【人口密度500東京】(2)



「替えの必要な蛍光灯なんて久し振りに見ましたよ。この地区では、三丁目のご老人の家で見たきりです」
 寿命を迎えた蛍光灯を手際よく取り外しながら、彼は言った。テーブルの上に立つスーツの後姿を、彼女は黙って眺めている。
 その無個性なグレーのスーツはいつ見ても皺ひとつない。自分より広い背中、左右均等に程よくがっしりした肩。長くも短くもない足には、スラックスがよく似合っていた。まじまじと見ていると、その頭がくるっと振り返る。白く滑らかな肌に、アーモンド型の二重の瞳。利発そうな三角眉。崩れを知らないショートのオールバックは黒々としている。薄い唇が、平らな声で言葉を紡いだ。

「替えの蛍光灯、下さい」
「ああ……はい」
 声に促され、彼女はハンドルのように握りしめていた丸型蛍光灯を手渡す。彼女がこのように鈍い反応をしても、彼が自分に見惚れていたのだなと勘付いて、それを種にからかうことなどない。彼、コニーにそこまでの機敏は備わっていないのだ。

 生活サポート管理アンドロイド『男性型NEXT0211なんとやら』
 長い型番を彼女は覚えていないが、彼らには型番とは別にそれぞれ個体名があり、人間からはそれを呼び名とされている。彼の場合は、それがコニーだ。彼らの役目は、移住計画中の地球人の生活を補助し、安全を守ることである。コニーはこの地区一帯を担当しており、駐在所で有事に備えることと、街中を見回ることをルーチンとしているアンドロイドだった。コニーの業務範囲は多岐にわたり、犯罪者を取り締まる警察のようなことから、道案内や荷物持ち、そして一人暮らしのアパートの蛍光灯替えまで様々である。

「LEDシーリングライトへの、交換を手配いたしましょうか。半永久タイプでも、今は安価に購入が可能ですよ」
 作業を終えたコニーが、テーブルから降りる。彼の体は相当重量のある機体の筈だが、テーブルは揺れることが無い。コニーの動きは無駄がなく洗練されていた。

「いいの。レトロなものが好きだし、それに今交換しても、勿体ないから」
 残り10年の地球で、いつまでこちらにいるか分からない今、半永久に意味はない。それは率直なコメントだったが、ポロリと零してしまった後で、彼女は失言だったと後悔した。

 そう、移住未完了人をサポートする彼らアンドロイドの任務は、地球にしかない。一部の最新型アンドロイドは人間とともに移住し、オアシスの開発にあたっているが……地球に残っている大多数のアンドロイド、コニー達は別だ。

 彼らには人間のように移住する権利はなく、この地球で最後の時を見届けるしかない。自分の言葉がアンドロイドにとってどれほど残酷なものだっただろうかと、彼女は恐る恐るコニーの顔を窺い、そこに一つの変化も無いことに、落胆した。やはりアンドロイドに人間のような感情を求めるのは筋違いなのだろうか、と。

「あなたは今、ご自分の言葉で僕が傷付いたと思いましたね?けれど、あなたの言葉で傷付いたのはあなた自身のように見えます」
 全く、複雑ですね。とコニーは言った。それは彼の業務範囲外の言葉だ。プログラムされていない、不必要な個人への介入である。彼は時々、いや最近では頻繁にこのような面を見せる為、彼女は彼に人間性を期待せずにはいられないのだった。

 彼女とコニーの出会いは、一昨年の春。うららかな陽気に花は咲き、虫は目覚め、鳥が歌う季節だった。
 その日、彼女はすっかり人通りのなくなった道を一人で歩いていた。通信販売で購入した新作ゲームデバイスを、近所の転送マシン設置店に受け取りに行った帰りで、機嫌良くふわふわ軽い足取りで……彼女はとても不注意だった。
 見るからに危機感のない女の背後に、二人組の男が近付く。和らいだ寒さに浮ついているのは、動植物だけではない。人間も同様であったのだ。

『お怪我はありませんか?』

 男達に襲われかけているところに颯爽と現れ、映画のスパイや暗殺者のように手早く彼らを締めあげた彼は、彼女にとって、アクション映画のヒーローよりも格好いい王子様のように見えた。

 普通、そんな経験をすれば人の多いオアシスへの移住を早めるところだろう。だが彼女はそうはしなかった。
 コニーに捕えられた男達は、数日後にオアシスの警察署に強制送還されたらしいが、第二第三の彼らが居ないとは限らない。それでも彼女は地球を去らなかった。オアシスで出所した男達に出会ってしまうのを恐れたからではない。彼女が地球を去らない理由は……。

 その理由がこの機械式の王子様にあるのだと、彼女はまだ素直に認められずにいる。

「コニー、今日も見回りについて行っていい?」
「お仕事は大丈夫なのですか?」
「大丈夫。大きな仕事は片付いたから」

 出会いから今日まで、彼女はコニーと頻繁に関わり続けてきた。時には駐在所で“生活悩み相談”と称して雑談を持ち掛け、時にはこのように彼の見回りに付いていって散歩を楽しみ、何だかんだと週に二三回は彼との時間を過ごしている。それは、一つ一つは決して長い時間ではなかったが、数を重ねることで膨大な思い出――彼にとっては記録となっていた。

 アパートを出て、二人は植物に浸食された道を歩く。車など滅多に通らないが、自然と足は白線の内側を選んで踏んでいた。しかしもし車が来たとしても、高度交通安全システムの普及により、都内で事故が起きることはまずあり得ない。公道を走る車は全て自動運転化され、車道のみを規定の速度で走るように制御されており、また人との距離が一定まで縮まると、自動停止するようになっているのだ。緑に覆われ、いくら退廃的な姿になっていたとしても、そのシステムはインフラの一つとして未だに稼働し続けている。

 彼女には今の地球が、自然と科学が融合して新たな星に生まれ変わろうとしているように感じられることがあった。

 ……だが、やはり地球は地球。夏は熱く、冬は寒い。それは変わらない。11月も終わる頃になると、木々はまだ所々に鮮やかな色を残してはいるが、寒さはすっかり冬だった。彼女は着膨れるのが嫌で、軽装で来てしまった体を縮こまらせる。

「現在の気温は9.6℃。今月一番の寒さです。あなたの服装は、気温に適していません」
「オシャレに我慢はツキモノなんですよ」
「オシャレは、近所を見回るために必要なものなのですか?」
「無神経」
 彼女はコニーから顔を背けた。このように分かりやすく怒って見せれば、例え彼でも相手が気分を害したことが分かるだろう。そして、その理由を分析でもしてみればいいのだ。そんな意地の悪い彼女の頭に、バサリと布がかぶせられる。それは、彼の着ていたベージュのトレンチコートだった。

「僕たちアンドロイドの防寒は、それこそオシャレでしかありません。季節を演出するための、見栄えを重視した実用性のないものですが、今はあなたの健康を維持するために役立つようです」
「どうして、頭から被せるの?」
「体温保持のためには、首元を冷やさない方が良いでしょう」
 淡々と答えるコニーに、言葉以上の何かは見つからない。だが、投げるようにコートをかけたその雑な行動が彼らしくなく、彼女は嬉しくなってコートを握りしめた。


「アイターッ!」
 突如響き渡ったその声に、彼女は心臓が止まるかというほど、驚いた。一体何事かと硬直している間にも、コニーは颯爽と声の元へ駆けて行く。そして彼は迷うことなく、立派な石門に吸い込まれていった。そこは三丁目で一番古く大きい日本家屋。この地区で彼女の他に交換式の蛍光灯を使う、久野という老人の家だった。

 彼女がコニーを追って門を通ると、庭先には尻もちをついている白髪頭と、彼を抱き上げようとしているコニーが居た。地面に倒れた脚立と、転がった大きな剪定ハサミを見るに、久野は庭の手入れ中に脚立から落下したのだろう。素人目には、意識はハッキリしていて大きな怪我も無いように見えるが、痛みはすぐに引かないらしい。コニーは彼を縁側まで連れていく。彼女は慌ててその背中を追いかけ、通り越し、老人の家に邪魔させてもらうと、押し入れから長座布団を取り出して久野が休める場所を作った。

「アイタタタタ」
 久野は座布団の上で腰をさすりながら呻きを上げる。コニーは患部をその目でスキャニングし、安心させるようにゆっくりと言った。

「大丈夫です。二三日安静にしていれば、回復するでしょう」
「良かった……良かったですね、久野さん!」
 彼女は顔なじみの老人の軽傷に安堵する。久野とは、コニー程ではないにしろ交流があった。あれば面倒な近所付き合いも無くなった今、彼女にとってこの老人は貴重なご近所さんなのだった。だが喜ぶ彼女と反対に、久野の表情は険しい。

「二三日……!とても待ってられんよ。どうにかならんものかね」
「どういうことですか?」
 コニーが訊き返す。

「どうもこうも、あんたらもさっき見ただろう。あの木の柿はもう傷み初めておる。おまけにバカ鳥共が一口ずつ啄むでな、良い実を急いで収穫せねばらなんのだ」
 確かに、と彼女は縁側から庭の木を見る。背が高く広がりのある柿の木は、濃く色づいた実をいっぱい実らせていた。そして、こうして話している間にも、無邪気な小鳥たちは味見を楽しんでいる。鳥除けに吊るされたCDが、近くでキラキラ輝いているのがもの悲しい。

「でも久野さん、お体が何より大事ですよ」
「そうですね。僕が替わりに収穫しましょう」
 え?と、彼女と久野はコニーを見る。コニーは既に腕まくりをして、久野の脚立と剪定ハサミを手に取っていた。久野は不安げに「経験はあるのかね」と尋ねるが、コニーは顔色一つ変えずに「無い」と即答する。

「ですが、プログラムのインストールは完了しました」
 コニーの言葉に、アンドロイドはつくづく便利だ、と彼女は思った。スポーツも勉学も仕事のスキルも、彼らのネットワーク上からプログラムを検索してインストールすることで、思うように学習し出力できるのだ。実際、コニーは久野の不安をよそに、柿の実の収穫だけでなく、伸びすぎた枝の選定まで完璧に行ってみせたのだった。
 彼女は実の収穫だけ、木の下で受け取る手伝いをすると、思うように動けない久野の代わりに家事を手伝うことにして、途中から家の中に引っ込んでいた。

「お疲れさん。どうも有難うな。取った柿は好きなだけ持って帰って構わんよ」
 洗濯と夕食の準備を終えた彼女が縁側に戻ると、一通りの仕事を終えたコニーに、久野が礼を述べているところだった。

 久野の厚意を、コニーは少し困ったような表情で「申し訳ございませんが、僕に飲食は不要です」と断っている。久野はそれに少しも嫌な顔をせず、寧ろ面白そうに笑っていた。

「それならお嬢ちゃんがいっぱい持ってってな」
「はい。有り難く頂きますね」
 そう言って彼女は、湯呑の載った盆を久野の近くに下す。湯呑は二つ。久野と彼女自身のものだ。久野は「何から何まで悪いの」と言って湯呑に手を伸ばす。が、指先が触れる寸前で「オ!」と大きな声を出した。

 久野は何かと大きな声を出しては、人を驚かせる。彼女が何事かと尋ねる前に、久野は「お茶請けに煎餅でも出さんとな!」と言って、少しぎこちなく立ち上がると二人が止める間もなく台所の方へヨタヨタ歩いて行ってしまった。

「安静にって、言われてるのに」
「少し動くくらいなら問題ありませんよ」
 コニーの言葉に、彼女は久野を追いかけるべく浮かせた腰を下ろした。そしてコニーの横で庭を眺める。小綺麗になった柿の木。その隣には背の低いミカンの木もある。ザアザアと、11月下旬の透き通った木枯らしが木々を騒がせていた。騒がしいのに、心が落ち着くような音だ。木々の葉を照らすのは、秋の夕日。それは暖かな橙色で、焼ける様なものではなく、灯るような光だった。

 彼女はまだ青さを残す、秋空を仰ぐ。空の色は子供の頃から変わらない。地球が終わるというのに、空は青い。赤い。黒い。白い。

「ねえ、コニー。空はどうして青いんだろう。宇宙は暗いのに」
「空気中で、青色の光が強く散乱されるからですよ」
「ブ、ブー。正解だけど不正解です。そうじゃないんだな」
「合っていますが」
「間違ってるんです。空が青いのは、決して交わらない海に恋して、青色を真似しているからです」
 はい?とコニーは、不可解なものを見るような目で彼女を見た。その困惑は、彼女にとっては嬉しいシステムエラーだ。彼女はいつもそれを望んで、彼にとって難しい話をしたがる。

「会えない悲しみに涙を流して、雨になってから初めて触れ合える……ロマンチックよね」
「ああ、ハイ。あなたの仰りたいことは何となく、分かりました」
 本当だろうか?とコニーを見ると、今度は打って変わって優しい表情を浮かべている。ように、見えた。

 元々彼の型番の表情は柔らかい。人間に警戒心を与えず、心配や不安を取り除くためということで、機械とは思えない優しい表情がセットされているのだ。通常状態の“無表情”も穏やかで柔らかいものだったが、彼女は常日頃からそれを、どこか冷たい無機質なものであると感じていた。

 だが今の彼はどうだろうか。どうして、こんなにも生々しい温もりを感じてしまうのだろうか。夕日が、彼の輪郭に、言葉に、表情に、溶け込んでいるからだろうか。

「では、夕焼けはどうして赤いのですか?」
「……きっと、隠すためだよ」
 彼女はそう言って、熱を発する顔を彼から背けた。

「煎餅あったぞー。しけってぬれ煎餅みたいになっとるが、これがまた中々イケるでな」

 程なくして煎餅を手に戻ってきた久野を交え、三人は穏やかな時間を過ごした。コニーはお茶も飲まなければ煎餅を齧ることもないが、きっとその場を楽しんでいたのだろうと、彼女には思えた。
inserted by FC2 system