Act6.「嘉月会」



 お面の男達に、恐らく米俵のように担がれて連行されたは、どこかに横たえられ放置されている。縄で体の自由を奪われ目隠しまでされてしまい、生きた心地がしなかった。連れて来られてからどのくらいの時間が経ったのかも、もうよく分からない。まだ少ししか経っていないような、もうずっとこうしているような、時間から見捨てられた気分だった。

 なけなしの気力と残された感覚を使って分かったことは、多くはない。まず嗅覚と触覚……自分が転がされている床は、独特な質感とい草の香りで畳だと分かった。次に聴覚……どこか遠くで、足音や人の声が聞こえている。この建物内には複数人居るようだ。お面の彼らのアジトなのだろうか?

 後ろで両手を縛られている体勢は辛く、体中が軋んで痛い。口の中に詰め込まれた布が唾液を吸って、息苦しい。吐き気が込み上げるが、猿轡をされている今は自由にえずくことすらできなかった。縛られた布が口の端に擦れて痛い。……不快だ。屈辱だ。

 ふと、視界を覆う布の向こうに影が差して、はビクリとする。足音も気配も無く現れたその影は、すぐ近くにしゃがみ……彼女の目隠しを解いた。は視界を邪魔する自分の髪を振り払うように顔を上げる。と、そこにはオウム面の男。もう一人、ワシ面の男の姿はない。

「おはよう!って、ずっと起きてたかな?」
 男の声は朗らかだ。敵意は感じられない。は芋虫みたいに這い、上体を起こして彼と向き合うと、お面の暗い眼孔に目で訴えかけた。しかし、その奥には闇が溜まっていて何も見えない。

「ん?何かな?ああ、それじゃあ喋れないよね。ちょっと待ってて」
 オウムはそう言うと、の顔の後ろに手を回して猿轡も解いた。は一刻も早く苦しさから解放されたいと、必死で口の中の詰め物を吐き出す。そしてようやくえずき、咽ることが出来るのだった。

「うっ……えっ」
「大丈夫?」
 オウム面は唾液に塗れたの口元を、解いた布の乾いた部分で優しく拭う。はとりあえずそれを受け入れながら、ゆっくりと、自分が落ち着くのを待った。

(この人は、危ない人ではないのかな……?)
 自分にとってというよりは、ヒトの本質の部分の話である。
 彼らは、私利私欲のために自分を攫ったのではない。永白の国の治安維持のために、危険人物を連行しただけなのだ。ならばきっと平和主義者であるに違いない。話せば通じる筈だ――と、は希望的観測で自分を奮い立たせる。

 改めて男の姿を確認すると、お面は不気味だが中肉中背の普通の人間に見えた。部屋は冷たい牢獄でも恐ろしい拷問部屋でもなく、殺風景ではあるが立派な和室だ。襖に描かれたおどろおどろしい鬼の顔は妙に迫力があるが、心に余裕があれば素晴らしい芸術だと感じられたかもしれない。……襖は人一人分開け放たれているが、立ち上がって無理矢理逃げ出すのは無謀な気がした。

「あの、話を聞いてもらえませんか」
「うん、話を聞いてもらえるよ。俺、女の子と話すの久しぶりだからテンション上がっちゃう!あ、腕、痛いよね。赤くなってる……これも解いてあげようね。他の人には内緒だよ」
 オウム面は子供をあやすような口調で、の背後に回り彼女を拘束している縄も解いた。せき止められていた血液が一気に先へと流れ、手がジンジンする。は、やっぱりこの人はマトモで優しい人なのだとほっとして「有難うございます」と肩越しに振り返った。そして、至近距離から見えてしまったその二つの孔の奥にゾッとする。……その目は少しも笑っていない。興奮気味に見開かれ血走っている。

「ああ、ねえ、可愛い丸い爪だねえ。ポロっと取れそうじゃない?」
「な、」 
 感覚を失ったの手を取り、その爪を、男の爪先がくすぐった。カチカチとぶつかり合う音に、は自分の爪が次の瞬間には剥がされてしまうのではないかと気が気ではない。体を回して男に向き直り、出来るだけ自然な動作で自分の手を後ろに隠した。反応を示すと逆効果な気がして、何事もなかった風を装いたかったのだ。
 そして「話を、」ともう一度説得を試みる。

「話を?うん、いいよ好きに話してて。俺もそうするから。そうそう、俺、縄より首輪が好きなんだ。ねえ、付けてみていい?」

 気付くと男の手には、太い皮の首輪が握られていた。首輪にはジャラッと長い鎖が付いている。男の無骨な手は後退ろうとするの顎を掴み、彼女に抵抗する間も与えないまま、あっという間に首輪をはめてしまった。

「中々似合うねえ。新しいペットにしよう」
 オウム面はクァックァッと喉を鳴らす。

(この人……相当ヤバい!)
 はこれから何が起こるのかを想像し、自分の逞しい妄想力を呪った。その時、開いたままの襖からワシ面の男がスルスルと入ってきて、オウムの頭をガンと殴る。

「いったあーい!」
「……ったく!また勝手にお前はっ!いつも勝手に尋問を始めるなと言っているだろう!」
「うん、言ってるね。でも尋問なんてしてないよ。ただ遊んでただけ」
「やめておけ!……彼女は、お前の玩具にするには高くつくぞ」
「ん?」
 声を潜めるワシ面に、オウム面が首を傾げる。

 はひそひそと話す二人が、さぞ恐ろしい方法で自分を痛めつける算段を立てているのだろうと思った。……もう、一刻の猶予もない。二人が話をしているこの時が最初で最後のチャンスだ。手も足も拘束されていない今、逃げるしかない!

 は心を決めると、オウム面の手にゆるく握られた鎖を思いっきり引っ張り、自分の手綱を奪い返す。そして跳ねるように立ち上がると、思い切り走り出した。「あ」「おやまあ」とどこか気の抜ける二人の声を聞きながら、は廊下に飛び出す。そして――明るさに驚いた。

 照明が煌々と、木の壁や柱をオレンジ色に照らしている。廊下は建物の外周をぐるりと一周する作りで、中央は吹き抜けになっていた。天井は遥か上に。下には色とりどりの幕が張られており、床は見えない。向かいの階層をざっと見るに、ここは上層階なのだろう。
 広大な屋内のいたるところに泳ぐ、赤ちょうちんの海月。壁の絵や欄間の彫刻が華やかな珊瑚のように輝き……まるで竜宮城だ。(なんて、見入っている暇はない!)

 は廊下をひたすら走り、最初の階段を駆け下りる。しかし必死な様子の彼女を小馬鹿にするかの如く、二羽の鳥は軽々と階段を飛び降りて彼女の前に立ち塞がった。

(どうしよう、逃げ切れない!)
「あー……ちょっと落ち着いて。もう君に何かする気は、」
『逃げても無駄だ。手間を掛けさせる足を、奪ってしまおうか?』

 ワシ面が宥めるように声を掛けるが、には彼の言葉が別の言葉に上書きされて聞こえる。それが先程目に入った“鏡の呪い”の所為だと、この時のはまだ知る由もない。

 は廊下の手すりに乗り出し……3、2、1とカウントダウンを刻む。そして0になると、バッと下の天幕に飛び降りた。
「おい!?」とワシ面が手を伸ばすが間に合わない。

 が居た場所と天幕までは、軽く見積もって二、三階くらいの高さだ。天幕は幾重にも重なっている。しっかり張られていれば、且つ上手く落ちれば、トランポリンのようになるのではないか……という楽観的な考えが無かった訳ではないが、それよりも“殺される”もしくは“死より酷い目にあう”という恐怖が勝ってしまった。

 小学生の頃……いや、高校生になってからもだが、は何度も空想したことがある。授業中の教室にテロリストが乗り込んで来たらどうするか。窓から飛び降り、茂る木の葉をクッションにして、枝から幹へ伝って着地するシュミレーションを、無駄に重ねてきたのだ。紫に話すと『絶対にやめなさいよ』と言われたが……形は違えど、実践することになるとは思ってもみなかった。

 は薄布の天幕に、ダイブする。

 マンホール。時計塔。この世界で立て続けに体験してきた落下の所為で、感覚が麻痺しているのかもしれなかった。



 *



 街中での騒動は、一軒の酒場から始まった。突然客の一人が暴れ始め、手あたり次第に物を壊し、周囲の者に殴りかかっていったのである。まるで正気を失った様子のその男は、店を出たところで通りがかったジャックに捕らえられたが、狂っていたのは彼一人ではなかった。最初に殴り飛ばされた男、そして店から続々と出て来た男達も同様に、目を血走らせた理性の無い獣になっていたのだ。
 間もなく駆け付けた嘉月会の者と、ジャック達一行により騒ぎは鎮静化されたが、その時そこに少女の姿は無かった。

「ごめん……僕のせいだ」
 黄櫨はそれを、一人離れた場所に居た自分の所為だと感じていた。自分が巻き込まれさえしなければ、常盤がから離れることはなかったのである。
 を案じる常盤はそれどころではない様子で、黄櫨を責めることはなく、黄櫨にはそれが逆に辛かった。

(書斎の時もそうだ。僕はから目を離すべきじゃなかった。今度こそを守ろうと思ったのに。僕はまた……)
 黄櫨は歯を食いしばり俯く。彼はではなく、に何かあることで傷付く常盤を見ていたくないのだ。落ち込む黄櫨に、ジャックは声を掛けようか迷ったが、逆効果だろうとやめておいた。とりあえず今はを探すのが先である。
 いくらの思考や行動が読みにくくても、流石にこの状況で一人でどこかに行くような勝手な人物には思えない。何かに巻き込まれたのは明白だった。

「俺はあっちを探すから、お前たちは――」
 その時、街中にサイレンが響き渡った。暴動の原因を調査している嘉月会の者が、その音に面を見合わせる。耳障りな音に、何事かと顔を歪めるジャックの横を、常盤が通り過ぎていった。

「この街のことなら、奴らに聞くのが早い」
 常盤はそう言って、お面の集団に向かっていく。その内の一人がいち早く気付き、表情の変わらない狸面で笑った。

「おんやあ、お久しぶりですねえ。あなたは、我々モブのことなんて覚えてはいないと思いますけどお」
「昔話はどうでもいい。私達と共にいた少女が、今の騒動で行方不明になった」
「少女?」
「すぐに探してくれ。彼女は“白ウサギ”だ。もしこの国で何かあれば、国際問題に発展するぞ」
「へえ!白ウサギですかあ。白ウサギが役替わりしたというのは、本当だったんですねえ」
 狸面は間延びした声で、わざとらしく悠長にフムフムと頷いていたが、既に一ミリの余裕もない常盤に掴みかかられ睨まれると、ただ事ではないと察したのか両手を上げて「分かりましたよう」と言った。



 永白の国は、端から端まで嘉月会の監視下に置かれている。あらゆるところに設置された手の平サイズの水晶体が目となり、遠隔から常に見張っているのだ。その他にも、強力な魔力――トランプ王国では“意識エネルギー”と呼ぶもの――の働きを感知するセンサーが張り巡らされている。それが反応した結果が、先程のサイレンだ。

 目に見えるもの、見えないものまで、国内のあらゆる情報が集約されている場所こそ、嘉月会本部である。この国で起きたことを知るには、探し物をするには、そこに尋ねるのが最適解。
 の居場所もすぐに分かった。というより、彼女はその本部に居るらしいのだ。どういう訳か、サイレンの原因となった魔力発生地点で発見され“まだ起きていない”事件の容疑者として身柄を拘束されているらしい。

 黄櫨と常盤、ジャックは本部の中に案内された。同行していた騎士団員達は立ち入りを許されず、外で待たされている。黄櫨は“かつて自分が居た時”と大きく様変わりした建物の内観に驚いた。

 通されたのは、地上四階建ての最下層。地下三階の、中央にある広間。そこは目がチカチカする派手な空間だった。真っ赤な敷物。ぽつぽつ置かれた行燈は、赤、緑、青と次々に色を巡らせている。衝立式の着物掛けに飾られた、赤地に金刺繍の艶やかな着物。壁一面に派手なピンク色で描かれた桜。壁際には大きな水槽があり、丸々太った金魚が数匹泳いでいる。蛍光灯に照らされた金魚達は、血の気の失せた不気味な顔に見えた。
 天井はなく吹き抜けのようだが、上はよく見えない。薄布の天幕が幾重にも重なり、サーカステントじみている。黄櫨は落ち着かない気持ちで、皮張りのソファに座ることなく立ち尽くしていた。

 部屋の奥、主顔で自分達を迎えるのは、よくは知らないが一応は知っている男。アリスネームを冠するキャラクターの一人である。かつては定住せずにあちこちを放浪していたらしいその男は、今は永白に居ついているらしい。
 引きこもりがちな黄櫨は直接の面識がなかったが、彼に何度か会ったことがあるという常盤からは“関わるべきではない相手だ”と教えられていた。そして今、その意味がようやく分かった気がした。

「まアまアまア、とにかく落ち着きなさいヨ。お茶でもいかが?」
 サングラスをかけた男は胡散臭い口調でそう言うと、まるで子供が悪ふざけするかのように、ソファのひじ掛けに腰掛けた。そのまま体を揺らし、ギ、ギ、と軋ませる。彼が指をパチンと打ち鳴らすと、広間中央の漆塗りの長テーブルには――鯛の尾頭焼きやら、手毬寿司やら、絢爛豪華な食事が出現した。お茶という感じではない。
 常盤は男の様子に、怒りと苛立ちを含んだ声で言う。

「早くを返せ。ここに居るんだろう」
「ウーン。居ると言えば居るし、居ないと言っても、居るネ。安心安心」
「お前の悪ふざけに付き合っている気分じゃない。もっと話が通じる奴はいないのか?……“ヘイヤ”はどうした?」
 常盤は男の後ろで控えているお面達に訊くが、彼らは置物のようにうんともすんとも言わなかった。黄櫨は常盤の口から出たその名前に、心臓がヒヤリとする。久しぶりに聞く名前だった。かつては毎日、何度も、自分も口にしていたその名前――永白を出て以来、一度も呼んでいない名前。

「ヘイヤは……そうだネ、ウン。渋いお茶がスキだけど、ボクはネ……」
 男はそう言って、ひじ掛けからぴょんと飛び降りると、物色するようにテーブルへ近付いた。その時――

 上から誰かが「おい!」と叫ぶ声。驚き、息を呑む人々の気配。天幕を破り、何かが、弾丸のようにテーブルの上に撃ちこまれた。

 ガシャーンとけたたましい音を立て、食器が割れ、料理が飛び散る。ひっちゃかめっちゃかになったテーブルの上では、千切れた天幕を羽衣のように纏った……
 衝撃で宙を舞った鯛の頭が頭にぶつかり、は「いたっ」と声を上げた。

 ……誰も、何も言えない。黄櫨も唖然と彼女を見ていた。 inserted by FC2 system