『うわああおばけ!おばけ!あっちいけよ!』
『あなた、めずらしくげんきね。そうぞうしいくらい』
『なんできみはこわくないのさ!は、はやくにげよう!』
『だいじょうぶ。これは、おばけじゃないわ』
『どうみたって、まっくろおばけだよ!』
『ちがうわ。これは、』

あなたとわたしをまもる むてきのへいたいさんなの。

『ぼくときみを?ほんとうに?……だったら、ちょっとかわいくみえてきた。よろしくね、へいたいさん』
『……かわいくなんてないわよそんなの』
『なんでおこるの』
『べつにおこってないわ』
『あの、でも、やっぱりきみがいちばんかわいいよ』
『……しってる』



Act1.「アリスの夢」



要は気の入れようなのだ。
目覚めの疲労感は前の比ではないが、夢に引きずり込まれる瞬間に強く気を張っておけば、眠りの時間は短縮できる。今までだったら半日は寝むりこけていたであろう容量の夢でさえ、一時間で起きることも可能なのだ。以前一時間だったものは、眠りともいえないうつらうつら程度へ。限られた時間の中で成し遂げなければいけない使命があるには、それは大きな進展だった。

橙との時計塔の一件。あの時の眠りは、内容にしては浅いものだった。後々考えるに、あれは特殊な状況下での緊張状態が影響していたのではないかという答えに辿り着く。にとってその体験は大きく、あれから幾度となくあの感覚を呼び起こし、再現を続けてきた。
そしてようやく、コツを掴んだのだ。


「……で、なんでこうなってるの」
「おっ。起きたか」
目覚めたわたしは、何故かジャックの背で揺られていた。わたしは初めに彼に言っていた筈だ。「眠ってしまっても放置してくれればいい」と。大体の夢は内容も薄く数分程度の眠りで、当たりを引いたとしても一時間だ。だからその場に放っておいてくれと、言わなかっただろうか。
は下りるという合図で彼の黒いコートの背をポンポンと叩いて、彼が屈む前にそこから飛び降りた。辺りを見回せばそこは、眠る前には大分深くまで踏み込んでいた森の出口付近。が僅かに非難の視線を送ると、ジャックは困ったように笑い、目を逸らす。

「まだ帰るなんて言ってないのに。何か用事があるんだったら置いていってくれて構わないってば」
ジャックがの探索に付き添うのはこれで三回目だ。その内二回はB地区での騒動前で、にとっては今回が久しぶりの彼の同行になる。しかし、だ。今までは次々と色々なところへ案内してくれた彼が、今回はどういうわけか早々に切り上げようとする。それも全く収穫が無いのなら分かるが、現状はその逆である。コツを掴んだは今日だけで、もう三つものアリスの記憶を見つけているのだ。こんなに捗っているというのに、ここで帰るわけには行かない。

「一人でも大丈夫だよ」
は、本日何度目かのそれを口にする。ジャックは笑うだけだ。
この場所は、常盤の屋敷からはそう遠く無い。の足でも、時間はかかるが夜までに歩いて帰れる距離だった。

「先に帰ってて」
そう言って回れ右をして再び森に入ろうとするの腕を、ジャックは引き止めて「まあまあ」と窘めた。

「ぶっ続けで三つも見つけたんだから、今日はこの辺にしておけよ。焦り過ぎるとろくなことにならないぜ?」
よくもまあ、焦るな等と言えたものだ。とは内心でぼやくが、それでも彼の手を振り払うことは出来なかった。彼が自分の身を案じてくれているのだと気付いたからだ。は彼の言う事にも一理あるかもしれないと思い直し、帰ることを了承すると、早足でジャックを追い越し森を抜けていった。ジャックはその後姿を見てやれやれと溜息を吐く。ふらふらと覚束ないその足取りに、彼女自身は気付いていないのだろう。追いかければ、数歩で追いついた。

は隣に並ぶジャックをちらりと見て、考える。“彼でも駄目だ”と。これではが今回の同伴にジャックを選んだ意味が、まるで成されていない。

そもそもどうしてが常盤ではなくジャックを同伴にしているかというと、常盤がろくに外に出してくれなくなったことがその原因だ。外に出してくれないというと語弊はあるかもしれないが、あながち間違いではない。「協力する」と言った手前、常盤はにこの国の細かいことや、僅かに残っているアリスの情報を教えることはする。だがいざ外に行こうとすれば、危ないからだの、彼の都合がつかないからだのとはぐらかされてばかりだ。そこで諦めず、無理にでも一人で行こうとしたこともあったのだが、それを口にして悲しい顔をされて以来、二度と言えなくなってしまっていた。常盤がを見る目は時々とても悲しい色を帯びていたが、それにはどこか有無を言わさぬ威圧感があり、結局は彼に逆らえない。
彼がこうもあからさまに白ウサギの役目を妨げるようになったのは、がアウグスの街から帰ってきてからだ。自分でも気付く自信のない、橙に打たれた頬の腫れさえ目敏く見つけられて、追求され、常盤も黄櫨も覚えの無いという正体不明の本に食べられてからの一連の出来事を事細かに話してからというもの、彼はに対して過保護に接するようになっていった。だから、B地区での件があって殆ど言いがかりで常盤から出入り禁止を言い渡されているジャックが、何食わぬ顔で現れてくれたのは実に有り難かった。それが今日、軟禁生活五日目のことである。

(ジャックまでわたしに気を使うんだったら、どうすればいい?)
一人では危険だと出してもらえない。出してもらえたとしても、一人で可能な移動手段は徒歩のみで、遠くまで行く術は無い。ならば同伴が必要だが、同伴があればそれはそれで自由が無い。どうするのが一番だろうか。

森から出て、小さな町の中を歩く。道が狭すぎて馬車がここまで入って来れず、待たせてある街の外れまでは歩かなければならなかった。地面を踏む足が疲労でジンジンと痛んでいることにようやく気付いて、は驚く。帰り道とは疲れが出てしまうものだなあと。

「結構賑やかだな」
ジャックの言うように、小さな町にしては活気があった。道にはぽつぽつと露点が出ていて、時々商人に呼び止められることもある。がその中の一つに何気なく目をやると、そこはガラスや水晶を使った商品を置いているようで、置物から時計、髪留めやブローチまで様々ものがキラキラと光を集めていた。淡い色合いのものが多く、デザインも動物だったり花だったりととても愛らしいものばかりで、つい目を奪われ、眺めてしまう。

「へえ、やっぱり女の子だな。こういうのが好きなのか」
思わず立ち止まってしまったの後ろから、ジャックが台の上に並べられた品物を覗き込んで言う。は少し気恥ずかしくなり、笑って誤魔化した。

「キラキラしてて可愛いんだから、誰だって見ちゃうでしょ」
「お前の方が可愛いよ」

……恐らく飲み物を口に含んでいたなら、漫画のような盛大なリアクションをお楽しみいただけただろうに。残念だ。ジャックは清清しいまでにしたり顔をしている。はとりあえず何事も無かったような顔を取り繕った。よく聞き取れなかった、という風に。

「え?」
聞き返してやれば、伝わっていなかったことが恥ずかしくなったのだろう。ジャックは赤い顔でむっとする。店の主人が何も言わずにニヤニヤと笑みを滲ませていた。

「ちょっ、ちゃんと聞いておけよ!二度と言うか馬鹿!」
「うん。二度と言うなよ馬鹿。薄ら寒い」
「お前!しっかり聞こえてんじゃねえか!」
はハハと、乾いた笑い声で彼をからかった。彼は割とこういう冗談をサラリと言うからこれもその一つに違いないだろうが、流石に今のは肌寒くなるレベルだ。
しかしまあ、こうして軽口を叩ける相手になってくれただけで感謝しなくてはならない。「可愛くねーな」とジャックが文句を言った。「うそ。可愛いんでしょ?」と冗談に乗ってやって、は再び歩き出す。

「おい、気になるならもっと見ていけばいいだろ。何か買ってやろうか?」
「いや、いいよ」
疲労からか、とてもそんな気分にはなれなかった。それにまだ、夢の余韻が全身に巡っている。「またいらっしゃい」と店主が言うのが聞こえたので、振り返ってちょっとだけ頭を下げた。

「そういえば、夢の少年もジャックみたいなこと言ってたなあ」
「少年?」
「そうそう。いつもアリスと一緒に居る子でね。ふふ、幼いのにませてたなあ」

(いつもアリスと……?)
ジャックは眉を顰める。確か彼女は一番初め、青バラの一件での夢にも少年が居たと言っていた。それが例外であっただけで、今まで誰とも関わってこなかったというアリスの記憶は殆どが独白のものかと思っていたが、の言う通りだと夢の中には“いつも”その少年がいるらしい。はそのことに何も疑問を抱いていないようだ。

その夢がの白ウサギとしての役目に関わっている以上、分からないのなら干渉すべきではない。基本的に自分の役目は自分で果たす。それがこの世界の基盤にあるルールでもある。役目とは、その人にしか成し遂げられないものである必要があるからだ。夢で存在を確立させようなんて複雑な話なら、特にそうだろう。の見たものが、の培ってきたものからある程度の思い込みを経て、アリスを確立させる。が確立させる思い込みこそ、正解なのだ。ならば、他人がそれに関与すべきではない。

……で、あるからして、が夢の中の少年に何の疑問も抱いておらず、受け入れているのならば何も言うべきではないのだろう。
突然喋らなくなったジャックをおかしいと思わないくらいに、は夢の内容を熱心に思い返しているようだった。ジャックは、彼女のその顔が妙に穏やかなのが気にかかっていた。
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