Atc14.「グリフォンの預言」



先読みができるという森の預言者は、が自分に「満月までの猶予」を訊きに来たのだということを知っていた。彼は、月のことは月に聞くべきであるから、これから間近で月を観察し、その結果を預言としてもたらしてくれると言う。

そして、とアオイは今―――

空を、飛んでいる。

それは、誰もが一度は見る夢、願望だ。アオイはどこまでも自由に、風を切っていく。空に月が現れるにはまだ少し早く、月の出現までの間、に空の旅を味わわせてくれるらしい。
は確固たる存在であった大地を離れたことに恐怖し、どこまでも広がる大空の中心にいる開放感に感動し、また、それを自力で叶えることの出来る男に嫉妬した。

「す、凄いですね。空を飛ぶなんて初めてです!羽もないのに、どうやって飛んでいるんですか?わたしも練習したら……」
「人である様には無理ですよ。俺は、グリフォンですから」
興奮気味のが言い終える前に、やはり用意された台詞を読むように、アオイが答える。
グリフォンとは、鷹の翼と上半身、ライオンの下半身を持つ伝説上の生き物だ。そして『不思議の国のアリス』の物語では、女王に命じられてアリスをウミガメのところへ連れてゆく役割で登場していたキャラクターだ。

しかし彼のどこにも、その要素は見当たらない。何より、彼はどこをどう見てもただの人間だ。
のその考えも察したアオイは、懐かしむというにはあまりに冷ややかな口調で、言った。

「以前は、大きくて邪魔な羽と、間抜けな尻尾もありました」
彼のその言葉は、自嘲気味な響きを持っていた。青い髪が、風に靡く。の手に触れるそれは、少し硬い。男性の髪とはこんなに硬いものなのだろうか。
黙って次の言葉を待つに、アオイはただ、自身の台詞を再生した。

「俺は自分のそれらが酷く気に入らず、自ら、羽と尾を切りました」

は何も言わず、何も言えず、ただ彼と向き合っていないことに安堵した。そして、自分を乗せている彼の背中にゆっくり視線を落とす。

彼が言うには、ここに、かつて大きな羽が生えていたという。そして、自らそれを捨てたのだと言う。
骨ばった硬い背中。その肩甲骨の辺りに僅かな違和感を感じて、彼にあったものの消失が魔法のようなものではなく現実的なものであることを痛感し、は悲しげに訊ねた。

「背中、痛くはないですか?」
きっと、この衣服の下には、消えない傷痕が残っている。
アオイは一切同じた様子も無く、間も空けず、言葉を紡いだ。

「お察しの通り、醜い傷は残ってしまっています。ですがもう、痛くはないですよ。切ったと言っても衝動的なものではなく、また、すぐに芋虫と海ガメによる治療も受けました。後悔もありませんから、この話題に気を遣っていただく必要もありません」
アオイの口調から、自嘲の色が消える。

「羽。尻尾。それらは見せかけだけの、ただの飾りでしかないのです。事実、羽が無くても俺はこうして空を飛ぶことが出来ています。本質的には何も変わっていません。寧ろ、羽があったころより自由で、今の状態が正しいと、感じています。在るべきものが無い。ひねくれたこの世界に、それはとても相応しい」
彼の言うことは尤もらしい。空を飛ぶことのできない羽、衣服の着用の妨げにしかならない尻尾ならば、その存在意義とはなんなのか。

そしてアオイは、「あなたの周りにもその様な者は居りませんか?」と、問いかけた。
元からある“自然な状態のもの”を無意味だと決めつけたり、嫌悪したりして、意識的にそれらを排除し、変えること。敢えて逆を行くこと。それをしている、人物。

眠らない眠りネズミ。
帽子を被らない帽子屋。

―――だが、それは、本当の自由だろうか?

それらは、には逆に、何かに縛られている不自由なことのように感じられてしまった。
には彼らが、ひねくれたこの世界に合わせるようにその選択を行っているようにしか見えないからだ。

そしてそれに自由を感じる彼は、きっと、

「……アオイさんは、この世界を愛しているんですね」
「はい」
「アリスの創った“今の不思議の国”を……アリスを、愛しているんですね」
「はい」
このテープレコーダーの再生機能は、予想以上に優秀だ。少しも遅れず、乱れない。

預言者は、信託を告げるもの。
神の声に、耳を傾けるもの。

彼の神は、アリスである。

「こんな空の上で訊くのは怖いですが、彼女の敵のわたしが、憎くはないですか?」
「結末があなたの意思によるものならば、それはなるべくしてなる世界の真理です。憎むことなどありません」
「それは、あなたが予見している未来が、あなたにとって悲しいものではないからですか?」
「誤解なさらないでください。未来は決まっていますが、平行線上に無数に存在しているのです。そして、そのいずれでも俺があなたを憎むことはありません」

ただ、悲しむことはあります。と、アオイは言った。
その答えには何も言えず、礼だけを述べる。

「……色々とお話し下さり、有難うございます。お会いした時は、もっと寡黙で厳格な方かと思っていました」
「話すべき時、話すべき言葉があるのです。勿論逆もまた然り、です。月の言葉を解するウサギが、先日彼の怒りを買っていたように」
アオイは目線を上げ、その“彼”の未だ不服な様子に溜息を吐いた。そして後ろ手でを支えると、進行方向を上に切り替える。

「月がいらっしゃいました。俺にはウサギのように会話をすることはできませんが、奴らよりも彼の事を知り、理解する事が出来ます。先読みをしますので、少しだけお時間をくださいね。終わったら、帽子屋のところまで送って行って差し上げます」
「有り難うございます。でも、緑葉さんが……」
「気にすることはありません。彼はこの森に住んでいるのですから」
「……それでは、付き添いのお礼だけ、ご伝言をお願いします」
の頼みにアオイは快く了承し、そして、続ける。

「ええ。あなたは、ご自分のことだけを考えて下されば良いのですよ」

それが、どういう意味なのかは分からない。ただ、は少しだけ、不快感を覚えた。

「やっぱり、終わったら、緑葉さんのところへ戻って下さい」

今度はやや間を開けて、アオイが了承する。
テープレコーダーのような予定調和な彼の、初めての反応だった。その表情は見えなかったが、困ったような笑みを浮かべているような気がした。は彼の調子を崩したことに少しだけ優越感と爽快感を覚え、空を仰ぐ。

そして、夜のコバルトブルーに浮かぶ月を、彼と二人で見つめ続けた。



*



アオイの先読み占いのタネは、鋭い観察力と彼独自の計算法だった。
月の言葉を解しない彼だが、その術により、対話が可能なピーターよりも有意義な情報を彼から仕入れる。そして、その情報を元に算出されたものを、にもたらす。

彼の予言によると、月が次に満ちるのは【今から30回目の夜】

つまり、この世界の期限はあと一か月だということだ。

それは思ったよりも長く、そして短い期限である。
それをアオイの口から聞いた時、は心臓が縮み上がるのを感じた。生きた心地がしなかった。期限が分かって安心した一方で、焦燥感や責任感をより強く、感じたのだった。

そして、目的を果たしたとアオイは彼の家へと戻る。

空の旅から戻ったを迎えたのは、慣れ親しんだ地面と、草むらの上で居眠りをしている緑葉の緩みきった寝顔だった。眠っているとはいえど、を待っていてくれたことに他ならないその姿に、はここに戻ってきて良かったと、心の底からそう思った。

彼を優しくゆり起こし、「ただいま」と「ありがとう」と「帰ろう」を告げる。緑葉はぼやけた表情で曖昧な返事をした。
アオイは寝ぼけ眼の男の背中に、喝を入れるように一撃お見舞いする。そして、久しぶりの地上に少し覚束ない足取りのをさりげなくエスコートし、少し先まで二人を送った。

はアオイとの別れ際、ふと思った。自分の来訪を先読み出来た彼が、事前に月の情報を準備しておかなかったのは何故か、と。
その理由は恐らく、彼が言っていた「話すべき時、話すべき言葉」にあるのだろう。

彼は待っていたのだ。
きっと、ずっと、森の奥で。

わたしと、話をするために。


は彼から数歩離れたところで振り返り、何度目かの礼を述べた。

「本当に、有難うございました」

そして、力強い笑みを浮かべて見せた。


「また、会いましょう。次は、一か月後に」


今まで決してを直視することの無かったその瞳は、驚いたように、そしてどこか納得するように、彼女を見るのだった。
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