月曜日の朝には、終わりと始まりが同居している。わたしを含めた多くの人々が、自由だった休日を終えて、与えられた持ち場に戻るのだ。
社会的な義務感が圧し掛かる体は重く、それでいて一度踏み出して朝の空気を吸えば、心が凪いで軽やかな気持ちになる。

月曜日は「来てほしくない」と嘆かれることの多い曜日だが、誰もが来るべき存在として認めている。そんなものであると、わたしは思っていた。

そんな月曜日が、今日もまたいつも通り巡ってきたのだが、その日の朝はいつもと違っていた。明確に何が違うとは言えないが、間違いなく、何かが違うのだ。

時刻は午前8時半。街ではスーツ姿のサラリーマンやOL、制服姿の学生が、それぞれの時間を気にして競歩している。わたしは勝敗の無いその勝負から一人外れて立ち止まり、鳩が鳴く青信号の横断歩道の真ん中で、呟いた。

「月曜日らしくない……」

それは殆ど無意識に、口から溢れ出たものだった。が、その瞬間、世界が凍り付く。サラリーマンもOLも学生も一様に足を止め、その目をわたしへ向けた。見つめるでもなく、睨むでもなく、ただ異様なものを認めた様な視線は、無機質な防犯カメラに似ている。
わたしは足元が不安定になるのを感じて、足元を見た。そして悲鳴を上げる。
なんと、驚いたことに、横断歩道の黒い部分が底なし沼のようになり、そこに立つわたしを呑みこんでいるではないか!

そしてわたしは、世界から排除された。







気が付くとそこは、買い物客で賑わう商店街だった。
派手な色合いのアーチには、見覚えのない通りの名前が書かれている。アーチの下には古びた電光掲示板があり、ところどころ欠けた文字と数字が、日時と曜日、天気を示していた。
その表示によると、今は火曜日の午後0時を過ぎたばかりということだ。掲示板は見るからに年季が入っているので、きっと壊れているのだろうと思った。だが、近くにある個人スーパーの店頭に貼られた「火曜市」のチラシも、今日が火曜日であることを訴えている。

わたしはわたしを取り巻く環境の変化に付いていけず、ただ戸惑うばかりだった。今日は月曜日で、わたしは先ほどまで通勤・通学の人ごみの中の一つの“ごみ”だった筈だ。それが何故今、昼時の見知らぬ商店街で、大きな買い物袋を提げたご婦人に邪魔そうに見られているのだろうか。
とりあえず、人々の進行を妨げないように道の端に移動する。そして、改めてその様子を眺めた。

肉屋、魚屋、八百屋、薬局。居酒屋、金物屋、服屋に、靴屋。色落ちしたトタン屋根に、派手すぎる看板。フランス国旗色に回る床屋のサインポール。誰が着るのか分からない、異国の踊り子衣装のようなワンピース。商店街は、様々な色に溢れていた。統一性のないその様子は、逆に一種のまとまりを見せており、独自の国家を築き上げているようにも感じられる。
しかし匂いはといえば、肉屋と惣菜屋の二大勢力が支配していた。揚げ物の油のこってりとした匂いが、人々の動きと共に街全体に広がっている。

人々はその中で、忙しないように見えて緩やかに、それぞれの昼時を過ごしていた。紙に包まれた揚げたてのコロッケを頬張る学ラン。弁当屋に並ぶ恰幅の良い作業服。二つの玉ねぎを見比べ続ける割烹着。ビニールカーテンで透けて見える居酒屋には、こぞってテレビの競馬中継を眺める、くたびれたシャツの軍団。

わたしは街に満ちる活気に、一人取り残された様な気持ちで、閉められたシャッターに背を預けていた。シャッターには、艶やかな響きの女性の名前が書かれている。日暮れから営業を開始するスナックか何かなのだろう。

「ねえ」
途方に暮れているわたしに、声が掛かった。甘く軽やかな、それでいて独特の粘度を秘めた、艶のある女性の声だ。

「あなた、何をしているの?」
そこには、声に似つかわしい、際立つ色気の美人が立っていた。年のころは20代半ばといったところか。あご上で切り揃えられたワイン色の髪が、サテンのスカーフの上でさらりと揺れる。赤いドットのワンピースは、ピッタリと見事な曲線美を描いていた。彼女はまるで海外映画のポスターから抜け出てきたヒロインのようであったが、レトロな商店街にも不思議とよく馴染んでいる。シャッターの女性の名前を具現化したら、まさにこのような女性になるのではないかと思った。

彼女の黒々とした猫目はわたしの視線を絡めとり、真っ赤な口紅で彩られたその唇は、トカゲのようにぬらりと動く。

「あなたはここに生きる方では無いわね。私に、何かご用?」
女性の言葉は、日常生活では耳慣れない組み合わせをしていたが、既に非日常に取り込まれていたわたしには至極自然なものに感じられた。そして、自分でも驚くくらい素直に、ここが今まで暮らしてきた“普通の世界”ではないという考えに行きつき、理解する。今まで気が付かなかったが、わたしは存外、適応性の高い人間だったのかもしれない。

「それが、わたしにもよく分からないのです。ここはどこでしょうか?」
「ここは、私の世界。“火曜日の世界”よ」
「火曜日の世界…?」
前言撤回だ。彼女の言葉に思考が適応できない。

「そう。そして、私の名前は“火曜日”。可愛い迷子の子猫ちゃん、あなたはどこからいらしたの?」
自らを火曜日と名乗る女性は、ハイヒールの踵をカツカツいわせて、わたしに歩み寄る。そしてその細長い指で、わたしの頬に触れた。
強く香る香水の匂い。前に垂れ下がる、燃えるようなボブヘア。風を起こしそうな、長いまつ毛。彼女の艶美さには、同性であっても目眩がした。心臓が高鳴る。体温が上がるものと、下がるもの、二種類がない交ぜになったドキリだ。だからこそ、早く答えなくてはならない。自身を保つ為に。

わたしがどこから来たか。彼女が火曜日だというのならば、きっと答えるべきは具体的な地名ではなく―――

「わたしは……月曜日から、来ました」
そう答えた瞬間、彼女のルビー色に塗られた爪が頬に食い込む。わたしは痛みで顔をしかめたが、彼女の顔の方が何倍も、しかめっ面をしていた。

「あら、そう。随分とつまらないところから来たのね」
そう言ってわたしから離れた火曜日は、もうわたしに微塵の興味も無いというように背を向けて歩き出した。彼女から解放されたわたしは安堵と少しの落胆を抱きながら、彼女を追う。わたしは彼女に聞きたいことが山ほどあるのだ。

「あの!わたしはどうすれば元の場所に戻れるのでしょうか?」
「知らないわよ。月曜に捨てられた捨て猫ちゃん」
火曜日はハイヒールをものともしないように、さっそうと歩道橋を上がっていく。わたしは彼女の態度の変わりように驚きながらも、必死で追いすがる。

「捨てられたって、どういうことですか?教えてください!」
「うるさいわね!あんな嫌われ者のところに戻りたいなら、好きにすればいいわ。精々頑張って彼を探すことね」
「彼って、“月曜日”のことですか?」
歩道橋も上り終えるころ、くるりと、火曜日が振り返った。わたしは驚いて足を止める。階段の途中で振り返るなんて危ないではないか、と非難の声を上げることもかなわず、わたしは意図的に、危険へと落とされる。言葉通り、落とされたのだ。そう、わたしは、残虐な笑みを浮かべる火曜日の手によって、ドン、と歩道橋から突き落とされた。

落下など一瞬のことであるにも関わらず、最後の彼女の呟きは、とてもゆっくり、はっきりと聞き取ることが出来た。

「私の世界で、それ以上不愉快な名前を口にしないでくれるかしら?」

わたしは胃が持ち上がる不快感と共に、落ちていく。よく小説やドラマで“最期の瞬間はスローモーションのように感じる”という表現があるが、経験は無いにしろそれとこれとは違うもののような気がしていた。

どこまでもどこまでも落ち続けるわたしは、今はもう見えない火曜日の顔を思い浮かべていた。
美しく華やかな彼女の、内にある冷酷さ。綺麗なバラの棘。彼女はヒロインはヒロインでも、サスペンスドラマの、幸せにならない方のヒロインだ。

火曜……サスペンス……

ああ、成程。と、わたしは薄れゆく意識の中の間抜けな考えに、一人腑に落ちる思いだった。



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