【人間の素】



『人間を選別します。より優れた遺伝子のみが、未来に繋がることが出来るのです』

ある朝、一切の情報デバイスを介さずに、その内容は脳内へと伝達された。全世界同時発信のそれは紛れもなく神からの通告であると、我々人類は本能で理解した。

それから、人間の世が混乱に満ちるまでは一瞬だった。私は世間同様に慌てふためきつつも、頭の隅で
「神託とは、時には選ばれた人間以外にも与えられるものなのだなあ」
と、神の平等さに不気味なまでにのんびりと、感心していたのだった。

「あなたは真っ先に脱落しそうよね。いつも怠そうで、生気を感じないもの」

名前もあやふやな、爛れた関係の女がブラックコーヒーを啜りながらそういった。
彼女の周りだけはいつもと変わらず静かで、私は、ああ、もう一度ちゃんと、この女の名前を確認しようと思った。
だがしかしその直後、窓ガラスを割って飛び込んできた隕石に、彼女の頭は潰された。

神による選別試験が、始まったのだ。


―――不要な遺伝子をふるいにかける、神の試練。
隕石の豪雨がおさまると、次は地震だ。立っていられないくらいの地震が、一時間に二・三回は訪れる。私のマンションを始めとするありとあらゆる建物は、見る見る内に崩れていった。

居場所を追われた私は、倒壊したマンションに潰れた女を置き去りにして、ひたすら、見知らぬ見知った街を彷徨い続ける。
“見知らぬ”というのも、街の景観は熱病に浮かされた時の悪夢のように、めちゃくちゃだったのだ。信号機は乱立し、地面は点字ブロックだらけで、看板の文字は見たこともないやけに画数の多い漢字ばかり。
私はその様子に気味の悪さを覚えつつも、不思議と“近未来”を感じていた。
知っているようで知らない場所。異国というよりは、百年後、いや、もっと未来に迷い込んでしまったような気分だ。

そして、クレーターだらけの崩壊した街で、戦が始まる。
敵は、正体不明の化物と、冷静さを欠いた同族だ。

正体不明の化物は、クラゲとイソギンチャクを足してニで割ったような奇妙な出で立ちをしており、地面を這いまわる。今までの人生で目にしたことのない生態だが、敢えて言うならば想像上の火星人が、一番近かった。それらの体表に眼球と思しきものは見当たらず、どうやら数本の長い触手で周囲を確認しながら動いているらしい。
(多すぎる点字ブロックは、この謎の生物の道標の為に出現したのかもしれない)

視力が無い分、他の感覚が敏感なのだろう。それらに狙いを定められた人間は、ひとり残らず喰われていった。触手に巻き込まれ、ゼリー状の体内に吸収される様子は、摂食というよりは回収のような印象だった。そのあまりに事務的な様子に、恐怖は抱けど憎しみは感じない。

それらは群れで行動していたが、私は運良く彼らの移動の軌道線から逸れていたようで、出くわす機会は少なくて済んだ。そんな私の最大の敵は、同族“人間”であった。

追い詰められた人間は、ライフラインの奪い合いや混乱により、他者に攻撃的になる。それは個人でも団体でも、だ。実家・職場から離れた場所に住む私には近くに家族や知人など居らず、元々人間関係を築くことに精力的ではなかったこともあり、属する団体など無い。敵しか、居なかった。

しかし、人間と化物の割合が逆転するのはあっという間のことで、数日経つ頃には私の一方の敵と遭遇する機会は大幅に減少していた。

最初に死ねなかった私は、謎の意地と生き物としての本能により、生き残るため、数々の難関を乗り越え続ける。

ひたすら暗い闇の世界。明るい白の世界。
焼けるような灼熱。突き刺すような極寒。
針の山。虫の沼。

試練が始まって七日。私は骨を何本か折り、片目が見えなくなっていた。
だが不思議と、困難になればなるほど、意地でも生き残ってやろうと言う気になる。
私はかつて無いほど、生命力に満ちあふれていた。皮肉にも、苦痛と暗鬱に満ちた世界で、私は生きることへの歓喜に目覚めていたのである。

目指すべき先は、DNAに刷り込まれてでもいるのだろう。自然と理解していた。
そうしてひたすら、無我夢中で歩みを進め、
―――たどり着いたのは、泥の河だった。

河には、私と同じようにここまで奮闘してきた人間の姿がある。彼らは一様に、傷だらけでありながら、生への執着に目をギラつかせていた。屈強な肉体、賢い頭脳、そして天賦の強運。誰もが何かしらの武器を持った、優れた人間たちだ。

優れた人間は、互いに無為な争いをしようとはせず、だからといって保証のない協力関係を結ぼうともしなかった。

我々は、河の流れに沿って歩いて行く。
ここに火星人の姿は無かったが、もちろん、これも未だ試練の最中に違いない。

比較的整った環境ではあったが、私は決して油断していなかった。しかし、突かれる不意はあったのだ。河の中から泥に同化した茶色い手が伸びて、私の足首を掴み―――私は河の中へと、落とされた。

周りの数人も同様に、落ちていく。
河は腰までの深さで、流れは早いが立っていられないほどではない。しかし、その泥の中の「ドロ人間」がまとわりついて、河の中に引きこみ、沈めようとしてくるのだ。

私はなんとかそれらを振り払い、ドロ人間を足蹴にして河の中を進んでいく。
何人かは、浮き上がってこなかった。だが、それを気にしていられる余裕はなかった。
私は、進むのだ。進むしか無いのだ!


……死に物狂いだった。

ザルの網目からどんどんと零れ落ちていく、同族の最期の叫び。絶望に満ちた顔。
恐怖は何度も私の心を折ろうとしたが、やはりそれ以上に生への渇望を湧かせ、奮い立たせた。

私は生きたい。
例え他の誰を犠牲にしようとも、
全てを押しのけてでも、

私は生きたいのだ!!

私は私の生きることへの執着心に、驚いている。これが、これが生命力というものなのだろう。なんと素晴らしいのだ。自身の肉体と魂と世界に感じる愛。それによる、幸福感。
これこそ、神が未来に求める遺伝子に、必要なものに違いない。私は、未来の地球に必要な人間なのだ。

私は河をひたすら進んだ。

河に潜んでいるのはドロ人間だけではない。水面には時々、巨大なカバのような生き物の背中がぬめりと現れ、残りの人間を次々と泥の中に引き込んでいった。

私は、何人減ろうが振り返らなかった。自身の体が傷つき、骨がまた数本折れても、足を前へと動かし続けた。ひたすら、明日を目指し続けたのだ。


結果、私は辿り着いた。
長きに渡る試練の終着地点。
泥の滝はそこで途切れており、その先は白い光で満ちていた。

ゴールは目前だ。私は最後の力を振り絞り、そこを目指す。
あと数十メートル。数メートル。あと、少し、で、


―――しかし、ゴールに辿り着いた私は愕然とした。
そこはまさしく「終着点」であり、世界の果てであり……その先に道はなかったのだ。
河の先が滝であったことに気付くと、私は咄嗟に踏ん張り、岸から伸びる枝にしがみついた。

泥は直角に、真下に落ちていく。
接触の悪かったイヤホンのように突然、今まで聞こえなかった滝の唸りが鼓膜を打った。

私は落ちないように、慎重に身を乗り出して下を覗き込む。遥か底の方では、泥の海がボコボコと煮立つように泡立っていた。

泥に飲み込まれた全てが、溶かされ、同化している。
途方にくれる私の手を、ぬめりとした泥の手が掴んだ。

ああ、私は思い違いをしていたようだ。
神は、人間を選別していたのではない。
そう。予め聞かされていたように、人間の遺伝子を、選別していたのだ。

試練はすでに完了していた。
ふるいにかけられ、沼まで辿り着けば、あとは、

皆一緒くたに、未来に繋がる“命の素”になるのだ。

私は絶望した。
私が私自身として生きることのできる明日など、最初からどこにもなかったのだ。

これまで、何の為に頑張ってきたのか。
多くの苦痛に耐え、他人を押しのけ、ここまで来たのか。

私は暫く、諦めきれずにしがみついて涙していたが、やがて腕の力もつき、滝に落ちた。


ああ

私が私でなくなる感覚。

そこには全てがあり、何にもなかった。

限りなく平穏で、温かく、そしてさみしい。今までの人生で蓄積されてきた“私”という個が崩れて、粉になり、何か大きな全体に混ざっていく感覚。


そうして私は、


次なる世界の “人間の素”となった。
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