Atc13.「森の預言者」



と黄櫨が、一方にとっては対話、一方にとっては対峙しているところへ、ここ数日の常連客が現れた。窓の外、門をくぐって来たばかりの人影は緑色をしている。はその姿を認めると、彼を迎える為に玄関へ向かった。黄櫨は、付いてこなかった。

がドアを開けると、そこにはいつも通り無色透明な表情の緑葉が立っていた。白い肌、大きな瞳、長い髪。すらりと伸びた手足。一瞬女性と見紛う中性的な彼だが、よく見れば肩幅はしっかりとしていて、手首の節も太く、男性らしい。

「具合はどうだい?その様子だと、大分良くなったみたいだけど」
緑葉は呼び鈴を鳴らす前に出迎えたに驚くことなく、そう問いかける。相変わらず掴めない雰囲気を持った彼だったが、その声色は、少女の回復を見て僅かに明るかった。
は丁寧に頭を下げる。

「おかげ様で、すっかり良くなりました。本当に有難うございました」
「……だってさ。良かったねェ、亀太郎」
「えっ!?」
緑葉の口から出た姿の見えない少年の名前に、が声を上げる。もしやその少年は緑葉の背にでも隠れているのだろうか……と予想するが、そこから誰かが出てくる様子も気配もない。数秒間の沈黙が流れ、が疑問符を浮かべていると、少し離れた場所にある植込みがガサリと音を立てた。そこから姿を現した赤いくせ毛の少年は、ずれた眼鏡のフレームを指で持ち上げ、緑葉を睨む。

「だから!僕は居ないって言っただろ!」
「居るじゃない」
「あーもう、話が通じないな!だからアンタは嫌なんだ!」
居ないことにしてくれ、とでも言っていたのだろう。それを分かっていてか否か、当然のように声を掛けた緑葉に、亀太郎は憤慨している。その視線の先には居らず、緑葉に対して派手に怒ることで、意図的に彼女の存在を無視しているようだった。
そんな彼の様子から幼稚な当てつけを感じただったが、彼のその様な行動に対しては、自分の非を認めざるを得ない。

「亀太郎くん……この間は、本当にごめんなさい!」
は亀太郎が無視できず、思わず目を向けてしまう程の大きな声で謝罪した。

湖で溺れかけていた見ず知らずの自分を、体を張って助けてくれた亀太郎。
その後、自宅に招き親切に看病までしてくれた彼を、疑心暗鬼に陥った自分は本の角という凶器で殴り倒してしまった。まさに恩を仇で返してしまったのだ。
謝って済む問題ではないと思うが、謝らずにいる事は出来ない。は、亀太郎と再会したらまず、ひたすらに、謝罪しようと思っていた。

「本当に、本当にごめんなさい……わたし、混乱していたみたいで」
今までわざとらしいくらいにを見なかった亀太郎の目が、静かに彼女に向けられる。彼は常時人を睨んでいるような、目つきの悪い三泊眼だったが、不思議と睨まれているとは感じなかった。の様子を確認するその視線は、どこか優しささえ感じる。
だから、その口が紡ぐ言葉とアンバランスだった。

「別に。おかげ様で、こっちもすっかり調子がいいですよ」
どんな罵声も仕方がないと思っていたが、亀太郎の反応は予想とは違うものだった。真正面からを責めることはせず、だが、わざとらしい嫌味を返してくる。

「……ごめんなさい」
「いやいや。馬鹿な女に関わった僕が悪かっただけなんで。本当に、反省してますよ」
「こら、亀太郎」
自分を卑下する素振りで、相手を貶める。そんな亀太郎を緑葉が呆れたように嗜めたが、少年は鼻で笑うだけだった。はその不躾な対応に、仕方ないと納得しつつも、不服に感じてしまう。そこに、玄関先のやりとりを聞きつけて家主が現れた。

、誰か来ているのか?」
その声に、亀太郎の肩が跳ねる。

「常盤、我々だよ。の様子を見に来たんだ。……まァ、主にこの子がね」
「ああ、湖の医者か。と面識があったのか?」
常盤の問いかけに、亀太郎は「え」だとか「あ」だとか、戸惑ったように言葉を濁した。そんな彼のおかしな様子に、は思い出す。亀太郎と初めて会った日、彼は常盤を危険だと称していた。一体何が彼にそう思わせ、そう言わせたのかは分からないが、彼が常盤に対して苦手意識を抱いていることは明白だった。
は亀太郎の代わりに、常盤に説明する。

「彼はわたしの恩人で、とてもお世話になったんです。湖に溺れそうになったところを助けてくれて、その後は看病までしてくれて……。ただ、彼が“無理矢理しようと”するから、わたし怖くなって―――思わず彼を殴ってしまったんです。それで、そのまま“ベッドの上”に置き去りにして……」
静かに語るの言葉に、常盤の顔が徐々に険しくなっていく。
意趣返しというよりは、こういう冗談に走ってしまうのは彼女の悪癖だった。明らかに誤解を生じさせている彼女の言い回しに、亀太郎は慌てて口を挟む。

「違う!違わないけど違う!なんて言い方をするんだアンタは!」
主張する亀太郎を、常盤が睨む。話の内容も勿論だが、亀太郎のに対する馴れ馴れしい態度も、気に障っているようだった。亀太郎はに対する常盤の反応に驚きつつ、しどろもどろで潔白を訴える。

「ご、誤解です、誤解ですよ、ハハ」
「ええ、勿論、治療の話です。わたし、注射が嫌いで」
そしてはあっさり、言ってのけた。流石に冗談を続けられる身の上では無いと思ったからだ。緑葉は先程亀太郎に向けた呆れの表情を、にも浮かべる。

「本当に、すっかり良くなったみたいだねェ」
「良くなりすぎて、悪いくらいだ……いや、何でもないです、ハハ」
余計な事を言いがちな亀太郎に、彼のそういうところは自分と似ているかもしれない、とは思った。

「常盤さん、緑葉さんもこう言って下さっていますし、わたしはもう大丈夫です」
やけに穏やかな様子で語りかけるに、常盤はそれに続く言葉が予想でき、眉根を寄せる。

「絶対に無理はしませんから……わたし、またアリスの森へ行ってきても良いでしょうか?」
「……何故だ?」
「森に、予言をする方がいらっしゃると聞いたので、アリスについて参考になる話が聞けないかと思っているんです」
「ああ、奴か」
の言葉に、常盤が成程、と頷く。その反応は、予想よりも柔らかなものだった。
預言者のことは常盤も知っているらしく、また、その人物に対して悪い印象を抱いている様子は見られない。ただ、その目はの体調を心配している。そんな彼に、彼の心情を察する古い友人が提案をする。

「心配する必要はないよ。には我々が同行してあげよう」
「―――は?なんで僕が」
「亀太郎は来なくていいよ。“我々”だけで充分だからねェ」
相変わらず分かり難い一人称だ。

「亀太郎は、我々が戻るまでここの本でも読ませてもらっているといい」
「えっ!?いや、いやいやいや、僕は帰りますよ」
「方向音痴のお前が一人で帰るのにどの位かかるかねェ。それに、ここにはお前の読みたがっていた本がたくさんあるよ。ねェ、常盤?」
常盤は、排他的な性格である。身内には甘いが、関係性の薄い他人にはとことん冷たく、容赦がない。そしてそれをよく知る緑葉の言葉は、単なる思い付きではない。自分のへの看病と同行の報酬に、亀太郎に学ばせろと言っているのだ。

「いや、でも……」
亀太郎はチラ、と常磐の顔色を伺う。
彼が所有している情報量と質は、亀太郎もこの世界の常識の一つとして聞き及んではいた。それに興味が無いといえば嘘になるが、安易に開示されることがないものであるということも重々承知している。だからこそ、緑葉のその提案に彼の思考を疑い、そして―――

「……ああ、構わない」

常盤の回答に、自身の耳を疑った。
目を白黒させる亀太郎の肩を一度だけポンと叩いて、緑葉は「さあ、行こう」とを促した。は亀太郎を気に掛けつつも、出来るだけ元気に、明るく、言った。


「それでは、行ってきます」



*



森は、赤みを帯びた黄金色に照らされている。
数日ぶりのアリスの森は、相変わらず不思議で、現実感の無い場所だった。
巨大な植物は子供の落描きのようにアンバランスな姿形で、やけにハッキリとした色をしている。彩度の高さは、目が眩むほどだ。は、幼少期にテレビで観ていた人形劇を思い出した。そして自身を、派手な色相の張りぼて世界に迷い込んだ人形のように思った。

木々も草も花も、全てが全て個性的で激しく主張し合う空間は、逆に一つ一つの区別を失わせ、方向感覚を奪っていく。
数歩先を行く緑葉の足取りもどこかふわふわと覚束ないが、しかしこれは彼の常である。そこに、迷いは無い。

「亀太郎くんは、大丈夫でしょうか」
が気がかりだったことを尋ねると、緑葉が舞い降りるように、の隣に移動した。

「大丈夫、大丈夫。取って喰われはしないよ。それに、あの子は馬鹿真面目で勤勉だから、今頃は嬉々として本を読み漁っているだろうさ」
あそこには貴重な医学書も多いのだ、と緑葉は言った。は先程の様子から“嬉々とする亀太郎”の様子はとても想像できなかったが、そこは彼と付き合いの長い緑葉の言葉を信じることにする。

「だったら、良いのですが……。亀太郎くんは、常盤さんを誤解している気がします」
確かに常盤には、自分や黄櫨以外には冷たく適当なところがあったが、それでも基本的には優しく、紳士的に他人と接しているというのがの認識だった。だからきっと、亀太郎は何か誤解をしている。
は先ほどの亀太郎の常盤に対する反応を思い返し、苦笑した。そんな彼女に、緑葉は問う。

「キミは、常盤が誰と、話しているところを見たことがある?」
「えっと……わたしと、黄櫨くんと、ピーターとジャックと、それから、緑葉さん」
思い当る人数は、思った以上に少ない。今挙げた以外の人物、例えば、ジャックの館の使用人であったりと多少の会話を交わしていることもあったかもしれないが、特に記憶にはなかった。あとは白銀という青年だったが、よく知らない彼の名前を挙げる事は何となく憚られ、口にしなかった。は列挙した人数と、常盤と共に過ごしてきた時間を考え、彼の交友関係の狭さを改めて実感する。

「そう。それ位だろうねェ。そしてそれは皆、常盤にとっては身内同然。極親しい間柄にある者たちばかりだ。特に黄櫨と、あのウサギくんはね。彼ら三人は、一時一緒に暮らしていた家族だったから」
えっ、とは驚く。三者三様に他人に興味の無さそうな、彼らの奇妙な関係性。それを疑問に思うことはあったが、彼ら三人を結び付ける縁が“家族”というものであったということは想像もしていなかった。常盤と黄櫨が共に暮らしてきたことは知っていた為、正確には、ピーターと彼ら二人を結びつける縁、である。しかし、何故だかしっくりくるものがあった。

「身内以外には、彼はとことん厳しい人だよ。だから今日、亀太郎は付いて来たんだ。我々が、キミが常盤のところに居ると教えたから」
「それは、」
やはり亀太郎は、心配して来てくれたのだということだ。分かりやすく、そして不器用な優しさに、が肩を落とす。そんな相手に、自分の対応はあんまりなものだったと反省せざるを得なかったのだ。

「わたし、亀太郎くんにちゃんと謝らないと」
「ん?先程謝っていたように見えたけど」
「もっと、ちゃんと謝りたいです。あと、お礼も言わなくちゃ」
そう言うに、緑葉は少しだけ目を細めた。それは随分と、優しい表情だった。

「あの子には、要らないよ。謝罪にも礼にも卑屈になる変わり者だから。君は元気に、あの子の失言に立ち向かってくれるのが一番良い」
亀太郎のことをよく理解しているというその口ぶりに、ああ、彼らもまた“身内”なのだと、は思った。


それから二人は暫く歩き続け、決して多くは無かった会話が二・三転じた頃、目的の場所に辿りついた。
鬱蒼と生い茂る木々の中でその空間だけが開けており、プラネタリウムを思わせるドーム型の屋根をした建物が、隠れるように佇んでいる。
その特徴的な屋根の上には、空に向けて大きな丸い皿を向けているパラボラアンテナがあり、周辺の地面には至る所にミステリーサークルのようなものが描かれていた。
そして、庭……と言うよりは、柵で囲われただけのスペースに、大きな望遠鏡が設置されている。望遠鏡は空を見上げていた。

イメージしていた「預言者の館」とは大分違えど、それらからはどこか超自然的な力を感じる。
は先をゆく緑葉に続いて、その建物の入口にそっと近付いた。
分厚い石の扉は人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していたが、緑葉は無遠慮に、ノックも無しにそれを開ける。

「アオイ、居るかい?」
「勝手に開けるな。室内の気が乱れる。先読みには室温、湿度、全てが完全な状態でなければならない。」
返事は、驚くほどに早かった。

緑葉の言葉に即座に返された男の声は、やけにハッキリとしていて聞き取りやすい。その声の持ち主は部屋の真ん中、黒いクロスのかけられた丸テーブルの奥で水晶を眺めていた。テーブルの周りには、そこを囲むように天井から紫色のカーテンがかけられている。室内の様子はまるで占い師や魔術師の館のようで、それは、のイメージ通りの預言者のものだった。神秘的で、胡散臭い。
そして、そこに住まう主の印象は―――


「青い」。その一言に尽きた。


青年が身に纏っている衣服は青では無く、上から下まで黒で統一されている。肌は日焼けはしていないが、青白いという程では無く、極普通の東洋人の色をしている。瞳はと同じ、茶色がかった黒だ。それでは彼の一体何が、に青色の印象を与えたのか。それは、その髪であった。
バラバラに切られた短髪は真夏の空のような鮮やかな青色をしており、それは、彼の他の要素が目に入らなくなるくらい、強烈なものなのだ。

「アオイくん、久しぶりだね」
緑葉が親しげに声をかける。それに対しアオイと呼ばれた空色の男は、厳しい表情で水晶を見たまま、頷く事も無い。は彼の様子に、底知れない何かを感じた。静かで研ぎすまされたそれは、爬虫類の持つ雰囲気に似ている。

しかし彼の不動で厳格な表情は、その視界にを認めると同時に一変した。その変化は、爬虫類が獲物を見つけたときのような緊迫したものではない。
男は水晶から目を離さず、しかし口元に確かな微笑を浮かべた。

「ようこそいらっしゃいました。様」
「えっ?」
その口調は、打って変わって丁寧なものだった。彼の変化と、なんの約束も無しに訪れた自分を歓迎する言葉と、そして―――呼ばれた名前に、は驚く。

「俺は先読みの占術師をしている、アオイと申します。人には外れない占い師として、預言者と呼ばれております。しかし、それは当然の理なのです。未来とは決まっているのです。ただ、それらが無数に分岐するというだけ。1つの選択肢によって、時には蝶の羽撃きでさえもその道を分かちます。その羽ばたきに耳を澄ませてさえいれば、先を読み違えることなど有りはしないのです」
まるで台本が用意されているかのように連ねられたその言葉は、何かの朗読のようだった。

「……あなたの占いで、わたしがここに来ることも分かっていたのですか?わたしのことも」
の言葉に、アオイと名乗った男は少し目を細めただけで、緑葉も何も言わない。

「俺は、あなた様がお知りになりたい事柄について、存じております」
アオイはの問いには答えず、そう言った。アオイのその言葉は、不思議とに一切の疑念を抱かせなかった。この不思議の国ならば100%的中の占いなど常識的に存在していてもおかしくはない。それに何より、彼の言葉は彼自身に、他人に、世界に、誠実な響きを持っているように感じられたのだ。
それでも自分から改めて「知りたい事柄」を口にしないのは、の性根の悪いところである。

「その件について、教えて頂くことは出来ますか?」
「勿論です。さあ、参りましょうか」
アオイのカラスのように黒ずくめの痩躯が椅子から立ち上がる。唐突な彼の言葉に、は「え?」と首を傾げる。

「どこへ、ですか?」
「月のことは月に訊きましょう」
アオイは流暢な動作で、に手を差し伸べた。しかしその目は相変わらず、を直視しない。彼の視線は人を見ず、虚空を、世界そのものを見ている。
どういうことか分からず困惑するに、緑葉は彼の手を取るように促した。

「行っておいで、
は理解しきれないまま、その手を取る。彼の無骨で冷たい手に触れた途端、ふわり、と風が舞ったような気がした。

気が付けばは彼の背に乗せられ、彼は、アオイは―――空を、飛んでいた。
羽も無いのに、風を味方に付け、夕空に舞い上がったのだ。
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