Act15.「仮初エチュード」



、流石に遅すぎるんじゃないか?」

 が狼と共にキャンプを離れてから、もう三十分近く経とうとしている。ジャックの言葉に常盤も頷き、二人は彼女を探しに行く為に席を立った。
 しかし丁度その時、が森から姿を現す。ジャックは内心ホッとしながら「随分遅かったな」と揶揄うが、彼女の尋常ではない様子に目を見張った。

 は全力で走って来たのか、苦し気に肩で息をしている。血の気の失せた青い顔、今にも倒れそうな覚束ない足取りで向かってくるに、ジャックは慌てて駆け寄り、その肩を支えた。

「お前……どうした、何があった?」
「森で、またあの……フードの男の人が現れて……狼さんがわたしを庇ってっ!」
 ひどく震えた声。瞳一杯に涙を浮かべたが、縋る様にジャックを見上げる。その切なげな視線に、ジャックはドキリとした。彼女がこんな顔をするなど思ってもみなかったのだ。いつも憎らしいくらいに飄々としていて、恐れ知らずに見えた彼女。か弱い一面を見せられ、どうしていいか分からなくなる。
「怖かった」と小さく呟く彼女は小動物のようで、庇護欲が掻き立てられた。

「ジャック、離れろ」
 鋭く冷たい常盤の声。ジャックは、彼女に近付き過ぎた所為で怒りを買ったのだろうと、の肩から手を離して若干の呆れを含んだ顔で振り返った。そして息を呑む。常盤はこちらに――に銃口を向けていた。

「どうして、ですか? 常盤さん……なんで?」
 は信じられない、という顔で彼を見る。見開かれたその目から、溜まっていた涙がポロリと零れ落ちた。常盤は少女の反応に忌々しそうに顔を顰める。

「常盤、何やってんだ! に銃を向けるなんて、」
じゃない」
「……は?」
「下手な芝居はやめて正体を現せ。彼女の真似をするなど……烏滸がましいにも程がある」
 常盤に睨まれたは、深く傷付いたように顔を手で覆い「なんで、なんで」と涙声で繰り返した。……その声が徐々に変貌する。少女のか細い涙声に、男の濁りが混じっていく。

「なんで、なんで……なんで分かったんだ?」
 もうそこに居るのはではない。ジャックは一目でその人物が“フードの男”だと気付き、男の醸し出す異様な空気に後ろへ飛びのくと、剣の柄に手をかけた。テントの中から状況を察した騎士達が出てきて、ジャックの後ろで臨戦態勢に入る。

 男は多勢に無勢にも関わらず悠長に腕組みをし、不思議そうに首を傾げた。

「俺、“この演技”には相当自信があったんだけどな。なあ、なんで分かった?」
「……彼女は、あんなに安っぽくない」
「そうか? まあ、そうかもしれないな。もうちょっと捻くれた感じだよな」
 男は何を思い起こしているのか“確かに”と納得した様子を見せる。ジャックは簡単に引っかかった自分を恥じつつも、どこかで安堵していた。儚く、触れれば壊れてしまいそうな繊細な姿。彼女にあんなに弱い一面は無かったのだ。……本当に、そうだろうか?

「流石に三回連続で見破られるとショックだな」
 男は溜息交じりにそう言って、肩を竦める。声色こそ冷静だが、男はその“性質上”他人を真似ることに自信があり、正体を見破られることに屈辱を抱いていた。

 男の言う三回……一回目は街でに、二回目は今この場所で常盤に。ではあと一回は? その答えを示すように、男はローブの中からあるものを取り出して雪上に放り投げた。それは、二つに割れた狸の面である。赤く濡れた面を見て、常盤は顔を強張らせた。

「あいつに何をした」
「ああ、あの思い上がりのモブか。モブにしては勘のいい、骨のある奴だったな。出しゃばらなければ長生きできたものを。……狼じゃなくて、羊の方が無害そうに見えたか?」
 男は騎士達の間に居る羊面に顔を向け、ニヤリとする。その言葉に、常盤は男が狼に化けていたのだと知った。いつ入れ替わったのか。可能性が高いのは、夕方に先遣隊が戻って来た時だろう。狸はその正体に気付き、狼を追ったのか。何故一人で? ……狼と共に森に入って行ったはどうなった?
 常盤の中に、嫌な想像ばかりが膨らむ。生きた心地がしなかった。

はどこに居る? ……無事だろうな」
「ああ、心配無用だ。ここよりよっぽど平和で幸せな所に居るよ。だから、邪魔されないように足止めに来たんだ」
 男の声に不穏な気配を察し、ジャックは剣を抜いた。男はわざとらしく「怖い怖い」と両手を上げる。

「全く、血の気が多い奴らだな。言っておくが、こっちは穏便にいくつもりだったんだぞ。森から出て行って貰えさえすれば良かったんだ」
「穏便だ? どの口がそれを、」
 ジャックの言葉を遮る様に、男がバッと両腕を広げた。騎士達が「あ、あれは!」と声を上げる。男の行動と共に出現した、巨大な長方形。夜の森の色に染まるそれは“鏡”だった。

「あまり大人数を相手にしたくは無いんだが、仕方ない。出血大サービスだ。全員を醒めない夢に招待してやろう」
「薄ら寒いセリフ回しの野郎だな」と挑発するジャックに、男は「ハッ」と鼻で笑うだけである。

「可愛いお姫様と帰れるチャンスを、棒に振ったのはお前らだからな?」 

 鏡が妖しく光る。禍々しく、周囲の景色を歪めるような光。常盤がジャック達に「鏡を見るな!」と叫ぶ。フードの男はローブの下から長い太刀を引き抜き、威嚇するように突き出した。

「無駄だぞ。目を閉じたらその時はグサリ、だ。あの狼女と違って、お前らは視界に頼らざるを得ないだろ?」

 光が強まる。現と幻の境界を曖昧にしていく。


 ――次の瞬間、その場に立っているのは男一人になっていた。焚火の燃える無人のキャンプは、一斉に神隠しにあったように不可思議な光景である。
 男は息を切らせ、その場に膝をついた。

「はあ……流石に疲れたな」
 酒場の男や先遣隊にしたように、一時的に相手の精神を乱す方法ならば、これ程魔力を消耗することはない。しかしその方法は相手が油断している時、上手く不意を突けた時以外は失敗の確率が高く、成功しても効力が落ちる。真正面から馬鹿正直に嵌めるのは、中々に難しいのだ。

 男が今発動したのは、鏡のゲートを開き、鏡の中に対象者を閉じ込める術だった。鏡の中には表世界ともバックグラウンドとも違う、どこともつかない異空間が広がっている。世界を分かつ境界線の隙間。そこに、男が管理する鏡の世界がある。

 通常、まともな精神状態であれば……それも鏡を警戒しているならば尚更、鏡に人が取り込まれることはそうそうない。しかし今この森は“通常”ではなかった。鏡の世界との結びつきが特別強力になっている。それは、森の奥の湖のお陰だ。異常気象で凍り付き、巨大な氷面鏡(ひもかがみ)となった湖が、鏡の――男の力を強めているのである。

 今のこの森は、“彼女”がこの計画の為に、男の為に誂えた舞台だった。

「精々、鏡の中で幸せな夢を見るがいいさ。……あ?」
 男は黒幕さながらの顔を、何かに気付いたように硬直させる。そして一枚の鏡の中を覗き込み、そこに見つけた侵入者に舌打ちをした。

「くそっ、ネズミが一匹潜り込んでいやがったか!」
 男はそう吐き捨てると、焦った様子で、自身も鏡の中に飛び込んでいった。
 
 あいつの――あの方の、俺達の夢物語を、邪魔させるわけにはいかないのだ。



 *



 コンコン。誰かがドアをノックする音で、ジャックは目覚めた。サラリとしたシーツの感触。顔を照らす光は、鏡から発せられた得体の知れないものではなく、爽やかな太陽光だ。窓の外には懐かしい青空が広がっている。

(ここはどこだ……あの男はどこへ行った!?)
 ガバッと起き上がる。しかしどこにも男の姿は無い。それどころかこの場所は森ですら無かった。クローゼットとベッド、書き物机。ジャックはそのどれもに見覚えがある。――以前、ロザリアの城で自身が使っていた部屋だった。遠い昔のことだが、つい昨日までそこで過ごしていたように違和感が無い。

 ジャックが呆気に取られていると、またノックの音が鳴った。彼は警戒し、ベッドの傍らに立てかけていた剣を手にする。しかしドアの向こうから聞こえてくる声に、すぐに手を離した。

「ジャック。まだ寝ているのですか。もう昼前ですよ」
 清らかな響きの凛とした少女の声。ジャックはベッドから転げ落ちそうになりながら慌ててドアを開けた。見下ろせば、眩しい金色の短髪。キリリと鋭い薄青色の目が自分を見上げている。その姿は間違いなく彼が魂を捧げた、ハートの女王ロザリアだった。自分の胸下にあるその頭に、彼女はこんなに小さかったのか……としみじみ思った。

「あなたが寝坊するなんて珍しいですね。……どうしました? 人を幽霊でも見るような目で見て」
「え、あ、いや、」
 “幽霊でも”ではないのだ。ジャックは目の前のあり得ない状況に言葉を詰まらせる。しかし何故あり得ないのかが、よく思い出せない。

(あり得ない……? 何が、どうあり得ないって言うんだ?)

「ところで」
「あ、はい」
「昼食のデザートに取っておいた、チェリーパイが行方不明なのです。何か知りませんか? もしかして、あなたが盗ったのではないですよね?」
 戦場、政務の場と同じく、真剣な顔でパイ泥棒を探している彼女。そう、彼女にはこういう所があった。こういう所が好きだった。ジャックは思わず頬を緩ませる。

「陛下がご自分で召し上がられたのでは」
「まさか……あっ」
(やっぱり)
「そうでした。昨晩、夜中に目が覚めてつい。盗人呼ばわりしてしまい、悪かったですね」
「いえいえ。それより、まさか全員の部屋を回っていたのですか? ……一人で男の部屋を訪ねるのは、控えた方がよろしいかと」
「何故」
「それは……色々と……危ないからですよ」
「この国で、私をねじ伏せることのできる者など居ないでしょう」
「それはまあ。ですが変な噂でも立てられたら、不本意でしょう」
「大丈夫ですよ。あなたの部屋にしか、来るつもりはありませんでしたから」
 それはどういう意味か、とジャックは動揺する。が、ロザリアは至極平常通りの顔で言った。

「あなたにパイの居場所を探って貰おうと思ったのです。女王がそんなことをしていては、暇だと思われてしまいますから」
「俺は雑用係ですか……女王の騎士が暇だと思われるのは、問題ないのですか?」
「ええ。現に昼前まで寝ているようなお寝坊さんですからね」
 チクリと刺すその言葉も、彼女の発する全てが、ジャックには心地よく感じられる。ヘラヘラしているジャックに、ロザリアは呆れたような顔をした。

「いくら平和だからと言って、最近弛み過ぎですよ」
「はは、すいません」
「……仕方ないですね。久しぶりに私が直々に稽古をつけて差し上げましょう。昼食前の運動は、いい調味料になりそうですしね」
 クルリと背を向け、廊下を歩いていくロザリア。ジャックは急いで身なりを整え……ようとしたが、もう着替えは終わっていた。彼女にだらしない姿を見せることが無かったのは本当に良かった。胸を撫でおろし、急いでその背を追う。

 颯爽と早足で歩くロザリアだが、小柄な彼女は歩幅が小さい。ジャックはすぐに追い越しそうになるが、懸命に歩いている彼女に配慮して後ろをゆっくり付いて行った。刈り上げられた金髪は、見ていると思わず触れてみたくなる。それを我慢しながら眺めていると、時間があっという間に過ぎていく。

 気付けばそこはもう外の訓練場で、ルイ達が木剣を手に励んでいた。彼らはジャック達に気付くと丁寧に一礼する。ロザリアがジャックと模擬試合を行うのだと言うと、彼らは羨ましがり、自分達も相手をして欲しいと申し出た。
 昼食の時間を気にしているロザリアに、一人一人を相手にする余裕はない。彼女は「では私とジャック対、あなた達全員にしましょう」と提案した。ジャックは、ルイ達はそれでいいのか? と思ったが、彼らは不満を浮かべることなく嬉々とし燃えている。

 話を聞きつけた騎士達がどんどん集まり……ジャック達は最終的に、総勢二十名に囲まれた。開始の合図は、ロザリアが空に投げたコイン。コインは青空をクルクルと舞い――地面に落ちた!

 騎士達が一斉に二人へ斬りかかる。ロザリアは華麗にそれをいなし「芸がありませんよ」と窘めた。攻撃を躱しつつ、最小限の動きで足払いをして騎士を地に伏せさせる。

 仲間の陰に隠れるように潜んでいた二人の騎士が、左右から彼女に遠慮なく剣を振り下ろした。ロザリアの剣が、難なく二本の剣を弾き返す。彼女はそのまま自らの剣を空高く放り、飛び上がった。そして空いた両手で二つの頭を掴み、ガン、と思い切りぶつけ合う。その場に崩れる騎士達の前に降り立ち、落ちてくる剣を手に取る彼女。

 ロザリアの戦いは軽快で、まるで舞でも見ているようだった。ジャックは負けていられない、と自分を囲んでいた三人をまとめて薙ぎ払う。

「弛んでいる訳ではなさそうで、安心しました」
「女王陛下も、流石ですね」
 顔を見合わせる二人。ルイが「まだ終わってませんよ!」と声を張り上げると、残っている騎士達も士気が上がったようだ。今一度態勢を整える彼らにロザリアが「良い構えですね」と感心したように言う。
 彼女の言葉に更にやる気を出した騎士達の攻撃は、凄まじかった。絶え間ない猛攻にジャックが息を切らせていると、その背に小さな背中がトンとぶつかる。彼女もまた息を切らせて……弾ませていた。

「あなたとこうして、背中合わせで戦うのも久しぶりですね」
 ジャックは何か答えようとしたが、彼女の言葉があまりに嬉しく、悲しく、何も言えない。ロザリアがそれに気付く様子はなかった。彼女は前を見据えたまま言う。

「しっかり私についてきなさい」

 ――命が喜び湧く感覚。ああ、生きている、と感じた。
 強く美しい彼女の隣に立つことを許され、共に歩む日々。こんな時間がずっと続けば良い。彼女のために生き、死んでいけるなら、これほどの幸せはない。

 彼女が、命の理由だった。



 *



 ――開始から半刻が経ち、訓練場に立っているのはロザリアとジャックの二人だけになっていた。ロザリアが良く通る声で「ここまで!」と終わりを告げると、意識のある騎士達はふらつきながらも何とか立ち上がり「有難うございました!」と深く礼をする。
 熱い彼らに対して、ロザリアは静かに「はい」と答えただけだった。部下の手前、疲れを見せないよう取り繕った顔。彼女の不愛想な氷の顔が「さて、ようやく昼食の時間ですね」と少し和らいだ。

「ああ、でもチェリーパイが無いんでした。どうしましょう」
「先程料理人たちが、イチゴのタルトを作っていましたよ」
 ルイの言葉に、より顔を緩ませるロザリア。
 
「タルトもいいですね」
 
 その瞬間、ジャックは言いようのない不快感を覚えた。胸の中に、ドロリと何かが流し込まれたような感覚。金属が冷えたまま液体になって、それを大量に飲まされたかのようだ。冷たく、重く、内臓を圧迫する。全身にぞっと寒気が走った。

(この感じは何だ? ……俺は、本当に分からないのか?)

「ジャック、どうしました? なんて顔してるんですか」
 顔を覗き込んでくるロザリア。その額を、汗が伝う。汗はまるで涙の様に彼女の頬を伝い、ジャックは思わずそれに見入った。彼女が泣いている所など見たことが無いというのに、その平然とした顔に涙でぐちゃぐちゃになった顔が重なる。信じられない……忘れられない彼女の弱い姿。誰かの名前を呼びながら、枯れるまで泣き続けた彼女。普段は強く見せていて、壊れてからしかその弱さに気付かせてくれなかった彼女。

(あいつも、そうなのかもしれない。……あいつって、だれだ?)
 視界が二重になる。今見ている世界ともう一つ別の世界。そこには小さく震えながら涙を浮かべる少女が居た。ジャックは“ここには存在しない”その少女を、確かに知っている。――いや、知っていると言っていいのか分からない、掴みどころのない不思議な少女だった。

 落ち着いた印象の、一見穏やかな少女。無害そうに見えて気が強い。真面目そうに見えて割とふざけている。表情豊かとまではいかないが、結構笑う。その笑顔は意外と子供っぽい。いつでも自分のペースを保ち、独自の正義に生きているような所は少しだけ、ロザリアに似ていると思った。
 ならばあの少女も、儚く弱い一面を隠し持っているのだろうか。それに自分が気付くのは、また壊れてしまった後なのか。

「さてはエネルギー切れですね? 朝食を摂らないからですよ。たまには昼食、一緒にどうです?」
「……申し訳ございません。俺は、戻らなくてはいけない」
「部屋に? そんなに疲れているのですか?」
「いえ……」
 無垢で真っ直ぐな瞳。彼女を、この美しく優しい世界を壊してしまっていいのか、分からなくなる。ジャックが答えに窮していると、ロザリアの目が責めるような色を帯びた。

「では、どこに戻るというのですか? ここが不満なのですか? ――もう、私は要らないのですか」
 ロザリアの白い頬に、後ろから誰かの手が伸びる。袖の余っただらしない服。骨ばった手は纏わりつくように、彼女の柔らかな頬を、薄紅色の唇を、細い首を撫でた。ジャックが誰よりも憎んでいるその男は、ロザリアに頬ずりしながらニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。

「俺の居ない世界を手放すのか? お前にとっても女王サマにとっても、可哀想な結末に戻るのか?」
「助けて、ジャック!」
 ロザリアの悲痛な叫び。彼女を受け入れれば後ろの男は消え、また穏やかな昼が何事もなく続いていくのだということが、ジャックには直感で分かった。怯えに歪んでいる彼女の蒼白な顔を見て……ジャックは残酷な事実を認める。

 ――これは自分にとって都合の良い妄想、幻でしかない。ロザリアは決して“可哀想”ではなかった。彼女はあの男を……タルトをこんな風に拒絶したりしない。自分に助けを求めてこない。

 ジャックは手元の木剣の刀身を、強く握りしめる。訓練用の木製の剣はいつの間にか自分の剣に戻っており、手の中に鋭い痛みが走った。痛みが心を落ち着ける。痛烈に、真実を思い出させる。

 いつしか太陽は消えていた。騎士達の姿も無かった。ロザリアとタルトの二人だけが、暗闇の中にポツンと残っている。ジャックが剣を彼女達に向けると、ロザリアは「どうして?」と悲しい声で問い掛けた。

「俺の幻想で、あなたをこれ以上穢す訳にはいかない」
 ジャックは覚悟を決め、剣を振り上げる。目の前で驚いたような顔をしているロザリアに、思わず目を瞑りたくなるが、だからこそ最後まで見届けなくてはいけないと思った。

 ジャックの剣が、ロザリアの姿を“割る”。世界に皹が入る。

 消えゆくロザリア。彼女の残像は薄っすらと、微笑んだように見えた。 inserted by FC2 system