Act22.「戻るものと変わるもの」



『あら、あなた……きょうはないているのね』
『だって、かなしいんだ。きみはどうして、きょうはないていないんだろう』
『だって、かなしくないんだもの。みてよ、こんなにきれいなほしぞらよ。どうしたってなけやしないわ』
『それがかなしいんだ』
『かわったひとね。あなたってなんにでもないちゃうんじゃないかしら』
『そうかもしれない。ちょっとさむいあさのにおいでも、まぶしすぎるおひるのおひさまでも、むしがなくゆうがただって、ぜんぶかなしいよ』
『どうして?』
『だって、まえには、ここにはそんなものなかったじゃないか。ここにはじかんなんてなかった。かわってしまうものなんて、ひとつもなかったのに。えいえんだったのに』
『かわってしまうのがこわいの?』
『かわっていいものなんて、ひとつもありやしないよ』

『そうかしら。でもわたしたち、いまよりもっとなかよくなれるとおもうけど』

『………!』
『この“かわってしまう”もこわい?』
『……こわくない』

『よかった。さあ、じゃあもうおそいから、かえろっか』
『……やっぱりじかんは、きらいだ』



*



!」
誰かに呼ばれて目を覚ますと、そこは屋根裏部屋のベッドの上だった。傍らに立っているピーターが、を起こしたらしい。

「うなされてたよ」
「あ……わたし、どのくらい寝てた?あれからどうなったの?」
恐らくどこかでアリスの記憶の痕跡に引っかかって夢を見せられていたのだろう、ということは分かっていた。けれど眠る前は塔の中だった筈だ。それが今は元の橙達の家。それまでに何があったのかが、気になる。

「どのくらいって、1時間くらいだと思うけど。君が紛らわしい倒れ方をした後……寝ているだけだと知って安心した公爵夫人も、緊張が解けたのか気を失ってね。彼女が眠ったことで自然と空間が元に戻ったんだよ。で、君を運んできてあげたんだけど」
「1時間?……そうだったんだ。有難う」
今思えば、あの時計塔での出来事は夢の中の事のように現実味が無かった。しかし、それはたった1時間前の現実だったのだ。

「わたし、またアリスの夢を見たよ。でも、あの塔が橙の頭の中なら、アリスはどうやって入ることが出来たんだろう」
「……あの塔に出入り口を作ったのは公爵夫人だけど、塔自体は元からあるんだよ。ここと同じ次元に無いだけで。塔は時間くんが作ったもので、さっきまで居た塔も街の時間だけを動かすための、全体のほんの一部にすぎない」
「あの塔が一部?」
図書館で万年時計塔の図を見たときに、橙の書いていたものと一致したのは一部だけだった。それは、彼女がその部分しか知らなかったからなのだろうか。しかし、ゆっくり考える暇もなかったが……紙面上で見たものと、実際の建物は全然違うように感じた。

「四角い部屋なんて一つもなかったけど」
図を詳しく覚えていなくても、いくつもの四角い部屋があったことくらいは忘れていない。四角い部屋がそれぞれの場所の時間なのだとしても……あの建物はドーム状だった。では、あの図のどの部分に当てはまるというのか。

「部屋の数は数え切れないくらいあるから、形だって時間くん以外には分からないんだよ。きっと」
「……つまり、何があるか分からないっていう空白の空間があの四角だったのね。きっと」
人智を超えた超次元の空間を図面に起こすなど、限界があったのだろう。きっとあの場所の仕組みは、わたしには一生かかっても理解できないんだろうな、とは自分を納得させた。この納得の方法は非常に便利だ。

「歯車、無くなっちゃったけど……この街の時間はもう無いの?」
「時間くんが調整して、また塔を自分が動かしやすいように組み変え直すと思うよ」
どうやら、何の心配も要らないみたいだ。時間くんという少年は、案外しっかりしているらしい。

―――アリスの記憶は、結局どこにあったのだろう。あの塔のどこかか、歯車の中の空間か。それに、今回の件の原因であるグリーフという存在も気になる。彼らの悲しみの正体とは、一体何なのか。寝起きの頭では考えがまとまらないが、一度紙に書き起こしてみたりした方がいいのだろうか?
掛け布団を睨むように見つめて思案するに、ピーターが思い出したように声をかけた。

「そういえば」
「え?」
「君、うなされながら誰かの名前を呼んでいたよ」
「嘘!だ、誰を……?」
寝言を聞かれてしまうなんて最悪だ。無意識下で自分は一体誰の名前を呼んでいたのか……。しかし、ピーターは「さあ」と小さく肩を竦めた。

「僕の知らない名前だったから、覚えてないよ」
覚えていられても忘れて欲しいと願っただろうが、それでもは知ることが出来なくて残念に思ってしまうのだった。



*



常盤やジャックの事が気に掛かり、それに加えて外で行われている祭りの騒々しさで、は再び眠る気にはなれなかった。橙は夜には祭に参加しなくてはならないらしく、ユリウスはそれまで彼女を寝かせておいてあげるつもりらしい。は橙への手紙を一通、ユリウスに託すと、彼女に会わずに街を出て行くことにした。
家を出た時に後ろから何かぼそぼそと聞こえてきものは、ユリウスなりの感謝の言葉だったのかもしれない。

街を出てどこからともなく現われた馬車に乗った達が数時間後に居たのは、絵本に出てくるようなお城だった。ピーターが言うにはアウグスの街から元のB地区まで戻るよりも城に行く方が近いらしく、ここで地区の戦況を確認した方が早いという事だった。彼の判断は正しく、どうやらB地区の戦闘は二日前に終わっているらしい。時間くんは“元の時間軸”と言っていたが、達が居なくなったその瞬間の時間まで戻してくれた訳では無かったようだ。

さんたちが居なくなってから、何故かグリーフ達の勢いが弱まりましてね。それから間もなく、ジャック団長のあのデュエンダルで!一掃されました!!」
話によると、常盤もジャックも無事でいるらしい。今、その時のことをに説明しているのはエースだ。は彼と、城の一角に設けられたテラスで向かい合って茶を飲んでいる。周囲には休憩中の使用人や衛士達の姿がちらほら見受けられた。ピーターは戦闘が終わっているということだけ聞くと、アウグスの街についての報告があるとかでどこかへ行ってしまい、ここには居ない。

「いやー、やっぱり聖剣はかっこいいですねー」
「そっかー」
訊いて見るとやはり同い歳だったらしい彼とは、気兼ねなく接することが出来た。最初はクールな印象を受けた彼だったが、戦場でなければ気さくで、話しやすい人物のようだ。
彼とこの様にお喋りすることなど出会った時には想像さえできなかったが、学友と話すような感覚は久しく、とても心地良い。やはり、同じ年齢であることは交流においてとても重要である。は尊いものを見る様に、目を細めた。……こういう仕草は、年寄り臭いかもしれないが。

暫くの間、ジャックの武勇伝や聖剣の素晴らしさについて話をしていたエースだったが、一頻り話すと満足したのか、話題をがあの時どこへ消えたのかに移す。色々あった街での出来事だったが、全てを話すだけの気力も時間もあるとは思えず、は掻い摘んで話した。エースは始終、「えー!」とか「おー!」とか面白い反応を返してくれて、中々に話し甲斐のある相手だった。

「うわあ!すっげーですね」
「すっげーですよ。大変だった……けど、今では違反通路があの街に続いてくれたことに感謝してるかも。公爵夫人は可愛い女の子だったし」
可愛い女の子、というところには、期待した反応はなかった。エースはそういう話に興味が無いのかもしれない。

「お疲れ様です。でも、ピーターさんが一緒で良かったですね。あの人、頼りになるでしょう」
「えー……まあ、うん」
確かに彼が居なければ、一人では、解決できる問題では無かっただろう。時間のことを教えてくれたのも、グリーフの相手をしてくれたのも、塔で落ちそうになったを助けてくれたのも彼なのだから。けれど頼りになるかといえば、どうだろうか。今回は確かに、頼りになった。しかし、今後も彼に頼らせてくれる隙があるかは分からない。

……それより。エースはB地区の時も今も、何事もない様子でピーターの名前を口にしているが―――平気なのだろうか。
は忘れたわけではなかった。この国に来た日のことを。

「怖くない?」
「え?ピーターさんが?まあ怒ると怖いですよねあの人。けど普段は、割と話しやすい人ですよ。他の偉い方みたいに権力を笠に着て威張り散らしてないので」
彼の言葉に嘘はないようだった。途端は信じられない、という顔になる。

「だって、ほら、あの―――わたしがこの国に来たとき……」
「ああ、あの時はピーターさん、気が立ってましたよね。威嚇射撃された奴なんか泡吹いて倒れてたなあ」
「威嚇射撃!?」
思わず大きな声が出てしまい、周りの目がこちらに向くのが分かった。は恥ずかしくなって、紅茶を飲むフリをしてカップで顔を隠した。

「あ!さてはさん、ピーターさんが本当に兵士を撃ったと思ったんでしょう!まさか。そんな筈ありませんよ。あの人は貴重な城の兵を減らすような真似はしませんって」
は脱力して、何も言葉を返せなかった。

じゃああれか。わたしは勝手に早とちりして、―――『背後で、苦しむ間も与えられなかった誰かが残した刹那の喘ぎを、確かに、聞いてしまったけれど』―――とかなんとか一人でやっていたわけだ。恥ずかしい。なんだそれ、恥ずかしい。いやだあ、恥ずかしい!(けど、よかった)

「あ、ピーターさん」
え、とがエースの視線の先を辿ると、報告を終えたらしいピーターがケーキの乗った盆を持って、分かり難い微妙な表情で立っている。無表情ではないが、何を考えているのかさっぱり分からない。とりあえずこのタイミングでは現われて欲しくなかった、とは思った。

「あ、じゃあ僕は仕事に戻りますね!」
「うん、色々教えてくれて有難う。また、お話しようね」
是非!と爽やかに返事をして、エースは空になった自分のカップを持ち、備え付けの布巾でテーブルを拭くと、とピーターにそれぞれ一礼して去って行った。ピーターはコトンとテーブルに盆を置いて、溜息交じりでエースと入れ替わるように席につく。そんな彼の開口一番は、思いもよらない言葉だった。

「君はあれだろ、多情家」
「な、何を突然に言い出しますか。何ゆえ。根拠は!」
「常盤を誑かして……ジャックにも取り入ったみたいだし、図書館でも誰かと話してたし、時間くんにも言う事聞かせちゃうし、今だってエースを誑し込もうとして……それに僕だって」
「え」
「あ、最後のは冗談だけど」
はまず何から突っ込んで良いのか分からなくなった。誤解だけれど、“誤解だ!”と弁明するのも何だかおかしいような気がする。

「あなたも冗談なんて言うの?」
「気が向けば」
そこまで意味のある発言ではなかったのだろう。まるで何もなかったように、彼は「食べなよ」と盆をの方へと押し出した。盆の上には、一口サイズのケーキが愛らしく並んでいる。ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、モンブラン。瑞々しい苺やジャムがキラキラと輝き、それらは宝石のように美しかった。普段のなら眺めているだけで満足しそうだったが、何故だか不思議と、いつもより食欲があるようだった。

「有難う。いただきます」
スプーンで、ショートケーキにそっと触れる。一口サイズのそれを、さらに小さく掬って、口に運んだ。軽い口どけと、さっぱりした甘さ控えめのクリームに、は感動する。何かを食べてここまで喜びに湧くことは、随分久しぶりの事のように感じた。

「……常盤に連絡したから。多分今日中には君を迎えにくるよ」
は返事をしようとしたが、口の中でとろけるクリームをゆっくり味わっていたくて、こくこくと頷いてだけみせる。これではすごく食い意地の張った子みたいだ。は本日二度目、カップで顔を隠した。



ケーキを食べながらぽつりぽつりと話をしている内に、いつのまにか空は暗くなりはじめていた。赤黒くグロテスクな空を眺めていると、一人の兵士が達に近付き、常盤が迎えに来たことを知らせてくれる。彼は正門にいるというので、は立ち上がって身なりを整えた。

「じゃあ、行くね。ケーキ、ご馳走様。とっても美味しかった」
「うん」
座ったまま、ろくにの方も見ないでコーヒーを啜るピーターに、は申し分程度に手を振って、案内する兵士の後についていった。けれど何故か足が重たく感じられて、振り返る。するとこちらを見ていたピーターと視線が合って、互いに驚いているのが分かった。

「い、色々とお世話になりました」
「あ、うん」
「じゃあ」
そう言ってまた歩き出そうとしたを、ピーターが呼び止める。

、」
「ああっ!わたしの名前、初めて呼んだでしょ?」
そのの反応は想定外だったようで、彼は僅かに困ったような顔になる。

「初めてじゃないよ」
「嘘だあ」
しかし言われてみれば、屋根裏で眠りから覚ましてくれた時にも呼ばれていた気がした。他にあっただろうか……?あまり、印象に無い。
は少し嬉しくなって、微笑みを浮かべながら彼に問う。

「なあに?」
「いや、別に……」
特に意味もなく呼び止めるような人には思えないけど、と不思議に思いながらも、は「そう」と頷く。

「じゃあね、ピーター」
言ってからすぐに兵士の方を向いて歩き出してしまったから、“それ”に対する彼の反応は窺い知ることが出来なかったが、これこそ正真正銘初めてだ。初めて、面と向かって、彼の名前を呼んだ。兵士が不思議なものを見るような目でを見ていたのが、心底居心地悪かった。

(ああ、暫く一緒に居たから、離れることに違和感がある)
は若干早足で、兵士を追い立てるように先を急がせた。



ピーターは次第に小さくなるその背を見ながら、考える。を白ウサギに選ぶべくして選んだ【彼】……時間くんには、一体どのような意図があるのか、と。彼女のことを知るにつれて、その辺にいる普通の少女には思えなくなっていた。一見そのようだが、内には何か計り知れないものを抱えている。その正体を、きっと時間くんは知っているのだろう。彼に知らないことなど無いのだから。

関わると面倒だろうか?と、自身に答えの分かりきっている問いかけをしてみて、小さく苦笑してコーヒーを飲む。
その問いかけは、随分と今更なものだった。
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