Act4.「永白の国」



 魔法の国というくらいだから、やはり永白もトランプ王国と同じく西洋風の国なのだろう。絵本に出てくるようなレンガ造りの街並み、魔法使いらしい黒のローブ、三角帽子、杖や箒を携えた怪しい人々が闊歩する……とまでは思っていなかったが、鏡を抜けた先にはあまりに予想外の景観が広がっていた。

 森と街の境界に立つは、目の前に広がるそれを見て、クリスマス気分から一気にお正月気分になる。 

 ――懐かしさを感じるくすんだ色味。風合い豊かな木造建築。朱色に灯る提灯。瓦屋根を、雪が白く染めている。道行く人々は番傘を差し、雪下駄をカラコロ鳴らしていた。どこからともなく響く、月明りのようにしなやかな琴。風が歌うような篠笛。優しい和の音色は、不思議とを切ない気持ちにさせた。
 ここはまるで、古き良き京都の街並みである……という訳でも、ない!

(すごい。これはまた、今までにない異世界感だ……)

 その街は確かに和がベースになってはいるが、煌々と灯るネオンサインがひしめき合っており、ゲームの中のようなサイバーパンクな雰囲気があった。派手な蛍光色は幻想的とも言えるが、胡散臭いとも言える。道に突き出す看板は、協調性なく好き勝手に主張していたが、集まるとやけに調和して見えた。看板の文字には、に親しみのある漢字も多い。……『酒屋』『湯宿』『千客万来』『薄利多売』『朴念仁』『安本丹』……変わったものも多いようだ。

 街の入口には巨大な鳥居が構えており、その天辺には『花見街(はなみがい)』という文字が光っている。鳥居の扱いが何となく冒涜的な気がするが、きっと宗教的な意味合いのない単なるオブジェなのだろう。

(ド派手な街……なんだか“海外観光客向け”の日本、という感じだな)
 は古い街並みと近代的な電飾に、元の世界に戻ってきた錯覚を覚えたが、見れば見るほどそれは自分の知るどの場所とも違った。

「久しぶりに来たが、相変わらず派手な街だな」
 ジャックが街を眺めながら楽し気に言う。道の向いにある建物の二階から、煌びやかな着物を来た美女がこちらに向かって手を振っていた。ジャックはヘラヘラしながらそれに手を振り返す。騎士達も若干ソワソワしている。は冷めた目でその様子を眺めながら、あまり健全な街ではないのかな、と思った。通りには女人が手を引く店の他、賭場らしきものも多い。街全体が酒気を帯びているような、いかがわしさがあった。

「こんな事情じゃなきゃ遊んで行きたいところだが、仕方ないか。……おい、何か言いたげだな」
「いや。全然。何も」
「この街の良さは、子供にはまだ早いか?」
 はジャックに揶揄われる気配を感じ、無視を決め込んだ。彼から顔を背け、常盤と黄櫨の方を向く。

「本当に華やかで、賑やかな街ですね。なんだか、ここに常盤さんと黄櫨くんが居たって言うのは意外だなあ」
 に名前を呼ばれて、それまでしみじみと街を見ていた黄櫨はようやくこちらに意識を戻した。

「騒々しいけどね、治安は良いんだよ。良いっていうか……物騒なんだ」
「物騒なのに、治安が良いの?」
 矛盾してない? と首を傾げるに、黄櫨はそっとどこかを指差す。その先を見ると……そこには、動物を模した面で顔を覆う怪しげな人物。忍者のような黒装束を身に着け、腰には刀を携えている。建物の陰に潜んでいるその姿は、黄櫨に言われるまでの視界に入らなかった。は賑やかな街の影に居るその異質な存在に、声を潜める。

「……あの人は?」
「あれはこの国の自警団だよ。嘉月会直属の。いつもああやって街を見張ってる。彼らは“疑わしきを罰する”がモットーだから、ここでは悪人は罪を犯す前に罰せられるんだ。みんなそれを知ってて、自警団の存在が犯罪抑止力になってる」
 だから治安が良いんだよ、と黄櫨は言った。
 罪を犯していないのに悪人なの? とは思ったが、まあ起きてしまってからでは遅いので、平和のためには仕方ないのだろう。

「嘉月会って、国の実権を握っているっていう魔術組織だよね?」
「そう。僕たちがこれから向かうところだよ。この国の異変を調べるなら、彼らに聞くのが一番早い」
「どこにあるの?」
 の問いに、黄櫨が視線でどこかを指し示した。そこは街の中心で、四階建ての木造の御殿が聳え立っており、赤黄色にライトアップされ圧倒的な存在感を放っていた。立派な建物だな、とは感嘆の息を吐く。その荘厳な雰囲気と不穏な自警団を抱えているところから、あまり開放的な組織には思えないが……。

「突然行って大丈夫かな?」と不安の色を浮かべるに、ジャックが答える。

「鏡のゲートを管理してるのは嘉月会だ。俺らが来たことも目的も、もう分かってるだろ。あちらさんは待ってるくらいじゃないか? ……まあとりあえず、今日はもう遅いから明日にしようぜ。一旦どこかで宿を取ろう」
 ジャックがマントの内側から懐中時計(白ウサギの時計とは違いまともなもの)を取り出して、こちらに文字盤を開いて見せた。夜の11時。明るく賑やかな街に時間感覚を失っていたが、もうそんな時間だったのか。
「11時だね」とやけにはっきり声に出して読み上げる黄櫨に、は不思議そうな顔をした。黄櫨は独り言というより、常盤に向かって言っているように見える。

 ジャックや騎士達が宿探しに移動を始めると、常盤はだけに聞こえる声で彼女の疑問顔に答えた。

「以前、私が時間を止められているという話をしただろう。いつどこで時計を見ても、私には6時にしか見えないんだ」
「えっ。それ、かなり不便じゃないですか!」
 つまり、時計で時間が分からないということなのか。

 ――そういえば最初のお茶会の時に、時計の時間もカレンダーの日付も変わらないと言っていた。その不思議な現象が適用されるのは、彼の家の敷地内だけかと思っていたが……外に出ても、彼に見える時間は変わらないのだろうか。……何故?
 その原因について、は黄櫨の言葉を思い出す。彼曰く『常盤はね、時間くんに嫌われてるんだよ』ということだった筈だ。

(時間くん……か)
 お茶会の時にはまだその言葉の意味が分からず、一種のジョークとして受け止めていただが、今となっては理解できる。時間くん。あの少年ならちょっと機嫌を損ねただけで、そういう事をやりかねないと思った。

「時間くんと、何があったんですか?」と訊くに、常盤は「色々、あったんだ」と濁す。それから“時間くん”と慣れた様子で口にする彼女に、渋い顔をした。

 常盤はピーターから、がセブンス領の一件で時間くんと関りを持ったことについて聞いていた。時間くんは強大な力を持ち、また――この世界のことを“知り過ぎている”。常盤にとってあの少年は、から遠ざけておきたい存在の一つだった。

「時間は危険な存在だ。もう関わらない方がいい」
「ああ……はい。できるだけわたしも、その方向で考えてます」
 心を読まれるし、好んで関わりたい相手ではない。は深く頷いた。進みが遅れていた二人を、ジャックが「おーい」と呼ぶ。は軽く手を上げて、ザクザクと雪道を進んだ。



 *



 宿は街中とは打って変わって、静かで品のある老舗旅館だった。重厚感のある柱や梁、い草の香る畳に、は心が安らぐのを感じる。ジャックや騎士達は和の文化にそれほど馴染みが無いのか、落ち着かない様子に見えた。
 
 ひとまず食事にしようと、人気のない貸し切り状態の宴会場で夕食を囲む。深夜の突然の客にも関わらず、旅館の人々は嫌な顔一つせず充分過ぎるもてなしをしてくれた。とても即席とは思えない料理の数々が卓上を華やかに飾る。

 は常盤とジャックと同じ座卓を囲み、騎士達は少し離れたところに座っていた。彼らとの間に壁を感じているは少し安心する。気が楽だ。しかし楽なのはこちらだけのようで……黄櫨はジャックと同じ席に着きたくないのか騎士達の中に混ざっており、騎士達は幼い少年にどう接していいか分からず戸惑っていた。

「ねえ、ジャック。本当に、黄櫨くんに何もしてないの?」
「何もするわけないだろ」
 ジャックは、黄櫨のあからさまな態度に腹を立てるでもなく、ただ少しぐったりして見えた。彼が子供相手に怒り出すような人でなくて良かった、とは思う。
 黄櫨がジャックを嫌う理由について、常盤なら何か知っているかもしれないと思ったが、語られない以上聞き出すべきではないだろう。(気にはなるけど……結局、わたしには関係無いしなあ)

「ま、いいか」とわざとアッサリした調子で言うに、ジャックが「おい」と突っ込みを入れる。

も結構、俺に冷たいよな」
「お前のどこに優しくされる要素があるんだ」
 の隣で、常盤が呆れたように言った。ジャックはわざとらしく項垂れる。

「あー。ここに俺の味方は居ないんだなー」
「ごめんごめん」
「ホント、傷付いたぜ。これは可愛い女の子にお酌でもしてもらわないと、立ち直れないな?」
 悪戯な表情でそう言ったジャックに、はポカンとする。どこからか女性を連れて来いとでも言われているのかと思ったが、どうやらその言葉は自分に対して向けられているらしい。それを本気に受け止めては、たちまち彼の玩具にされてしまうだろう。はスン、と取り澄ました表情で「そっか」とだけ返した。それから当てつけのように卓上の徳利を手に取り、隣に微笑みかける。

「常盤さん、お注ぎしましょうか?」
 彼の前にあるお猪口が最初からずっと空のままだったので、そう声を掛けたのだが……何故か常盤は不自然に固まり、ジャックは黙ってニヤニヤとこちらの様子を眺めている。は予想と違う彼らの反応に首を傾げた。なんだろう、この感じ。

「あ、いらないですか……?」
「い、いや、もらおう」
 そう答えた常盤は、どこか覚悟を決めたような顔に見えた。注ぐ気満々で構えに入っていたは、とりあえず受け入れられてほっとする。そして慣れない手つきで、溢れるギリギリまで注いだ。お猪口の中に透明の、それでもどこか水と違う液体が満たされる。

 に期待の目を向けられて、常盤はそれを零さないように慎重に呷った。ジャックが「おー、良い飲みっぷりだな!」とはやし立てる。はすぐ空になったお猪口に嬉しくなり「もう一杯、どうぞ」と勧めた。どんどん勧めた。少し後に、自分の行動に後悔することになるとは露ほども思わず。


 それから暫く、舌に馴染む和食をゆっくり楽しみながら、外から聞こえる和楽器の演奏に耳を傾け、騎士達の会話を盗み聞きし、ジャックと他愛ない会話をしていたは――常盤が全く会話に入ってこないことに違和感を覚えた。元から多弁な人ではないが……と隣に目をやると、彼は机に肘をついて頭を押さえていた。俯くその横顔はやけに血色が良い。耳まで赤く色づいていた。

「えっ! 常盤さん、大丈夫ですか? もしかして酔いました?」
 は驚きながらも、気遣うように声を抑えて話しかける。常盤は少し顔を上げて、どこか定まらない目で「いや……大丈夫だ」とぼんやり言った。具合が悪そうには見えないが、ひどく眠そうに見える。

「ほ、本当に?」
「ああ、ちゃんと、起きている……」
 は彼の返答に、駄目だなこれは、と思った。ジャックが堪えきれず吹き出す。

「ハハハ! お前、やっぱ酒に弱いんだな!」
 そう言って笑うジャックも、よく見れば仄かに赤い顔をしていた。意識ははっきりしているようだが、酔っ払いだ。はジャックを一瞥してから「うわー、ごめんなさい、お水お水」と慌てる。するとこちらの状況を察した黄櫨がトコトコやってきて、水の入ったグラスを常盤に手渡した。

「大丈夫?」
「ああ……」
「全然大丈夫じゃないよね。全く、飲めないって分かってるくせに」
 溜息交じりに言う黄櫨に、が「わたしが注いじゃったから」と言うと、黄櫨は納得した顔でより深い溜息を吐いた。それから少しぞんざいに常盤の背中をぺしっと叩く。

「ほら、もう部屋に戻るよ」
「いや……」
 常盤は、をジャックと二人には出来ない……というような事を言っていたが、聞く耳を持たない黄櫨に促され、ふらつきながら広間を出ていくのだった。

 は恨めしそうにジャックを見る。

「ジャック……分かってたなら止めてよね」
「いや、知らなかったぜ? ただあいつ、今まで俺がいくら勧めても、一滴も飲もうとしなかったからな。飲んだらどうなるか気になってたんだ」
 以前、ジャックの屋敷で食事を共にした時もそうだったのだろうか? 全く気が付かなかった。悪いことをしたな……とは落ち込む。(いらないって断ってくれれば良かったのに)

「常盤さん、大丈夫かな」
「流石に、明日に響くようなことはないだろ。あいつならそれくらい考えてるさ」
 ジャックは、思ったよりが深刻な顔をしているのを見て、眉を下げて頭を掻く。

「まあまあ、怒るなよ。お前も一杯どうだ?」
「わたしはまだ飲めません。さっき子供扱いしたくせに」
「ん? ……ああ、そうだったか? 何かお前、年齢不詳なんだよな。子供みたいで、妙に大人びてるっていうか」
 ジャックの反応に、はこの世界にも“お酒は大人になってから”というルールがあるのだと知った。……無かったとしたら、飲んだだろうか? 飲んだかもしれない。窓の外にちらつく雪と、その向こうに浮かぶ街灯り。それを見ながらの一杯は、さぞ風情があるだろうと思った。
 は気分だけでも、とコップの水を舌で転がす。つまみにはジャガイモの煮っころがしを楽しんだ。

「うーん、やっぱり和食はいいなあ。醤油の味って落ち着く」
「俺はあまり馴染みが無いけどな。……っていうか、お前の世界にも和食があったのか?」
「うん。っていうか、わたしの国の料理だし」
 何気なく返事をしただったが、異世界に和食があるのは何故か、という疑問が後からやって来る。味も見た目も、和食という名称も一致しているが……自分の国の料理とはまた違うものなのかもしれない。醤油は醤油なのだろうか? 味噌は? 不思議そうに卓上の料理を見つめるに、ジャックは静かに尋ねた。

「……元の世界に、帰りたいとは思わないのか?」
 その顔はすっかり酔いを潜めている。は箸で掴んでいたジャガイモを口に入れ、しっかり噛み、飲みこんでから、ゆっくり口を開く。

「なんか……あなたにその話をされると、色々怖いんだけど」
「いや、悪い。他意は無いんだ」
「ならいいけど。うーん……」
 異世界人を快く思っておらず、元の世界で生き死ぬべきだと言っていた彼。角を立てないためには“帰りたい”と答えるべきかと思ったが、彼には既に、故郷への執着の無さを知られてしまっている。は無意味な嘘を吐きたくなかった。

「思わなくは、ない」
「……お前、変わってるよな。普通は帰りたいと思うものじゃないか? 平和なところだったんだろ。この世界よりよっぽど」
「帰れる時が来たら、帰らなくちゃいけないって思ってるよ」
「帰らなくちゃいけないと、帰りたいは別だろ。あっちに大切なものは無いのか?」
 は、ジャックはきっとこの世界に大切なものが沢山あるのだろうと思った。そして今の彼は、価値観の違う自分を責めているのではなく、心配しているのだろうということも察する。(何もない寂しい人間だとでも思われたかな?)

「それなりにあるよ。会いたい人も居る」
「え。まさか男か?」
「違う違う!」
 即座に否定するに、ジャックは「はあ」と一息つく。

「家族か?」
「家族もまあそうなんだけど……一番は親友かな」
「親友? 何だか意外だな。お前は、友達とベタベタつるむタイプには見えない」
「ベタベタかどうかは分からないけど、いつも一緒に行動はしてたよ。……あーあ、あの子も一緒に来てくれたら良かったのにな。でも」
「でも?」
「なんでもない」

 紫はこんな不思議な世界、特に魔法の国なんて嫌いだろうと思った。それに自分は――現実的な彼女の存在を、水を差すものだと感じたかもしれない。窮屈だと、邪魔だと、思わないとは言い切れない。

 は自分の中に嫌な感情が芽生えていることに気付いて、完全に認めてしまう前に振り払った。紫が居たら居たで、楽しかったに違いないのだ。彼女も、何だかんだこの場に馴染んでいたに違いない。(それはそれで、わたしだけの親友が取られたようで嫌だけど)

「ご馳走さまでした。明日も早いだろうし、そろそろ部屋に行くね」
「なんだ、もう寝るのか?」
 そう言いながら自分のお猪口に酒を注ぐジャックは、もう少し雪見酒を楽しんでいくようだ。「おやすみ」を交わして、は宴会場を後にした。 inserted by FC2 system