【人口密度500東京】(3)



 師走。年の瀬。遂に12月も半ばを過ぎた。
 彼女はオアシスに居る両親から送られてきた小包に、溜息を吐く。いつも衣類や菓子類でギッシリの段ボールが、今回は小さな小包であったことが不思議だったが、その答えは中の封筒にある。封筒の中には手紙と――転送マシンのチケット。チケットにはマシンの予約日時と、彼女の氏名が印字されていた。

 一言の断りもなく勝手に移住の手続きを進めてしまった両親に対して、怒れば良いのか悲しめば良いのか分からず、彼女は複雑な面持ちで手紙を開く。

 手紙は母からのもので、娘が地球に残っていることへの心配や寂しさ、オアシスでの生活がいかに快適であるか、転送マシンの安全性についてなどが書かれていた。

 彼女の両親は放任主義で、どんな時も子供の意思を尊重してくれていたが、それは決して放置とは違う。彼女はこの手紙に対して、怒りでも悲しみでもない罪悪感を覚えた。心配を掛けすぎて、彼らの主義を曲げさせてしまったのだ。

 彼女の脳裏には、あと少しだけ地球に残りたいのだと告げた時の、両親の悲しい顔が焼け付いている。それはコニーと初めて出会った日から、一月後のことだった。
 その日に、実家の両親や家庭を持つ兄弟、叔父叔母、従妹……親戚全員でオアシスに移住する予定だったのだ。それを彼女は一人だけ残り、見送り、電話で移住予定日を訊かれてもはぐらかし続け、今日まで先延ばしにしている。

 彼女は手紙とチケットをそっと封筒の中に戻し、オアシスのガイドブックや、シェルター基地で人気だという惑星型クッキーの缶の上に置いた。

 転送マシンの予約日は、今日から一週間後。移住自体は、オアシスでの移住先が決定していれば即日でも問題無い。こちらの物品は移住後にアンドロイドの手で転送してもらえばよく、アパートの片付けは清掃ロボットが行ってくれる。彼女は移住後は両親と同じシェルターでの生活を予定しているため、移住先を探すことも、面倒な手続きを行うことも必要無い。
 とすると、彼女の親が設けたこの一週間は、地球への別れを告げる、心の準備期間ということなのだろう。

 彼女は深い溜息を吐いた。いつかは地球を発たなくてはならないと分かっていた。けれど、分かっているからといって、今それが出来るわけではないのだ。だがこのチケットを破棄することは、両親の想いを切り捨てることになり、それはきっと今までのどの反抗よりも、両親を傷付けることになってしまうだろう。

 どうしたらいいか、分からない。

 彼女はまとまらない思考に、両手で顔を覆った。

 ――星と星との移動に用いられる人体転送マシンは、人体に高圧電流を流して量子レベルまで分解し、転送先まで送り、再構築するというものだ。その電圧により人体には一定の負荷がかかるが、人体には一定の耐性があるため、一度であれば健康に影響を及ぼすレベルではない。しかし、二度目からは急激にリスクが上昇する。故に、政府は人体転送マシンの使用上限を一人一回までと定めていた。例外は、国民の知るところではこれまで一つもない。

 つまり、地球からオアシスへは一方通行。一度行ってしまえば、もう二度と戻ってくる事は出来ない、片道きりなのだ。だから、

(行ってしまえば、もうコニーには二度と会えなくなる)

 彼は決して地球を出ない。10年後に地球と共に滅びる運命である。だから彼女は、地球に残っている理由が彼だと、中々認めることが出来ないでいたのだ。心は気付いていても、頭で結論を出すことは避けていた。だがもう、親を泣かせる理由など、他に一つも有る筈がなかった。

 地球生活最後の日までのカウントダウンが始まったその夜、彼女はただ膝を抱えて、一夜を明かした。眠らなければ朝が来ないかもしれない、なんて期待はしていなかったが、それでも夜を伸ばす事は出来るだろうと思った。だが翌日の朝は、いつもより早く訪れたように感じられた。寝ても寝なくても、朝は早まる。次の朝も、次の朝も、何より7日目の朝は、より一層早かった。



 *



 昼過ぎの街はとても静かだ。否、今となっては朝も昼も夜も、いつでも静まり返っている。
 移住計画の初期、彼女がまだ小中学生の頃は、昼時ともなると商店街は賑わい、飲食店はテラス席まで埋まり、住宅街では家々から食事の匂いがしていた。しかし今はそのどれもが存在しない。歴史の教科書の中の、白黒テレビのような存在だ。眠い頭がモノクロに染まりかけているところで、名前を呼ばれる。その声に、世界は色彩を取り戻した。

「お散歩ですか?今のあなたには、あまりおすすめできません。あなたは最近、体調が優れないように見受けられます。原因は恐らく睡眠不足による疲労過多と思われますが、いかがですか?」
「こんにちは、コニー」
 彼女は彼に指摘された通り、睡眠不足で回りにくい頭と口で、ゆっくり挨拶をする。そんな自分とは逆に、コニーは早口で、その口調は少し荒々しいように感じられた。彼に至ってそんなことはあり得ないというのに、それでも礼儀正しいはずの彼が、彼女に挨拶を返すことは無かった。

「さあ、帰りましょう。またそんなに薄着で、風邪をひかれますよ」
「コニー、いつもと違う。どうしたの?何かあったの?」
 ここ数日、疲れ切った顔を彼に見られる度に、何かあったのかと問われていたのは彼女の方であった。その彼に、悩みの種である“転送マシン予約チケット”のことを一切打ち明けなかった彼女は、自身が追求できる立場ではないと思いつつも、じっと彼の答えを待つ。

 コニーは暫く黙って、言葉を探すように視線を彷徨わせ、それから重々しく口を開いた。

「あなたが、どこか遠くに行ってしまう夢を見ました」
 彼女はその言葉に、これこそが夢なのではないかと思った。

「コニーは、アンドロイドなのに、夢を見るの?睡眠もとらないでしょう」
「そうですね。……あなたは僕に起こったこの現象を、アンドロイドの不具合と見ますか?それとも進化と見ますか?」
 彼女は少しの間黙って、彼の乾いた瞳を見つめる。その奥にある感情が分からない。感情と呼べるものがあるのか分からない。それでも、こんな風に悩みや混乱で心をかき回してくるのは、いつだって誰かの感情だと思った。

「本当に、あなたは人間みたいね」
 今の彼の表情は、パッケージ通りの穏やかな無表情にはとても見えなかった。鬼気迫るものがあった。コニーの常ならぬ様子に、彼女は心配し、期待してしまう。

「コニーの言う通り、ちょっと薄着過ぎたみたい。あなたの駐在所で、コーヒーでも淹れてくれない?寒さに震える住民の保護は、大切なお仕事でしょう?」
 コニーはすぐに、了承した。

 彼ら生活サポート管理アンドロイドは、かつての交番を駐在所としていることが多い。一か所につき一体のアンドロイドが、業務の拠点として使用している。
 コニーの駐在所であるこの交番は、彼女にとっては既に勝手知ったる場所の一つで、慣れた様子でキイキイ音を立てる椅子に座った。いつ来ても、ここは変わらないなと思った。室内は整理整頓されており、オフィス机に彼の私物は一つも見当たらない。
 少しすると、コニーが奥の部屋からコーヒーを持って戻ってきた。マグカップもインスタントコーヒーも、以前彼女がここに持ち込んだものである。

「ありがとう」
 受け取って、自宅で飲むのと同じ味を口に含んだ。体が内側からじわりと暖まるのを感じる。コニーが付けてくれた暖房も、外側から彼女を包み込み始めた。

「本当に、毎日寒いよね。雪でも降りそう」
「都内での降雪は、ここ数年は一度もありませんね。恐らく今年も降らないでしょう」
「それは、少し残念だな」
 彼女がそういうと、体温自動調整機能のある彼は、不思議そうな顔をした。

「寒いのはお嫌いではないのですか?」
「そうだけど。でも雪は好きだよ。雪だるまに、かまくら。子供の頃、田舎のおばあちゃんの家で作ったなあ。コニーは見たことある?」
「映像記録では、見たことがあります」
 そう、と彼女はまた一口、コーヒーを飲んだ。アンドロイドのネットワーク上には、きっと世界中のありとあらゆる情報が存在している。映像や音声による疑似体験を経験とするのであれば、その経験豊富さは人類が太刀打ちできるものではないだろう。

「一面の雪って、綺麗だよ、本当に」
 彼女は目を閉じて、思い出の中の銀世界に想いを馳せる。
 日中は眩しい位に輝き、日が暮れると薄紫色に染まる、表情豊かな雪景色。記録とは違い、美化されているだろう幻想の思い出だったが、そこにある感動は事実だった。

「では、来週にでも見に行きましょうか。雪のあるところまで」
「……え?」
 コニーの言葉に、彼女は自分の行き過ぎた妄想かと、耳を疑った。
 彼がそんな事を言う筈がない。何故なら彼には仕事があるからだ。一個人と過ごす時間も理由も権利も無い。それに逆らおうとする、自立した意思の存在も認められていない。

「でも、お仕事は?」
「問題ありません。僕たちアンドロイドには、自己メンテナンスやイレギュラーな対応の為に、通常勤務の交代申請制度があります」
「お休みを申請できるってこと?」
 彼女の問いにコニーは少し思考していたようだが、やがて「まあ、そうですね」と答えた。それは少し、諦めたような投げやりなものに聞こえた。

 来週、彼と雪を見に。彼女はこれは夢ではないかと思った。だが、彼からデートに誘われる夢など今更すぎた。今まで何十回も繰り返されたそれを、一々夢なのかと疑ったこともない。疑うまでもなく明確にただの夢だったからだ。
 ならば、驚きと疑いに満ちている目の前の出来事は、夢ではないのだろうか。彼女は頬杖を付くふりをして、だらしなく緩む頬を押し上げて誤魔化した。

 来週。それは数日前までの彼女には不確かな未来だった。否、オアシス行きを“見送る”ことを決断してからの数日も、そして転送マシンの予約当日となった今日もまだ、確定し切ることが出来ていない未来だった。

 彼女は惑星移住を促す両親からの手紙に悩み、苦しんだ末に“地球に残る”ことを選んだ。しかし自身のその選択を信じ切れず、転送マシンの予約当日である今日、起動時間に間に合わなくなるまで外で時間を潰そうと、あてもなく街を歩いていたのだった。決断したといっても心はソワソワ落ち着かず、ポケットの中の手放せなかったチケットが気になって仕方がなかった。

 だが今ようやく、その紙切れの呪縛から解放されたように感じた。後ろめたさを乗り越えられたように思えた。夢にまで見た彼のその誘いは、決断というにはあまりに弱気な選択を、確固たるものにしてくれる。

「うん。行こう。連れて行って」
「はい、かしこまりました」
 彼女には、返事をしたコニーがホッと安心しているように見えた。そこに分かりやすい喜びの色は見つけられなかったが、徐々に、見つけていければいいと思う。

「ねえ……今回のお休みは、あなたのメンテナンスの為?それとも、イレギュラーな対応の為?」
 前者が近いのかもしれませんね、と、コニーは言った。

「あなたは、どんどんアンドロイドらしくなくなっていくものね」
 わたしにとっては良い傾向だけれど、と彼女は微笑んだ。

 出会ったばかりの頃は、こうでは無かったように思う。何を言ってもマニュアル通りの対応で、完璧に優しくて冷たいアンドロイドだった。それがいつからか、少しずつ隙が見えて“優しくなくなり”温かくなり始めていた。

 二人はそれからしばらく雑談をして、二杯目のコーヒーを飲み終えた彼女がウトウトし始めた頃、コニーは壁の時計を見て椅子から立ち上がる。

「そろそろ帰りましょう。送りますよ」
 コニーは時計が16時を回ったことを確認して、そう言ったのだったが、既に時間を意識していなかった彼女は、気付かない。彼もまた時計と彼女の間に立って、気付かせない。

 ――16時。転送マシンのあるセンター閉館時刻まであと1時間。今からどんな交通手段を使っても、もう間に合わない。

 彼女は知らないが、移住計画に携わるアンドロイドは、移住に関する全ての情報を把握、管理している。転送マシンの稼働日時と、予約人数、そして予約者の個人情報まで全て参照可能であった。

「来週の日曜日、僕が迎えに行きますから、あなたはお部屋に居てくださいね」

 アンドロイドは夢など見ない。だが、言い訳が必要な個人的理由は、稀に発生するのだった。それは人間が不具合と診断し、アンドロイドが進化と認識するものだった。
inserted by FC2 system