Act22.「一時収束」



 ジャックはに、自分の過去と異世界人に恨みを持つに至った理由を、掻い摘んで話した。かつて不思議の国には素晴らしい女王が居たこと。自分は彼女に仕えていたこと。異世界人の出現で彼女は狂わされ、命を落としたこと。そしてその後出現した数々の異世界人も、この世界に面倒な問題事ばかりを引き起こし、散々手を焼かされてきたこと。だから異世界人を恨んでいるのだと、軽くなり過ぎない程度に簡略化して説明した。

 ロザリアやタルトの名を出すことは無かった。自分と二人との間に何があったのかも話さなかった。それでもは言葉に内包された何かを感じ取って、勝手に辛そうな顔をしている。ジャックは安っぽい同情に「分かったフリなんてするな」と吐き捨てたが、それに素直に傷付けばいいものを、は「それもそうだね」と理解したように頷く。なんとも憎たらしい、とジャックは思った。

 ――自分と彼女の過去は、他人が気軽に踏み込んでいいものではない。誰にも冒されず自分の中にだけ変わらずあり続けるべきものなのだ。

 しかし記憶は永遠のものではない。以前は当時のことを毎晩夢に見ていたジャックだったが、それも最近は減っていた。思い出す度に痛みが走ったあの激情は、静かな悲しみに。映像は一枚一枚の絵に切り取られていく。美化も劣化もしていない本物の彼女は、もうどこにも居ないのかもしれない。

 だから、彼女の姿を魅せる青バラに捕らわれ、依存したのだ。

 ジャックが青バラと出遭ったのは、がこの世界に来る二月ほど前のことだった。アリスの虚無化が進む街から住民を避難させる為に遠征していた時。遠征先で見つけてしまったのが一輪の青いバラだった。明確な姿を持たないそれを、どうして疑う事なくバラだと思ったのかは彼自身分からない。それでもそれは確かに青いバラだった。文献でしか見たことのない幻の存在にジャックは興味を持ち……青バラが見せる彼女の姿に魅了されてしまったのだ。

 小さなバラに必要な餌はたかが知れており、それ程危険に思えなかったジャックは、そのバラをこっそり持ち帰った。彼女をその場に放っておけなかったのだ。そして人目を忍んで愛でることにした。過去に苛まれてどうしようもない夜は、そのバラを眺めていると心が落ち着いた。しかしそれは、青バラがジャックの中の恐怖や悲しみを吸い取っていただけで、穏やかさと錯覚していたのは虚無感だったのだ。

 ジャックの精力を吸い続けた青バラは見る間に増殖し、ある日館の者が襲われてしまった。ジャックは青バラの危険性を再認識し、一度は処分しようとしたものの、どうしても出来なかった。数が増えれば増えるほどバラが見せる幻は鮮明に、現実味を帯びていく。青バラを失えば、もう二度と彼女には会えないのだと思ってしまった。ジャックは青バラに依存したのだ。
 しかし事件が起きてしまった以上、流石に館の中に置いておくことは出来なくなり、ジャックは青バラを地下水路に隠すことにした。知能が高いとされる動物を餌に与えてみたこともあったが、青バラは人間を求め、暗い夜になると外に抜け出していく。何度か街の者にも被害が出てしまったが、警備を強化し被害者を早期発見すれば、大事に至ることはなかった。地下水路から出た青バラは街灯りや月明りで弱体化し、それほど人の精力を吸うことが出来なかったのだろう。

 普段から自分は、様々な脅威から彼ら領民を護って来たのだから、これくらい許されるのではないか。少しくらい餌をくれてもいいのではないか。と、ジャックは常の自分からは想像もできない騎士道に反した考えで、その怪物を飼い続けた。

 青バラに襲われた者達は数日は疲労でぐったりとしていたが、安静にしていれば自然と快方に向かうため、大きな問題にはならなかった。だが青バラが増強するにつれ、一部の者には無気力状態の継続や、不眠症などの後遺症が見られ始める。遂に先日は意識不明者まで現れてしまった。

 本来脆弱な存在である青バラは、栄養を得続けていたことで“進化”してしまったのだ。そこにはアリスの異変の影響もあったのかもしれない。人工的な灯りで簡単に枯れること無く、少しの影があれば移動できる、恐ろしい怪物になっていた。

 この街の惨状をいつまでも隠しておくことはできない。いずれ領民が騒ぎ立て、その声が城に届く。そうなれば調査によってジャックの行いは白日の下に晒され、青バラも退治されるだろう。青バラを守るために城への報告を曖昧にしていたジャックだったが、いつまでも隠しきれると思っていた訳ではない。いつかは知られる。いつかは青バラを処分しなければならないと分かっていた。――そんな折、異世界人が白ウサギとして現れた。

 ジャックは青バラとの出遭いが、必要な運命だったのではないかと感じた。自分の異世界人への復讐を助けるために、白ウサギをおびき寄せる餌として、この花は咲いたのだと。王の命令を引き継いだ彼女を表立って手にかける訳にはいかなかったが、事故なら仕方ないだろう。

 だが、青バラは少女に敵わなかった。

 これは自分のための運命ではなく、目の前の少女の物語に必要な展開の一つだったのかもしれない。

「お前は、一体何者なんだ?」
「……何者って言われても困る。一言で説明できるほど分かりやすくなりたくないし、わたしだって、分かったフリはされたくない」
 ジャックは先程の自分の言葉を返され、渋い顔をする。は真面目な表情で彼の目を見て、話を続けた。

「ただ……信じられないかもしれないけど、本当に悪意はないんだよ。アリスを見つけて、それでこの世界の人達が助かるなら、そうしたいと思ってるだけ。わたしは……人畜無害で平和主義な異世界人なの」
 それは、本気なのか冗談なのか分かりにくい。それでもジャックは……彼女の本心なのだろうと思った。わざわざ嘘を吐き、自分を偽る人間には見えない。もっと自由に堂々と生きているように見える。

「本当に、信じられないな」
 ジャックは呟いた。本当に、信じられない。彼女の言葉を疑えないことが。敵意を削ぎ落とされてしまったことが。はジャックの言葉を額面通りに受け取ったのか、不満そうに唇をむっとさせた。真顔のまま子供みたいなことをする彼女に、ジャックは更に毒気を抜かれる。

 少しずつ、緊迫した空気が瓦解し始めた。お互い心の底ではまだ警戒し合っているものの、それに疲れ始めていたのだ。

「俺はお前にしたこと、後悔してないぜ」
「はあ……まあ後悔されても許さないけど。でも、どうして最後は助けてくれたの?」
「俺が知りたいくらいだ」
 あの時、苦境に凛と立ち向かうが、一瞬だけ“彼女”と重なったなどとは認めたくない。しかし同じ異世界人でも、悪魔のようだったあの男とこの少女は似ても似つかなかった。

 今まで扉の近くに立ちジャックと距離を取っていたが、何を思ったのかベッドの傍へ歩み寄る。そして少し緊張した面持ちで、ベッドの上のジャックに目線を合わせた。

「これからも気が向いたら、助けてほしいな」
 ジャックはポカン、とその顔を見る。

「この世界には危険が多いみたいだから、わたしがアリスを捕まえるのを助けてくれたら嬉しい。あなた達も助かるし、わたしはわたしのすべきことができるし、WinWinじゃない?」

(なんだこいつは……馬鹿じゃないのか? 自分を手にかけようとした相手と、手を結ぼうとしている? そんなの、いつ自分の方を向くか知れない刃に背中を任せるようなものだ。本当に……どこまでめでたい頭をしてるんだ?)

 それなのに、彼女を跳ね除ける言葉が、一つも出てこない。開けた口から代わりに出てきたのは、自分でも驚くような言葉だった。

「気が向けば、な」
 が嬉しそうに微笑む。ジャックは米神を抑えて、深い溜息を吐いた。

(本当に、俺はどうかしちしまってる)

 ただ目の前の少女もどうかしている。何の義理があって、この世界の未来を背負おうとするのか。どうせ他人事だろうに。――それも、少女の“正義”に基づくものなのだろうか。すべきことを本能で知っているような……彼女もまた、そういう類の人間なのだろうか。

 は保身的な笑みを盾にしながら、ジャックの様子を窺った。……彼の中の自分に対する殺意、敵意は薄れて見える。とりあえずこちらに悪意がないということは伝わったのだろう。

(そもそも、この人は本当にわたしを殺す気だったのかな?)
 昨晩向けられたあの殺意が偽りとは思えないが、彼の行動は中途半端に思えた。少なくとも自分なら、もっと他の方法を取る。
 何故ジャックは、常盤やピーターが館内にいる状態で、彼らに何も手を打たないまま事の決行に至ったのか。彼らに邪魔をされたくないなら館から離れるべきであったし……方法はバラの花でなくてもいい。もっと簡単で確実な方法がいくらでもあった筈だ。その後で地下水路にでも沈めてしまえば良かったのだ。自分の手を直接汚したくなかったのだろうか? そうだとしても……

 彼の行動は、まるで誰かに止めてもらいたかったみたいに、穴だらけに見えた。

 しかし彼に問うても、自分でいくら考えても、それに納得のいく答えは出ない気がする。

(わたしが出せるのは、被害者の都合のいい解釈だけだ)



 *



 ジャックは体調の悪い中長話をした所為か、が来た時よりも顔色が悪かった。も彼程ではないにしろまだ全快ではない。とりあえず和解は出来たみたいだから、そろそろ部屋に戻ろう……とジャックの部屋を出ようとしたところで、は常盤とピーターに捕まった。

 二人はが部屋に居ないことに気付き、探しに来たのだろう。ピーターは呆れた顔で「ここで何してるの」と言ったが、の弁解の余地を取り上げるように、常盤が彼女の腕を掴んだ。彼に冷たい目で見下ろされ、は思考が停止する。ジャックがを庇うような、取りなすような何かを言っていた気がするが、にはよく聞こえなかった。「火に油を注いでるよ」という呑気なピーターのツッコミだけが、ちょっと聞こえた。は無言のままの常盤に引っ張られ、強引に連れ戻される。
 元居た部屋に着くと、決して乱暴ではないが彼にしては荒っぽく、は中に押し入れられた。

「あ、あの」
「君はもっと賢いと思っていたんだがな」
 その声には、落胆の色。は世界の音が急速に遠のいていくのを感じた。

 自分は、心配してくれた彼を裏切るようなことをしてしまったのだ。

 初めて常盤から向けられる負の感情に、は気持ちが沈んだ。心が冷えた。ショックだった。「ごめんなさい」と謝罪しても、常盤は何の反応も返さない。だが部屋から出ていくこともなかった。先程と同じようにベッド脇の椅子に座るものの、とは別の方向を向いてしまう。の看病をジャックの館の者に任せたくないのか、それともまた勝手な真似をしないように見張るつもりなのか……。はそっとベッドの上に座って、そこでできるだけ静かに、小さくなっているしかできない。

 ほどなくして、ピーターが部屋に入ってきた。彼が開口一番に「空気が重い」とはっきり言ったことで、は少し息がしやすくなった。

「ジャックと話してきた。どういう心境の変化か知らないけど、またこの子に手を出す気はないらしい」
「そんな言葉を信じろというのか?」
「僕に噛みつかないでよ……騎士団の戒律に“嘘偽りを述べるなかれ”ってあるし、それを破ることはないでしょ。この世界のルール的にも、ジャックの性格的にも」
 ピーターはそう言ったが、常盤は明らかに納得していない。もジャックが信用に値するかどうかで言えば、答えはNOに近かった。彼は自分を手にかけるつもりで館におびき寄せ、散歩と偽って青バラの餌にしたのだから。……散歩は確かにしたから、嘘ではないのか。彼は本当のことを言わなかっただけで、嘘は吐いていなかったのかもしれない。

「今回の青バラの件、城への報告が不足していたこともそうだけど……ジャックは意図的に言わないことはあっても、言葉で偽ったことは、僕が知る限り無いよ。心配なら今後この子に関わらせなければいい」
 ピーターの言葉からは、彼がジャックに一定の信頼を置いていることが分かる。は、少なくとも彼は自分よりジャックの側に立っているのだな、と思った。

「王の命を受けている白ウサギに、手を出した罪は重い。相応の罰が与えられるべきだ」
 ピーターとは違い、常盤はジャックを許す気はないらしい。罪、罰……はそんな後を引く重いものに、巻き込まれるのはご免だった。

「あの、わたしは無事でしたし、あまり大ごとにしたくないです」
「君は、あんなことをしたジャックを許すのか?」
 刺すような鋭い視線と声。常盤にを攻撃する意図はなかったが、行き場のない感情が結果としてそういう形になってしまっている。それは恐らく彼自身も自覚しているのだろう。言った後で苦い顔をしていた。
 は常盤の言葉に、それは違う、と首を振る。許したいのではない。恨み続けたくないだけだ。

「許してないです。ただ敵を作りたくないんです」
 はできるだけ静かに、穏やかに言葉を紡ぐ。ジャックと争いたくない。勿論常盤とも争いたくない。傷付きたくない。傷付けたくない。

「一人で勝手に彼のところへ行ってしまったのは、本当にごめんなさい。心配してくれて有難うございます」
 は表情でこそ常盤の顔色を窺っているが、その言葉は自己完結した響きを持っている。傍から見ているピーターには、それは謝罪でも感謝でもなく――最後通告みたいに感じられた。

 常盤は何か言いたげにしていたが、の目に宿る頑なな色に「君らしいな」と溜息を吐いた。ピーターは常盤のに対する言動一つ一つに、疑念を募らせる。
 常盤の中にあるへの感情は、とてもこの数日間で生まれたものには思えない。まるで長い時間をかけて熟成されてきたもののようだ。疑念は不信になり、へと矛先を変えたが……どこか腑に落ちない様子のもまた、ピーターと同様の疑問を持っているのだった。

「そもそも私が、君とジャックを会わせたのが迂闊だった。すまない」
「いえ、そんなことは……」
「そうだよ。ジャックが裏で異世界人を始末していたのは、一応秘密任務だし、常盤が知らないのも無理ない」
「始末……」
 物騒な言葉を、が何とも言えない顔で復唱した。ピーターは常盤に睨まれて、居心地悪そうに顔を背ける。

「彼が異世界人に恨みを持っているのは、聞きました。トランプ兵さんも言ってましたが……異世界人ってこの世界にとって危険な存在なんですよね? 見てすぐに分かるものなんですか?」
 は今のところ、自分に特異な点は無いと思っている。この世界の人々(動物の耳が生えていない大多数の方)と変わらない普通の人間だ。だがそれは主観であって、他者から見れば異世界人と分かる点があるのだろうか?

「いや、目で見て分かるようなことはないが……ジャックの騎士団はトランプ兵との接点が多い。それで知ったんだろうな。ピーター、これ以上噂が広まる前に兵士達の口止めをしておけ」
「……了解」
 普通に受け答えをしている彼らには、仲直りしたのかな? と思った。
 話題が逸れたことで緊迫感も薄れ、とりあえずほっとする。安心すると思い出すことがあった。

「あの。そういえば……地下水路で何か光る石を見かけませんでしたか?」
 青バラが消えた後、青く光る宝石のようなものを見つけ手に取った記憶があった。触れた時の、冷たくも熱い不思議な感覚を今でも覚えている。

「石? いや、見ていないが」
「わたしの周りに落ちてませんでしたか? すごく綺麗で、不思議な石だったんですが」
 は自分で言っていて、あやしいな、と思った。気まずさから出たただの作り話に聞こえる。もうこれ以上気にするのはやめておこうかと思ったが、常盤はの話に真剣な顔で、何かを考えている様子だった。

「君はそれを手に取ったのか?」
「はい。このくらいの大きさで――」
 が手に取った時の様子を再現して、手の平を差し出す。常盤は受け取るようにその手の甲をそっと包み込むと、まじまじ観察して「ああ」と呟いた。

「アリスの思念エネルギーだ。君の中に混在している」
「……え?」
 は触れられていることに照れながら、必死で顔を引き締め自分の手を見つめる。何も分からない……と思ったが、見れば見るほどそこには何か、今までにない力を感じた。余計なものが邪魔くさくくっ付いているような、自分の内側が拡張されたような。
 ピーターも気になったのか、常盤の肩越しに覗き込んだ。

「よく分かるね。確かに、何か感じるけど」
「過去に何度か目にしたことがあるからな」
「ああ、君の得意分野だもんね」
「えっと……」
 置いてけぼりになったに見つめられ、常盤は少し慌てて「すまない」と手を離した。そして取り直すように咳払いをし、説明する。

「この世界は意識のエネルギーで現象化している、と話したのを覚えているか?」
「……はい」
 この世界には無であり全であるエネルギーが満ちている。それを観測して認識することで、エネルギーは目に見え手に触れることが出来る現象になる。……と、は初日に常盤から聞いた後に、何度も参考になりそうな書籍を読み、ようやく理解したのだった。

「強い意識エネルギーは周囲に多大な影響を及ぼす。それがアリスの異変だ。そして、強すぎる意識エネルギーが発せられた跡には、エネルギーの一部が残留することがある。それが君が手にした残留思念エネルギーだ」
「あの石が?」
 残留思念と聞くと地縛霊みたいなイメージを抱いてしまうが、それとはまた違うのだろうか。手にある違和感は奇妙だが、恐ろしいとは感じない。

「石に見えたのは君がそう認識したからだろう。石に触れてから、何か変わったことはなかったか?」
 はそう言われて、何故か先ほど見た夢のことを思い出した。だが夢の話などする必要は無いだろうと思い「いえ」と首を横に振る。

「そうか。だが君の中には、紛れもないアリスのエネルギーが溶け込んでいる。いずれ消えていくだろうから、心配は要らないと思うが……」
 そこで、ピーターが口を挟んだ。

「残留思念というなら、アリスの思考と感情の塊なんでしょ? それがアリスの存在を紐解く糸口になる可能性は?」
 ピーターの言葉に常盤は少し黙ってから……「ある」と答える。には、常盤はそれを既に知っていて、敢えて言いたくなかったかのように思えた。彼は自分を危険から遠ざけようとしている。もしかすると意図的に情報を絞っているのかもしれない。

「それじゃあ……これからは、それも探していくべきなんですね」
 勿論アリス本人を見つけられれば一番だが……この世界の法則に則るなら、自分の中にはまだ彼女をはめ込む“認識の型”が無い。彼女がどのような人物であるのか。まずはそれを感じ取るのが、彼女への近道に思える。

 現に感じているのだ。石を手にする前には無かった“実感”を。

 アリスは居る。自分が追うべき存在は必ずどこかに居て、それは神でも怪物でもない――ひとりの人間であると。 inserted by FC2 system