Act3.「前線」



舞い上がる塵と埃に、は咳き込んだ。近くの建物で爆発が起こったらしい。屋根が飛んで壁が崩れたそこに、人が居なかったのが幸いだ。突然の爆発に呆然とするの足元へ、カラン、と何かが転がってくる。
と少年が同時に下を見ると、そこには、金属の丸い……戦争資料館で展示されているような―――

少年はハッとして、咄嗟に手にしている槍の柄でそれを打ち上げる。ゴルフの要領で天高く打ち上げられは、遠い夜空でドーン!と大きな音を立てた。勿論、花火などではない。
爆風と共に、細かな破片が二人の頭上に降り注いだ。

「―――やっぱり、爆弾だったんだね」
いわゆる手榴弾というものだろうか?は今にも飛び出そうと戸を叩いている心臓を両手で押し込め、精一杯強がってそう言った。
少年がそんな彼女の手を強引に掴んで走り出す。

「ちょ、突然手を離したら心臓が飛び出ちゃうでしょ!まさか見たいの!?」
「いや、何を言ってるか分からないんですが、とにかく今此処は戦闘地区です。非戦闘員である女性が居るのはまずいですよ。避難場所へ、お連れします!」
瓦礫ばかりの道は、歩くことさえ困難だろう。そこを走る二人は、息を切らせて言葉を交わした。

「その口調からして、つまりあなたは、今回は敵じゃないのね?」
「あなたのことはピーターさんから事情を聞いています。先日は大変失礼しました」
前を走る少年の言葉に、は僅かに目を見開いた。あの人が律儀に自分の話を通しておいてくれていたことが、意外だったのだ。放りっぱなしかと思っていた。

「いえいえ!こちらこそ、怪しいことこの上なかったことだし」
「まあそうなんですけどね」
謝る気なんて無いんじゃないか!と、言いたいところをはぐっと堪える。今はそれどころでは無いのだ。

「あの!できれば今の状況を三行程で説明していただけますか?」

彼の言うことは分かるが、状況を理解しないままにどこへどう逃げ、避難しろというのか。

「―――逃げろ!!」
「ああ、誰が三文字って言ったんだ!」

ズガン

「「わっ」」
また爆発が起こる。引きずられるように走っていたは、振り向いた彼に勢いよく背中を押され、その場にしゃがみ込むように伏せさせられる。(い、痛い!長座体前屈みたいになっちゃった!!)

二人は髪を掠めて飛んでいく鉄屑を青い顔で見届けて、視界を塞ぐ煙が薄らぐのを待った。
その時、今まで爆発や崩壊の音しか響いていなかった不気味な戦場に、ようやく達以外の人の気配が足を踏み入れる。煙が晴れた先には、少年と同じような格好をした男の姿がいくつかあった。

「エース隊長!住民の避難、完了しました!!―――あれ?そちらの娘は……?」
口振りからして彼らは、恐らくこのエースと呼ばれた少年の部下らしい。(自分とそう歳の変わらない少年に、部下が居るなんて驚きだ!)
彼は地面に座り込んだままのの手を引っ張り上げて立たせると、彼らの方に押し出そうと再びその背中に手をやった。

「逃げ遅れた一般人だ。丁度いい、お前達は彼女を 連れて―――、」

ズガン、ドゴン!

しかし、邪魔が入るのだ。時々爆風に混じって彼らが上司を呼ぶ声は聞こえても、その距離は混沌とした中で次第に離されていく。

「ねえ、エース隊長?……エース隊長!こんなんじゃ全然避難できません!」
「あなたに隊長と呼ばれる筋合いはないですよ!」
「あ、エースくん、右!」

ドカン!

「右、左、左、右、左上!右斜め上!」
「一々言われなくても分かってます、よ!」
カツーン。エースがまた、上手いこと投げられた爆弾を打ち返した。今度は野球の要領だ。生憎それは飛んできた軌跡とは大分逸れた方向へ飛んでいってしまったけれど。

(……一体、こんなに多くの爆弾を、誰がどこから投げているんだ?)
そうなのだ。奇妙なことに、これだけの攻撃を受けていながらも敵の気配が一切無い。爆弾や石(原始的!)は崩れた建物の瓦礫の影から投げられているようだったが、そこには一本の腕さえも、見え隠れすることは無かった。殺気も無い。時々何かを引きずるような音が聞こえるだけ。戦場というよりは、まるで自然災害を受けている被災地のようだと、には感じられた。

「ここは最前線じゃないんです。しかしこれほどの数が此処まで来てしまったのなら、少しと経たない内にここが第二の前線になるでしょう。だからその前に、どうにかしてあなたには避難して頂かないと」

「おいおい、なんだって?まだ逃げ遅れが居るのかよ。しっかり頼むぜ部隊長様!」
エースの言葉に、軽い調子で誰かが言った。は聞き覚えのあるその声に目をやる。そこには、黒い男が居た。
黒曜石の瞳に、夜の闇のよりも深い漆黒のコート。漆を塗りたくったような艶やかな黒馬に跨り、瓦礫の城を颯爽と飛び越え、彼は二人の前に現れた。

「ジャック団長!」
「ジャック!!………団長!?」
突然の知人の登場と、エースの彼に対する呼び方に、は驚きの声を上げる。エースや周囲の兵士達の彼に対する反応は、一様に恭しい。以前訪れた彼の住居から、彼の社会的地位の高さは窺うことが出来たが、ピーターや常磐の対応からそれを実感することは無かった。また、彼の肩書を耳にする事も初めてだった。以前ジャックは自身の事を“騎士”だと名乗っていたから、彼は“騎士団長”なのだろう。
(応援団長、とかいうオチじゃないよね?)

「あれ……お前―――」
ジャックは聞き覚えのある少女の声に怪訝そうに眉を寄せ、まさか、とエースの後ろに立つ愚鈍な“逃げ遅れ”を覗き見る。砂埃の舞う中、少女の姿を確認した彼は、己の目を疑った。

「ちょ、おまっ……!なんでお前、こんなところに居るんだよ!?」
「そ、それはこっちが訊きたいの!」
「自分のことだろ!!」
「自分のことだからって何でも分かる訳じゃないの!」
「何だそれ……」
ジャックはの回答と、途方に暮れた様子に呆れる。エースは意外なところに築かれている人間関係に驚きはしたが、優先順位を誤ることは無かった。

「団長、あなたがいらしたということは、」
「ああ。察しの通り、奴らに第一ポイントを突破された。つまり―――」


今から此処が“最前線”だ。


ざわざわざわ。耳を澄ませば、何かが蠢く音がそこら中に蔓延っているようだった。先程までは聞こえなかったそれが突然聞こえ出したのは、耳が慣れたのか、それともあちらの数が増えたのか。“気配の無い気配”にびっしりと隙間無く取り巻かれ、はその場の気迫に圧されて一歩後退る。ジャックが馬に乗ったまま、を庇うように前へ出た。

「とにかくここは、女が居ていい場所じゃないな」
「……あなたは、本当に性別に拘るんだね」
は知人がいつもと変わらないという、それだけのことに不思議と安心して、少しだけ笑んでみせる。ジャックもそれに応えるように、彼にしては珍しく爽やかに笑って、腰の剣を抜いた。長さは1mくらいだろうか。何の変哲もないただの長剣といってしまえばそれまでだが、にしてみれば剣そのものが珍しい。本物を間近で見たのは初めてだった。こんなに近くでなんて、博物館で土の中から掘り起こされたものを見たことがある位だ。しかし、こういうことに慣れていても良い筈のエースは、とは違う類の目でその剣を見つめていた。見つめているというより、見惚れている。そのキラキラとした目に、やっぱり同い年くらいの少年だな、とは親近感を覚えた。

「まさかこんなところで、伝説の聖剣デュランダルが拝めるなんて!!」
「……そんなに凄い剣なの?」
とてもそうは見えないけど、とは目を凝らす。伝説の剣という響きからは、常人には持ち運びが不可能なくらい巨大だったり、それらしく神々しい光を発していたり、というイメージが浮かぶ。だが、ジャックの持つ剣はそのどちらでも無い。良く言えば質素、悪く言えば地味な、何の変哲もない剣に見えた。

「まあ、そこで見てろよ。一気に辺りの邪魔なもの、全部吹っ飛ばしてやるぜ」

ジャックは片腕だけでそれを振り上げると、力いっぱい、振り下ろす。一気……ああ、本当に、彼の言うように一気だった!

そう、それはたった一振りなのだ。たった一振りの剣圧が、この辺一帯の瓦礫や壊れかけの建物、霞む砂埃、目の前のもの全てを、塵一つ残さずに薙ぎ払い去ってしまった。しかし、にはそれがまだ力を持て余しているように感じられた。
暴力という概念そのものを形にしたようなその荒々しい様に、は悲鳴とも歓声ともつかぬ声を上げる。

「すごい!!」
「そりゃ、俺は騎士様だからな」

(すごいすごい!やっぱりここはファンタジーな世界なのね!)

障害物を全て取り除かれた視界は鮮明だった。空気も澄んでいる。世界の画質向上。は味の無い空気に喜び、深く息を吸ったが、開かれた世界に映るものにその動きを止めた。

今はもう存在しない壁の向こうに潜んでいた、気配の無いいくつもの目玉が、一様に此方を睨みつけている。―――なに、あれ。は二人が答えてくれないことから、自分のその疑問が声になっていなかったことを知った。


姿を現した気配の正体は、人ではなかった。


攻撃の合間に聞こえていたズリズリと引きずるような音や、あまりに薄い気配から、嫌な予感を抱いていたではあったが……それは想像していたどんな悪魔や魔物よりも、おぞましい生き物だった。
その生き物は、何色の混入も許さない単純な黒で全身を染めている。顔の部品は、白目も黒目もない血塗れたような赤い丸と、歯並びの雑な大きな口。唇は皮を全部剥いたみたいに湿っていて、時々覗かせる口内は赤黒い。背骨は台風に折られた傘みたいに歪で、上半身は異様に長く、四本の手足はどれも突拍子のない生え方をしている。指と爪が、恐ろしく長かった。
大きさは、少なめに見積もってもの三倍はある。湿った二つの日の丸と、の視線がぶつかった。

心臓が、氷水に付けられたように痛む。生まれてこの方、感じたことの無い感覚だ。気持ちが悪い。吐き気がする。指先の感覚が無い。神経がバラバラに散らばってしまったみたいだ。

!」
ジャックの声で我に返る。呼吸さえ忘れていたようで、胃が一気に酸素を吸い込み咳き込んでしまった。

「大丈夫か?お前、やっぱり変わってるな。怖いならもっと分かりやすく怖がれよ」
「……きゃー、こわい」
「……肝が据わってるというか何と言うか……。まあ初めてでソレなら、心配ないな。すぐに慣れる」
「慣れるほど遭いたくないんだけど……。何度も目にしたら、わたしもあなたみたいに平気で居られるようになるの?」

「人にもよりますよ」
そう言ったエースは少し青い顔をしている。額にはじわりと脂汗が滲んでいた。

「おい、大丈夫か部隊長。しっかりしてくれよ?分かってるとは思うが、奴らはここで絶対に食い止めるんだからな」
「はい、すみません……。大丈夫です。奴らにはこれ以上、街へも城へも近付けさせません。何が何でも、必ずここで終わらせなければ」
「終わるものでもないがな。あいつらは自然現象のようなものだから。まあ、そう気張るなよ」

は二人の会話を聞きながら、焦燥感に駆られていた。どうしよう、どうにかしてこの場から逃げなくてはならない。
しかし、何故そんなことを悠長に考えていられるのかというと、攻撃が止んだからである。姿を現した気味の悪い敵は、少しも動かずにただ立ち尽くして此方を見ているだけだった。暴風のような攻撃が嘘のような、静けさだ。けれどこちらも迂闊に動けないように見える。つまり今は、互いに互いの出方を窺っているという、進展の無いどうしようもない膠着状態。

「おい、
「へっ?」
ぐい、っとジャックに腕を掴まれ、馬上に引き上げられる。下から見上げていたよりもそこは随分と高く感じた。

「しっかり掴まってろよ」
「ええ!わたし避難したいのだけれど!?」
「分かってるって。ある程度奴らをばらしたら、ちゃんと安全なところまで連れてってやるよ。今はどう見たって無理だろ?」
ジャックの言うことは最もだ。八方塞の現状をどうにかしないには、逃げるも何もない。はいつ馬が走り出しても振り落とされないよう、前に居る彼の腰に腕を回した。すると、ジャックは咳払いをする。

「なんていうか……意外と素直だな、お前」
「え、あ、ああ、そう?」
もしかしてこんなに密着する必要は無かったの?―――と、いう考えはすぐに消え去った。両者がほとんど同時に動き始めたのだ。まるで戦場に立つ者だけに分かる合図でもあったかのように。そして、―――火花が散る。

(少しでも気を抜いたら振り落とされる!!)
は奥歯を噛み締め、必死でジャックにしがみ付いた。前に乗っけてくれたなら安心できたのに!

「目を閉じていた方が良い」
黒い影の間を縫うように馬を走らせるジャックが、肩越しにをちらりと見た。その直後目の前に覆いかぶさるように現れた、まさしく悪魔と呼ぶに相応しい姿の怪物の体が、彼の剣によって切られ、潰される。血飛沫が体の中のものと共に、宙に舞った。はまるでゲームの世界だと思った。しかし、倒したモンスターの体はゲームのようには消えず、ずっとそこにあり続け、積み重なっていく。……それはとても、現実的。

彼が目を閉じるようにと言ったのは、このような光景を見せないようにという気遣いだったのだろう。しかしは、特に親しみも何も無い姿がどんなものに変わり果てようと、何とも思わなかった。ジャックなら女子供には見せられない光景だとでも言いそうだけど、生憎女ならば血など見慣れているもの。少しくらい大袈裟に飛び散ったって、どうということはない。ただ、息があり、まさに今動いている未知の怪物はかなり怖い。かなり、怖い!だから、早く倒してしまって!!

ジャックが舌打ちするのが聞こえた。は恐怖で目が離せなくなっていた怪物から、ようやく視線を剥がす。すると見えていなかった周りが見えてきた。少し離れたところではエースや、エースと同じような格好をした男達がそれぞれ武器を手にして戦っている。が、………おかしい。どう見たって、明らかに、ジャックが集中攻撃を受けている。他の者は全員、ジャックに群がる奴らを蹴散らしているだけのように見えた。(わたし、ここに居るの間違えたかも)

「なんであなたばっかり狙われてるの!?知り合い!?」
「な訳あるか!!喋ってると舌噛むぞ!」
そう言っている内にも、怪物達はまるで何も無い場所からどんどん湧き出てきているかのように、その数はどれだけ減らしても変わらない。ただこちらの体力が消耗していくだけで、きりがない。ジャックも今はまだ余裕がありそうだが、長引けば辛そうだ。

「ジャ、……!!」
誰かがジャックの名を呼びかけてから、の名を叫んだ。が振り乱された髪を掻き分けて声の方に顔を向ける。

「常盤さん!」
常盤は先程ジャックがやってきた方向から、同じように馬に跨って現れた。彼の周囲には彼を守るように騎馬隊が編成されている。は、彼の手に銃ではなく、場違いな分厚い本が一冊あるのを見た。

常盤は、ここに居る筈の無い少女の存在に目を見開いている。そして、彼に責め立てるような視線を向けられたジャックは、剣を振るのに合わせる様にして「俺は何も悪くないっ!」と吐き捨てた。

、お前はひとまず常盤のところへ行け。今の俺のところに居るよりは安全な筈だ」
「でも、こんな状況でどうやって!?」
「それは俺がどうにかす―――、」

ジャックが油断をしていたのでは無かった。ただ、生物ならば必ず生じる僅かな隙に付け込んで、怪物が爆撃で地盤を割ったのだ。

彼らはまるで全ての者が共通の意思を持っているとでもいうように、見事なまでの連携を見せていた。だから、その持ち前のチームプレイを活かし、達を取り囲むように爆弾を仕掛けていたのである。幸いだったのは、彼らの持つ爆弾の威力が小さなものだったということ。肢体の繋ぎ目が離れてしまうようなことは無かったが、それでもは馬上から吹き飛ばされる。ジャックの焦ったような声が聞こえた。しかし爆風の中では、互いの姿も、分からなかった。

荒い地面に体を叩きつけられて、痛みで暫く目を開けることもできなかったが固まったような目蓋をこじ開けると、



目の前には大きな化け物が立っていた。


彼は、鋭く長い爪を持つその大きな手を―――に向かって、伸ばした。
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