Act12.「少年のナイフ」



カーテンを通して柔らかく拡散された夕陽。黄朽葉色の髪が、光を透かして金色に輝いた。少年の纏う薄水色のマフラーも、アイボリーのカーディガンも、黒のショートパンツも、全てが淡い黄金色に染まっている。そこは、絵画のように美しい。
図書館に居ない黄櫨を探していたは、中庭に面した一室に彼の姿を見つけたものの、あまりに美しいその景観に声をかけることを忘れて見入ってしまった。

少年が彼女の存在に気付いて視線を動かすと、ようやく止まっていた時が動き出す。

。もう体調は、大丈夫なの」
「うん、もう大丈夫。心配かけてごめんね」
そう言うの瞳をじっと見つめて、黄櫨は小さく「違う」と言った。そして、間髪入れずに続ける。

「僕は心配してないから。ただ、迷惑だっただけ」
その瞬間、には軋むような音がはっきりと聞こえた。空気が、心臓が、心が、軋む。
黄櫨は、常盤とは全く逆の言葉と感情で、目覚めたを迎えた。

「はっきり言うと、僕は君が邪魔だし、嫌いだよ」
突然始まる告白に、は戸惑う。人の感情に敏い彼は、決して悪戯に人を傷つけるような事は言わない。もし彼がその言葉を鋭利に尖らせ、攻撃的に誰かに向けるなら、そこには明確な敵と悪意があるということだろう。
そして今、その刃先はに向けられた。

「どうしていきなり、そんなことを言うの?」
この間階段で話した時には、少し仲良くなれたのではないかと感じていた。寝込んでいる間も、彼は何度も看病に来てくれた。初めて会った日こそ多少の口論はあったものの、次の日には普通に接してくれる黄櫨は自分以上に大人で、一緒に居ると落ち着いた。二人で話していて盛り上がることは無かったが、それを必要としない穏やかな、落ち着いた交友関係が築けているのではないかと、そう思っていたのに。

「さっき、ピアノの音が聞こえた。君じゃないでしょ?……あの人は、僕が何度言っても、一度も弾いてくれなかった」
「え?」
口の中で呟くように言う黄櫨の言葉が上手く聞き取れず、は聞き返した。黄櫨は一瞬黙って、それから強い口調で話し始める。

。君は突然現れて、人の領域に居座った。君は、君を心配する常盤の気持ちを踏みにじる様な事ばかりするし、君が図書館から消えた日、僕は常盤からの信頼を失った。君に階段でアリスのことを話したのも、本当は、君の悩みが解決すればいいなんて思ったわけじゃない」
は口の中がやけに乾くのを感じていた。

あの日、黄櫨はこの国とアリスのことを話してくれた。アリスの身勝手さと、この国の人々の悲しい宿命を。それを聞いて、アリスを追う事に対しての覚悟が強まった。彼には感謝していた。なのに。

「きっと僕は、君の悩みが解決して、君が義務感や責任感、焦燥感から危ないことに巻き込まれて、そのまま帰ってこなければいいと……どこかで期待してた」
真っ直ぐでありながらいつも感情の見えなかった黄櫨の瞳。しかし、今はそこにはっきりと、敵意を感じ取ることが出来た。

「でも君は帰ってきて、また常盤に心配をかけた。居ても居なくても、君は迷惑をかけ続ける。気付いてた?君が出て行ってから今日までの間、あの人は殆ど寝てないんだよ」
黄櫨の言葉に、は先程の常盤の様子を思い返す。言われてみると確かに、いつもとは違ったような気がした。彼の顔には、声には、疲れが滲んでいた。あれは自分の所為なのか。は気付かなかった自分を悔いた。

「きっと彼は、いつか君に殺される。もしそんなことになったら、」
そこで黄櫨は言葉を切る。そして切なげな顔と苦しそうな声で、絞り出すように言った。

「僕が君を殺すよ」

それは、敵意を超えた殺意だった。真正面からそれを向けてくる黄櫨に、は―――

“美しい”と思った。

人の感情に敏感な黄櫨は、の中にある感情に気付くと驚いたような顔をして一歩退く。

「どうして、ここまで言われて僕に嫌悪を抱かないの」
理解できないものに対する恐怖をじわりと感じながら、黄櫨は問いかける。は自分でも不思議なほど、心が穏やかなのを感じていた。

「ごめんね。黄櫨くんに嫌われるのはとても悲しい。でも、わたしは黄櫨くんが好きだよ」
嫌われたら嫌いになるものだっただろうか?今までの経験を思い出そうとしてみるが、同じような状況には中々辿りつけそうに無く、断念する。

「黄櫨くんのまっすぐな目が好き。落ち着いた喋り方が好き。そして何よりも、心の綺麗な君が好き」
彼の心は、驚く程に純真だ。澄み渡ったその瞳よりも、きっともっと、彼の心は透き通っている。そんな彼の紡ぐ言葉も、同様だ。今日の彼の言葉はナイフのように尖っているが、彼がそれを振りかざす目的は攻撃ではない。防御だ。自分の居場所と心を守る言葉。大切な人をひたすら大切に想って、その身を案じる心。美しい、刃。それに気付いたは、嫌悪など出来る筈もない。それどころか、彼女の心にはその美しさへの憧れや愛おしさが湧き上がっていた。

「好かれようなんて、おこがましいことは考え……てるけど、君が嫌いでもわたしは好きだよ」
黄櫨はを不可思議なものを見るような目で見た。そこに居るのは、今まで見たことのない種類の人間だった。彼女の好意は、彼女の中の確固たる対象に向いている。それ故に、揺るぎ無い。そこには、対象が自分に向ける感情が寄与しない。

それはまるで神の愛だと、黄櫨は思った。
彼女は、ひたすら欲の塊である人間の愛を理解しているのか。それは分からなかった。

「……そう」
ただ、人間の感情は好意を向けられると敵意を抱きにくい。

「常盤さんにも心配かけちゃったけど、今度からはちゃんと考えて行動する。だからまた、色々教えて欲しい」
「教えるのはいいけど、その裏で僕は君を陥れようとしているかもしれないよ?」
そう言っても、は冗談のように笑うだけだった。黄櫨はから目を逸らし、背を向ける。

「……緑葉のところに行ったなら、アリスの森には入ったんだよね」
「え?うん、入ったよ」
「少し分かり難い場所だけど、アリスの森の奥には予言者のグリフォンが居る」
「預言者?グリフォン?」

「この国の終焉を予言した預言者だよ。彼には未来が見える。彼の予言は、百発百中で事実になる」
未来が見える預言者。は少し肌寒くなるのを感じた。以前常盤には人の心が読めるのかと疑ったことがあったが、それは自分の勘違いだった。そう教えてくれた黄櫨は、今回は超能力の存在を断言する。未来が見えると言う、恐ろしい力を。

「彼に話を聞けば、有益な情報が得られるかもしれない。ただ相当の変わり者らしいから、話を聞いてくれるとは限らないけど」
冷たい口調で淡々と話す黄櫨に、は「ありがとう」と微笑んだ。

そんな彼女に黄櫨は、困惑した。
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