Act13.「夜の森」



 ルイのテントから出たは、ジャックから先遣隊の騎士達が目覚めたことを聞き、キャンプに合流した彼らの姿を見て一安心した。狼面の女の様子はどうかと訊かれ、彼女も目覚めたと教える。ジャックはすぐにでも彼女に襲われた時の詳しい話を聞こうとしたが、は「ちょっと待って」と止めた。テントから一向に出てこない狼はきっと、まだ全快には程遠い筈。出来るだけそっとしておいてあげたかった。

「まずは、わたしが話を聞いてくるよ」
 女同士の方が話しやすいこともあるかもしれない。同性だからと言って気を許してくれている気配は無いけれど……と考えていると、横から狸が「狼ちゃん、目覚めたんですかあ?」と割って入って来た。は、狼から話を聞くのは彼が一番適任かもしれない、とその胡散臭いお面を見つめる。
 狸と狼は嘉月会の仲間同士だ。狼も自分より彼の方が気を許せるかもしれない。そう思い、は自分達のテントに狸を連れて行くことにした。彼の手にある食べ終えた空の器を見て、お面を外すところを見逃した! と悔しい思いを抱えながら。

 テントに入ると狼はまだ毛布の上で、先程と寸分違わない姿で座っているようだった。お面をしていて顔が見えないからか、置物のように見える。狸は彼女の傍に「どっこいしょ」と座り込み、片膝を立ててそこに肘をついた。

「狼ちゃん、お元気ですかあ?」
 いつも通りの、のんびりとした口調。狼は小さく「はい」と頷く。は、狸のことだから関係の無い話でも延々始めるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。彼は意外と真面目に、彼女達に起きた出来事の詳細を尋ねている。狼は機械的に感じられる静かな声で、淡々と答えていった。

 ――魔力探知機の指し示す方向にあたりをつけ、森の中心に向かって進んでいた彼女達先遣隊。森には動く木以外に生き物の気配はなかった。通信機でジャックと連絡を取り合い、休憩地点で合流しようと踵を返したところに……気配なくして“彼”は現れたという。街でを連れ去り、酒場で男達を狂わせた“フードの男”である。

 目の見えない彼女はその姿を確認することが出来なかったが、騎士達が「フードの男だ」と声を上げていたので疑わなかったという。男が手を翳すと味方は一人、また一人と正気を失ったようになっていき、残された彼女は男を捕らえようと攻撃を仕掛けた。

「衣擦れの音。丈の長いローブのような服装だったと思います。体臭は極めて薄く、特徴がありませんでした。一言も発しなかったので声は分かりません。殴られた時の力強さ、接触したときの感触から、男性だと思います。平均的な……」
 狼は同行していた騎士の一人を例に出して、彼くらいの体型だろう、と言った。は彼女の観察力に驚く。自分が目を覆えばきっと歩くことすらままならないだろう。彼女には、何がどこまで見えているのだろうか。(なんか、体臭が気になってきちゃうな……)

「なるほどですねえ。それで君は、その平均的な男にまんまとやられたと」
「はい、申し訳ございません。ですが体格は平均的でも動きの速い男で、相当の手練れかと」
「はいはい、へえ」
「錯乱した彼らは合流地点に向かっているようだったので、すぐに止めようとしたのですが、男に邪魔をされて遅くなってしまいました」
「生きてて良かったですねえ」

 狼に対する狸の返答は、どれも威圧的に聞こえた。は内心ハラハラしながら二人の会話を聞いている。会話の感じからすると、彼らの間には上下関係があるのだろう。……それにしても、狸は冷たい。怪我人相手に酷過ぎやしないだろうか? 彼女のことを心配していたのではなかったのか? もしかするとこれが、彼らなりのコミュニケーションなのかもしれないが。

「まあ、無事に帰って来て良かったですよう。あ、僕が作ったスープでも飲みますかあ?」
(よく言うよ、邪魔してただけのくせに)とは思うが、野暮なことは言わないでおく。

「はい。有難うございます」
「そうですか、そうですかあ」
 狸はお面越しにもありありと分かるくらい、嬉しそうに、狼をじっと見る。じーっと見る。それは愛情の込められた熱視線というよりは、何か意地悪な含みを感じるものだ。敏感な狼でも流石に視線を感じることはできないのか、特に反応はない。
 狸は彼女が見えていないのを良いことに、いつもこうして揶揄っているのだろうか? は「見過ぎですよ」とチクリ、刺す。狸は笑って「焼きもちですかあ? 大丈夫、さんのことも見てますよう」とお門違いの事を言った。
 ……一々反応しては調子に乗らせるだけだろう。は聞こえなかったふりをして「わたし、スープ取ってきますね」とテントを出た。
 
 一杯のスープをよそい戻ってくると、テントではまだ狸が狼に不躾な視線を送っていた。は彼を押しのけるように座ると、彼女に「スープをどうぞ」と慎重に器を差し出す。

「有難うございます」
 狼は両手でそっと受け取った。「スプーンもどうぞ」と手持ち部分を彼女に向けると、狼は少しずれたところに手をやるが、すぐに見つけて掴み取る。器用なものだな、とは感心した。

 狼がお面を少し上にずらし、スープを口に運ぶ。体格から想像は付いていたが、小さな顎と細い頬が繊細な印象を抱かせる女だ。湯気立つそれを口に含み、ごくりと喉を鳴らす姿に、は彼女も血の通った人間なのだな、とようやく感じた。



 *



 夜が更ける。鍋の匂いがすっかり遠のき、騎士達も交替で睡眠を取り始めたようだ。キャンプはとても静かだった。
 は狼と二人、テントの中で横になっている。ランタンの明かりで、テントの内壁には自分達のシルエットがこんもりしていた。仰向けになると、三角テントの一番頂点が暗くこちらを見下ろしている。近くて遠くて、見ていると吸い込まれそうだった。耳を澄ませば外の焚火の音がパチパチと聞こえて来る。その極上のBGMを聞きながら、寒い、と寝袋に包まるのが楽しい。こんな風に自然豊かな場所で、テントで夜を過ごすなんて、中々である。
 キャンプが好きかと問われれば、清潔な室内のフカフカベッドの上で優雅に過ごしたい気持ちの方が強いが、いざ身を置いてみると不思議とワクワクするものである。

 狼には悪いが、もし隣に居たのが紫だったならお喋りが尽きなかっただろう、とは思った。……は目を閉じ、空想のキャンプを楽しむ。

『雪が降って無かったら、星が見えたかもしれないわね』
「そうだね。あたたた……あたたたかい飲み物でも飲みながら、天体観測したいね」
『何で言い直したのよ』
「ふふふ。ねえ、夜の空って宇宙の色だよね? 宇宙ってどんなだろう」
『平均するとマイナス二百七十度』
「え、宇宙の温度が? 詳し……ってか寒!」
『真空状態だから寒さは感じないわよ』
「なんで?」
『そういうものなのよ。あとは……宇宙は、ラム酒の香りがするらしいわ』
「え、なにそれ? ほんと?」
『宇宙の彼方には、アルコールで出来ている巨大な雲があって、その雲はラム酒とラズベリーの香りがするんですって』
「うわー。すごい良いね、それ。なんでそんなロマンチックな事知ってるの? リアリストの紫さん」
『これは夢物語じゃないわ、科学の話よ。それに、が好きそうな話だと思ったから』

 ……これはわたしの空想ではない。空想は、わたしの知らない事を言わないのだから。

『二十歳になったら、ラム酒たっぷりのホットミルクで星夜に乾杯しましょう……うーん』
「え? なに」
『飲み物の話なんてするんじゃなかったわ』
 お手洗いに行きたくなっちゃった、と紫が小さな声で言う。はやれやれ、という顔をした。

「仕方ないなあ。夜の森は危険だ。付き合って進ぜよう」
も行きたくなっただけでしょ』

 は寝袋から起き上がり簡単に身なりを整える。ふと狼を見ると、いつから起きていたのか彼女は座ってこちらを見ていた。「少しお手洗いに」と告げると、狼は「お供します」と立ち上がる。戦闘力皆無の一般人に付き添ってくれるのは有難かった。



 *



 ジャックは焚火の傍の椅子に腰かけ、揺れる炎を見ていた。暗い森の中を照らす明かり。肌をじんわり溶かす温かさ。不規則な揺らぎは心地よく、警戒にささくれ立つ心が落ち着いていく。
 騎士達から火の番を代わったのは、疲れが目に見えている彼らを気遣う気持ちもあったが、とても眠る気にはなれなかったからだ。常盤と狸も同じなのか、テントの中に入る気配はない。常盤はジャックから少し離れた場所に腰かけ、何か書物を手にしている。それが普通の本なのかそうでないのかは分からないが、どちらにしてもろくに読んではいなさそうだ。常盤は恐らく達のテントを見張っていたいのだろう。狸はその後ろの方で、雪だるまを作っていた。

(能天気な奴だな。見習いたいもんだ)
 既に三体の雪だるまを作り終えている狸に、ジャックは呆れを通り越して感心し、羨ましくさえ思った。
 ジャックは人前では明るく振る舞っていても、心の内はそうではない。とても仲間には打ち明けられない不安と恐れを感じていた。幻覚を見せ、人の心を惑わすという鏡。もしそれが目の前に現れたなら、自分が何を見てしまうのか、ジャックには容易に想像がついていた。そしてその時、冷静でいられる自信は無い。

 夜闇は、実際にはそこに無いものを見せたがる。ジャックは焚火の向こう、深い森の闇に青バラに見ていた幻を思い出し、それから逃れるように唐突に二人に声を掛けた。

「なあ。嘉月会の行方不明者は十人、だったよな」
「はい。そうですよお。ヘイヤさんを含めると十一人ですう」
「そいつらもさっきみたいに、錯乱状態で襲い掛かってくるかもしれないってことか……。強いのか?」
「うーん。僕に比べたら大したことないですよう。束になられても負ける気はしませんねえ。あっはっは」
 狸は雪だるまの頭をポンポン、と叩いて笑う。そしてそのままの調子で言った。

「でも、僕が十人居て束になっても、ヘイヤさんには敵わないかもですねえ」
 悔しさを隠しているのか、強いボスを誇りに思っているのか、お面の下の感情は掴みとれない。ジャックはやはり“三月ウサギ”の名を持つキャラクターは一筋縄ではいかない相手なのだろうと思った。

「なんにしても、やり合うのは得策じゃないよな。常盤、またあのバグは使えるのか?」
「極力避けたいが、使えないことはない。だが……」
「なんだ?」
「ああ、僕には分かりますよう。誰もがあんなに簡単に捕まってくれるとは限らないってことですよねえ」
 つまり襲ってきたのがヘイヤなら、あれに頼ることも出来ないかもしれないということなのか。
 
(ヘイヤ……そんなに凄い奴だったか?)
 ジャックは遠い記憶の中にあるヘイヤを思い出そうとした。彼と最後に会ったのは、まだ自分が王ではなく女王の騎士だった頃である。以降、公私どちらで永白の国を訪れてもヘイヤと直接顔を合わせることはなかった。嘉月会の長として国を裏で牛耳る彼だが、表向きには王が治める国であるため、外公の場には出てこない。また研究熱心な彼は大体本部に引きこもっており、会おうとしなければ会えないのだ。

 朧な記憶の中に浮かぶのは、この雪のように冷たい顔をしていて、腹の中が見えない男だった。狸は綺麗な人だと言っていたがどうだっただろうか? 冷めた物言いだけが印象に残っている。

 常盤が本から顔を上げた。ジャックは彼の視線の先を追う。が狼を連れて、テントから出てきたようだった。はこちらに気付いて、少しぎこちない笑みを浮かべ「おはようございます」と冗談を言う。彼女のこういうところが嫌いになれない、とジャックは思った。

「どうした、眠れないのか?」
「あ、いえ、ちょっと」
 常盤に問われ、もじもじと目を泳がせる。ジャックは「あ、」と察した。

「トイレか?」
「……ふう」

 は返事の変わりに溜息を吐き、ゆるゆると緩慢な動きでその場に前屈みになると、雪をすくいあげる。そして両手いっぱいの雪をぎゅっぎゅっと押し固め、雪玉を作ると、それを大きく振り被り――ジャックめがけて投げ付けた!
 ジャックは避けようと思えば避けられたものの、彼女の怒り方が存外可愛らしく、大人しくそれを胸元で受け止める。雪玉は思ったよりも硬かった。

「ジャックさんはデリカシーがないですねえ。トイレだと分かっても言わないのが紳士ですよう。さあさん、存分に行ってらっしゃいませ、トイレへ!」
 バシッ。今度は狸の面に雪玉がぶつかる。は表情こそいつもと変わらないものの、少し頬が上気していた。彼女をからかって楽しんでいる二人の男を、常盤がジロリと睨む。ジャックは頭を掻きながら、軽い口調で謝った。

「悪かった悪かった。あんまり遠くには行くなよ? あと、何かあったらすぐに声を上げろ」
「狼ちゃん、さんのこと、任せましたよう」
 は頷いて、それからこちらに背を向け「行こう」と声を掛ける。それはすっかり親し気な様子で、ジャックはもう狼とそんなに仲良くなったのか、と驚いた。達の姿が見えなくなると、狸は雪だるま作りで体が凝ったのか肩を回してバキバキ鳴らす。

「僕もちょっとトイレに行ってきましょうかねえ」
達の方へは行くなよ」
「嫌だなあ常盤さん、分かってますってばあ」
 狸はそう言うと、森の闇にすっと溶け込んでいった。彼が居なくなると、一気に場が静かに、空気が重々しくなったように感じられる。ジャックは気まずさを誤魔化す様に、適当な話題を探した。

「そういえば黄櫨は、もう寝てるのか?」
「黄櫨は寝ない。中で本でも読んでいるんだろう」
 黄櫨が眠らない眠りネズミだという話は聞いたことがあるが、あれだけ小さな体で歩き通しだったのだ。流石にぐっすり眠っているのかもしれないと思った。しかし黄櫨のことをよく知る常盤がそう言うなら、起きているのだろう。常盤がここに居るなら黄櫨も外に出て来そうなものだと思ったが、恐らく……多分、きっと、自分が居るからあの少年は出てこないのだろうな、とジャックは思った。 inserted by FC2 system