柔らかな陽光に頬を撫でられ、目が覚めた。

春を喜ぶ小鳥の囀りが耳をくすぐり、優しくまどろみから覚醒させてくれる。
少しだけ隙間の空いたカーテンを開くと、窓の外には素晴らしい青空が広がっていた。

よく晴れた、春の日の朝。理想的な目覚め。
あまりに素敵な日曜日の始まりに、わたしは微笑み、そしてこう呟くのだ。

「ああ、絶好の自殺日和だわ」と。


【自殺日和】


それは決して、悲観的な人生の結論ではない。わたしはまだまだ未来のある若者で、将来に希望が抱けないという訳でもないのだ。そして、わたしには周囲に馴染むことのできる平凡さと、人より優れていて自慢できる非凡な部分がバランス良く備わっているとも自負している。

夢もあれば、人並みに諦めも知っており、楽しいばかりではないが、悩みばかりでもない。
やろうと思えば、何だってできるような自信もあった。

ならば何故、その可能性を放棄することを選ぶのか。

その理由を強いて挙げるとするならば、“全てが完全に上手く行かないこと”にあるのだろうか。どれかを選択すれば、どれかを捨てるしか無い。そんな当たり前の事を受け入れつつ、そうまでして生きる意味を見出せなかったのかもしれない。

いや、そんな理由はただの後付けだ。

わたしはただ、無感情に、自然の理のように、
その日、死ぬことを決めた。


■AM9:00

まず、自殺するにあたって必要な工程を考える。遺書は残すべきだろう。法的効力のある公正証書は遺言書だが、今からそこまでのものを用意するのは面倒だ。有料であることも、ケチなわたしを踏みとどまらせた。

遺書の内容としては、親への感謝と謝罪、あと、口座情報も必要だろう。死ぬにも金が、掛かるのだ。

アパートのクリーニング代や中途解約金、諸々の物品処分、それから一番の問題は葬式の費用だが、市民葬ならばそれら全てを賄っても、大分残るだろう。それは親に、慰謝料として受け取ってもらいたい。どうか、温泉旅行にでも行って親不孝な子供のことなど忘れて欲しい。

葬儀用写真を選ぶ必要もある。どうせならば少しでも綺麗なものを残したいが、今から撮影スタジオを予約して間に合うだろうか?衣装は普通の洋服ではなく、振り袖でもいいかもしれない。ドレスもアリだ。ああ、だがそのようなスタジオ写真は、現像に時間がかかるだろうか?残された時間を考えるとあまりに現実的ではなく、わたしは諦めた。きっと、成人式の時のぎこちない笑顔の写真が使われることだろう。あれは、わたしの意に反して親がとても気に入っていたから。

携帯は解約すべきだろうが、何をするにも便利なこの端末は、使えない時間はなるべく短くしたい。それに毎日プレイしているアプリゲームのイベントが今日までなので、出来る限り遊び尽してから解約しよう。パソコンも同様だ。最後の最後に破壊しよう。データ抹消ができるフリーのソフトが無いか調べる必要がありそうだ。

借金は、ない。奨学金の返済も済んでいる。

さて……一番の問題は、自殺の方法だ。
人に迷惑を掛けたくはないが、一切迷惑を掛けない自殺方法など無いだろう。まず、場所だ。このアパートはダメだ。わたしの死後、この部屋が事故物件になってしまう。線路などは、以ての外だ。人身事故は大勢の人の予定を狂わせるし、遺族に多額の費用の請求が発生するとも聞いている。そもそも人前では、誰かにトラウマを植え付けてしまいかねない。

条件@誰も居ない場所であること
条件A発見が割と容易な場所であること
条件Bできる限り景観の美しい場所であること

この条件を満たすとなると所謂「自殺の名所」が浮かぶが、いくら死ぬ為といっても、とても行きたいとは思えない。普通の人間に遭遇する可能性は低いかもしれないが、普通ではない人間に出会ってしまう可能性があるからだ。(自分を棚に上げるようだが、わたしは至極普通で、まともなのだ)
同じ自殺志願者に遭遇してしまうことは気まずいし、最後だからと乱暴をされる可能性も考えられる。危険だ。そして勿論、既に息絶えた人間の腐敗した抜け殻に遭遇するのも嫌である。

となると、自殺の名所は候補から外れる。次に思い当たったのは、近所の桜並木だった。
あの場所ならば、夜は殆ど人は通らない。そして、恐らく朝一で訪れるのは犬の散歩に来る近所の老人か、自転車置き場の管理人だ。彼らを驚かせてしまうのは申し訳ないが、子供が第一発見者になって長い人生にトラウマを抱え続けるよりはよほど良いだろう。

桜並木。今、丁度、桜が咲いている。景観的にも申し分ない。
アクセスも良好。徒歩で行ける距離の為、電車などの時間を気にせずいい所も、安心だ。

さて、これで場所は決まった。後は、自殺の方法だ。
自殺の方法には、何があるだろうか。

首吊り・飛び込み・失血死・入水。
できるだけ楽で、死体が綺麗なものが良い。そして、失敗した時に後遺症などが残ってしまわないように、確実に死ねるものでなければならない。

銃で頭を撃ち抜くことが出来れば一瞬で片が付き、また発見もされやすいだろう。しかし銃を手に入れること自体が、この国では難しい。そこで、よりわたしの希望に沿う自殺方法をネットで調べてみると……「ヘリウムガス自殺」が中々良さそうだった。

方法は、頭に被った袋にヘリウムガスを詰めて窒息するというものだ。大量の睡眠薬や薬物はそうそう手に入らないが、ヘリウムガスは風船を膨らませる用で良いということなので、通販でも簡単に手に入るだろう。午前中に注文すれば即日配達のサービスもある。夜には届くから、予定通り、本日中の決行が可能だ。

また睡眠薬と違い未遂の確率は低く、昏睡状態で死ぬことが出来るため、上手く行けば苦痛もない。ヘリウムガス自体は無害なため、硫化水素や一酸化炭素を用いた自殺のように、発見者や救助者に害を成すこともない。

バルーン用品専門の通販サイトを見ると、400Lで5,000円程度で見つけることが出来た。送料込みなところが嬉しい。後は、袋にガスを注入するビニールチューブが必要だが、これはホームセンターで入手可能だ。

わたしは脳内で、“その時”のシミュレーションをする。

桜の木の幹に背を預けて、袋を被る。チューブでガスを注入する袋には、あらかじめ桜の花びらを詰めておこう。そして、最後の力を振り絞って袋を破くのだ。
淡い月明かりの下。花びらに巻かれて、夜桜に見守られ、死にゆく―――中々に、美しい死に方ではないだろうか。

時計を見やると、時刻は……


■AM11:00

死に方について考えている内に、いつのまにか2時間も経っていたらしい。しかし、今までの人生の20万を有に超える時間を考えると、その結末をたった2時間で決めてしまうというのは、恐ろしく短く感じた。
さて、しかし今日という一日があと13時間しか無いことには変わりない。ゆっくりしている訳には、行かないのだ。

次にすることは―――部屋の掃除、だろう。

わたしは部屋をぐるりと見回す。特別散らかってはいないが、完璧、理想的とは言い難い。ある程度の整頓は必要だろう。わたしは手始めに、部屋の片隅の棚を片付け始めた。
数年前に友人と行った遊園地で衝動買いした小物入れ。学生時代のアルバイト先で付けていた名札。棚には、そんなどうでも良い、そして大切な思い出が並べられている。その薄ぼけた陳腐な一つ一つは、どこまでも誇らしげな顔をしている。

わたしはそれらを一つ一つ手にとって、その下に積もった埃をティッシュで拭き取っていく。威張りん坊たちは、埃が無くなると急に勢いを無くし、よそよそしく、新品同然の顔になった。

次は、ベッド下の書籍ケースだ。
会社で推奨された自己啓発本、学校で配布された参考書、台風の日に遅延している電車を待つ間、暇つぶしに買った小説本。それから、小学生の時、親に買ってもらった昆虫図鑑。一時通院していた病院の待合室で、静かにしていることを条件に買ってもらったものだ。
これは大層に立派な図鑑で、分厚く、それぞれの種類の虫の写真がとても豊富で、とても綺麗なのだ。だからこうして、昆虫採集などとうに卒業した今もまだ、何度かの整理の機会をくぐり抜けてここにある。

わたしは懐かしくなって、ページを捲ってみた。本は大分傷んでいたが、特に傷みが激しいページで、手が止まる。わたしの一番のお気に入りの、クワガタのページだ。インクをふんだんに使って再現された艶やかな甲は、本当にその場にいるように感じられるものだった。

………気づくと、また時間が経っている。30分程、見入ってしまっていたようだ。
本の整理は、これだから中々進まない。掃除「あるある」というやつだ。わたしは、アフリカ大陸最大のクワガタであるタランドゥスオオツヤクワガタの、エナメルのように艶やかな甲冑から視線を引き剥がし、図鑑をケースに戻した。
それから本をサイズごとに綺麗に並べ直し、ケースにフタをする。これで書籍ケースの整理は、完了だ。

―――自殺の為の掃除で、特に悩むものが2つある。
一つは、パソコンのハードディスクだ。これは先ほど決めたように、本当に最後に、破壊することにしよう。だが、もう一つはまだ処分方法を決めかねている。それは、下着類だ。
誰かの手で処分されるのは嫌だが、ゴミとしてゴミ置き場に出すにも抵抗がある。だからといって自分で燃やせるような手段も思いつかない。
致し方なく、黒いポリ袋に詰めることにした。これを更に透明のゴミ袋に入れて、外側から紙ゴミなどで誤魔化すことにしよう。最近は中身が見えないゴミは、回収してもらえないのだ。

袋に下着を詰める手が、止まる。わたしの手に握られているのは、白に、淡い水色のリボン。シャーリングの可愛い、フェミニンな下着だった。確か、かなり前に一目惚れして買ったものだった気がする。しかし使うのがもったいなく、こうして箪笥の肥やしにしてしまっていたのだ。
わたしはそれを暫く見つめ、そして、人生最期の日に着用することに決めた。「勝負下着か!」と自分でツッコミを入れて、かすかに笑う。

さて、もう一頑張りだ。スピードアップしよう。


■PM1:00

大分片付いた部屋を見回し、思わず携帯で写真を撮る。
掃除の途中で出てきた海外映画のポスターや用途不明の陶器の小瓶を飾ったら、まるで小洒落たフランスのアパートの一室のようになった。これに観葉植物でもあれば、オシャレなOLの部屋として雑誌で紹介されていてもおかしくなさそうである。わたしは満足気にうなずいて、綺麗になった部屋の、磨かれたテーブルの前に座る。
さて、部屋も綺麗になったことだし……遺書を書くことにしよう!

わたしは中学生の頃に買った便箋セットから一枚、そっと抜き取って、皺ひとつないそれを眺めた。紙の端の方が透き通るような素材になっている凝ったデザインの便箋で、中々使えなかったお気に入りだ。
わたしはたっぷりインクの詰まったボールペンで、丁寧に言葉を綴る。
決して悲観的ではない自殺の動機。口座情報。様々なIDと、パスワード。
そして、実家の家族へのメッセージ。

滞り無く滑っていたペン先の動きが、途端に鈍くなる。メッセージの段階にきて、文字が迷い始めてしまった。宙をなぞることの多くなったペン先に、わたしは溜息をつく。
長々と書いても仕方ない。伝えきれない気持ちは、どんなに頑張っても伝えきれないのだ。

「本当に有難うございました。皆様のご多幸を、心より祈っております」
と締めくくり、わたしは丁寧に折り畳んだそれを封筒に入れて、栓をした。


■PM3:00

思えば、朝から何も口にしていない。わたしはシャワーを浴びて、近所のスーパーに出かけることにした。新しい下着。お気に入りのワンピース。春色の軽いコート。丁寧に施したメイク。「これが最後であるから」という気持ちが、不思議とわたしを磨いてくれた。
近所のスーパーに行くにしては力が入りすぎているから、最後の食事としてどこかオシャレなカフェにでも行ってみようか。綺麗なアパートで優雅に暮らす、オシャレな女子の食事。アサイーボールとローズヒップティーなど、相応しいかもしれない。

最後の晩餐だからと、後先考えず暴飲暴食することだけは絶対に控えよう。死後、腹部が膨れ上がっているみっともない姿を晒すことは、嫌だった。

わたしは歩きながら、手元のスマホで近くのカフェを調べる。
近所の地名と「女子 人気 カフェ おしゃれ」のキーワードを入力すると、想像以上に多くの検索結果が表示された。ページのタイトルと説明文を流し読むように、画面をフリックするわたしを、聞き慣れた日常の音が足止めした。

カンカンカン、という、
線路の、踏切警報機の音だ。

調度良い。電車が通り過ぎるまでの間、足を止めてカフェの候補を絞ろう。そう決めて、スマホの画面に集中しようとしたわたしの横を

―――さっと、風が通りすぎた。

その風は、白くはためいている。顔を上げると、既に下りきった遮断機の向こうで、その白は揺れていた。

春風に舞う、白い、トレンチコート。細く長い体。太陽の似合わない青白い肌。癖のない直毛の黒髪。切れ長の、一重瞼。黒曜石のような瞳。
そこに居たのは、中世的な作りで、どこか人形めいていて、儚げな一人の男性だった。

儚げに見せているのは、この状況が大きな要因であるかもしれない。彼は遮断機と遮断機の間、間もなく電車が通り過ぎる線路の真ん中に立っていた。そして、きっとそこで電車を待っている。

「……死ぬのですか?」
わたしは、殆ど無意識にそう問いかけていた。神聖な雰囲気の彼は、わたしの姿を認めるとその口元を思い切り歪める。

「口出しするな。お前には関係ないだろう」
その口調と表情は、見た目の印象とはあまりにかけ離れた、粗暴なものだった。

「それとも何だ?一緒に死んでくれるとでも言うのかよ」
男はそういって、また口元を歪める。先ほどのへの字とは逆に、その口角は釣り上げられた。とは言えそれはとても笑顔とは形容しがたい、下衆染みたわらいだった。

「見ず知らずの他人と、最期を一緒にしたいと思いますか?」
男のそれは、わたしを遠ざけるための脅しだったのだろう。しかし死に対して悟りを開いているといっても過言ではないわたしは恐怖心を抱くことなく、ただ、浮かんだ素朴な疑問を投げかける。
その返しが意外だったのか、男は一瞬呆けてから、バツの悪そうな顔でわたしから視線をそらした。

「……誰がそんなこと、思うものか。特にお前みたいなうるさい女は、願い下げだ」
「良かった。あなたのこと、全く理解できないわけではなさそうです」
「は?」

電車の姿は、まだ見えない。
人通りの少ない路地裏の線路には、わたし達以外、誰も居ない。

今わたしが飛び込んでいって彼を助けることは、できるだろうか?いや、きっとわたし一人の力では、いくら彼が痩身だからといっても不可能だ。それに、もしわたしまでも電車に巻き込まれてしまったなら、わたしの遺族が責任を問われかねない。そんなのは、絶対にごめんだ。そう、電車の自殺にはそのようなデメリットが有る。

「電車の自殺は、遺族に多額の請求が来るそうですよ。それに、駅員さんは不快な思いをします。乗客はトラウマになるかも」
「知るか」
「ぐちゃぐちゃの、バラバラですよ。もしかすると、片付けきれなかった指先が線路の端に放置されて、カラスに啄まれるかも。悲惨」
「ウルサイ」
「モラルのない若者が、スマートフォンのカメラであなたの肉片を撮影して、面白半分にSNSに拡散するんですよ、きっと」
「……」
「もしかすると、あなたの一部を持ち帰って仲間内で騒ぐネタにしたり……」

男の元から青白い顔が、どんどん青ざめていく。少し先の未来が、リアルに想像できてしまったのだろう。既に死んでいたかのような静かな瞳に、少しずつ、迷いが見え始める。


カンカンカン


そして、電車が、通り過ぎる。


「自殺って、案外難しいんですよ。もしかすると、生き続けることと同じくらい」
「……畜生が」

電車が過ぎたあと、彼はまだ、二本の足で立っていた。 あちら側の遮断機の向こうで、憎らし気に、恥ずかし気に悪態をついている。

膝まであるロングのトレンチコートは真っ白で、風にはためくそれはまるで白衣のように見えた。だからわたしは、彼をこう呼ぶことにしたのだ。

「ハカセ。あなたのこと、そう呼ぶことにするわ」


■PM3:30

「本当に為になる自殺講座〜!」
人がまばらな電車の中で、それでも僅かばかり居た乗客達が、ぎょっとした顔でわたしを見る。しかし目が合うと、関わりあいたくないと思われたのか皆一様に寝たふりを始めた。

唯一寝たふりをせず、呆れた様な顔をしている隣の男は、先ほどわたしによって自殺を邪魔された彼だ。わたしは何を思ったのか、気まぐれにより彼を連れまわすことにしたのだ。折角おしゃれをしたのだからデートなんかをしてみても良いと思ったのかもしれないし、準備不足の彼に簡単に死なれることが、朝から努力しているわたしとしては許せなかったのかもしれない。一番近い遊園地に誘ったわたしの突拍子もない提案に、彼は、以外にも従順だった。断る気力さえ無かったのかもしれない。

と、いうことでわたし達は今、電車に揺られているのだが、先ほど会ったばかりの人間との話題などそうそうありもせず、自然とこのような話になってしまった。(彼は知る由もないが、現時点でのわたし達の唯一の共通の話題である)

「まずは定番の首吊り。これは費用もかからないし、すぐに死ねる簡単な方法。けれど、死に様は大分見苦しいようですよ。色々なものが身体から出てしまうようです。そして、一番恐ろしいのは失敗したとき。脳に後遺症が残ることもあるそうです。植物人間状態で自分の意志とは関係なく延命され続けるなんて、悲劇にもほどが有りますよね。死にたい方なら特に」
「……じゃあ、飛び降りはどうだ」
「飛び降りは、意外と失敗率が高いんです。それに、やっぱり後遺症が残る可能性が高いですよ」
まあ、植物人間ならば、本人としてはある意味死んだも同然と捉えることも出来るかもしれませんね、と言うと、彼は全く納得をしていない顔をした。彼の理想の死とは、きっとわたしと同じ。完全なる終わりなのだろう。わたしはこっそりと、共感を抱く。

「そして、線路への飛び込み。これは、先ほど申し上げましたように遺族に多額の賠償金が請求されることがあるそうです。また、人様に迷惑がかかりますし、死体が原型を留めません。最後の最後で大勢に迷惑をかける必要はないでしょう」
彼は、黙って聞いている。

「オフィーリアの絵画の印象か、一見美しいようにも思われる入水自殺。オフィーリア、ご存知ですか?ハムレットのヒロインです。……まあ、それはさておき、この入水自殺ですが……これは、相当苦しいようですよ。窒息死ですからね。途中で耐え切れず自ら上がってしまったり、浮いてきちゃったりするみたいですよ。そして、死後の見た目は最悪だそうです。皮膚は腐敗し、膨れ上がって、髪は抜け落ち、頭蓋骨が露出したりと……。とても有名な絵画のようにはなれません」
彼が至極嫌そうな顔をした。線路の時と言い、今と言い、彼の想像力は中々に長けているようだ。そんな彼が電車への飛び込み自殺を選ぶなど、考え難い。するとやはり先ほどのあれは、突発的な行動だったのではないだろうか。

「苦痛のレベルでいえば、焼身自殺はかなりの高レベルです。ものすごい痛みが長い間続くようです。しかも、もしその場で死ぬことが出来なかったら……全身大火傷という恐ろしい現実が続きます。凍死は焼身自殺程ではないにしても、やっぱり全身を刺すような痛みはあるでしょうね」
「……じゃあ、毒物はどうだ!」
彼の言葉に、わたしは驚いて身を引いた。それが、今まで気力のかけらもない様子だった彼からは考えられないような、元気な声だったからだ。彼は言い負かされっぱなしの鬱憤を晴らすように、不謹慎な提案をする。しかしわたしは、負ける気はない。

「毒物飲用は、まず致死量の薬物の入手が困難ですし、それだけの量を飲むことも大変です」
切り捨てるように言ったわたしに、彼は食いつくようにまた口を開きかけた。だが、わたしはそれを許さない。

「また、リストカットは成功率が低いです。そこで、瀉血という方法もあります。あまり有名ではないかもしれませんが、採血用の注射針とチューブを用意して、献血のように採血することでの失血死です。リストカットよりも成功率が高く効率的であると考えられますが、貧血に伴う頭痛や吐き気などは激しいようです。また、生き延びてしまった後の重度貧血はとても辛いようです」
謎の負けん気が沸き上がり、早口でまくしたてるわたしに、彼は「嫌な女だ」と呟いた。

「じゃあ、お前の考える一番マシな自殺方法は?」
「……内緒」

誰が、教えてやるものか。


■PM4:00

遊園地に着いたわたし達は、まず初めに入り口付近のフードコートに立ち寄る。小さな遊園地のレトロな店内には勿論、アサイーボウルなんて洒落たものは置いていなかった。

「何か暖かいものでも食べると、活力がみなぎってきますよ」
だがしかし、そう言ったわたしが注文するのは期間限定の「桜餅味ソフトクリーム」だ。コーンの上に巻かれていくそれはストロベリーよりも、優しいピンク色をしている。

「おい、バカ女。暖かいものが良いんじゃなかったのか」
「わたしは、十分活力で満ちていますから」
事情を知るものがいればどの口がそれを言うのだと言われそうだが、間違いではない。わたしは活力に満ちている。だからこそ、日曜日をダラダラ寝て過ごすことができなかった。
注文を決めかねている彼は、メニュー表を睨んだまま「あっそ」とぶっきらぼうに言った。

店員から手渡されたソフトクリームを片手に、わたしはフードコート内の、比較的綺麗な椅子を選んで座る。清掃の行き届いていないテーブルには、たこ焼きのソースが少しついていた。遅れてやってきた彼は、テーブルの上のソースに気付かずにその上にトレーを置く。トレーの上には、スープの入ったプラスチックの容器が乗っていた。

わたし達は言葉も合図もなく、ただなんとなく相手のタイミングをうかがいながら、それぞれの食事を同時に開始する。桜色のてっぺんをそっと舐めると、まだ肌寒い時期に食べるソフトクリームは、角が立っていて固かった。舌の上で転がすように溶かして味わうと、甘さの後で、僅かな塩気を感じる。

「この季節、桜餅味のお菓子とか結構ありますけど、大体塩の味ですよね。きっと桜餅の葉っぱのイメージなんでしょうね」
「……スイカ味も、塩の味のものが多い気がする」
彼の返答は予想外に、話題に乗ってくれるものだった。「おや」と思い、彼を見るが、手元のミネストローネの白い湯気に隠されてその表情はよく分からなかった。

夕食にはまだ早い時間だが、徐々に店内が混んでくる。ちょうど、遊園地のショーが終わった時間らしい。狭い店内に、コーヒー、コーラ、ハンバーガー、ポテトの匂いが混ざりあう。
店員はてんてこ舞いだ。レジ付近のカウンター席からは、その忙しない様子がよく伺えた。黙々と食事を進めるわたしは自然と、店員と客の間で交わされる会話に耳を傾けてしまう。

「アイスコーヒーのSサイズですね。かしこまりました」
「コーヒーに砂糖付けてね」
「……アイスにはガムシロップでしょ。ジャリジャリしちゃう」

わたしは店員にも客にも聞こえない、彼だけに聞こえる声で突っ込む。彼はズズっとミネストローネを啜りながら、ちらりとカウンターに目をやった。

「店内でお召し上がりですか?」
「テイクオフで」
「……離陸かよ」
彼が、ポツリとそう零す。わたしはしけったコーンを齧った。

「お客様、ポテトですが、まだ準備中でございます。揚げたてをご用意いたしますので、少々頂いてもよろしいでしょうか?」
「いやいや、頂いちゃダメでしょ。少々って数本?数本食べちゃうの?」
お時間、という言葉を省いた店員に、わたしが突っ込む。
彼の表情が強張り、肩が震えた。

そして、
「あ、大丈夫ですよ!」
という客の返答に、二人は吹き出すのだった。


■PM4:30

フードコートを出る頃、彼の頬には仄かに赤みがさしていた。生き物めいたその色に、わたしは安堵する。

……さて、腹ごしらえの後は遊園地だ!
と女は意気込むも、日曜日の遊園地はどのアトラクションも混んでいて、長蛇の列ができている。比較的空いていたゴーカートに乗ると、何だか謎の達成感に包まれてしまい、もう並ぶ気が起きなかった。そこで早々に、併設されている大きめの公園のベンチで休むことにする。

男はベンチの背もたれに体重を預けて、夕空を仰ぐ。すっかり、疲れていた。それほど動き回ったわけではないから、体力的には余裕がある。この疲労は、精神的なものだ。しかしそれは嫌なものではなく、心地よいものであった。

一体自分は何をしているのだろう、と、心底不思議に思う。
人生に希望を見いだせなくなった自分は、本来ならば先ほど、電車にひかれて一生を終えている筈だったのだ。だが、何がどういうわけか、今の自分は出会ったばかりの女と子供の頃以来の遊園地なぞを訪れ、以外にも、楽しくないわけではない時間を過ごしている。

「お前は一体、何のつもりなんだ」
男は、望んでいない命の恩人である考えの読めない女に、そう問いかけた。しかし、その質問に対する答えはいつまで待っても返っては来ない。男が気になって、後ろに倒していた顔を上げると、ベンチの傍に女の姿はなかった。

何故かひどく焦り、女の姿を探してしまう。だがその姿は、すぐに見つかった。公園に設置されているアスレチックの、ターザンロープの開始地点に、女は立っている。そして、彼女はごくごく自然にロープにまたがり、出発した。
ゴーッという音とともに、女が移動していく。
終着地点はすぐだった。最後に留め具にぶつかって、大きく揺れ、女は楽しそうな声を上げた。

「……お前、いくつだ」
男はベンチから立ち上がり、女に歩み寄る。小馬鹿にしたように笑うが、女には何の効力もない。ケタケタと、まるで子供のように無邪気に笑っている。

「ふふ、ハカセも乗ってみませんか?楽しいですよ」
女の言葉にその遊具に目をやるが、とても、楽しそうだとは思えない。
規模も見た目もスリルも、列を作っていたジェットコースターの足元にも及ばない、ちゃちなものだ。

「コートが汚れる」
そう言うと、女ははっとした様子で自身のコートを見やる。淡い色の春色には、ところどころにしっかりと土色のロープの跡が付いていた。女は一瞬だけ驚き、悲しそうな顔をしたが、すぐにまた笑みを浮かべる。そしてコートを脱ぎ、ベンチへと投げた。

「脱げばいいじゃないですか!」
そう言って、二周目の出発準備を始めるのだ。

男はやれやれ、と肩をすくめて、それから自身も、コートを脱いだ。

ターザンロープは、地味な遊具だった。しかし端で見ているよりも、体感速度は中々に早く、スリルがあった。意外な面白さに、自然と口角が上がる。女は男のそのあまりに純粋な反応に、茶々を入れることはできず、気づかないふりをしてこっそりと微笑んだ。

―――何周しただろうか。
ターザンロープだけでなく、ブランコにも、馬のスプリング遊具にも乗った。それから、少し行ったところにある人気のない寂れたゲームコーナーで、飛び出るワニをハンマーで殴るゲームを、十回は遊んだ。

気付けば辺りはもう、大分暗かった。
湖のレンタルボートは店じまいをしている。女はそれを見て、残念そうな声を上げた。

「また乗りに来ればいい」
そう言うと女は、驚いたような、そしてバツの悪そうな顔をした。

その様子に、男は少し苛々して「別に俺と、とは言っていないだろ」と付け加えたが、女は「そうじゃないです」と曖昧に笑うだけだった。

■PM7:00

すっかり夜になってしまった。遊園地も閉園が近い。夕方頃に間食をした為か、まだ空腹は感じていなかった。それは二人とも同じなのか、どちらも食事の提案をすることはなかった。直感的に、二人の間に「今日の終わり」の予感が訪れる。足は自然と、駅に向かっていた。夕食を共にするまでの仲では無いわたしと彼は、駅前で別れる。

「今日は楽しかったです。有り難う」
わたしは彼にそう言ったが、彼はどこか心ここにあらずのような様子で、目を合わせることもない。互いに中々楽しい時間を過ごせた気でいたが、気のせいだったのだろうか。わたしは少し寂しく思いつつも、それはそれで仕方ないと、思う。

「あの……あなたは一緒にいて面白い人だから、やっぱり居なくなってしまうのは勿体無いと思います。……ごめんなさい、最後まで余計な事を言って。じゃあ、さようなら」
さようならと言いつつも自分から背を向ける気にはなれず、わたしは彼が去るのを待つ。しかし、彼はいつまでたってもその様子を見せない。どうしていいか分からず疑問符を浮かべるわたしに、少し怖い顔をして、心を取り戻したかのような様子で彼は口を開いた。(意を決した、という表現が合っているのかもしれない)

「おい」
「え?」
「お前、仕事は」
「普通の会社員ですが」
「いや、そうじゃない。休みはいつだ」
「土日……と祝日は」
「じゃあ、来週の土曜日だ」
「え?」
「ボート。乗るんだろ」
彼の怖い顔は、怒りからくるものではなかった。照れ隠しや、緊張からくるものだったのだ。それに気付いたわたしは、一気に顔が、体が熱くなる。

「あ」
「なんだよ。都合でも悪いのか。それとも一緒にいて楽しいっていうのは嘘か?」
「いえ」
「よし、じゃあ、土曜日11時。またここに。分かったな」

彼は早口でそう告げると、逃げるように去ろうとする。わたしは自分より足の長い彼の早足を必死で追いかけ、改札の一歩手前でそのコートを掴むことに成功した。振り返った彼の顔は赤く、それでいて青く、怒っているような、不安そうな、ごちゃまぜの表情を浮かべている。

「連絡先くらい、教えてください」
しかしわたしがそう言うと、その顔はたちまち安堵に満ちた。彼は眉を下げて、ため息混じりにポケットから携帯電話を取り出す。赤外線を通じて、双方の携帯端末に、新たに情報が追加された。
わたしは自分の画面に表示された名前に、首をかしげる。

「これ、本名ですか?」
「ああ」
「でも、ハカセって」
「ヒロシだ。博士と書いてヒロシ」

じゃあなバカ女、と、既に電子を介してわたしの名前を知っているであろう男、博士は、最後までわたしの名を呼ばず、去っていった。わたしは改札に吸い込まれていく人々の中から、エスカレーターで彼が見えなくなる本当に最後まで、その後ろ姿を見失わなかった。


■PM8:30

玄関ポストに、宅配便の不在票が入っていた。……ああ、当日便で注文したヘリウムガスだ。今から連絡したところで、今日中に受け取ることは出来ないだろう。そして、受け取ったところで使うことは出来ない。少なくとも来週の土曜までは、わたしはわたしとして生き続けなければならない。

気が付くと、わたしは泣いていた。予定通りに死ねなかったことが悲しいのではない。生き続けなくてはならないことが悲しいのではない。
夕方までは、彼に会うまではあんなにも穏やかだった心が、今は乱れている。辛い。この一定ではない感覚が、辛い。

ああ、ただ、わたしに明日が来るだと考えたら、何故か、どうしても


暖かく心地よい涙が、止まらないのだ。



……そういえば、会社にイベントで使用した風船の残りがあったような気がする。ヘリウムガスが届いたら、もらってきて、膨らませてみるのも良いかもしれない。オシャレなOLのアパートの、インテリアとしてはアリかもしれない。

わたしは涙をぬぐって、大きく息をした。

(とりあえず、来週着ていく服を、考え始めないと!)


■同時刻

博士はマンションの前に立っていた。
近所の家から漂う煮物の匂いに、空腹を感じる。それは、久しい感覚だった。

駐車場に、騒々しい隣人の車が荒々しく入ってくる。相変わらず危なげな運転だと、博士は舌打ちした。隣人は悪人ではないが、ずさんな生き方が目立つ輩だ。ベランダで、奴の物干し竿が防火扉を破って突き出してきた日のことを、博士は忘れることはない。
傷だらけの黒いスポーツカーの助手席には、黒目がちな色の白い女が座っている。女はその細すぎる体躯に、この季節に本当に必要かは疑わしい、毛布のようなひざ掛けを巻きつけていた。それは最近、よく目にする光景だ。若い女が、ひざ掛けを膝に掛けず、上半身を覆ったり、足に巻き付けたり、マントのように羽織ったりしている。よくは知らないが、流行りだろうか?色々な種類のひざ掛けを、雑貨屋だけではなく、ゲームセンターでも景品としてよく見かけた。

博士は男が停めたすぐ隣にある自分の車を見る。ギリギリ、ぶつけられてはいないようだ。

その、もう乗ることはないと思っていたセダンに、いつか、自分が絶対に使わないようなキャラクターもののひざ掛けが鎮座するようになる日も、あるのだろうか?少しだけ、想像してみる。いや、ソフトクリームを好んでいた彼女は、暑がりかもしれない。

そこまで考えて、改めて自分の中の彼女への感情について考える。

自分が彼女に抱いているこの感情は、死とは逆方向に作用する類のものに違いない。人間の持つ生存本能による思い込みか、それとも、死を間際にした出会いによる、吊り橋効果か、生まれてしまった理由は分からない。

……ああ、だが確実に言えることは、

悪くない。と、感じているということだった。 inserted by FC2 system