Act22.「眠りネズミと三月ウサギ(中)」



 近隣諸国を圧倒し、領土を拡張して広大な王国を築いたハートの女王。王の気質を兼ね備えた優秀な彼女が統治する国は、治安が良く、活気に溢れている……というのは少し前までの話だ。最近は著しく国力が低下している。原因は、女王が拾った異世界人への寵愛にかまけ、政治を疎かにしている所為だと噂されていた。
 永白は攻めこまず、攻め込ませず、中立の意思表示をしているが、それが各国の同意を得られているかは別である。今のところ女王の国との間に大きな問題が起きたことは無かったが、いつその均衡が崩れてもおかしくない。そう言う世の中なのだ。故に女王の使者を迎えることとなっていたその日、嘉月会本部は緊張に包まれていた。使者来訪の目的は、彼の国で出回り問題になっているという危険薬物について話し合う為である。

 中立国である永白は、全ての国と平等に貿易を行っていた。その為国内には多くの人や物が流れる。扱われる商品は食品、衣服、装飾品と様々だが、その中には他国では禁じられている危険物……例えば、耽溺性と依存性の強い薬物があった。此度問題となっているのは、彼の国では非合法であった危険薬物が永白を通して出回り、収拾が付かなくなってしまっていることだ。

 話し合いには一応、永白側の大臣も参加するものの、場所が嘉月会であることから、自他国共にここが国の要所であるという認識に相違は無いらしい。ヘイヤにその意思は無いが、実質的な王は彼なのである。
 ヘイヤは問題に対し「そんなもの、使う方が悪い」と面倒そうにした。市場を取り締まることによる、売買の減少を避けたいとも考えているのだろう。対して常盤は、これを機に輸入品の制限を設けるべきだと考えているようだ。今後、薬物が永白国内にも出回る可能性を考えると、少しでも早く対策を取る必要がある。大臣達はといえば、女王の国と争うことを恐れ、大半が常盤と同じ意見だ。黄櫨は決めきれずにいたが、自分が決める訳でもないからと黙っていた。

 シュタッ。ごく小さな音と共に、黒装束のお面男がヘイヤの背後に降り立つ。狸を模した面は小声で「到着しました」と告げると、また屋根裏に消えていった。……ラファルは新しい制服が相当気に入ったらしい。妙に活き活きしている彼と、これから始まる退屈な時間に、黄櫨は溜息を吐いた。

 女王の国の使者として現れたのは、数人の外交官と護衛の騎士。一団の先頭に居るのは、黒髪の精悍な男だった。他とは違う異様とも言える存在感を放つ彼を見て、黄櫨は自分達と同じ“キャラクター”であると気付く。彼が事前に聞いていた“ハートのジャック”なのだろう。彼は、どこか胡散臭い見た目からは想像の付かない丁寧な挨拶をした。使者の中には場違いな子供の黄櫨を怪訝に見る者も居たが、ジャックは黄櫨が何者であるか分かったのか、鋭い視線で仲間を制した。

 ――議論の末、今後は取扱い薬物に一定の制限を設けていく事となった。具体、詳細は未定であるものの、こんなにも早く方向性が決まると、黄櫨は思っていなかった。ヘイヤは面白さを見出せないことに関しては、とりあえず利益主義を貫く。そんな彼が簡単に折れるとは考えられなかったのだ。しかし、話し合いの内容を聞いていれば納得できる。ヘイヤは女王からの要望を……異世界人の情報を渡すことを条件に呑んだのだ。

 異世界人の情報は、決して多くない。それは、異世界人の殆どが出現から間もなく消滅してしまうためだ。しかし女王の国に居る異世界人は、二年以上は生存しているらしい。ヘイヤはミツキの身を案じ、少しでも情報を得たかったのだろう。自国で調べるより、当事者達に聞く方が早い。

 ジャックはその話題になると苦々しい顔をした。外交官達も一様に同じ顔をしたことから、異世界人は噂通りの無法者なのだろうと察することが出来る。彼らはその異世界人を守る気は更々無いのか、簡単に口を割った。それは若干、愚痴染みていた。
 ……彼らの語る内容が事実ならば、その異世界人は噂に聞くより酷い男のようである。今回の薬物問題についても、その男が首謀となって広めたらしい。ジャックは男を“悪魔”だと称した。異世界人を非難する言葉に、永白の面々は顔を強張らせる。

「永白にも異世界人が居ると聞いていたが、その様子じゃ本当らしいな」
 先程ヘイヤに堅苦しいと言われ、敬語を解いたジャックが問う。

「どこで聞いた?」
「物が流れるんだ、情報も流れるさ。人の口に戸は立てられないってことだな。で、そちらさんはどうなんだ?」
「……俺達が、それに答える義理はない」
 ヘイヤの頑なな態度に、ジャックはそれ以上の追及を諦めた。しかし黄櫨は、心のどこかがざわめき始めるのを感じていた。

 議論が終わり、黄櫨は息の詰まる会議室から解放され、人気のない縁側に腰掛けて伸びをした。欠伸も出る。話し合いの殆どは退屈な内容で、寝ないで居るのが大変だったのだ。

「へえ。本当に動物の耳が生えてるんだな」
 黄櫨は、まだ耳に残っている男の声に振り返る。そこに居たのは軽薄な笑みを浮かべたジャックだった。使者達は一泊し、明日の朝に永白を出ることになっている。彼がここに居ることはおかしな話ではないが、一人で出歩いているのは、おかしい。黄櫨は、流石に両国共に不用心過ぎるのではないかと思ったが、柱の陰に潜むお面を見つけてほっとした。

「君は眠りネズミだよな? これから眠るところか?」
「そのつもりだったけど、今、眠れなくなった」
「はは、アイデンティティを奪って悪いな。まあ、少しくらいお喋りに付き合ってくれよ。数少ないキャラクター同士だろ?」
「……別にいいけど。なんで僕? ヘイヤか常盤のところに行けばいいのに」
「一番話しかけやすそうだからだ。ヘイヤといえば、なんでアイツにはウサギの耳が無いんだ?」
「ちょっとだけ短いのがあったでしょ。……切っちゃったんだよ、自分で」
「え」
 恐らくジャックも、ヘイヤが変わり者だということは聞き及んでいたのだろうが、想像以上だったらしい。明らかに引いている様子である。「おっかないな」と呟き、黄櫨の隣に腰かけた。ジャックは石の敷き詰められた静かな庭を眺める。

「ここは随分、様変わりしたな。前はもっと薔薇とか色々咲いてただろ?」
「前の庭を見たことがあるの?」
「ああ、一度だけ。君がまだここに居ない頃、陛下と訪れたことがあるんだ」
「え? ヘイヤ達とも会ってたってこと?」
「……常盤とは会ったが、ヘイヤは国交に興味がないとかで、居なかったな。今日は真面目に参加していて驚いたぜ」
(ヘイヤならやりそう……)
 黄櫨にはその様子がありありと浮かぶようだった。カポン、と鹿威しの音が響く。

「俺は、前の庭の方が好きだったな」
「そう」
「……庭だけじゃなく街も、国名まで変わるなんて、何があったんだ?」
「ヘイヤの気まぐれだよ」
 黄櫨はごく自然な口調で返す。ヘイヤの気まぐれの裏に、異世界人の少女の存在があるとは言えなかった。異世界人に対して悪感情を抱いている彼に、ミツキのことを話すべきではない。しかし話は嫌な方向に進んでいく。

「俺の国も、最近変わった。全部あの異世界人の所為だ」
 ……黄櫨は何も答えない。動揺してはいけない、悟られてはいけないのだ。ポーカーフェイスには自信があった。

「あの男が来てから全てが狂いだした。なあ、もし君達が異世界人を匿っているんだとしたら、気を付けた方がいい」
「……気を付けるって?」
「奴らは呪われた存在だ。必ず何か悪い事を引き起こす。取り返しが付かなくなる前に手を打つべきだ」
「手を打つって、」
 黄櫨にはその言葉が何を指すのか、分かってしまった。思わず声が上ずったその時、離れた場所で戸がカタッと小さな音を立てる。そこには、障子の隙間からこちらを覗いている赤い瞳。何故、彼女が此処に居るのだろう?今日明日は部屋から極力出ないように伝えてあった筈だが――いや、彼女が言うことを聞かず人目を忍んで出てきた可能性は大いにあった。ヘイヤの影響なのか、彼女本来の気質なのか、ミツキも大概に好奇心旺盛なのである。

 ミツキは会話を聞いてしまったのか、ただ知らない人物に人見知りしたのか、慌てた様子で逃げて行った。黄櫨は恐る恐るジャックを見上げる。彼は暗く冷たい目で、ミツキの去った場所を睨んでいた。――ジャックは、恐らくミツキの正体に勘付いている。異世界人は目で見て分かるものではない筈だが、直感で何かを感じたのだろうか?
 黄櫨は彼がミツキに何かするのではないかと思い、急いでその腕を掴む。

「待って、違うんだ。あの子は……」
 否定すればするほど、怪しくなる。言葉に詰まる黄櫨に、ジャックは困ったように眉を下げて「そうか」と小さな頭をポンポン撫でた。

 翌日。ジャックは黄櫨に「気を付けろよ」と言い残し、仲間と共に国へ帰って行った。ミツキはと言えば、いつもと変わらない様子で、あの時の会話を聞いていたのかどうかは分からなかった。



 *



 異世界人の悪評が広まっても、嘉月会でのミツキの立場が悪くなることはなかった。それは、彼女がヘイヤや常盤の庇護下に置かれていたことが一番の理由だが、それだけではない。ミツキは人見知りで扱い難く、時にヘイヤをも驚かせる魔術の才で恐れややっかみを買うこともあったが、純粋な子供だった。見た目も中身もか弱い少女だった。誰もがつい世話を焼きたくなるような、放っておけないところがあるのだ。

 ――しかしある事をきっかけに、人々はミツキに不信感を募らせることとなる。
 それは、城下の鳥鳴街(とりなきまち)で発生した病だった。発症者は一晩で髪から色が抜け落ち、瞳が赤く染まる。十日ばかり熱で苦しんだ後、最後は全身に火傷が生じ死に至る。前代未聞のその恐ろしい病は、症状である白い髪と火傷から“白火病(しらかびょう)”と名付けられた。
 嘉月会は病原体の究明、対策に努めるも、まだ具体的な手立てを見つけられずにいる。病は経口感染でも空気感染でもなく“夢”から感染するらしい、と分かっていた。発症者は必ず共通の夢――密室に閉じ込められ、生きたまま焼かれる恐ろしい悪夢を見ている。そして夢を見た次の日には、見た目が変わってしまっているのだ。

 発症後の髪と瞳の色が、不幸にもミツキと似通っていたことで、病は異世界人の呪いではないかと言い出す者達が居た。最初の一人は、妻を白火病に奪われた大臣だ。ヘイヤは妄言だと一蹴し、彼らの口を封じたが、一度出た言葉が消えてなくなることは無い。ミツキを知る人々の中で、これまで漠然と抱えていた不安が、その時から言葉を得て形になってしまった。

 異世界人は不幸を呼び込む、不吉な存在である。実体のない伝説が、目の前の現実と結び付く。ミツキは周囲の空気から皆の言わんとする事に気付いたのか、殆ど自室から出て来なくなってしまった。ヘイヤも白火病の治療薬開発のため、研究室に籠りきりになる。ヘイヤを突き動かすそれは、国民を救いたいなどという大層な正義感ではないだろう。未知の病への好奇心でもない。彼はただミツキを守りたいのだ。黄櫨はミツキの事も心配ではあったが、寝食を忘れて開発に掛かりきりのヘイヤを見ていると不安になった。まるで命を削っているように見えるのだ。

(ヘイヤ……大丈夫かな。入ってもいいかな?)
 研究室の前、黄櫨は戸の向こうの重々しい空気を感じ取り、中に入ることを躊躇っていた。そっと耳を寄せたところで、戸が開いて出て来た常盤とぶつかりそうになる。

「黄櫨……何か用か?」
 普段から明るいとは言えない彼だが、普段よりその声は暗い。顔にも疲れが滲んでいた。今、永白で問題になっているのは白火病だけではない。病の出現とほぼ同時期から、バグの発生頻度も増えていた。常盤はその対応に追われながらも、時間を見つけてヘイヤを手伝っているのだろう。(なんだかんだ、僕達には優しいから)

「戻ってたんだね、おかえり。発症者の情報をまとめた資料、持ってきたんだ。ヘイヤは?」
「今は話しかけない方がいい」
「そう、みたいだね」
 部屋の奥、頭を掻きむしるヘイヤの後ろ姿を見て、黄櫨は声を潜めた。
 黄櫨と常盤はそっとその場を離れ、どちらからともなく庭に向かう。誰も居ない庭では、真っ赤な野点傘が取り残された顔で二人を迎えた。縁台に積もった埃を払い、座る。最後にお茶会をしたのが随分昔の事に思えた。

「薬は出来そう?」
「……まだ時間がかかりそうだ」
 白火病は夢から感染する。夢は疑似現実である。通常は現実世界の比重が大きく、夢の出来事は現実に打ち消されてしまうが、感染者はそれが逆転しているのではないかということだった。現実よりも鮮明で恐ろしい夢が、感染者の心を蝕み、体を焼くのだ。ヘイヤを筆頭に嘉月会で開発中の薬は“目覚め薬”。人を夢から切り離す薬である。

「そっか……。ミツキは大丈夫かな。ラファルに聞いたけど、あまり食事も摂らないんだって。何でこんな事になったんだろう。病とミツキには、何の関係もない筈なのに」
 黄櫨の言葉に常盤は否定も肯定もしなかった。黄櫨はそれに嫌な予感を覚える。同調させたい気持ちと、踏み込むことを恐れる気持ち。常盤はミツキが病に関係していると思っているのだろうか? もしくは……知っているのだろうか?
 それを明らかにすることで救われる者が居るとは思えず、黄櫨は問うことが出来なかった。

「ヘイヤはあんなに頑張ってるのに、僕は……僕は、ミツキに何をしてあげられるかな」
「ミツキのことが、心配なんだな」
 それは心優しい少年を憐れみ、慰めるような声だった。そしてどこか、他人事である。

「常盤はミツキが心配じゃないの?」
「勿論、心配している」
 常盤のその言葉は、嘘ではないが本当でもないと、黄櫨は感じた。彼は今の状況に妙に落ち着いている。ヘイヤが耳を切った時や……もっと些細な事をしでかした時でも感情的になる彼が、ミツキの現状には平常心のままなのだ。
 彼にとってミツキはどういう存在だったのだろう? 自分達が驚くほど、大切に丁寧に接してはいなかっただろうか? 黄櫨は、これまで常盤がどんな目でミツキを見ていたのか思い出せなかった。目立つヘイヤの言動に気取られて、見逃していたのかもしれない。

「心配なら、一緒にミツキの様子を見に行こうよ。常盤が行けばミツキも少しは元気になるかも」
 黄櫨はそう言って、彼の緑色の瞳を探る。「ああ、そうだな」と答える彼は、やはりどこか遠く冷たく感じた。


 ミツキの自室は最上階の端にある。黄櫨は何度かミツキに呼ばれ、遊びに訪れた事があったが、以前までの気安さはすっかり失われていた。たった一枚の襖が分厚い鉄扉のように重々しい。

「ミツキ、居る?」
 黄櫨は声を掛け、耳を澄ませた。微細な音も拾う黄櫨の耳には、何も聞こえてこない。夜中なら湯浴みに出ているかもしれないが、まだ館内に人気のある夕方である。人目を避けている彼女なら部屋に居る筈だ。黄櫨は言いようのない不安にしびれを切らして「ミツキ、入っていい? ……入るよ」と襖を引いた。そして目の前の光景に言葉を失う。

 四角く切り取られた夕焼け。その窓辺に力なく凭れているミツキ。白く細い髪を赤々と燃える夕陽が透かし……彼女自身も、透けていた。体の向こうに壁が見えている。

「ミツキ!」
 黄櫨は駆け寄り、恐る恐るミツキの手に触れた。手が透明な彼女をすり抜けてしまったらどうしようと思ったが、指先には確かに冷たい肌の感触がある。火傷の痕の残る手は、最後に見た時よりも細く骨ばっていた。

「常盤、どうしよう、ミツキが!」
「……やはり、彼女も駄目だったか」
「は? なにそれ……どういうこと」
 常盤の呟きに黄櫨は耳を疑った。何故そんな、もう全てが終わったかのような――興味を失った顔をしているのか。黄櫨は怒りか悲しみか、自分の感情が分からずに呆然とする。
 常盤はミツキに近付き、彼女にいつも通り優しく声を掛ける。彼の何度目かの呼びかけにミツキは意識を取り戻した。彼女が目覚めると、透明の肌は少しだけ色を増す。もう透けてはいなかった。

 どこか虚ろな彼女を布団に寝かせ、暫く様子を見守ってから、二人は部屋を出た。黄櫨は一連の出来事は白昼夢だったのではないかと思ったが、全身に纏わりつく寒気がそうではないと知らしめている。

「ねえ、常盤。さっきのは何なの? ミツキはどうなっちゃうの?」
「お前も知っているだろう。世界に適合できなかった異世界人が、どうなるのか」

 黄櫨は、脳内がぐらぐら揺れるような眩暈を覚えた。抗えない世界の理。これまで無感情に受け入れていた常識が、突如牙を剥いて来たみたいだ。

 ――この世界の命には、枠がある。それが世界における役割、ロールネームだ。ロールネームは存在意義であり、それを失った者は存在することを許されず消滅する。だから、最初からロールネームを持たない異世界人は世界に適合できず、殆どの場合、出現から間もなく消滅してしまうのだ。稀に一時的に適応を見せ、暫く存在を保つ者もいる(女王の国の異世界人もその例である)が、結局最後には……。

 黄櫨はそれを知識として持ってはいたものの、ミツキと親しくなるにつれて、彼女は例外だと思い込むようにしていた。彼女は適合性のある特別な異世界人なのだと、信じたかった。

「でも……でも。なんで今更? これまで平気だったのに」
 こんなのあまりに酷過ぎる。どうせ不適合だと消してしまうなら、彼女のことも最初から消してしまえば良かったのだ。それを、彼女をこの世界に馴染ませ、掛け替えのない存在にしてから奪うなど、誰かの悪意としか思えない。誰かが、悲劇の物語を望んでいるとしか思えない。そしてきっとそれは。

「答えは誰にも分らない。ただ、これが世界の意思だ。黄櫨も感じたことがあるだろう」
「世界の、意思……」
 世界を描き、物語を紡ぐ力。確かに黄櫨もソレを感じていた。キャラクターとして生まれて来た自分が、最初から背負わされている何か。ヘイヤ達に出会った時に感じた必然性、運命感。この世界には、目には見えない力が働いている。それが、ミツキ達異世界人を蝕んでいるというのだろうか?

「ミツキならもしかすると、と思っていたんだがな」
 常盤は落胆したように言った。彼は黄櫨の前で本心を取り繕う事をしない。黄櫨はそれが、見透かされると思い諦めているのか、信頼されているからなのか分からなかった。どちらにしても、自分と同じ感情でこの場に居て欲しかったと思った。
 世界の理を研究していた常盤は――ヘイヤではなく彼こそが、彼女を検体として観察していたのだ。

「そんな諦めたみたいな言い方、やめてよ。ミツキはまだここに居るんだから」

 この時の黄櫨には、常盤が異世界人に何を思い何を期待していたのか、分からなかった。訊くことも出来なかった。常盤には、触れてはいけない部分がある。黄櫨は彼と出会った時からずっとそう感じていたが、踏み込むことで嫌われ避けられる位なら、何も気付かず知らないままでいいと思っていた。
 
 しかし暫く先、永白から出て二人で生活をするようになり、黄櫨は自分なら多少踏み込んでも許されるのだと理解する。常盤も黄櫨に心を許し、話してくれる事が多くなった。そして黄櫨は、彼の過去を少しだけ知る。

 彼はヘイヤと出会うよりも前に、一人の異世界人と出会っていたらしい。その“少女”が最後どうなったのかを聞くことはできなかったが、現在居ないということは、そういうことなのだろう。きっと彼はその時何も出来なかった事を悔いて、適合の可能性を見出そうとしていたに違いない、と黄櫨は自己解釈した。……しかし黄櫨は、更に先の未来で知ることになる。その少女は奇跡的に元の世界に帰っていた。そして、戻って来たのだと。



 *



 ミツキは少し前から、自身の透明化に気付いていたようだ。白火病の影響で自分に対する目が厳しいという事もあったが、黄櫨達に心配をかけないよう部屋に閉じこもっていたのだという。
 黄櫨からミツキの状態を知らされたヘイヤは薬の開発を放って、ただひたすら彼女を存続させる方法を探すことに時間を費やした。異世界人に関する情報を各国から集め、既に読み終えた文献にも見逃しが無いか、何度も読み返した。だがヘイヤはミツキが今のような状態になるよりも前、白火病が出現するよりもずっと前から、異世界人について調べていた為に目新しい情報はない。ヘイヤは異世界人の不適合性について目を逸らさず、危機感を持ち続け向き合っていたのだ。黄櫨は目を逸らしていた自分を恥じ、出来るだけ彼を手伝い罪悪感と焦燥感を紛らわせた。

 黄櫨はヘイヤとミツキを思い眠れない夜を過ごしていたが、ある夜、疲れが溜まり書斎で眠ってしまう。そして夢を見た。



 ――熱い。全身が酷く熱い。
 燃えている。オレンジ色の炎が黒煙を纏い、全てを巻き込み襲い掛かってくる。空気が熱の塊になって顔に押し寄せる。熱い、痛い、怖い。助けを呼ぼうとしたが声が出なかった。“もう何年も声を発していない喉”はただの呼吸器でしかない。だがもう呼吸すらままならなかった。

 熱気に目を瞑り、どうにか部屋の戸に辿り着く。ここを出れば助かる。助かるのだ。必死で戸を引くが……ビクともしない。外で何かがつっかえている。“私”は全身で戸を叩くが、それが無駄だと気付くのにそう時間は要らなかった。

 ああ、助けを呼んでも無駄なのだ。私は閉じ込められている。私が生まれ持った不思議な力を恐れる人々が、ついに魔女の討伐に踏み切ったという訳だ。

 酸素の不足した頭は重く、もう支えていられなかった。私はその場に崩れ落ちる。決して長くはないこれまでの人生で、私は自分に宿る忌々しい力で人を傷付けてしまうことがあった。これはその報いなのだろう。私が先に彼らを害した。彼らはただ怯えているだけ。彼らに罪はない。私が悪いのだ。

 人と違う髪と目の色、奇妙な力。異質性は淘汰されるのが自然の摂理である。だから仕方ない。仕方ない。仕方ない……?


 嫌。

 死にたくない。どうして私だけが、こんな目に?

 なんで。なんで。私が何をしたって言うの?

 嫌、嫌、嫌! 誰か助けて! 私を助けて! 私はここに居る! ここに居るの!

 ――嫌だ、熱い、助けて!



「――さん、黄櫨さん、黄櫨さん!」
 黄櫨は聞き慣れた男の声で目覚めた。目の前には、あのふざけた面を外し、自分を覗き込むラファル。どうやら床に倒れている自分を、彼が抱き起こしているらしかった。

「僕、寝ちゃってたんだね」
 頭の中が煙っている。久しぶりに寝たから寝惚けが酷いのかもしれない。黄櫨はフラフラ立ち上がり、まだ心配そうに見ているラファルに呆れた目を向けた。ただ寝ていただけなのに、まるで病人みたいな心配のされ様だ。相変わらず大袈裟な男である。

「もう大丈夫だよ」
「いえ、でも、黄櫨さん」
「なに?」
「髪の色が、」

 言い辛そうなラファルに、黄櫨は自分の状況を察した。彼は決してオーバーなリアクションをしていた訳ではないのだ。

(そっか。あれが問題の“夢”なんだ)
 白火病を感染させる悪夢。それを見た黄櫨は、やはりその病とミツキに深い関係があるのだということを知ってしまった。声の出せない、火を恐れる少女。夢の中でずっと感じていた、ミツキが傍に居る時の感覚。夢の中で、黄櫨はミツキになっていた。

 あの夢は“ミツキの悪夢”なのだ。
 ミツキの悪夢が呪いとなって、人々に伝染している。
 
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