【宝石の瞳】(前編)



とある時代、とある場所に、世界一美しいと言われる王国があった。
王国は岩山に囲まれており、そこから吹く風は死の風と呼ばれ、国中の一切の植物を枯らした。死の風は空気だけでなく水をも汚染し、灰色の川や湖に生き物の姿はない。天候は殆どが曇りで、常に薄暗い。
だが、周辺諸国は口を揃えて、この国を世界一美しいと称した。そして、愛し、支援を惜しまない。近隣諸国に劣る国土と人口、過酷な自然環境から食料の自給さえ厳しいその国が、数百年もの歴史を刻む事ができている理由。それは、他国からの加護に他ならなかった。

冷たく乾いた暗い国。この国の美しさとはどこにあるのか。

それは、国民の瞳にあった。

太陽を拝まないこの国の民の体には、メラニン色素が少なかった。その為、白い肌と透明度の高い瞳が外見的特徴に現れていたが、ただ、それだけではない。国民の瞳は、色や輝きはそれぞれに異なっていたが、誰もが透き通る宝石の瞳を持っていたのだ。ルビー、サファイヤ、アメジスト。僅かな灯りさえ吸収し、複雑に屈折して反射するその瞳は、唯一無二の国の宝であった。

一際美しいのは、王族の瞳である。
他の誰の瞳より、世界中のどの宝石・絶景よりも美しいそのエメラルドグリーンの瞳は、見た者の心を魅了した。これこそが、他国からの何よりの寵愛の対象である。

深く澄んだ、神秘の緑。王族の証。

血統書そのものである二つの緑は、今、半分下げられた瞼の奥でつまらなそうに街を眺めていた。

「暇だ。つまらない。退屈だ」
少年はそうぼやくと、前髪をくしゃりと握り潰す。
赤と金の混ざり合ったストロベリーブロンドの髪は、使用人たちの念入りな手入れにより、一本一本はしなやかで柔らかそうであったが、本人のこの癖により無造作に崩されてしまっていた。だが彼、エスメラルドには、櫛で梳かれた髪よりもよっぽど、それが良いものに思えているのだ。

彼の白く澄んだ肌には、ところどころに彼のやんちゃによりついてしまった(或いは故意によって付けられた)傷があったが、それもまた、エスメラルドは気に入っていた。彼曰く、男の勲章というものらしい。周囲の人間は美しさを損ねることばかりする彼に、いつも溜息を零した。

しかし、彼の持つ真の美しさは、そのような些細なことに影響されるものではない。
誰もが憧れ敬虔し愛する、その“瞳”の美しさは、他のどの要素が作用しようと変わらず、恐ろしいほどに美しかった。

だが齢15の少年は、その価値が理解出来ないでいる。
厳重に保管され愛でられる宝石箱の宝石よりも、厳しい風に吹かれる岩山の石ころの方が、ずっとずっと素敵で価値があると思えてならないのだ。
それは実に少年らしい憧れであったが、王子という立場が彼に少年らしさを許さない。彼に求められているのは、王子らしさである。

しかし王子とはいえ、エスメラルドは次男。国を継がない第二王子だ。兄と比べ課せられた義務も寄せられた期待も少ない環境は、彼のその憧れを助長した。

使用人や教育係の目を盗んでは兵士の訓練に紛れたり、城下の市を冷やかしに出掛けたりと、彼の行動は王子らしいどころか、しつけの出来ない野良猫のようだった。
それでも誰もが、彼を王子として認めないわけにはいかない。彼の瞳は、現国王より、次期国王の第一王子より、一際美しい輝きを放っているのだから。

「エスメラルド王子、また街を眺めていらっしゃるのですか」
丁寧なようで、どこか慇懃無礼さを感じさせる貴族の青年が、彼に声をかける。エスメラルドはそれに振り返ることもせず「ああ」と「うん」の中間のような、ぼやけた返事をした。
この青年はカークスという名で、エスメラルドより三つ年上の18歳である。父親が外交官をしており、本人も最近は政務に携わり始めているらしい。頻繁に城に出入りしている彼は、エスメラルドの浅い交友関係の中で、友人と呼べる希少な存在だった。

「最近、この時間はいつもそうしていらっしゃいますね。城の上から見下ろす街の様子はいかがですか?王子のお心をひくものは、ございましたか?」
「別に」
「またまた。その美しい瞳には、私など到底うかがい知ることのできない世界が、見えておられるのでしょう」
カークスはそう言うと、エスメラルドの少し後ろから同じように窓の外を眺める。ガーネットの瞳は、口で言うほどの興味も無いようで、ただ無感動に、街を映している。
エスメラルドは、正直なところ彼が好きではなかった。その言葉と態度にはいつも裏があるようで、落ち着かない。気の抜けない相手だと、本能的に感じていた。だが、彼のことが嫌いかと言えばそうではない。彼は時々、エスメラルドに面白い手土産を披露してくれる。エスメラルドにとってそれは、退屈な日常の貴重なスパイスで、彼を近くに置いておく理由であった。

しかし、今、この時間は一人にしておいて欲しいというのが本音だ。何故なら、もうじきこのつまらない景色が、つまらなくなくなるのだ。彼女の訪れによって。

時計塔の鐘が鳴る。時刻は、昼と夕方の境。

様々な品を広げる商人や、商品を品定めする人々で賑わう大通りに、赤い頭巾を目深に被った少女が現れる。少女は流れる人と人との間を懸命に抜けて、いつもの定位置まで来ると、その細い腕に提げていた木の籠から被せていた布を取り払った。その中ではぎっしりと、黄金色の焼き菓子が身を寄せ合っている。庶民的なその焼き菓子はエスメラルドもよく知るもので、パイの上に丸く盛られたジャムが煌めくその見た目から、一般的に『瞳パイ』と呼ばれているものである。

少女はそれを売ろうと、通り過ぎる人々に呼びかけ始めた。それはもう、何度も目にしてきた光景だ。彼女はここ数週間、いつも決まってこの時間に現れては同じことを繰り返している。しかし、彼女の呼びかけに足を止める者はいない。それは品物がさほど興味を引くものではないということもあったが、それ以上に。少女の容姿に原因があった。

少女の瞳は、光を透かさない『汚れ色』だったのだ。

国民の瞳は、王族を始めとして貴族、豪族と、身分によって輝きが異なる。高位の者ほど透き通った色で強く輝き、下位の者ほど濁り、弱くなるのだ。瞳の輝きは血筋により決まるものであり、そのことに殆ど例外はない。
であるからして、この国には古くから、瞳の色と輝きで人を判断し評価する慣習が存在するのだ。瞳の色により、差別し、されるのである。『汚れ色』というのは差別用語であり、国の端、地方の貧しい村々に住む国民の瞳の色を罵る言葉である。
彼らは事実、濁った暗い色の瞳をしていた。その瞳の色から、国民以外の血が混ざっていることは誰の目にも明らかで、どこからか流れてきて住み着いたよそ者の血筋、というところも、人々の気に障り、加虐心を掻き立てる原因だった。

そしてあの少女は、誰がどう見ても、その対象である。瞳の色もそうだが、身なりも彼女の豊かではない生活を裏付けていた。衣服や履物はどれも少女の身丈に合っておらずぶかぶかで、遠目にも上等とは言い難い。恐らく大人が着古したものを着ているのだろう。さほど汚れてはいなかったが、貧しさはにじみ出ている。
少女その出で立ちは、裕福な者の多い城下で、酷く悪目立ちしていた。

彼女のような者が、神聖な王族の居城付近で何をしているのか。どのような手口を使って商売の許可を得たのかと、人々は下衆な憶測をして侮蔑の視線で少女を見る。都会の者は、立場をわきまえない田舎者に冷たいのだ。

しかしそれが暴力として向けられないのは、せめてもの救いだろう。時々罵詈雑言を浴びせたり、足をかけて転ばせる者はあれど、大概の人々は少女を無視していく。不吉の象徴とされる汚れ色の瞳に、誰も関わり合いたくないのだ。

だがエスメラルドは、そんな彼女に興味があった。その光を透かさない瞳を、正面で、近くで見てみたいと思ったのだ。そして出来れば、関わり合いたいと思っているのだ。

人々の様子や聞こえてくる罵り声から、彼女の瞳の色が最下層国民の『黒』だということはとうに知っていたが、城からでは遠く、その色はよくわからない。
エスメラルドは、宝石以外の瞳を目にしたことが無いわけではなかった。城に訪れる外国人の瞳を見ることがあるからだ。しかし、彼らの瞳はこの国のものと違うとはいえ、それでも青や緑色をしていて、真っ黒な瞳というのは、まだ見たことがなかった。

少女のことが気になるエスメラルドは、毎日窓から眺めていた。城下街に出向くことはさほど難しくない。だが、自分のこの瞳は目立ちすぎる。この瞳では、とてもあの少女に近付けはしないと思った。王子である自分が黒い瞳の少女に近付くことは、自分や彼女だけではなく王族への印象にも影響を及ぼしかねない。いくら勝手ばかりしているといっても、事の重大さに気付けないほど、エスメラルドも子供ではなかった。

だからエスメラルドはこうして、眺めているのだ。
ただ毎日、見えない彼女を、眺めている。

「さっき、上から見下ろす街はどうかと聞いたよね」
「ええ」
「……遠い、と感じてるよ」
エスメラルドは、呟くようにそう言った。そして、視線の先をカークスに気取られないよう、なるべく色々な方向に向ける。彼はエスメラルドの心情を見透かしているのか、はたまたさっぱり見当も付いていないのか、どちらとも取れるような調子で「そうですか」と言うと、そっとエスメラルドに近づき、

そして、声を潜めてこう囁いた。

「では、近づいてみませんか?」

エスメラルドは、ハッとして振り返る。そこにはニヤリと笑う、カークスの顔。弧を描く口元。獲物を捕らえるように見開かれた瞳。ああ、この顔をエスメラルドはよく知っている。エスメラルドの好きな、彼の顔だ。こういう顔をする時、彼は楽しみの種を持っている。

「詳しく聞かせてよ」
そう言ってエスメラルドは、自室へ彼を招いた。



カークスはエスメラルドの友人だが、ただの友人ではない。彼は、エスメラルドの“悪い友人”だった。

カークスは裏社会に独自の繋がりを持っており、そこから酒や煙草、そして使用が禁止されている類の薬を入手して、貴族の道楽息子達に売りさばいている。また彼は、そのような危ない品だけでなく、賭け事などの危ない遊びも数多く知っていた。
それらはどれもエスメラルドの温室では知り得ることのできないものばかりで、怠惰さを恐れる少年の目には、新鮮で、魅力的なものに映った。彼の知る“外の世界の悪いこと”は、全てこの青年に教えてもらったといっても過言ではない。

勿論、エスメラルドは火遊びがいけないとされている理由は知っている。火傷をするからだ。だが、方法さえ間違えなければ、例えばつい先日のカークスの手土産である密輸品“花火”のように、楽しむことも出来るのではないかと考えている。
エスメラルドは大勢の身を滅ぼしてきた麻薬にこそ手を出さなかったが、少し強い酒を嗜んだり、賭け事に興じたりと、自分なりの節度を保って青年と付き合ってきたつもりだった。自分は彼のカモにはならない。寧ろ上手く使ってやるのだ と、そういう気概で接していた。

さてさて、そんな彼から、今回はどのような面白い話を聞けるのか……と、エスメラルドははやる気持ちを隠すように、わざとあまり興味なさげな顔で尋ねる。

「で、さっきの話はどういうこと?」
「そのままの意味ですよ。眺めていた世界に、近付く術についてです。勉強熱心な王子のことですから、城下の者どもの暮らしぶりへ、理解を深めたいとお考えなのでしょう」
勉強熱心、というのはなんと面白い冗談か。いや、皮肉だろうか。エスメラルドは笑うこともせず、無言で話の先を待つ。

「けれど、あなた様の輝かしい瞳に映すには、この国は暗すぎる」
カークスは曇天を仰ぐように顔を上げた。しかしもちろん、その先には豪華なシャンデリアの下げられた天井しかない。芝居がかった大げさな口調と身振りで中々本題に入らない彼に、エスメラルドは焦れて先を急かした。

「じゃあなに?お前はこの国を明るくする術を知っているの?」
「いえ、残念ながら。けれど、その逆の術なら存じております」
逆?エスメラルドはカークスの言葉の意味が分からず、からかわれているのかと疑った。しかし、カークスの冗談にしては分かりにくく面白味もない。エスメラルドは文句を言いそうになる口を、引きむすんだ。
ああ、このように理解が追いつかない時は、黙っているのが得策だ。自ら無知さを曝け出すことは愚か者のすることである。そう思い黙っているエスメラルドに、カークスは上出来だと言わんばかりに微笑み、「賢い王子にご褒美です」と言って懐から手の平サイズの箱を取り出した。

カークスは扉の前で見張りをする兵士の死角になるよう、自らの体で隠すようにそれを持ち直すと、僅かな動作で蓋に手をかける。エスメラルドはカークスのあまりに慎重な様子に、疑問を抱いた。城の兵士や使用人は、王に忠誠を誓ってはいるが、基本的には直接仕える主に従順だ。口も堅い。今まで、幾度となくカークスとこの部屋で秘密の遊びに興じてきたが、どんなに危険な遊びでも、品物でも、彼がここまで慎重に隠すこともその必要もなかったのだ。

ということは、今回はよほど恐ろしい代物なのでは……と、エスメラルドは緊張した面持ちで箱を見る。カークスはゆっくり、ゆっくりその蓋を開けた。

「なにこれ」
その中身に、エスメラルドは拍子抜けしてしまう。
恐ろしい兵器(例えば一押しで世界を滅ぼしてしまうスイッチ)のようなものでも入っているのかと思いきや、そこには小さなガラスの小瓶が二つ並んでいるだけなのだ。中身は、琥珀色の水で満たされている。キラキラと輝いてもいなければ、ブクブクと泡立ってもいない。それは、カークスが今まで持ってきた品物に比べて、あまりに平凡で地味な見た目をしていた。

薬物であれば興味はない……希少な酒だというなら多少はそそられるが、この量では味わうことなどできないだろう……この青年の丁寧な扱いからするに、もしかすると新種の細菌兵器という可能性もあるのではないだろうか……だとすれば、それは恐ろしすぎる……等と考えていると、カークスが小瓶のふたを開けたので、エスメラルドはもう少しで悲鳴をあげるところだった。
青年は手が塞がっているので、口だけで「しーっ」と静かにするように制した。エスメラルドはチラリ、と彼の肩越しに兵士を見たが、二人の良くない遊びに慣れている彼は、あまりこちらを見ないようにすることを心得ているようだった。

「一体、何なのさ」
肩をすくめて小声で不満を漏らすエスメラルドの目の前に、青年は小瓶を掲げる。

「これは、遥か遠くの国の最新の発明品で、“カラーコンタクトレンズ”というものです」
「からーこんたくと?」
「ええ。これは、こうして使います」
そう言うとカークスは小瓶の中に指を突っ込んだ。引き抜いた指先には、小さく丸い黄金の膜が、ひっついている。膜の入っていない瓶には透明な液体だけが残っていて、琥珀色の正体は水に溶け入るようなこのとても薄い膜だったのだと知った。

そしてカークスの次の行動に、エスメラルドはぎょっとする。
彼はあろうことか、己の指を目の中に入れたのだ!

痛々しい様に口をパクパクさせていると、カークスは何度か瞬きをして、“琥珀色の瞳”で微笑んだ。エスメラルドは、ハッとする。

カークスの瞳は、燃えるようなガーネットだった筈だ。それが今は、色を変えている。元来の彼の瞳よりも輝きの少ないその色は、城下の民と変わりない、弱い輝きの琥珀色だ。

エスメラルドはそれが、先ほどの膜による効果だとすぐに気が付いた。彼は色付きの膜を眼球に貼り付けることで、瞳の色を変えてみせたのだ。エスメラルドはその発想と手段に驚いていたが、それ以上に、その術を恐ろしく感じていた。

自らの血統証明書。生まれ持った資格。揺るぎないもの。それが、この国での瞳の色が持つ意味だ。それを偽る手段が出現してしまうとなれば、それはどれだけ恐ろしいことだろうか。自らを偽ることが可能になれば、様々な犯罪が生まれるだろう。いや、それ以上に恐ろしいのは……
誰もが畏敬を抱く王族の輝きの価値が、損なわれることだった。絶対的なその輝きが、簡単に覆い隠され、偽ることが出来るものであると知れたなら、その程度のものであると知れたなら―――この国の概念が、変わってしまう。

エスメラルドの白い肌がさらに白くなり、蒼がさす。カークスはエスメラルドの考えなどお見通しだというように、「安心してください」と笑んだ。

「このレンズは瞳への負担が大きく、何日も付けていられるものでもないですし、ちょっとした衝撃で剥がれてしまいますからね。とはいえ、この国に正式に輸入されることは無いでしょうが」

カークスが再び目の中に指を入れて膜を取り出し、小瓶にしまう。それから目を閉じて、瞼の上から何度か指でほぐすようにしてから、エスメラルドに向き直った。その瞳は、少し充血していた。

「どうでしょう。王子のご興味を引くものではありませんでしたか?」

エスメラルドはごくりと唾を飲んだ後、精一杯強気な笑みを浮かべてみせた。



*



今日も今日とて、エスメラルドは窓辺で頬杖を付いている。頬杖を付くことに飽きたら、時々溜息を吐き、時々髪をくしゃっとする。それらは全ていつも通りであったが、昨日までと違うことがあった。それは、ポケットの中の存在だ。カークスから受け取った小瓶は小さくて軽いものであったが、実際より何倍も重たく感じられた。

瞳の色を偽る、薄い膜。カラーコンタクトレンズと言っただろうか。
エスメラルドは得体の知れないそれを、実装する勇気が持てずにいた。カークスは簡単に着脱を行っていたが、もし外れなくなったら……もし瞳を傷付けてしまい、失明することになったら……と考えるとキリがない。それに、そこまで危険を冒すだけの価値があるのかさえ、定かではないのだ。

エスメラルドは少女を見る。彼女は今日も、赤い頭巾を被ってパイを売っている。ああ、彼女はただの菓子売りだ。彼女は絶滅危惧種の動物でも何でもない。瞳が黒という以外、これといった特徴もないただの貧民だ。自分が興味を抱くほどの対象ではない。ない、に、違いない。と、エスメラルドは危険から逃げる言い訳を探す。

その時、少女の小さな体に大柄の男が衝突した。相手は巨体の男で、勢いよくぶつかられた彼女の体は跳ね飛ばされるように地面に落ちる。その手から籠が落ちて、辺りにパイが散らばった。相手の男は、何事かを吐き捨てて足元のパイを踏み潰す。ああ、これは事故ではなく故意だ。周囲の者たちが、その様に退屈しのぎを見出し始める。ああ、彼女に彼らの悪意がぶつかる。ああ、その華奢な背に好奇が刺さる。


エスメラルドは、気が付いた時には彼女の前に立っていた。

“瞳パイという名前通り、お前の瞳にそっくりになったじゃないか”と言って踏み荒らされたパイは、崩れて薄汚れている。エスメラルドは幸運にも誰にも踏まれることのなかった綺麗なパイを拾い上げ、地面にしゃがみ込んで俯く少女に、声を掛けた。

「これ、美味しそうなパイだね。ひとつ、もらってもいい?」
その声に少女が顔を上げると―――そこには、濃いはちみつ色の瞳の少年が立っていた。


こうして宝石の瞳を持つ王子は、自らの輝きを覆い隠して、黒の瞳の少女に近付くのだった。
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