Act5.「ド派手な退場」



 が会場に戻ると、そこはパーティーの時とはすっかり様子が変わっていた。荒れたその場を片付けるため、忙しなく行き来する使用人。奥では怪我人が手当てを受けている。庭には、橙を拘束すべきだと主張した人々――“保全部”に属する保全員が何やら仰々しい道具を用いて空の穴の調査をしていた。バグの影響範囲を割り出しているらしい。保全部に属する常盤は、彼らと行動を共にしている。
 その傍らでは、橙が彼らから聴取を受けていた。最初は一方的に責められているように見えたが、目的は彼女の糾弾ではなく目の前の事象への対応だ。今、彼らは真剣に意見を交わしている。

 は騒動が落ち着くまで客室で待機していて良いと言われたが、気になって出てきてしまった。使用人の片付けでも手伝おうかと思ったが、城内のことを知らない自分が動いてもかえって迷惑だろうと、邪魔しない事に徹する。
 テラスに近い壁際に立っていると、会場の惨状がよく見渡せた。見るからに高価そうな食器類は割れ、美味しそうだった食事はぐちゃぐちゃだ。美しく飾られていた花々は床に散乱し、人々に踏み荒らされている。

「勿体ないなあ」
 橙が起こした今宵の事件のきっかけが自分であると思うと、も責任を感じずにはいられない。手の届く範囲で、まだ形を留めている花を拾い集めた。

「何してるんですか?」
 隣のエースが疑問を浮かべながら、自身も身を屈めの真似をする。には、彼がまだここに居る理由が、特殊な立場の自分を見張るためなのだろうと分かっていた。なんにしても、知らない場所で話し相手が居てくれるのは有難い。

「綺麗なお花だけでも、拾っておこうと思って。このままだと踏まれちゃうでしょ?」
「そうですか。お花が好きなんですね」
 どこかずれた返答からは、彼の共感は感じられない。しかしその手は優しく丁寧に花を拾っていた。ある程度集めると、割れていなかった花瓶に挿しておく。

「ところでエースくん。橙と話しているあの……保全部ってどういう人達なの?」
「ああ、ええと。我が国を支える主要組織の一つですよ。国家保全部は、文化保全、景観保全、環境保全、あらゆる観点から国の安定を守っています。その一環としてあのようなバグの調査や対応もありますね。虚無化や異変の情報を取りまとめているのも保全部です」
 エースはがこの世界の事にどこまで通じているのか分からず、悩みながら説明する。

「安定を守る……」
 は彼らの見た目から受けたイメージ通り、保全部は硬派で保守的な組織なのだろうと思った。常盤も含め。

「ちなみに、僕達トランプ兵や騎士の皆さんが属するのは国家保安部です。要人警護、王都の巡回、国境警備、出入国管理……各領の自警組織とも繋がっていて、国全体の保安活動を担当しているんですよ」
 エースは保全部の話をしている時より楽しそうで誇らしげだ。保安部はつまるところ軍事組織という訳だ。保全部と比べ分かりやすい。

 庭の方から、保全員の一人と橙が口論に発展しているのが聞こえてきて、はそちらに目をやる。大の大人に少女が囲まれている光景はどうにも見るに堪えない。

「橙、大丈夫かなあ」
「はは、心配なさらなくても大丈夫ですよ。公爵夫人が保全部と衝突する事は今に始まったことではないですし、ある意味自然なことです」
「どういうこと?」
「相性が最悪なんですよ。公爵夫人は技術者ですから、保安部には目の敵にされているんです。保全部は国の安定を守ることが役目だとお話ししましたよね。その為に、技術レベルの監査と規制をしているんです」
「技術レベルの監査? それって一体……」

「進化の阻害だ」
 アドルフがやってきて、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らす。態度は大きいが、彼もまた色々と質問攻めにあったのか少しばかり萎れて小さく見えた。口を挟んできて説明する気の無いその男にが呆れていると、エースが二人の時より少し硬い口調で教えてくれる。

 ――この世界“不思議の国”では、一定以上の技術レベルが人々の目に認識できる形になると、地震や豪雨などの天災、開発を妨げる事故など様々な災害が起きるという。
 高度な技術に世界の処理が追い付かず、大きな問題に繋がる前の“自浄作用”ではないかとする説もあるが、真相は判明していない。

 理由は不明だが原因は分かるそれを防ぐために、保全部は技術レベルの水準を作った。そして人々がそれを超えないよう監視しているという。

 正しくは技術自体ではなく、それが文化や景観に及ぼす影響に問題があるらしい。例えばこの国では“電柱”は地中に埋まっている。家電製品は古めかしいデザインで、隠されるように売られている。
 何が駄目で、どこまでなら良いのかのラインは非常に曖昧で、実例の発見と共に常に更新され続けているらしい。

(……何でこんなにややこしい世界なんだろう。アリスが仕組みを作ったのかな? だとしたら何の目的で?)
 
 保全部の保守的な姿勢にアドルフは反感を持っている。彼もまた技術者だからだ。はセブンス領で見た図書館の検索機、犬のロボットを思い出す。どちらもの居た世界の水準でも、高度な技術を要する代物に見えた。
 アドルフ達と保全部とは、互いに目の上のたんこぶなのだろう。 

「この国は、奴らの凝り固まった頭の所為で進歩しない。進まないのは退化と同じだ。リアスを見てみろ、奴らにすっかり後れを取っているではないか!」
「そうよそうよ、この国は遅れてるのよ! 失敗を恐れてちゃ何もできないわ!」
 アドルフに同調する元気な声。ひどく苛々した様子の橙がこちらに早足で近付いてきた。聴取――口論が終わったのだろう。彼女の後ろでは、散々少女に振り回されたらしい大人達がぐったりしていた。は疲れた顔で溜息を吐く常盤と目が合い、同情の笑みを送る。

「橙、もういいの?」
「ええ。ねえ、も新しく画期的で便利な物の方がいいわよね?」
「うーん、そうだね〜」
 ただ、全部がそうでなくてもいい。とは心の中で続ける。
 はこのファンタジーな景観の不思議の国が好きだった。電柱とて趣が無いとは思わないが、電線に囲まれていない、アスファルトの香らない、ここが好きだった。単に自身にとって非日常であるから目新しく感じているだけかもしれない。それでも、全てが新しいものへ変化を続ける必要性には疑問を抱く。変わらなくてもいいものは、たくさんある筈だ。

 アドルフは戻ってきた橙に「心配かけおって! 何かあったらどうするつもりだったんだ!」と父親じみた叱り方をする。

「そういうのウザイわよ! アタシなら大丈夫だって言ったじゃない!」
「結果、こんな大事になってるだろう!」
「大事大事って、みんな大袈裟過ぎるわ! 世界が滅びた訳でもあるまいし!」
「反省していないのか!?」
「反省してるわよ!」

 仲睦まじく言い合う二人。エースはわたわたと二人を宥めようとしているが、は心配することは無いだろう……と苦笑しつつ、賑やかな彼らから距離を置いた。遠慮がちに保全部の方を見ていると、常盤が話し合いの輪から抜けての方にやってくる。もテラスから庭に下りた。

「お疲れ様です。もしかして近くで見てるの、邪魔でした?」
「いや、別に構わない。ただまだ何が起こるか分からないから、城内に居た方がいい」
「ごめんなさい、気になっちゃって。あ、借りてた上着、部屋に置いてきちゃったので後で返しますね」
 常盤は相槌を打ちながら、の後ろからこちらを睨んでいる少女を見た。

「……君は随分と公爵夫人に懐かれているんだな」
「そう見えますか。ところで、バグについては何か分かりましたか?」

 二人は空を見上げる。

 橙のワープマシンは、異なる座標軸の地点を無理矢理繋げるバグを発生させるものだ。バグにより生じた穴の向こうに広がるのは、こことは別の場所、セブンス領付近の空である。あの暴風はバグを発生させる時に生じるエネルギーが引き起こしたらしい。
 
 は穴が空きっぱなしでもそれほど問題は無いのではないかと思ったが、そう単純な話でもなさそうだ。穴の周囲の空には皹が入り、言葉で形容しがたい不吉なものを感じさせる。(空が壊れてしまいそう……そしたらどうなるんだろう。想像もできないことが起こるかもしれない)

「何とか出来そうですか?」
「修復には事象への理解が十分でないといけない。分析と解析にもう少し時間がかかりそうだ」
 地上では、保全員が大きな分度器に似たものを空に掲げていた。バグの修復にはバッググラウンドに手を加える必要があり、それは常盤にのみ出来ることだが、分析や解析なら他の者にも可能なのだろう。違いはバックグラウンドにアクセスできるか否か。

(橙がバグを生み出せたのなら、いつか彼女も二人目の修理屋になれたりしないかな? 時計塔を介してバックグラウンドにアクセスしていたし)

「……前に他の修理屋さんは居ないって言ってましたけど、他の国にバグが発生したらどうなるんですか?」
「友好関係にある国なら、出向くことはある」
 常盤は永白に居た時もそれより以前も、バグの発生情報を得ては各地を回っていたらしい。トランプ王国は彼を重宝しているだろうとは思った。永白からやってきた彼が国の中心部で活動していることからもそれが分かる。
 他国にバグが発生した時には救援と言う形で恩を売り、それが外交面で有利に働く事もあるかもしれない。彼自身がそういう駆け引きを好むようには見えないが。

「友好関係にない国はどうなるんですか? その、リアス教国とか」
「向こうがこちらとの関係を断絶しているなら、放置せざるを得ない。それに、そもそも全てのバグに対応できている訳でもない」
 放置されたバグの中でも比較的大きなものは、人が立ち入れない魔境と化しているという。
 この世界に来てから数度バグを目にしたにとっては、この頻度であちこちに現れていては手が回る訳が無いと思ったが、頻出するようになったのは最近の事らしい。「世界が脆弱性を増している」と常盤は言った。はそれもアリスの虚無化の影響だろうか? と考える。

「ところで、あれはどうにかならないのか?」
 常盤の言葉に、は彼の視線を追って後ろを振り返った。そこには噛みつかんばかりの顔でこちらを見ている橙。その目はに“裏切者!”と言っているようだ。彼女は保全部全体か、常盤個人か、恐らくはどちらにも敵意を持っているのだろう。はへらへら手を振ってみる。

「どうにもなりませんね。そういえば、虚無化の対策本部……に呼ばれてましたよね? 一体何のお話しだったんですか?」
 の問いに常盤は言葉を詰まらせる。それに答えたのは騒動以降、姿の見えなかったピーターだった。彼もどこかで何かしらの対応に追われていたのだろう。すっかりいつもの服装に戻っているが、腕まくりが雑でネクタイが曲がっている。

「リアス教国で、大きな異変が観測されているらしいよ。その話でしょ?」
「……着替えちゃったんだね」
「君もね」
「ネクタイくらいちゃんとしろ」
 常盤が呆れたように、ピーターのネクタイを直す。ピーターはされるがままで話を続けた。

 現在リアス教国では、かつてない規模の異変が観測されているらしい。隣り合うセブンス領だけでなく、複数の領から観測できる程の大きな異変だ。調査員の報告によるとその異変とは――リアス上空が不可思議な紫色に染まり、周辺の景色には“揺らぎ”が生じている、というものである。教国内で実際に何が起きているのかは調べが付いていないが、その空を目にした者の一部に、記憶や認識に現実との誤差が生じることが確認されている。

「もしかして、それもアリスの異変ですかね?」
「まだ分からない」
 間髪入れず言う常盤に、は違和感を覚えた。彼は既に何かを確信しているのではないかという気がしたのだ。それでいてこちらに察して欲しくなさそうな……。
 はもしリアス教国の異変の裏にアリスが居たとしても、敵対国であり距離も離れているそこに容易に近付くことは出来ないだろうと思った。

(いや、距離は問題じゃないのかもしれない)
 と、橙の空けた空の穴を見上げる。まじまじと、見た。

「……紫色の空って、あんな感じですか?」
 空の穴の向こう、夜空に少しだけ赤紫色が混ざっている。煙のようなそれは穴のこちら側にも浸食してきていた。保全員が「ああ!」と声を上げる。周囲がざわついた。――リアス教国で起きている異変が、穴を通じてこちらにも影響を及ぼそうとしている。

「これはアタシのせいだけど、あれはアタシのせいじゃないわよ!」
 橙が訳の分からない主張をしながら走ってきて、の手を取った。

「アタシの情報によると、リアスの異変には100%アリスが絡んでるの! だからアタシはを迎えに来たのよ!」
(あ、着替えの時に言いかけてたのってこれ?)

 橙がもう一方の手でジーンズのポケットから何かを取り出す。金属の鍵みたいなそれで宙に一文字を書くと、庭に刺さっていたワープマシンが浮かび上がり、旋回して彼女の元に飛んできた。マシンの起こす風には思わず目を閉じる。騒然とする周囲を無視し、橙はそれに片足を乗せるとぐっとを引き寄せ――「あ、やっぱウサギさんもセットよね」とピーターの腕を引っ張った。

 ワープマシンの左右に伸びたハンドルに二人の手を置くと「ちゃんと掴んでてね」とニコリ。一連の橙の行動は異様に素早く、には彼女か時間くんが何かしたとしか思えない。

「え、ちょっと、橙」
!」
 常盤がを連れ戻そうとするが、一層強さを増す風に邪魔される。マシンはフォンフォンと耳慣れない音を立てながら上昇した。

 橙に後ろから抱かれているとは違い、ピーターは下りようと思えば下りることが出来たが、他の二人を無理に引きずり下ろすのは危険だった。もう付いて行くしかない、と諦める。だけを行かせたら常盤に何を言われるか分からない。(……そう、理由なんてそれだけだ)

「さあ! 邪魔されない内に行くわよ――発信!」


 光の線が空へと伸びる。次の瞬間、達の姿はそこになかった。 inserted by FC2 system