Act5.「17月のある日のことです」



そこは恐れていた、ただ白いだけの世界……ではなかった。
ようやく行き着いた出口の向こうに広がっていたのは、何の変哲も無いレンガ造りの街並みで、それはまるでずっと目の前にあったかのようにそこにある。静かながらも家々から微かに聞こえる生活の音が耳に心地良い。
はっとして背後を振りかえれば、そこにもう通路はなくなっていた。

「ここ……どこだか分かる?」
は辺りをきょろきょろと見回しながら、ピーターに訊ねる。彼は腕組みをしながら右と左を一瞥して、最後にうんざりとしたような顔で空を仰いだ。

「……まあね」
「え!分かるの?良かった」
期待していなかった予想外の返答にはほっと息をつく。分かるのなら話は早い。つまりここは四次元空間でもなんでもないのだから。は特に意味も無く、人通りの無いそこに二・三歩踏み出してみる。

「じゃあ、早く帰ろうよ。帰り方分かる?」
「無理だよ」
えっ。何が無理なのか、とが問いかけるよりも先に、聞き覚えの無い声がその場に鳴った。鳴ったというに相応しく、鈴のような声だった。


「アンタたち見ない顔ね?こんな時間にこんなところで何をしているのよ?」

その少女は紺色の空気がいっぱいにつまった夜の街をまるで従えているかのように、堂々と腰に手を当てて立っていた。顎の辺りまでで切りそろえられた赤い髪が夜風に揺れている。少し吊り気味の目の色はこの距離じゃ分からなかったが、その瞳は爛々としていた。気が強そうだな、とは思いながら、その少女の方に向き直る。

「こんばんは。わたしたちは少々事情がありまして……。道に迷ってしまったんです」
「あら?この街、迷える程広くないわよ」
歩み寄ってきた少女は、よく見ればよりもいくつか年下のようだった。そして瞳は薄い茶色。
は後ろのピーターに視線をやったが、どうやら彼は話す気は無いらしい。は何と言っていいのかを考える。

「いえ、外からこの街に迷い込んできてしまったのですよ。……それよりも、あなたみたいなお嬢さんがこんな夜更けに一人で出歩いては危ないのでは」
「どうしてよ?」
「危ない人がいるかもしれないでしょう」
「アンタたちがその危ない人なのかしら」
「はは、少なくともわたしは人畜無害ですよ」
「そうかしら?アンタの喋り方、すごく胡散臭いわよ。女の子なのにエセ紳士みたいだわ」
「エセ紳士……。初めて言われたけど、それ。まあ、紳士なら女の子を家まで送るくらいはさせて頂いた方が良いのかな」

「そうしよう」

ピーターがの言葉に同意する。まさか彼がここで口を開くとも思っていなかったが、更に同意など得られるとは思ってもみなかった。だって面倒でしょう。あなたは。と、会って間もない人のことを分かった気になってみる。そもそも送る、だなんて流れで口をついた冗談だ。
だって、変でしょう。わたし達迷ってるって言ってるのに。

「変な人たちね。いいわよ、家までいらっしゃい。地図をみせてあげるわ」
「ありがとう!」
口調は少しきついが、どうやら良い人に出会えたらしい。地図を見せてもらえればここがどこかも、どこをどう行けば帰れるのかも分かるだろう、と、思ったが、先程ピーターは帰るのが「無理」だと言っていた。そんなに遠い場所まで来てしまったのだろうか?と、疑問を目で投げてみるが、ピーターは何を考えているのか少し難しい顔をしていて視線が交わることは無かった。

二人は赤い髪の少女に連れられて、優しい静けさの中を歩き出す。

「そういえば、アタシは橙っていうのよ」
「良い名前だね。橙って、橙色のことでしょ?ピッタリじゃない。わたし、色の名前ってすごく好き。あ、わたしは。で、この人はピーター」
「………ピーター?あなた、アタシと会ったことあるかしら?」
「さあ。無いんじゃない?」
「そう、よねえ」
橙はもう一度、「そうよねえ」を繰り返した。けれど、最終的には気にしないことにするらしかった。



*



「到着。ここが、アタシの家」
街の一番端に一つだけポツンと建った、が身近に感じて安心できるサイズの家が、橙の家だった。

まず驚いたことは二つある。一つ目は、橙に案内された家で彼女を出迎えたのが熊のように大きな男だったことだ。灰色のぼさぼさの髪で目は隠れていて表情は分からなかったが、大きな鼻の下、茂った髭に覆われかけている唇は、橙の後ろに立つ少女と青年を見て少し震えていた。がこんばんは、と挨拶してもその口が何か言葉を返すことは無かった。
第二の驚きは、その彼が橙の父親だということである。全く似ていない。どういう事情があるのかは分からなかったが、どうやら彼らは父娘の二人暮しのようだ。(……あまり他人の家の事情に踏み込むのはよろしくないだろうなあ)

歓迎する気の無さそうな無口な男の横をすり抜けるようにして、達は橙に居間まで通してもらう。橙は、つるつるした木のテーブルの上に地図を広げた。
はこの国の地図を見るのは初めてではないどころか、こちらにきてから殆ど毎日睨めっこしているといっても過言ではないというのに、未だに慣れていなかった。元から地理は苦手だったが、それに加えてこの地図は変化していくのだ。そう、この地図は現在最も深刻な問題を原因として、人知れぬ内に縮んでいく。何度見ても覚えられないそれは、本当に、違和感の塊でしかない!!

しかし、そう思っているのはどうやらだけらしい。いつの間にか話し合いはスピーディーに滞りなく進んでいた。ピーターと橙の話によるとどうやらこの街は達が来た場所からそう遠くは無いようだ。馬車を使えば数時間、歩いても帰れないことはないという。ピーターは、ここでは無理だと言うことは無かった。
結局、「とりあえず今晩は泊まっていきなさいよ」という橙の一言で収拾がつき、その後すぐにピーターは熊男と何か話すことがあると外に出て行ってしまった。知り合いなのだろうか。それにしても展開が早すぎて、は一回も口を挟む隙が見当たらなかった。

は戦場に残っているジャックや常盤のことが気になり、歩いてでも良いから出来るだけ早く帰りたいと思ったのだが、あの化け物の狙いが自分であるかもしれないと分かった以上、戻らない方が良いのではないかとも思った。勿論、ここに居ることで橙たちに被害が及ぶのではないか、という心配もある。
けれど、そもそもアレがなんなのか、彼女は何も知らない。何も知らないのだから、中途半端な言葉で橙に話して不安にさせる訳にもいかないだろう。ピーターが帰ってきたら訊いてみよう、と、はその問題を保留にすることにした。

「ふう……、」
風呂を借りて、不快な汗をかいた体や砂埃のついてしまった髪を洗い流した後、は二階の、ものが溢れてごちゃごちゃとした橙の部屋の窓辺で、完全に乾ききっていない髪を干していた。濡れて束になった髪を、夜風が弄ぶ。窓から下を見るが、そこには熊男もピーターも居なかった。

「さっぱりしたわ」
その言葉と同時にガチャリとドアが開いて、この部屋の主が帰ってくる。風呂上りの橙は頬を少し上気させて、赤い髪は塗れてより濃い色をしていた。

「髪はちゃんと乾かさないと、風邪をひくよ」
「アンタには言われたくないわ。そうね、乾かしっこでもする?」
橙がにこりと笑って、ドライヤーをコンセントにセットする。……この世界にそんな近代的で便利なものがあったのか!と、は世界観に不釣合いなその家電製品を疑わしげに見た。橙の指先がの髪に触れて、温風が当てられる。

(一体どこまでがわたしの世界と同じなんだか……)

「ねえ、、あの人たちまだ帰ってきそうにないわ。もう寝ましょう?」
橙がの髪を乾かし終えて、が橙の髪を乾かし終えると、橙がそう言った。と、言ってもベッドは一つしか見当たらない。わたしなら別にどこでも寝られるけど、と言うに、橙が一緒のベッドで寝ることを提案する。今日会ったばかりの他人と同じ部屋で寝ることにも抵抗があるだろう、というの心配を余所に、橙はまるで親しい友人とのお泊り会のようにはしゃいでいた。
抵抗があるのは自分だけのようだ、とは苦い思いを抱えながら、表情だけは楽しそうなものに取り繕い、彼女の提案に頷いた。
他人と就寝スペースを共有することはストレスだったが、嫌な気持ちばかりでもない。何しろ、歳の近い少女と話を交わすのは久しぶりなのだ。明日も大変な一日になるかもしれないが、折角なのだから二人でいっぱいお喋りをして夜更かしをしようと思った。……のだが、結局その晩はベッドに入った後、はろくに話もしないですぐに目蓋を閉じてしまった。

わたしなら別にどこでも寝られるけど、と言うに、橙が一緒のベッドで寝ることを提案する。今日会ったばかりの他人と同じ部屋で寝ることにも抵抗があるだろう、というの心配を余所に、橙はまるで親しい友人とのお泊り会のようにはしゃいでいた。しかし気付けばもすっかり橙に心を開いている。
そうだね、とは頷いた。明日も大変な一日になるかもしれないが、しかし折角なのだから二人でいっぱいお喋りをして夜更かしをしようと思った。……のだが、結局その晩はベッドに入った後、はろくに話もしないですぐに目蓋を閉じてしまった。普段の彼女なら、他人の横でこの様に易々と眠りに着くことは無かったが、今日の彼女はそれだけ疲れきっていた。

(この街のこととか、さっきは外で何をしていたのかとか、わたしのこととか、橙のこととか……もっと……)

もっと色々話したかったのに。どうせ明日になればお別れなんだから―――。

「あら、もう寝ちゃうの?」
「ん……」
「もう。いっぱい聞いて欲しい話があったのに!!……ふふ、」

“おやすみなさい”

少女の口が優しく弧を描いた。



*



「起きて」

誰かが近くで囁いた。わたしはそれをうるさいなあ、と思って、布団に縋りつく。

「早く起きて」

その声が苛々し始める。……早く諦めてくれないかなあ。だって、わたし、こんなにも眠いのに。

「………!」

小声ではあったが自分の名前を強く呼ばれ、ははっと目を醒まし、がばっと上体を起こす。意識がはっきりするのはとても早かった。隣を見れば橙が静かな寝息を立てて眠っている。はベッドの横に居る、自分の眠りを妨げた男を咎めるように見た。

「……何?っていうか何で入ってくるの」
こんな深夜に女の子の寝室に断りも無く入ってくるなんて信じられない。と、非難がましい目を向けるなど無視して、ピーターはなるべく小さな声で言った。

「話があるから、来て。その子に気づかれないように」
「………すん」
素直にうん、と言うのも嫌だったはそう答えて、ゆっくりとベッドから出た。窓から覗く月の位置はあまり変わっていない。全く、何なの。目を擦りながら静かに部屋を出ると、部屋のすぐ前には熊男が待っていた。はすぐに彼の醸し出す厳粛な雰囲気に気付き、何か深刻な話が始まるのだと身構えた。……橙を除いたこの三人で何を話すというのだろう。

「俺の部屋に来い」
男は太い声でそう言い、階段を下りる。はその男の声を初めて聞いたのだが、非常に無愛想な声だった。やっぱり、橙とは似ていない。しかしその男の部屋は橙と同じく、ごちゃごちゃとあっちこっちに物が散乱していた。男は物の山から乱暴に椅子を一つ引っ張り出すと、に腰掛けるように言った。ピーターはベッドの端を勧められていたが、壁に凭れていることに決めたようだ。男はベッドにずっしりと座ると、一つ大きな溜息を吐く。

「話をするのは苦手だ。補佐官殿、頼めるだろうか?」
「分かりました」
「……補佐官?」
初めて聞くピーターの肩書に、は首を傾げる。すると熊男は、そんなことも知らなかったのかと呆れるように溜息を吐き、「この方は国王の補佐官をされている」と言った。

「こ、国王様の……」
は何かの冗談かと思ったが、誰もそんな雰囲気ではなかった。ジャックと同様、ピーターもまた凄い人だったらしい。この世界に来た時のエースや他の兵士達の反応からそうではないかと思っていたが、まさか国王の補佐などという位に付いているとは思いもしなかった。そもそも彼の職業について考えたことなど無かったのだが―――しかし……補佐官というのはこんなに城を空けていてもいいものなのだろうか。

「こちらはこの街の領主、ユリウス・カエサル公爵。公爵、先程お話したように、彼女が今の白ウサギです」
「(この世界でも名前が二つある人いるんじゃないか!)……紹介が遅れました。です。先程はろくな挨拶も無しに大変失礼しました」
ピーターの言う人物が目の前のこの熊男だというのは到底信じられない話であったが、二人の至って真面目な様子にも倣う。ユリウスは気にするなとでも言うように片手を少し上げた。

だが……ピーターの言っていることが本当だとして、公爵様が娘と二人でこんな街外れの小さな家に住んでいるのにはどんな訳があるというのだろうか。やっぱり、信じられないなあ。

「単刀直入に言うけど、」

ピーターがの方を向いて言った。



「僕達はこの街から帰れないよ」


「………なんで!?」
今度こそは驚きの声を上げた。二人は上階の橙が起きないようにと気遣っているから、寸前でなんとか声量を抑えることには成功したけれど。は一度落ち着いて、至って静かな声で訊いた。

「―――明日になったら帰るんじゃなかったの?っていうかもう日付変わってるから、今日だけど……」
「そう。本来なら僕達がこの街にやって来た日の翌日、17月22日に僕達は帰ることが出来る筈なんだ」
幾分この世界にも慣れてきたが、やはり17月、なんていうのには違和感があった。一年に何ヶ月あるのか、一月に何日あるのかはその時々により、自由奔放で傲慢な“時間”が決めているのだと常盤には教えてもらっていたが、それではあまりに実用的でない。この国の時制は、有る意味が分からなかった。

「……じゃあ、どうして帰れないの?」
「ここが17月の10日だからだよ」
「は、………え?」
言っている意味がさっぱり分からない。常盤の傍では日付はずっと10月の7日で、変動する日付を知ることが出来たのは彼と彼の家から離れたときだけだったが、今が17月だというのはなんとなく覚えてはいた。……21日に来たというのに、ここは10日?
何かの冗談かとも思ったが、彼がそんなことを言うようには見えない。は薄ら寒くなってきた。

「まさかわたし達、過去に来ちゃったってこと?」
「それだけだったら、まだ良かったんだけどね」
「違うの?じゃあ―――どういうこと?」
「正確には今は17月11日だけど、夜が明ければ17月10日の夕方がやってくる。それを、ひたすらに繰り返している」
神妙な顔で話すピーターに、はようやく話が掴めてきた。だからこそ彼の言葉の先を恐れたが、口は喋ることを忘れてしまったようで、話を遮ることが出来ない。

「この街は、昨日も17月10日だったんだ。明日も17月10日だし、明後日も明々後日もここはずっと17月10日だ。この街は今、17月10日を22,214回繰り返していることになる。夜が明けたら、22,215回目だね」



(……なにそれこわい)
inserted by FC2 system