0「光の神子と闇の戦士(後編)」
 
 
 
 ――あの日から、五年の時が過ぎようとしている。
 
 昨年父が病でこの世を旅立ってから、ミヤコは彼の呪縛から解き放たれ、性別を偽ることを止め、今ではべっ甲の簪や花柄の着物にも素直に興味を抱くような、十八の娘になっていた。一族の長の座を叔父に譲ったミヤコだったが、その実力は自他共に認める、国一番の戦士である。彼女の強さは生まれ持っての才能と、血の滲むような努力の賜物であり、またその裏には、いつも一人の少女との約束があった。
 
 ミヤコと青藍の再会の約束は、未だ果たされてはいない。ミヤコが彼女と別れた次の日に大きな地震があり、炭鉱は遂に僅かな隙間さえ埋まってしまったのだ。それはミヤコに深い悲しみをもたらし、彼女はそれを紛らわせるために一層鍛錬に励んだのだった。
 
 青藍にもう一度会うためには、力が必要だと思ったのだ。国王さえも動かせる力を身に着けることができれば、二つの国の憎しみの歴史を終わらせることが出来るかもしれない。地上と地底が再び一つになれば、自分達を隔てるものはなくなる。また彼女と共に、光に満ちた世界で過ごせる日がくるのだ。
 それだけを信じて、ミヤコは来る日も来る日も厳しい鍛錬に励んできたのだった。しかし彼女の夢を叶えるには、五年はあまりに短い時間だった。
 
 今まさに、ミヤコ率いる闇の国の軍は、光の国に攻め入ろうとしていた。
 先に仕掛けてきたのは光の国だった。先日、光の国からの突然の攻撃により、十八年間の休戦状態は終わりを告げた。光の国はずっと戦いの準備をしていたに違いない。そしてまた闇の国も同じくだ。万全に供えられていた自国の武器庫を見て、ミヤコは和解を望んでいた自分の考えが甘かったことを知る。
 二つの国は一時も休むことなく憎み合い、休戦は決着のための準備が目的であったと知ったのだ。
 
(青藍。君はこの戦いをどう思っているのだろうか?心優しく、命の大切さを知っている君なら、きっと苦しんでいることだろう。少しはわたしの事を想ってくれているだろうか)
 ミヤコは本心では、青藍の居る光の国と争いたくはない。しかし、自国の者を傷付けられた以上、ミヤコは戦わなければならなかった。
 
(君との再会がこんな形になるなんて、考えてもみなかったけれど……大丈夫。直ぐに戦いを終えて、君も必ずわたしが守ってみせるよ)
 胸の前で手を組み、地底の神でも地上の神でもない一人の女神に祈りを捧げると、ミヤコは剣を高く掲げ、千にも上る兵を率いて地上へと出陣していった。
 
 五年ぶりの地上は、大人達が延々言い続けてきたような地獄だった。
 あの輝くような美しさは今は見る影もなく、炎と黒煙に包まれ、断末魔の叫びを響かせている。花どころか緑一つない、暗い地底と似た景色。
 
 次々に襲いかかってくる光の国の軍を、ミヤコは覚悟をもって斬り捨ててゆく。命を尊ぶことは青藍から教わった。生半可な気持ちで向き合うことは許されないのである。敵が幾ら増えても、仲間が幾ら減っても、ミヤコが一向に動じず剣を振るう様は、闇の軍の士気を上げるばかりだった。
 誰もがミヤコを新たな英雄と認め、畏敬の念を抱いた。彼女と共に戦場に立てることを誇りに思った。故に、闇の国の兵士は例え両の腕が無くなろうと、その意識が続くまで、誰もが戦うことを止めなかった。敵でさえ殺されるならば彼女を選んだだろう。ミヤコは後に“伝説の戦女神”と語り継がれるようになる。
 
 ミヤコの目覚ましい活躍でその戦は半月もしない内に決着が着き、闇の国の勝利に終わった。
 
「光の国の神子に会わせていただきたい」
 勝利を収めたミヤコが、敗国である光の国に一番に要求したのはそれだった。
 光の国の王は『神子は神に仕える神聖な存在で、国の者でも容易に会うことは許されない』と拒んだが、光の国の者を皆殺しにせんとする闇の国の国王を抑え、光の国を擁護しているミヤコ相手には拒みきれず、渋々了承する。他に反対する者は誰もいなかった。戦が終わってからというもの、対等な立場で助け合っていきたいと主張するミヤコは、光の国の者にとっても勇者になっていたのである。
 ミヤコの力が闇の国を勝利に導き、光の国を護っている今、彼女の言動はどちらの国も無視できないものになっていた。
 
 ただ誰になんと褒め称えられようと、ミヤコの心に湧き立つものは何もなかった。彼女の胸の内には、ただ一人の少女への想いがあるのみで、彼女に微笑んでもらえたその時初めて、自分の長く苦しかった今までの全てが、昇華されるのだと思っていた。
 
(ああ、ようやく会える。あの日の約束が果たされる。わたしの見た目は大分変わってしまったが、彼女はわたしだと分かってくれるだろうか?女だと知ったらどう思うだろうか?)
 ミヤコには青藍がどんな姿になっていても、彼女だと分かる自信があった。彼女が例え男であっても人間でなくても、一目で彼女だと言い当て、再会を喜べる自信があった。
 だからミヤコは、案内された神殿で怒りに声を荒げたのである。
 
「神子は何処だ!隠し立てすると容赦ないぞ!」
「ど、どうか心をお鎮め下さいませ!神子様なら目の前にいらっしゃるではありませんか」
 そう言って神官が示すのは、確かに神子装束を身に纏った女だったが、それは青藍ではない。髪だけは美しい藍色をしていたが、ミヤコの求めた人物とは違っていた。
 
「貴様、わたしを騙す気か!?」
「闇の国の勇者様」
 青藍ではない神子が静かに口を開いた。その神聖で厳かな響きの声には、独特な威圧感がある。ミヤコは抜きかかった剣を鞘に収めて、彼女の話を聞くことにした。
 
「闇の国の勇者様。あなた様のお会いになりたい方は、どなたでございますか」
「わたしが会いたいのは、君ではないが、君と同じ青い髪の神子だ。名を青藍という」
 ミヤコが青藍の名を口にした瞬間、その場に居た全員が顔を青くさせ、そして目を伏せた。ミヤコはその様子に苛々する。もう少しも待てなかった。
 
「何だというのだ!青藍は、彼女は一体どこに居るのだ!」
「闇の国の勇者様。その者は、既にここには居ないのですよ」
 “神子様!”と、誰かが彼女を制止するように声を上げた。神子の言葉は、ミヤコに嫌な予感を抱かせる。どうしてこの時耳を塞ぐことができなかったのか、と、彼女は悔いることになるのだった。
 
「青藍という名の者は、今から五年前に、反逆者として処刑されました」
 神子は凛とした声で、聞き取りやすさが憎らしい程にはっきりと紡ぐ。
 
「あの者は私の前の神子でございました。しかし、神子として光の神に仕える身でありながら、闇の呪術をその身に受けていたのです。妖しく悍ましい呪符を肌身離さず持ち歩いて手離さなかった為、神を裏切った者として、生きたまま炎に焼かれたのです」
 
 ミヤコは息をすることさえ忘れ、神子の言葉を聞いていた。身体のどこにも力が入らない。口の中が乾いていた。心臓だけが活発に早鐘を鳴らしている。神子はミヤコに歩み寄ると、茫然とする彼女を鋭い瞳で見据えた。
 
「あの者に、呪符をお渡しになったのはあなた様ですか?」
「呪符……」
 
 ミヤコの脳裏に、未だ鮮明で美しいあの日が蘇る。
 
 ――『これは?』
 ――『まだ未熟だが、わたしの力が込められている守りの札だ。また会うその時まで持っていて欲しい』
 
「思い当たる節がお有りなのですね」
 神子の言葉に、ミヤコはその場に膝を付いた。神子の言葉が真実ならば、青藍を殺したのは……
 
「うっ」と、ミヤコは胸元に刺さる鋭い痛みに呻きを上げる。誰かが、もしくは誰もが、悲鳴を上げた。神子の手には小刀の柄が握られており、その刃はミヤコの胸に突き立てられている。
 
「前の神子は、私の姉でございました。優秀な神子になることを約束された、才能ある者でございました。何故あなた様は地上に参られたのです。あなた様が姉の前に現れさえしなければ」
 
 扉の前に控えさせていたミヤコの付き人が、騒ぎを聞きつけたのか中に踏み込み、神子に弓を放つ。ミヤコは咄嗟にその鏃を自身の身体で受け止め、神子を庇っていた。彼女は驚いたように目を見開く。ああ、感情を露わにすると、あの少女と似ていないこともない。
 
 神子が何かを言っているようだったが、ミヤコにはもう何も聞こえてはいなかった。
 
 
(……青藍、わたしは君を愛していた。君はわたしの生きる糧だった。君の居ない世界になど、生き永らえる理由はあるまい)
 
 痛みに遠のいていく意識の中、ミヤコはただ彼女のことだけを想う。せめて彼女のことを想っていられる間くらいは、強く勇敢でかっこいい英雄の姿で居続けたいと思った。しかし、痛みと悲しみと絶望に、弱い少女の情けない心の内が溢れ出る。もう長いこと流していなかった涙が頬を伝った。
 
 ……青藍、わたしは君と再会したら、まずわたしが女だということを言ってしまうのに結構緊張していたんだ。でもきっと、君は優しいからこんなわたしを受け入れてくれるだろう?そうしたら、二人で光と闇、二つの国を仲直りさせて、協力して繁栄させていくんだ。
 
 普段、わたしは剣の修業をして、君は二つの神に祈りを捧げて。たまの休日には、二人で街に遊びに行くんだ。流行の着物や簪を見て回って、団子の食べ歩きなんかするんだ。わたしは餡子が好きだけど、君はどうかな。好きなだけ食べて、満腹になった帰り道。わたしは君に、さっき君が見とれていた簪をさりげなく渡すんだ。君は驚いて、それからとても嬉しそうに笑って――
 
「せい、らん……」
 掠れる視界に映る君と同じ色の髪。なのに、それは君ではない。
 
 青藍、君が五年前にこの世を去っていたなら、わたしはこの五年間、誰に祈りを捧げていたのだろう。誰の為に、生きてきたのだろう。
 
 
 ――せめてわたしたちが、同じ場所に生れ落ちれば、別の未来が待っていたのだろうか。
 
 
 
『神よ、我らの誓いを、未来をお約束ください』
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