの人間との話題などそうそうありもせず、自然とこのような話になってしまった。(彼は知る由もないが、現時点でのわたし達の唯一共通の話題である)

「まずは定番の首吊り。これは安上りですぐ死ねる簡単な方法。けれど死に様がちょっと……色々なものが身体から出てしまうようです。そして、一番恐ろしいのは失敗した時。脳に後遺症が残ることもあるそうです。植物人間状態で自分の意志とは関係なく延命され続けるなんて、死にたい方からしたら悲劇ですよね」
「じゃあ、飛び降りはどうだ」
「飛び降りは、意外と失敗率が高いんです。それに、やっぱり後遺症が残る可能性が高いらしいですよ」

 その後ずっと意識なく寝たきりになるなら、今抱えている生の悩みからは解放されるかもしれませんがね。と言うと、彼は全く納得していない顔をした。彼の理想の死とは、きっとわたしと同じ。完全なる終わりなのだろう。わたしはこっそりと仲間意識を抱く。

「そして、線路への飛び込み。これは先程申し上げましたように、遺族に多額の賠償金が請求されることがあるそうです。また他人様に多大な迷惑がかかりますし、死体が原型を留めません。静かな最期とは程遠いと思いますよ」
 彼は、黙って聞いている。

「オフィーリアの絵画の印象か、一見美しいようにも思われる入水自殺。……オフィーリア、ご存知ですか?ハムレットのヒロインです。……まあそれはさておき、この入水自殺ですが、相当苦しいようです。途中で耐え切れず水から上がってしまったり、そうでなくても浮いてきちゃったりするみたいですよ。そして死後の見た目は最悪だそうです。皮膚は腐敗し、膨れ上がって、髪は抜け落ち、頭蓋骨が露出したりと……。とても有名な絵画のようにはなれません」

 具体的で生々しい内容に、彼は至極嫌そうな顔をした。線路の時と言い、今と言い、彼の想像力は中々に長けているようだ。そんな彼が電車への飛び込み自殺を選ぶなど、考え難い。するとやはり先程のあれは、突発的な行動だったのではないだろうか。

「苦痛のレベルでいえば、焼身自殺はかなりの高レベルです。ものすごい痛みが長い間続くとのこと。しかも、もしその場で死ぬことが出来なかったら……全身大火傷という恐ろしい現実が待っています。凍死は焼身自殺程ではないにしても、やっぱり全身を刺すような痛みはあるでしょうね」
「……じゃあ、毒物はどうだ!」
 彼の言葉に、わたしは驚いて身を引いた。それが、今まで気力の欠片もない様子だった彼からは考えられないような、元気な声だったからだ。彼は言い負かされっぱなしの鬱憤を晴らすように、不謹慎な提案をする。しかしわたしも負ける気はない。

「毒物飲用は、まず致死量の薬物の入手が困難ですし、それだけの量を飲むことも大変です」
 切り捨てるように言ったわたしに、彼は食いつくようにまた口を開きかけた。だが、わたしはそれを許さない。

「手軽に思えるリストカットは、成功率が低いです。そこで瀉血という方法もあります。あまり有名ではないかもしれませんが、採血用の注射針とチューブを用意して、献血のように採血することでの失血死です。リストカットよりも成功率が高く効率的であると考えられますが、貧血に伴う頭痛や吐き気は激しいようです。また、生き延びてしまった後の重度貧血の症状はとても辛いようです」
 謎の負けん気で早口で捲し立てるわたしに、彼は暫く黙ってから「嫌な女だ」と呟いた。

「じゃあ、お前の考える一番マシな自殺方法は?」
「……内緒です」

 誰が教えてやるものか。自分で考えろ。



 ■PM4:00



 遊園地に着いたわたし達は、まず初めに入口付近のフードコートに立ち寄る。小さな遊園地のレトロな店内には勿論、アサイーボウルなんて洒落たものは置いていなかった。

「何か温かいものでも食べると、活力がみなぎってきますよ」
 だがしかし、そう言ったわたしが注文するのは期間限定の『桜餅味ソフトクリーム』だった。コーンの上にぐるぐる巻かれていくそれはストロベリーよりも、優しいピンク色をしている。

「おい、温かいものが良いんじゃなかったのか」
「わたしは、十分活力で満ちていますから」
 事情を知る者がいればどの口がそれを言うのだと言われそうだが、間違いではない。わたしは活力に満ちている。だからこそ、日曜日をダラダラ寝て過ごすことができなかった。
 注文を決めかねている彼はメニュー表を睨んだまま「あっそ」とぶっきらぼうに言った。

 店員から手渡されたソフトクリームを片手に、わたしはフードコート内の、比較的綺麗な椅子を選んで座る。清掃の行き届いていないテーブルには、たこ焼きのソースがべっとり付いていた。遅れてやってきた彼は、テーブルの上のソースに気付かずその上にトレーを置く。トレーの上では安っぽい使い捨ての容器に入れられたコーンポタージュが、ホカホカ湯気を立たせていた。

 わたしは小さく「いただきます」と言ったが、彼は何も言わず、スプーンを黄色い沼に沈める。その様子にやれやれという顔をただのポーズで決めてから、わたしは桜色のてっぺんをそっと舐め取った。まだ肌寒い時期に食べるソフトクリームは角が立っていた。舌の上で転がすように溶かして味わうと、甘さの後でほのかな塩気を感じる。

「この季節、桜餅味のお菓子とか結構ありますけど、大体塩の味ですよね。きっと桜餅の葉っぱのイメージなんでしょうね」
「……スイカ味も、塩の味のものが多い気がする」
 彼の返答は予想外に、話題に乗ってくれるものだった。「おや」と思い彼を見るが、コーンポタージュの白い湯気に隠されて、その表情はよく分からなかった。

 夕食にはまだ早い時間だが、徐々に店内が混んでくる。ちょうど遊園地のショーが終わった時間らしい。狭い店内に、コーヒー、コーラ、ハンバーガー、ポテトの匂いが混ざりあう。
 店員はてんてこ舞いだ。レジ付近のカウンター席からは、その忙しない様子がよく伺えた。彼がお喋りではないこともあり、わたしは自然と、店員と客の間で交わされる会話に耳を傾けてしまう。

「アイスコーヒーのSサイズですね。かしこまりました」
「コーヒーに砂糖付けてね」

「アイスにはガムシロップでしょ。ジャリジャリしちゃう」
 わたしは店員にも客にも聞こえない、目の前の彼だけに聞こえる声で突っ込む。彼はズズっとポタージュを啜りながら、ちらりとカウンターに目をやった。

「店内でお召し上がりですか?」
「テイクオフで」

「……離陸かよ」
 彼がポツリとそう零す。わたしはニヤけた顔で、しけったコーンをかじった。

「お客様、ポテトですが、まだ準備中でございます。揚げたてをご用意いたしますので、少々頂いてもよろしいでしょうか?」

「いやいや、頂いちゃダメでしょ。少々って数本?数本食べちゃうの?」
 お時間、という言葉を省いた店員に、わたしが突っ込む。
 彼の表情が強張り、肩が震えた。

 そして、
「あ、大丈夫ですよ!」
 という客の返答に、二人は吹き出すのだった。
 彼の頬には仄かに赤みがさしており、生き物めいたその色に、わたしはそっと安堵する。




 ■PM4:30



 フードコートを出て
「さて、腹ごしらえも出来たし遊びつくしましょう!」
 と意気込むも、日曜日の遊園地はどのアトラクションも混んでいて、長蛇の列ができていた。比較的空いていたゴーカートに乗ると、何だか謎の達成感に包まれてしまい、もう並ぶ気が起きなかった。そこで二人は早々に、併設されている大きめの公園のベンチで休むことにする。

 男はベンチの背もたれに体重を預けて、夕空を仰いた。すっかり疲れていた。それほど動き回ったわけではないから、体力的には余裕がある。この疲労は精神的なものだろう。しかし嫌なものではなく心地よい。それは充足感に近かった。

 一体自分は何をしているのだろう、と、心底不思議に思う。

 人生に希望を見出せなくなった自分は、本来ならば先ほど、電車にひかれて一生を終えている筈だったのだ。だが何がどういうわけか、今の自分は出会ったばかりの女と子供の頃以来の遊園地なぞを訪れ、意外にも楽しくないわけではない時間を過ごしている。

「お前は一体、何のつもりなんだ」
 男は、望んでもいない命の恩人に問いかけた。見ず知らずの他人の自殺を食い止める偽善者。かと思えば、自殺の方法を饒舌に語る不謹慎でおかしな女。お前は一体何者でなんの魂胆があるのかと。
 しかし、質問に対しての回答も、少しの反応すら、いつまで待っても返って来ない。妙な静けさに、男が後ろに倒していた顔を上げると、ベンチの傍に女の姿はなかった。

 何故かひどく焦り、女の姿を探してしまう。だがその姿はすぐに見つかった。公園に設置されているアスレチックの、ターザンロープの開始地点に、女は立っている。そして、彼女はごく自然にロープにまたがり、出発した。

 ゴーッという音とともに、女が移動していく。
 終着点はすぐだった。最後に留め具にぶつかって、大きく揺れ、女は楽しそうな声を上げている。

「お前は、いくつなんだ」
 男はベンチから立ち上がり、女に歩み寄る。小馬鹿にしたように笑うが、女には何の効力もない。ケタケタとまるで子供のように、無邪気に笑っている。

「ふふ、ハカセも乗ってみませんか?楽しいですよ」
 女の言葉にその遊具に目をやるが、とても楽しそうには思えない。
 規模も見た目もスリルも、列を作っていたジェットコースターの足元にも及ばない、ちゃちなものだ。

「コートが汚れる」
 そう言うと、女ははっとした様子で自身のコートを見やる。淡い色には、ところどころにしっかりと土色のロープの跡が付いていた。女は一瞬だけ驚き、悲しそうな顔をしたが、すぐにまた笑みを浮かべる。そしてコートを脱いでベンチへと放り投げた。

「脱げばいいじゃないですか!」
 そう言って、二回目の出発準備を始めるのだ。

 男は頭を押さえて、深く大きな溜息を吐くと……女がそうしたように、コートを脱いで放り投げた。

 ターザンロープは地味な遊具だった。しかし体感速度は中々のもので、傍から見ていては分からないスリルがあった。想定外の面白さに体が熱くなる。女は男のあまりに純粋な反応に、茶々を入れることはできず、気づかないふりをしてこっそり微笑んだ。

 ――もう、何周しただろうか。
 ターザンロープだけでなく、ブランコにも、馬のスプリング遊具にも乗った。それから、少し行ったところにある人気のない寂れたゲームコーナーで、飛び出るワニをハンマーで殴るゲームを、十回は遊んだ。揚げたてのチュロスも食べた。

 気付けば辺りはもう、大分暗かった。
 湖のレンタルボート店は、既にCLOSEの看板を下げている。女はそれを見て「あーあ」と残念そうな声を上げた。

「また乗りに来ればいい」
 そう言うと女は驚いたような顔をしたが、すぐに気まずそうに、表情を濁らせる。

 女のその様子に男は少し苛々して「別に俺と、とは言っていないだろ」と付け加えたが、女は「そういうことじゃないですよ」と曖昧に笑うだけだった。



 ■PM7:00



 すっかり夜になってしまった。わたし達は閉園時間を迎えた遊園地に追い出されてしまう。
 夕食時かもしれないが、先程おやつを食べたばかりだからか、まだ空腹は感じていない。それは彼も同じなのか、どちらも食事の提案をすることはなかった。直感的に、二人の間に“今日の終わり”の予感が訪れる。足は自然と駅に向かっていた。もしかすると駅がこちらに向かってきたのかもしれない。二人の帰り道は何もままならないほど、一瞬だった。

「今日は楽しかったです。有り難う」
 わたしは彼にそう言ったが、彼はどこか心ここにあらずの様子で、目を合わせてくれもしない。互いに中々楽しい時間を過ごせた気でいたが、気のせいだったのだろうか。わたしは少し寂しく思いつつも、それはそれで仕方ないと思う。

「あの……あなたは一緒にいて面白い人だから、やっぱり居なくなってしまうのは勿体無いと思います。……ごめんなさい、最後まで余計な事を言って。じゃあ、さようなら」
 さようならと言いつつも、わたしは自分から背を向ける気にはなれず、彼が去るのを待つ。しかし、彼はいつまでもその様子を見せない。どうしていいか分からず疑問符を浮かべるわたしに、彼は少し怖い顔をして、心を取り戻したかのような様子で口を開いた。(意を決した、という表現が合っているのかもしれない)

「おい」
「え?」
「お前、仕事は」
「普通の会社員ですが」
「いや、そうじゃない。休みはいつだ」
「土日……と祝日は」
「じゃあ、来週の土曜日だ」
「え?」
「ボート。乗るんだろ」
 彼の怖い顔は、怒りからくるものではなかった。照れ隠しや、緊張からくるものだったのだ。それに気付いたわたしは、一気に血が沸き立ち汗ばむのを感じた。

「あ」
「なんだよ。都合でも悪いのか。それとも一緒にいて楽しいっていうのは嘘か?」
「いえ」
「よし、じゃあ、土曜日11時。またここに。分かったな」

 彼は早口でそう告げると、逃げるように去ろうとする。わたしは自分より足の長い彼の早足を必死で追いかけ、改札の一歩手前でそのコートを掴むことに成功した。振り返った彼の顔は赤く、それでいて青く、怒っているような、不安そうな、ごちゃまぜの表情を浮かべている。

「連絡先くらい、教えてください」
 しかしわたしがそう言うと、その顔はたちまち安堵に満ちた。彼はホッと眉を下げて、いそいそとポケットから携帯電話を取り出す。
 双方の携帯端末に、新たに情報が追加された。

 わたしは自分の画面に表示された名前に、首を傾げる。
 
「これ、本名ですか?」
「ああ」
「でも、ハカセって」
「ヒロシだ。博士と書いてヒロシ」

「じゃあな」と、既に電子を介してわたしの名前を知っているであろう彼、博士は、最後までわたしの名を呼ばず、去っていった。わたしは改札に吸い込まれていく人々の中で、エスカレーターを上る彼が見えなくなる本当に最後まで、その後ろ姿を見失わなかった。



 ■PM8:30



 玄関ポストに宅配便の不在票が入っていた。……ああ、当日便で注文したヘリウムガスだ。今から連絡したところで、今日中に受け取ることは出来ないだろう。そして受け取ったところで使うことは出来ない。少なくとも来週の土曜までは、わたしはわたしとして生き続けなければならない。

 気が付くと、わたしは泣いていた。予定通りに死ねなかったことが悲しいのではない。生き続けなくてはならないことが悲しいのではない。

 夕方までは、彼に会うまではあんなにも穏やかだった心が、今は乱れている。辛い。この一定ではない感覚が、辛い。

 ああ、ただ、わたしに明日が来るだと考えたら、何故か、どうしても


 温かく心地よい涙が、止まらないのだ。



 ……そういえば、会社にイベントで使用した風船の残りがあったような気がする。ヘリウムガスが届いたら、その風船を貰ってきて膨らませてみるのも良いかもしれない。お洒落なOLのアパートには、もう少し遊び心があっても良いと思えた。

 わたしは涙をぬぐって、大きく深呼吸する。


(とりあえず、来週着ていく服を、考え始めないと!)



 ■同時刻



 博士は、もう帰ることが無いと思っていたマンションを見上げた。
 近所の家から漂う煮物の匂いに、序所に空腹を感じ始める。それは久しい感覚だった。

 駐車場に、騒々しい隣人の車が荒々しく入ってくる。相変わらず危なげな運転だと、博士は舌打ちした。隣人は悪人ではないが、ずさんな生き方が目立つ輩だ。ベランダで、奴の物干し竿が防火扉を破って突き出してきた日のことを、博士が忘れることはない。

 傷だらけの黒いスポーツカーの助手席には、黒目がちで色の白い女が座っている。女はその細すぎる体躯に、この季節に本当に必要かは疑わしい、毛布のようなひざ掛けを巻きつけていた。若い女は妙にひざ掛けが好きなものだなと、博士は不思議に思う。
 駅でもカフェでも職場でも、ひざ掛けを足に巻き付けたり、マントのように羽織ったりしている女をよく見かけた。よく知らないが、流行りだろうか?そういえば遊園地のゲームセンターでも、キャラクターものの派手なひざ掛けが景品として扱われていた。

 博士は男の車の隣にある、自分の車を見る。ギリギリ、ぶつけられてはいないようだ。

 その、もう乗ることはないと思っていたセダンに、いつか、自分が絶対に使わないようなキャラクターもののひざ掛けが備えられるようになる日も、あるのだろうか?少しだけ、想像してみる。いや、まだ寒い春にソフトクリームを好んでいた彼女は、暑がりかもしれない。

 ……今の自分がどうしようもなく腑抜けた顔をしているような気がして、博士は口元を手で覆った。そして改めて、自分の中の彼女への感情について考えてみる。

 自分が彼女に抱いているこの感情は、死とは逆方向に作用する類のものに違いない。人間の持つ生存本能による思い込みか、それとも、死を間際にした“吊り橋効果”というものか。生まれてしまった理由は分からないが、確実に言えることは

 悪くない。と、感じているということだった。
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