Act0.「夢みるネクロポリス」



 きらめく黄金の昼下がり。

 花々の甘い歌声と、小川の澄んだせせらぎを聞きながら
 揺れる小舟の上、幸せそうにまどろむ君。
 
 おやすみ。おやすみ。さようなら。
 可愛い寝顔で、こんにちは。

 悲しみも苦しみもない、優しい夢に落ちていく。 



 *



 白い祭服に身を包んだ男は、硝子の棺に跪いた。透明な箱の中には穏やかな顔で眠る少女。男はいつもの癖で少女の頭を撫でようとするが、そこに取り付けられた数多の“電子管”に阻まれる。痛々しい様相に僅かに目を細め……仕方なしに、緩く波打つ赤髪をすくって口付けた。

「こうしていると、まるでお姫様みたいだ」
 男の独り言が響く。眠りについた姫を王子が目覚めさせる、そんな童話を思い出したのだ。こんなに幸せそうな姫を目覚めさせる王子が居たなら、それは悪党に違いない。少女はようやく、安らぎを得ることが出来たのだから。

 この子は一体どんな夢を見ているのだろう? と男は上を見る。ドーム状の天井に映し出されているのは、少女が見ている夢――心象風景だ。穏やかな昼下がりに、輝く小川のほとり。小鳥の囀りでも聞こえて来そうな映像だが、この場所に響くのは無機質な機械音だけである。微かな振動音とノイズ音が、部屋の中央に鎮座する巨大な投影機から発せられていた。投影機から伸びた細い管は、部屋を埋め尽くす無数の棺……棺の中で眠る人々と繋がっている。
 
「ここは、プラネタリウムみたいね」
 唐突に響いた肉声に、男は嬉々と振り返った。気配もなく現れる人物など限られている。薄い鏡の中から出てきた二人に、男は元気良く挨拶をした。

「アリス様! 鏡様! おはようございます、こんにちは、こんばんは! プラネタリウムって何ですか!」
「あら、この世界には無いのかしら? ……相変わらず元気ね」
「こいつが知らないだけじゃないですか? ……相変わらずうるさいな」
 アリスと鏡也が呆れた目で男を見る。男は二人の反応を分かっているのかいないのか、青い髪を振り乱し「はい!」と力いっぱい返事をした。その姿はまるで尻尾を振る大型犬で、アリスは思わず微笑む。鏡也は彼女の笑顔に気取られながらも「何に対する“はい”だよ……」と突っ込んだ。

「計画は順調そうね」
 アリスは投影機に歩み寄り天井を仰ぐ。この部屋は彼女に、幼い頃に一度だけ見たことのあるプラネタリウムを彷彿とさせた。だが映っているのは星空ではなく、人々の夢――無意識の世界だ。

 人々が暮らす表の物質世界と、根幹となる裏世界バックグラウンド。その二つを分けるのは“意識”である。

 全ての意識は、自らが物語(せかい)を体験するために物質を生み出す。物質世界を作るのは意識であり、意識が表世界(げんじつ)を成り立たせている。人々は自らの意識に囚われ、認識できる範囲の中だけで生きているのだ。物質以前にあるものを認識することは出来ない。例えばデジタル世界での風景を、数字の集合体として見る者が居ないように……人々が裏側のバックグラウンドに気付き、踏み入ることは、殆ど不可能だ。

 しかし無意識下において――夢という曖昧な疑似現実を介し、バックグラウンドに接触する者が少なからず居る。その者……“適合者”の夢を映し出すのがこの部屋の投影機だ。電子管を通し、複数の適合者達が夢を共有し合うことで、疑似現実は現実に浸食しはじめる。
 無意識の集合体が意識世界に持ち込まれ、今、二つの世界の境界は曖昧になりつつあった。

「まさか、あなた達がこんな機械まで作っちゃうなんてね。本当に人間って凄いわ」
 消してしまうのが勿体ないくらい。と、アリスは心の中で続けた。

 世界の消去――虚無化は、表世界の人々の意識により妨げられている。消えたくない、存在し続けたいと願う強い意思。それを無意識の中に取り込み、世界を無に帰す計画こそ、リアス教国が進める“アルカディア・プロジェクト”である。
 
(以前なら、アリスの意思に逆らう者なんて居なかったのに)
 アリスは唇を食む。キャラクター達は……不思議の国の全生命体は、昔はもっと従順だったのだ。不思議の国が描く物語通りに動いていた。しかしいつからか彼らは独り歩きするようになり、少しずつこの世界は変わっていった。ここ、リアス教国もその一つである。こんなSFチックな機械の国が不思議の国の訳が無い。だがこの国の者は――アリスに従順だ。

「ついに、世界が終わるのですね!」
 機械仕掛けの夢に手をかざし、恍惚とした表情を浮かべる男。夢と現の狭間に歪む自らの手を見て「ああ、アリス様の力を感じます!」と興奮する彼に、アリスは「げ」と嫌そうな顔をした。

「別に私の力じゃないわよ。ただあなたの認識が……いえ、何でもないわ」
「分かっています! 分かっていますよ! この力が、あなた様が、俺達を残酷な世界から救ってくれるということを!」
 男はアリスによる世界の消去を“救い”だと信じている。彼を筆頭にした教徒達もそうだ。虚無化を世界の浄化と受け入れ、リセットされた後の次なる世界で、自分達こそが幸福の権利を得られると信じている。
 その教えを人々に説いているのは、この男だった。頭が空っぽに見えるが、その口から出る迷いのない言葉は人々の心を掴むのだ。

 アリスは自らを神と信じ敬う男に、心を痛めた。

「アリス様! どうしました!」
 アリスの顔が曇ったのを見て、男が心配そうに駆け寄る。その飛び付かんばかりの勢いに鏡也が間に入って「待て!」と叱った。しゅんとする男にアリスは困り顔で笑う。本当に犬みたいだ。

「どうもしないわ、大丈夫よ。安心して。私があなた達をこの世界から解放してあげるから」
「はい!」
「でも、そうね……これは預言よ。きっとじきに、私達の崇高なプロジェクトを邪魔する子が現れるの」
「分かりました! 殺しましょう!」
 爽やかな笑顔で物騒なことを言う男に、アリスはぎょっとする。

「だ、駄目! 絶対に駄目よ!」
「アリス様?」
「……とにかく、その子だけは殺しては駄目。ただ捕まえて大人しくさせておくだけでいいから」
「なるほど! それがアリス様の望みなら、もちろん!」
 アリスの言葉にイエスしか返さない男。本当に大丈夫なのか? とアリスの目に一瞬だけ不安が浮かぶが、すぐに消える。目の前の男がアリスの意思に反する事をするとは思えなかった。

「しかしアリス様、いつも俺ばかりあなた様とお話ししていて、いいんでしょうか! 折角いらしたなら教徒達にもお会いになってはいかがですか! アリス様のお姿を拝見できれば、皆、感涙に咽ぶでしょう!」
「お前な。皆が皆、お前と同じテンションだと思うなよ」
「鏡様もアリス様と居る時は、いつもよりテンション高いじゃないですか!」
「う、うるさい!」
「……折角だけど、遠慮しておくわ。簡単に姿を現さない方が神様っぽいでしょう? 私は神秘的であることが大事なの」
「ははあ! そうですか!」
 とにかくずっとニコニコ顔の男。アリスはその横を通り過ぎ、先程彼がそうしていたように棺の傍に膝をついた。そして眠る赤髪の少女に慈愛の目を向ける。この少女がプロジェクトの要、夢の主軸を作る人柱。バックグラウンドに適合する希少な……異世界人である。

「この子にも感謝しなくちゃね」
「……それは、喜びます。はい」
 笑みの形に固まった男の顔から、僅かに力が抜けた。アリスは目を伏せ、鏡也はフードを深く被り直す。

 その時廊下から足音が聞こえ、アリスと鏡也はすっと鏡の中へ姿を消した。自動ドアの開閉音と共に部屋に入って来たのは、一人の教徒である。その老父は部屋の中央に立つ男に恭しく頭を下げた。

「教皇聖下、信者達が礼拝堂に集まっております。そろそろご支度を」
「ああ! もうそんな時間か! すぐに行く!」
 聖下と呼ばれた男は、最後に一度だけ棺を振り返り、部屋を出た。


 男は今日も、救いを求める人々に道を示す。
 現という心の迷いから解き放つ。


「さあ、憐れな迷い子達よ。共に幸福な夢を見ようではないか!」


 そして、意識の墓場で眠ろう。 inserted by FC2 system