Act2.「White not Christmas」



「あったかい……」
 パチパチと心地よい音を立てる暖炉。空気を温めるエアコンとは違い、肌に直接熱が触れる感覚。穏やかに揺らぐ炎は、見る者の気を吸い取って燃えているようで、は意識が薄っすらしてくる。ぼんやりした顔で、向かいのソファで同じく眠そうな顔で暖炉にあたっているピーターを眺めた。(いつも眠そうな感じではあるけど……)

 彼は昨晩、そのままここに泊っていったらしい。泊るといってもどこに?とは思ったが、ピーターは“数十年前”までこの家で生活をしていたらしく(彼らの年齢と過ごしてきた時間が一致しないのは、この世界独特の特徴である)彼にとっては久しぶりに実家に帰ってきた感覚なのかもしれない。彼専用の部屋もまだあるとのことだった。

 常盤とピーターのやりとりを見ていると、とてもそんな間柄には思えなかったが……いや、そうでもないかもしれない。彼らの間にはこなれた雰囲気があった。今こうして同じ空間で、何気なく過ごしている時の無言が、とても自然なのである。
 ちなみにこの家のもう一人の住人である黄櫨は、ピーターを心から歓迎しているみたいだ。

 ピーターの隣にぴたっとくっ付いて腰掛ける黄櫨を見て、は微笑ましい気持ちになる。黄櫨にとって、ピーターは兄のような存在なのだろうか?しかし黄櫨の言動は逆だった。

「たまには帰ってきてよ。心配するでしょ。ちゃんと食べてる?寝てる?」
 兄……というよりは母親じみた黄櫨の小言を、ピーターはどこか決まり悪そうではあるが「うん」と素直に聞いている。は、最後の一言の”寝てる?”は黄櫨にだけは言われたくないだろう、と思った。

「なんだか、黄櫨くんの方が年上みたいだね?」
「出会った頃は、僕の方が年上だったから」
「えっ」
 本当に、この世界の時間は不思議だ。黄櫨の返答に、は信じられないという顔をする。別に黄櫨の言葉を疑っている訳ではない。ただ……幼い子供時代のピーターが想像できなかったのだ。

「いつの間にかこんなに大きくなっちゃって」と、黄櫨が自分より遥か上にある頭に手を伸ばし、小さな手でその癖毛を撫でる。ピーターは少し困った顔をするものの、抵抗することはない。

(なんだこの構図、面白いな)と、ニヤける顔をなんとか抑える。……というか、今この時間はなんなのだろう。起きてきて、暖炉の側に集まって、皆でのんびりしている。落ち着くような落ち着かないような、不思議な感覚だった。何気なく隣に目をやると、常盤と目が合う。

、何か飲むか?」
「あ、わたし淹れますよ」
「いや、君はここでゆっくりしていてくれ。何がいい?」

「僕はコーヒー」
「僕は紅茶」
 が答えるより先にピーターと黄櫨が答える。常盤はそんな二人に、溜息混じりの返事をした。は少し考えて……「わたしもコーヒーで」と言う。それに対してどこか微妙な反応を示す常盤は、以前のお茶会でそうであったように、が大人びた飲み物を飲むことに何か思うところがあるのかもしれない。それともまた、別の感情なのか。「分かった」と言って彼は部屋を出ていく。

「何か食べ物もあるといいよね。お腹空いた」と黄櫨が言い、確かに、とも思った。黄櫨はソファから立ち上がると、ピーターの腕を引っ張る。

「ピーター、一緒に何か作ろうよ。また僕に料理を教えて」
「ん……ここから動きたくない」
「ほら行くよ」
 寒いのが嫌なのか、動くのが面倒くさいのか、気が進まない様子のピーターが引き摺られていく。はそれにニコニコと手を振った。彼が本気で抵抗したなら、黄櫨に連れて行ける筈がないのだ。

 二人が部屋を出ると、静かな部屋には暖炉の燃える音だけがよく響く。(あれ?もしかしてわたし一人?)
 居候の身で一人だけのんびりしていることが後ろめたく、また少しだけ寂しいと感じ、も立ち上がると「わたしも手伝う!」と彼らを追っていくのだった。



 *



 四人での食事は、の想像以上に和やかで楽しかった。きっと自分が居なければ、もっと完成された空間なのではないかと思う程だった。片付けもすっかり終えて、食後のどこか気だるい空気の中、はまた窓辺に寄って外を眺める。地面はすっかり分厚い白で覆われていた。気のせいか、雪が強まっている気がする。

(これは相当積もりそうだなあ。暫く、外でのお茶会は出来なさそう)

 その時、ドアの方でカンカンカン、と来客を告げるベルの音が響いた。それは雪景色と相まってクリスマスベルのようである。寧ろ最初はそうかもしれないと思った。この家にが来てから、ドアベルが鳴っているのを聞いたことが無いのである。

「お客さんなんて珍しいですね」
「僕、出てくる」
 そう言ってソファから立ち上がる黄櫨に、常盤が「お前は行かない方が、」と止めようとするが、遅かった。身軽な少年の身体は既にそこに無い。

「常盤さん、誰が来たか知ってるんですか?」とが聞くと、彼は少し苦い顔をして頷いた。……トタトタ。黄櫨が一人で戻ってくる。静かな顔で、何事も無かったかのように戻ってくる。

「あれ?黄櫨くん、誰か来たんじゃなかったの?」
「誰も来てないよ」

 ――ドンドン、と今度はドアが叩かれる音。は気になって、自分で見に行くことにした。止められないということは、行ってもいいということなのだろう。

 玄関のドアを開けると、そこには雪に墨を落としたみたいな、黒ずくめの男が立っていた。「あ、ジャック、」とはその名を口にする。彼は寒さに張り詰めた顔をしていたが、を見ていつもの軽薄な笑みを浮かべる。

「よお。エースから聞いた通り、元気そうだな」
「残念だった?」
 の際どい冗談に、彼は「はは」と乾いた笑いを零し、マントの肩に積もった雪を丁寧に払うことで誤魔化した。常盤がやってきて、ジャックに冷たく声を掛ける。外の気温より、よほど冷たい。

「思ったより早かったな。この雪について、何か分かったのか?」
「ああ、まあ一応……調べられることは調べて来たぜ」
 常盤は来訪者だけでなく、来訪の目的も知っていたようだ。寧ろ、不本意そうではあるが待っていたのだろう。

 ……彼らの話を聞きながら、は少し離れた場所からの視線を感じ、そちらに目をやった。物陰から、黄櫨がジトッとこちらを覗いている。黄櫨はと目が合うと、気まずそうにピュッと引っ込んでしまった。ジャックはそんな黄櫨の様子に気付いていたのか、やれやれと肩を竦める。
 そういえば、とは思い出した。ジャックと初めて会った時……黄櫨はジャックのことを嫌っているのだと、常盤が言っていた。

「ねえ、黄櫨くんに何かしたの?」
「いや……俺、子供に嫌われるように見えるか?」
「見えなくはないけど」
 ジャックはカラッと明るそうに見えて、ジメッとした闇を隠し持っているタイプだ。敏感な子供に警戒されてもおかしくはない。ジャックもどこか思い当たる節はあるのか、困ったように頭を掻く。その髪は雪で少し濡れていた。

「とりあえず、中に入ったら?」
「すっかり自分の家みたいだな」
 ジャックに揶揄われ、は家主の常盤を窺うように見るが、彼に気にした様子はない……どころか若干機嫌が良さそうに見えたので、これでいいのだろうと判断した。

 ジャックを伴って談話室に戻ると、そこに黄櫨は居なかった。と思ったが、ピーターの居るソファの背凭れの向こうに、ひっそり潜んでいるみたいだ。

「なんだピーター、お前も居たのか」
「うん」
「色々と大変だったみたいだな?」
 ジャックはマントをバサリと脱ぎ、ピーターと向き合うように座った。ジャックもここに来るのは初めてではないのだろうか?全く知らない場所に来たという様子には見えない。
 は自分の居場所だったそこを奪われ、黄櫨が席を立ったことで空いた、ピーターの隣に座ることにした。常盤が渋々ジャックの隣に腰かける。はジャックにお茶の一杯でも出した方が良いかと思ったが、当の本人が話を始めてしまったのでその機会を失った。

「まずこの突然の雪についてだが、どうやら永白(えしら)の国を中心に広がっているらしい」
 ジャックの言葉に、常盤が僅かに反応を見せる。黄櫨もソファの背面から顔だけ覗かせた。「ああ、お前たちは以前、あの国に居たんだったな」とジャックが言う。

 初めて聞く国の名前にが疑問符を浮かべていると、常盤がその国について説明をしてくれた。は聞いた内容を頭にメモしていく。


 ――トランプ王国とリアス教国の間にある、小さな都市国家“永白”。永白は現存する国の中でもっとも古い歴史を持っており、古の魔術を扱う魔術国家である。

 周囲をタルジーの森という深い森に囲まれ、不思議な力を使うその国は、小規模ながら確固たる地位を守り続けてきた。中立の立場を表明しているため、関係性の悪いリアス教国とトランプ王国の中継ぎ貿易国としても機能しており、それが両国が手を出せない理由でもあるという。

 永白は王が国を治める君主制だが、実権を握っているのは嘉月会(かげつかい)という魔術組織の存在。嘉月会は国の自警、貿易、観光施設の運営などを行っており、永白全体を取り仕切っているらしい。

「観光施設、ですか?」
 はこの世界にもそんなものがあるのか、と少しわくわくした。ジャックがニヤニヤしながら「大人の遊び場って感じだな」と言う。はそのニュアンスから、あまり健全ではなさそうなイメージを抱き、それ以上深堀りしないでおいた。

 ジャックの話によると、この雪は昨日の夕方……ちょうど達が帰って来た頃に永白の国で降り始め、近隣に広がり、遂に今日トランプ王国にまでやって来たとのことだった。

「国境付近の駐屯兵の話によると、永白の中で特に大きな動きはないらしいぜ。ヴォイドの襲撃を受けたにしては静かすぎるし、表立った被害も見えない。これはアリスの関連した異変なのか、別の何かなのか……」

 “アリスの異変”は、アリスがバックグラウンドで何か大きな変更――主には今起きている世界の消失“虚無化”を行った際に、表世界に現れる現象だ。生態系が崩れ、絶滅した筈の青バラが復活したのもその一つ。異常気象に繋がることもあるかもしれない。しかし、虚無化が起きていないのであれば、これはアリスの異変ではないのだろうか?
 ジャックもアリスや虚無化、異変について深く知っている訳ではないようで「専門家のご意見をお聞かせ願えますか?」と茶かすように常盤に委ねた。常盤はジャックの態度に鬱陶しそうに眉を顰め、答える。

「……単なるバグにしては、規模が大きい。アリスにしてもそうでないにしても、何か大きな力が働いている筈だ。本当に雪以外、何も起きていないのか?」
「外から見える限りはな。昨晩から永白では入国規制が敷かれて、中に入れないらしいぜ。――何か隠してると言っているようなもんだろ?」
 
 息を潜めていた黄櫨が、小さく「入国規制?」と呟いた。がソファの後ろを覗きこむと、少し驚いた様子の黄色い瞳と目が合う。内緒話をするように小声で「どうしたの?」と尋ねると、黄櫨ではなくピーターが「永白は入国審査の方法は独特だけど、基本緩くて誰でも入れるんだよ。観光業で支えられてる国だからね」と教えてくれた。は、独特な入国審査とはどういうものか訊こうと思ったが、話の腰を折るようで気が引け、やめておいた。

「何にしても、こっちにまで影響が出ている以上、調べない訳には行かないよな。俺は、直接行って交渉してみるつもりだ。陛下からの入国申請の書簡も預かってる。いくら永白でも、他国の王を無下にはできないだろ。それで……はどうする?」
「えっ?」
 突然自分の名前を呼ばれ、は驚いた。決して他人事だと思って聞いていたのでは無いが、自分が介入できる話ではないと思っていたのだ。しかしこれがアリスの異変なら、その発祥地には何かしらアリスに繋がるものがあるかもしれない。にとって、これは自分事でしかなかった。

「わたしも、連れて行ってもらえる?」
 の答えは、その場の全員が予想していたものだったのだろう。そういう反応だった。は、過保護気味な常盤なら自分を止めるかもしれないと思ったが、彼は仕方ない、というように小さく溜息を吐いただけである。それを意外に思ったのはだけでは無かった。

「止めないのか?俺は、お前なら邪魔してくると思ったんだがな。永白で何があるか分からないぜ?」
「ここに居ても何があるか分からない。だったら置いて行くより、連れて行った方がマシだ」
 常盤の言葉は、が書斎で本に食べられたことを差しているのだろう。しかし後半は……

「お前が行くのは確定事項なんだな」
「遅かれ早かれ、私の元に調査依頼がくるだろう。放置して悪化してからでは面倒だからな」
「本当にそれだけか?」

「僕も行くよ」
 ソファの後ろからにょきっと出てきて、黄櫨が力強く宣言した。更に「足手まといにはならないよ」と付け加える黄櫨。ジャックは自分が居るにも関わらず、黄櫨が同行すると言ったことが信じられないのか、戸惑った顔で「えっと、」と口籠る。黄櫨はそんな彼をまるっきり無視して「いいでしょ」と常盤に訊いた。常盤はどこか複雑な面持ちで「ああ」と頷く。

 は二人の様子に、永白は彼らにとって特別な場所なのではないか、と思った。懐かしの故郷、だろうか?

(ピーターはどうするんだろう?)
 はちら、と隣を見る。そして、相変わらず何を考えているのかよく分からない彼と目が合った。の言いたいことを察したピーターが「僕は、」と言いかけたところで、ジャックが口を挟む。

「お前は早く戻って来いと、陛下が言ってたぜ。異常気象の対応やら何やら、城は相当忙しそうだったな。ま、頑張れ」
 意地悪く笑うジャックに、ピーターはあからさまに嫌そうな顔をした。は「ふうん……」と唇を結ぶ。


 かくして、達の永白行きが決まった。 inserted by FC2 system