ティーセットを並べる。少しのズレもないように、規則正しく。銀のティースプーン、陶器のカップとポット。魔法の砂糖瓶とハチミツ瓶。カップをお湯で温めて、ポットに茶葉を入れてお湯を注ぐ。この時、高い位置から一気に注ぎ入れるのがポイント。ティーコージを被せて保温。砂時計を逆さまにする。色と香りを確認して、は満足気に頷いた。

「上手くなったな」
その様子を見ていた常盤が、感心したように言う。は少し得意げに微笑みながら、彼の引いた椅子に収まった。

「常盤さんのおかげですよ。丁寧に教えてくれたから」
そう。紅茶なんてティーパックで染み出すものだと思っていたに、本格的な紅茶の入れ方を教えてくれたのは常盤だ。

がこのニセモノの不思議の国の「終わらないお茶会」に参加するようになってから、もう数え切れないくらいの時が経った。いや、この場所に限っては時間が進まないのだからその表現は相応しくないのかもしれない。とにかく、数え切れないくらいの杯数の紅茶を飲んできたということだ。
今までずっと入れてもらってばかりだったが自分から教えて欲しいと言い出したのが、杯数にするならば四十五杯前のこと。ここでは時間が進まないのに、その中でも人は進んでいける。ならば時間の存在意義とは一体なんだろうか。

「君の覚えが早いんだ」
「僕はニ三回でもっと上手く入れられたけどね」
砂時計の中、金色の砂が落ちていくのを眺めていた黄櫨が、ぼそりと言った。その表情は普段通り掴めないが、声はどことなく不機嫌そうに感じる。「黄櫨」と、常盤に咎めるように名を呼ばれて、黄櫨はつまらなそうにそっぽを向いてしまった。言葉の矛先であるは特に気にした様子もなく、つい今さっきまで黄櫨がそうしていたように、砂の残量に目をやっている。この細く零れる砂の山が完成したら、真っ白なカップが紅く満たされるのだ。それはどんなに素晴らしいだろう。その様子を思い浮かべると心が躍るようで、この憂鬱な空間を別世界にすることも容易かった。

「黄櫨くんって、お姑さんみたい」
じろりと睨む黄色く丸い二つの瞳の、なんと可愛らしいこと!は満足気に微笑む。しかしそんな彼女に彼の威嚇が怯えに変わると、は僅かに眉尻を下げて、傷付いたような、困ったような顔をした。

「黄櫨、いい加減にしろ」
常盤が一度目よりも低い声で黄櫨を咎める。しかし、なおも黄櫨は素知らぬ顔を通す。常盤は隣でが静かに顔を伏せるのを見て、とうとう我慢がならなくなり立ち上がった。黄櫨が大きく肩を揺らす。一触即発な空気が張り詰めた。針で刺せば、パン、と割れてしまいそうなほど。

この三人で居ると、最近はこんなことが多かった。黄櫨がに冷たく当たり、常盤が黄櫨を叱るようなことばかり。

が、ぼそりと呟く。



「アプリコットパイ」



場違いな言葉に、呆気に取られた二人が発信者であるを見る。は先程とは打って変わって、楽しそうな笑みを浮かべていた。

「この間、ピーターから貰ったんですよ。キッチンの棚の、上から三番目」
彼女の話し方と視線から、その言葉は常盤に向けられていると分かる。どこか威圧的に感じるその笑顔は、暗に持ってこいと言っているようだ。彼女がこういう言い方で人に指示をするようなことは、まずない。ならばつまり、彼女の目的はアプリコットパイなどではなく、彼をこの場から抜けさせることにある。
常盤はの言う事なら聞いてやりたかったが、を彼女を傷付ける者と二人きりにすることには抵抗があるらしく、困ったように彼女を見る。

「美味しいアプリコットパイがあったら、もっと素敵なお茶会になるのにな」
はわざとらしいくらいに強い口調で言った。

「……ああ、分かった。取って来る」
「え?本当ですか?ありがとうございます!」
は徹底して白々しく、やけに明るい声で常盤をその場から送り出すと、黄櫨と対峙した。

「そんな、得体の知れない化け物を見るような目で見ないでよね。結構傷付くんだから」
「一体君はなんなの。なにを考えてるの」

「黄櫨くんのことだよ。大好きだなって、そればっかり考えてる」
やはり場違いなの告白に、黄櫨は驚きもせずにより一層眼光を強める。

「君のその戯言は、聞き飽きたよ」
「本当だってば。そろそろ信じてくれても良いのに」
黄櫨は募らせていた苛々をぶちまけるように、自棄になって彼女に言葉を投げつける。

「じゃあ、僕が君の気まぐれな冗談を信じて、それで?君は僕にどうして欲しいの」
は黄櫨の荒々しい口調に驚いたように目を丸くして、それから、真面目な顔で言った。

「どうもしてくれなくて、いいんだよ」
いつも曖昧な笑みで場を濁すの、見覚えのない真面目な顔に、黄櫨は息を詰まらせた。息苦しそうな彼の様子を目の当たりにしながらも、は真剣な眼差しで少年を射抜く。

「黄櫨くんが誰を好きなのかは、もう知ってるから。だから、さっき助けてあげたでしょ?」
の言葉に、黄櫨は目に見えて動揺した。黄櫨のその反応に、それをさせることのできる者に、の中で憎しみが膨らんでいく。

「大好きな人に嫌われたくなければ、わたしに優しくするしかないんだよ」
言っていて、は内心でなんて面倒なことになってしまったんだろうと毒づいた。ここに、分かりやすいくらいに素直な、綺麗な、三角関係が成立してしまったのだから。自分に少女漫画の主人公は無理だが、彼らにも似合っていないように思う。三角関係よりは、三角関数の方がよっぽど好きだろう、彼らは。

黄櫨は、泣きそうな顔をしている。彼に泣かれると困るけど、そんな顔も、全てを自分に曝け出して欲しいと思う。だって、これからもずっと、一緒に居るのだから。

「わたし達、今のままだと誰も報われない。けどね、決定的に不幸になることもないと思うの」
「……僕たちが不幸じゃない?君のいう事は、意味が、分からないよ」
が席を立って、黄櫨に歩み寄る。黄櫨は咄嗟に逃げようとしたが、はそんな彼の手をやんわりと自分の胸に縫いつけた。小さな手だ。か弱く、少女のように細く小さな、白い手。柔らかな感触に、どうすることも出来ずに黄櫨は固まる。これじゃあまるで痴女じゃないか、とはようやく少しだけ笑った。

「思いが通じ合うことを前提として考えなければ良いの。今のままで居ればいいの。ずっと、三人で。それが一番の、幸せ」

それが臆病者の、最良の結末。報われないわたしが、考えに考え抜いた結論。そしてきっと、あの人は一番初めからそれを知っていた。ならばそれは、この少年にも共有しなければならないだろう。これからもずっと三人なのだから。

黄櫨は、信じられないというようにを見上げる。

「どうして君たちは、そんな風に思えるの」
それは、悲痛な声だった。なんて敏い子なのだろう。なんて可哀想な子なのだろう。は思わず抱きしめたい衝動に駆られたが、理性で自分を抑えつける。駄目だ。そこまでしてはいけない。誰もが線を引いて、それを守っていかなくてはならないのだ。それが、これからの暗黙の誓約。

「だって、妄想よりも現実が良いことなんて、無いでしょ」


諦めることが、“幸せ”への近道だよ。


いつの間にか握り締めるようにしていた彼の手を離してやったが、黄櫨はもう逃げようとはしなかった。敵意も何も無いただ虚ろな瞳で、に問う。

「大人になるって、そういうこと?」
「多分ね」

少しだけ見詰め合って、それから何事もなかったようには元の席へと着いた。そこからはすっかりいつも通りの彼女だったが、黄櫨にはそれが恐ろしくてならない。
彼女の言うように、本当にそれしかないのだろうか。自分が、彼が、彼女が、幸せになる道は、ないのだろうか。それともこの今こそが、幸せだというのだろうか。僕が、彼女さえ来なければ、と考えるように、きっと彼らもそう考えている。それなのに、幸せになんてなれるのだろうか。

見計らったように、箱を持った常盤が戻ってきた。は「あ!」と声を上げる。彼女の視線の先には、すっかり砂の落ちきった砂時計。





「紅茶!すっかり忘れちゃってた!」
慌ててティーコージを取って中を確認すると、彼女を優しく見守る常盤。は恥ずかしそうに笑って、常盤はそんな彼女を愛しそうに見つめた。



、やっぱり君は間違ってるよ)



だって、多分、この僕こそが、最良の結末を知っているのだから。
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