Act6.「非協力者」



「に、にに、にまんにせん!?ちょっと待ってよ。1年が365日だから……」
「約61年だよ」
61年。さて、と、今は何の話をしていたのだっけ。はそれが何の数字であるか分からないという素振りで、まるで面白くない冗談でも聞いた後のように振舞いたかったが、生憎そんな空気ではない。
彼の言葉が正しければ、彼女の耳が正常ならば、それは、この街だけが同じ日を61年もの間繰り返し続けているということになる。

「……ちなみにだけど、そんなことって、よくあることなの?」
「よくあるわけないでしょ」
ピーターの返答にはむっとする。……そりゃあそうだろうけど、そうだろうけど!!知るか!知らないよこの世界のことなんて!!まるでわたしが常識ないみたいに、言わないで!

「過去は決定事項だ。本来ならその10日に組み込まれていない僕や君はここに存在し得ない。けど、僕たちが通ってきた違反通路は極めて自由な出口を作るから……世界のルールを無視して、過去の事実を書き換えてしまった」
「……この街の外には出られないの?」
「世界の時間の主軸はいつでも一本だけ。それに置いていかれたこの街は今、完全に独自の時間軸を形成してしまっている。今のこの街は、他と離別された完全な閉鎖空間だ。つまり、この街に“外”なんてものは存在し得ない。見えたとしてもそれは実態のない蜃気楼みたいなものでしかない………ってことだけど」
ピーターがちら、とユリウスを見やる。説明している彼も、恐らくこのような経験はしたことが無いのだろう。その表情はどこか半信半疑だ。

「じゃあ、どうすればいいの。街の人たちはこの事に気付いてないの?」
「街の人は一番初めの10日と全く同じ日を繰り返しているのだから、10日にない思考が新たに生まれることは無い。でしょ」
「街の外の人は!」
「僕達の居た17月21日の時間軸では、君がこの国に来て少し経つ頃には、この街は空間ごと消えてしまっていたから。アリスの消滅とは違って、存在していた証だけ残して街本体がさっぱり無くなっていたんだ。……だから始めにいったじゃないか、帰れないって」

は眩暈を覚えた。
これがもし、小説の中の、物語の中のお話だったなら簡単に呑み込める設定だと思うが、実際自分の周りで起こっていることだとそうはいかない。寧ろそうあるべきなのだと思う。

でも、概ね理解し終えた。

は深呼吸とも溜息ともつかぬものを一度して、少し落ち着いてから改めて状況を見ることにした。少し早口だったピーターは声色からは窺えなかったが、この状況に大分苛々しているらしい。纏う空気がピリピリとしている。
ユリウスといえば、前髪と髭の所為で全然表情が掴めない。……あ、れ?なんでこの人、ここにいるんだ?

「公爵様、あなたはこの街の方ですよね?なのにどうして……」
どうしてそこで平然と話に加わっていらっしゃるのですか。なんて、失礼な言い方は出来なかったが、つまりそういう疑問を滲ませた表情を浮かべて、はユリウスを見る。は人と話をする時には基本的に目を見るのだが、この人の目はどこにどうあるのか分からずに、とりあえず鼻の辺りをぼんやりと見ていた。

しかし彼は何も答えない。そんなに喋るのが嫌なのか。
予め頼まれていたピーターが、彼の代わりにに答える。には、ピーターがここまで真面目に面倒な役を引き受けているのが意外だった。国王補佐官という彼の立場への理解は深くなく、公爵との関係も分からないが、彼の性格はそういう役回りと結びつかない。
特別な事情があるのか、または彼が諦めざる終えない程に、公爵が無口なのか………。

「常盤に聞いたかもしれないけど、この世界で最も重要なのは個々の存在濃度だよ。彼はこの街の領主で、この空間に置いては一番の権力者だから、その他の存在と別の場所に立っていたとしても頷ける。もしかして、くらいにしか思ってなかったけど……案の定、彼は22,214回分の今日を全て記憶しているようだ」
先程彼らが外で話していたのは、もしかしなくてもこの件についてだったのだろう。……―――存在濃度。
自身も白ウサギという役名の元、それによって“奇跡”なんてものを起こした身の上だったが、……未だに実態は掴めていなかった。

要はアイデンティティの確立と、自己主張が大事だということ。で、いいのだろうか。

「なるほど。……そもそも、何故時間が繰り返されているのでしょうか。その原因は、何なんですか?」
ユリウスがどんな人物であれ、流石に61年も埒の明かない事を繰り返している訳がない。日付が進まなかったとしても、彼の中では何らかの進展があったに違いないだろう。

しかし、公爵は首を横に振っただけだった。

「どうやら彼は、“何も分からない”らしい」
ピーターが冷ややかな口調で言った。その視線は明らかな呆れや侮蔑を含んでいたが、それを向けられたユリウスは何にも気付いてないかのように、ただ黙って座っている。

「橙は?この事に………気付いていないんだよね」
この話し合いの場に居ないのなら、そういう事なのだろう。

「まあ、彼女は公爵……殿の血縁者だから覚えているかもしれないけど、それは確認しようがないことだよ」
「なんで?」

「17月10日、日付が変わってから起床するまでの間に、彼女は自分の名前以外の一切の記憶を失ってしまうんだってさ」



は言葉を失った。

(だってそんなのって、絶対にありえない!!)
ちょうどその日の朝に記憶喪失になるなんて、何も無いと思える方が異常だ。多くの人が人生の中で関わらないような低確率の事象が、そもそも事故でも何でもなく、柔らかなベッドの上で密やかに行われるという事も信じられない。ならば、彼女は安易には覗けないくらいの深さのところで、今回の件の核に関連しているに違いなかった。―――そう、相場で決まっているのだ。

しかしそれを疑っているのはわたしだけではないだろう。ピーターの話し方からして、彼からも同じような思考が伺える。そして、公爵がそれを良しと思っていないのだということも。
父親として、娘の不幸に他人が安易に踏み込む事が許し難いという事だろうか。ならばすぐに本題には入らず、ゆっくりとこの家庭の事情を聞いていった方が良いだろう。そして警戒心を解き、距離を詰めていく。それは、彼の様子からは相当の時間を要する事のように思えたが、急がば回れだ。
は同情を篭めた目で、控えめに声を掛ける。

「公爵様が今までどんなに大変で、お辛かったかを考えると、なんと申し上げたら良いか分かりません。こんな状況で、娘さんとお二人きりでは大変だったでしょう。こうして街外れにいらっしゃるのも、娘さんの療養の為でしょうか?」
は聞きにくそうに、しかしはっきりと問いかけた。ここはピーターが言うような“公爵”の居るべき場所ではない。だから、彼がデリケートな状態の橙に刺激を与えないよう、人から離れて暮らしているのではないかと考えたのだ。きっと、何回目かの今日に元の住居から移ったのだろう。それが明らかになれば、繰り返される毎日でも行動は変えられるということが定かになる。これは、かなり重要な意味も持つ質問だ。(わたしすごい!自画自賛!)

「答える必要があるのか」
「………!」

(駄目だ、話にならない!)

これで確定だ。きっと彼は何も話さない。話してくれない。と、いうよりも、……最初から彼を情報源にするのは不可能であったようだ。話さないどころか、そもそも彼は秘密にしたいらしいのだから。

ならば、わたしがどれだけ正しい“必要性”を提示して彼を説得し、その口を割らせたところで、そこから得られた情報が真実だという判断は付かない。ダメだ。どうして良いか分からない。

「分かり、ました。わたしは……これからどうしたらいいんでしょうか」
わたし達、と言ったらピーターに嫌な顔をされると思った。なんとなくだ。

「……どうせ出られない。諦めて街に宿でもとって暮らせばいい」
ユリウスが言った。(諦めてなんかいられるか!)

「そうします」
ピーターが答える。諦めることに対してか、宿をとることに対してかは分からなかったが……後者の場合、彼はちゃんとわたしも連れて行ってくれるのだろうか、とは危惧する。

「とりあえず……今晩は泊まっていってくれて構わない」
ユリウスは、どうやら少しの情くらいは持ち合わせているようだ。


「屋根裏に……一つだけ部屋がある」

………と、思ったが、間違いだったようだ。一つ。一つって!
しかし、まさか記憶を失ってしまう橙の隣で、彼女にとっては初対面のわたしが寝るわけにも行かないだろう、と、渋々お礼を言って部屋を出る。

とピーターは会話も無く、古びた階段を上った。

屋根裏の小部屋は思っていたよりも綺麗だった。多少埃臭いものの、それもこの秘密基地のような部屋にはぴったりで、演出の一つのように感じられた。
部屋には天井に丸窓が一つ、中央に小さな椅子が一つ。壁の棚にはボロボロの本が数冊と、薄汚れた鏡石。部屋の一番奥に、色褪せたシーツが掛けられたベッドが一つ。……はそれを見て勝手に気まずくなるが、よく考えれば今晩は寝ている暇など無いのではだろうか。
とりあえず、彼とはこれからの事をよく話し合わなければいけないだろうから。

は硬そうな椅子に腰掛ける。

「これから、どうしよう、ね。この街の時間が正常に戻れば、元の場所に帰れるのかな……」(しかしその場合、この街が他の世界の時間に追いつく事なんて出来るのだろうか?浦島太郎は、嫌だな)

「さあ。なるようになるんじゃないの」
「なるようになってないから繰り返してるんじゃないの。……ベッドにでも座ったら?」
「まさか。君だって僕と一晩同じ部屋で過ごす気なんてないだろ。安心してよ、僕はどこか別のところに行くから」
ピーターの言葉にはむっとする。彼にはここに来る前に助けてくれた恩と、意図せずともいえこんな事に巻き込んでしまったという多少なりともの罪悪感があったから、できる限り友好的に接していきたいのだが……。

「別に一晩くらい気にしないけど。……あとさ、何でだか知らないけど、そんなに機嫌悪くされたってね、わたしは喧嘩するつもりなんか更々無いんだからね」

しかしやはり、口から出るのは生意気な言葉だけだった。重たかった室内の空気に、刺々しさが加わる。それは以前、街で再開した彼に対して喧嘩腰になっていた時のものとは明らかに違った。その変化は、彼の方にある。

「僕だって君なんかと喧嘩するつもりはないよ。時間の無駄だ」

前は相手にもしない様子で受け流していたピーターが、今は一々に突っかかるような物言いをするのだ。それ程に今の状況が気に喰わないのなら、解決に向けて前向きな努力をするべきじゃないのか。話し合いとか。それともそれすら時間の無駄だというのだろうか。

「そんなにわたしが気に入らないのなら、初めから他の人にすれば良かったのよ」
「だから、君と喧嘩する気は無いって言ってるだろ」
ピーターの言葉は、彼にしては語調が荒れていた。はそれに少し面食らって口を閉ざす。吃驚して、今まで見ないようにしていた彼の目と視線がぶつかる。(赤はいつから寒色になった?)

「それに……君と喧嘩をするのも、一晩同じ部屋で過ごすのも、常盤に知れたら何を言われるか分かったものじゃないからね」
「……!!」
「本当に……無害そうな顔して、一体どんな手を使ってあいつを誑かしたんだか」
「そんなんじゃ……、」
けれどは何故かそれ以上言葉が続かず、テーブルの木目に視線を落とした。ああ、彼の態度の変化の理由が分かった。つまり彼は、友人を誑し込んだわたしが気に入らない、ということなのね。

―――彼の言うようなことが一切無いというのは確かだった。だが、常盤を良く知る黄櫨やジャックの言動から、彼の極端なまでの社交性の低さは図り知ることが出来たし、何より彼自身が他人に興味を抱かない性格だということもこの数日で分かっていた。本当に……そんな人が何故自分には優しくしてくれるのかが解し難かったが、よく考えればそれは紫にも言えた事だった。(わたしはそういう人に好かれる体質なのだろうか?)

だから、そんな常盤をよく知っているピーターに、どれだけ否定の言葉を連ねたところで意味は無いだろうという事も分かっている。故に、何も言えない。
ただ、あなたのご友人はこんな少女一人に簡単に誑かされてしまうような人なのかと問いたかったが。


視界の端で彼が動くのが分かった。一つの溜息を残して、ピーターは部屋を出て行く。バタン。静かな動作で閉められた筈の扉は、割と乱暴な音を立てた。

は一人になる。

「……夜が明けたら、街を歩き回ってみようかな」
そう呟いて、冷たいシーツの上に悠々と寝転んだ。ああ、先が思いやられる。
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