Act2.「少女を喰らう物語」



ふわふわのカボチャプリン。外はサクサク、中はジューシーなミートパイ。やっぱりスコーンとどこかへ飛んでいってしまうナッツ入りスコーンに、新鮮な卵とほうれん草のキッシュ。パリパリ野菜のサラダ。好き嫌いをしても、何をしながら過ごしても咎められることの無い、自由で素敵な夜のお茶会。
しかし、には幾度となく抱き続けてきた不満が一つだけあった。彼らとのお茶会で毎回決まったように、自分の前にだけココアが出されるのは何故なのか、ということだ。最初彼女は、ここではお茶会と言いながらココアを飲むしきたりなのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。何故なら、自分以外の二人は紅茶を飲んでいるのだから。それも二人して紅茶に対して強い拘りを持っていて、茶葉は上等なものを使用しているらしかった。素人にも分かるくらいに、香りからして市販のティーパックのものとは全然違うのだ。

「あの……どうして、わたしにはいつもココアなんですか」
は流石に、訊ねずにはいられなかった。するとサラダのレタスにフォークを突き刺した常盤が、意外そうな顔をする。黄櫨はお手製のプリンを頬張りながら静かに読書をしていたが、大きな丸い耳はしっかりと会話を拾っているのだろう、ピクピク動く。

「好きだろう?」
「いや、まあ、その……。紅茶も、好きです」
嫌いではないが、彼の淹れるココアは甘すぎて苦手だ。しかし今更そんなことは言えず、は論点を変えた。しかし、言った後でちょっと図々しかっただろうか、と思う。好意で振る舞われていると言うのに、他のものを出せと要求しているのだから。……でもやっぱり、食事時には甘いココアではなくさっぱりしたものが飲みたい。

「だが、この紅茶は砂糖やミルクにあまり合わないんだ」
常盤が困ったように笑う。は特別紅茶の種類に詳しくは無かったが、ストレートはダージリン、ミルクティにするならアッサムで、と一般的に言われていることくらいは知っていた。彼らの紅茶は前者なのだろうか。言われてみれば、漂う香りはそのままを楽しむべき繊細なものに感じられた。

「わたし、ストレートしか飲まないですよ」
「えっ」
「えっ?」
カチャ。常盤がカップを花の形のソーサーに置いて、また“えっ”と言った。だからもまた、“えっ?”と言う。

「君は、その、飲めるのか?結構苦いんだぞ?」
「ええ、はい。普段から結構飲みます。安いティーパックの紅茶ですけど」
そう二人が話している間に、さっきまでひたすら本に没頭していた黄櫨が、新しいカップを用意していた。そして、ティーポットを傾ける。は、恐らく自分の為に注がれるそれを、うっとりと眺めた。紅茶と言えば濃いルビー色というイメージだったが、それは透き通る琥珀色で、キラキラと輝いている。水が落ちる度、香ばしくフルーティーな香りが漂った。

「はい」と、黄櫨が注ぎ終わったカップをソーサーに乗せて、の前に置く。は彼に礼を言うと、二人の視線を感じながら、カップの端に口を付けた。

こくん。

はまず一口目で、感動する。洗練された香りがふわりと顔の周りを包み込み、完成された味が舌に染みこむ。瑞々しい甘み。そして、心地よい渋み。喉を通っていくその感覚は、快感だ。
今まで飲んできた安物の紅茶とは全くの別物で……あれはあれで嫌いでは無いが―――これは、格別だった。

「すごく、美味しいです」
芳醇で、後味もすっきりしていて。と、が心からの感想を述べても、常盤はまだ疑わしそうな顔をしていた。
彼のその様子は、初めて珈琲を口にさせてくれた時の親戚の反応に似ている、とは思った。大人じみたことがしたくて背伸びした幼い自分が、意地を張って苦そうな顔で美味しいと言った時の、あの無理をしているのではないかという疑いの顔。

「常盤さん、わたしのことを小さな子供だと思っていませんか?」
は冗談めいた顔でそう言った。しかし、それに応じる彼の顔は真面目そのもので、また、どこか神妙なものだった。

「いや……君はもう子供じゃないな。分かっている」
それは。まるで独り言のようだった。
は相変わらずよく分からない彼の反応に首を傾げることもなく、海草サラダに手を伸ばす。こんにゃく入りの海草サラダは、今のところ彼女の一番のお気に入りのメニューだ。さっぱりした酢の味。これがあるから、当初は億劫でしかなかったお茶会を楽しむことが出来ている。そしてこれからは、美味しい紅茶が加わったことで、待ち遠しい時間にもしていけるだろう。

黄櫨は、静かにページをめくった。



終わらないお茶会もそろそろ終わる頃、突然庭に不穏な風が舞い込んだ。その風はティーカップの中の紅茶の海を揺らし、甘い砂漠の詰められた小瓶を倒していく。は無作法な風だとムッとしただけだったが、その風は彼女の周りの空気をガラリと一変させていた。常盤と黄櫨は、険しい表情で顔を見合わせる。

「黄櫨、」
「うん。分かってるよ」
常盤の声に頷いた黄櫨は、目を瞑り、遠くの音を拾うように両手を耳の後ろで丸めた。は彼らのその様子に、何かあったのかと訊ねたかったが、自然の音でさえ気を遣い黙り込むようなこの静寂を、壊すことは出来なかった。

「……恐らく、地区B−4/3が、何者かに襲撃を受けてる。金属音。火薬の匂い。銃声。悲鳴」
黄櫨の言葉を聞きながら、常盤は立ち上がる。は“地区B”で場にそぐわない下らない洒落を思い付いていたのだが、それはあまりに品性に欠けており、とても口に出来たものではなかった。しかしそれがどんな洒落だったとしても、今は言うべきではないだろう。は黄櫨の口から出た“襲撃”という物々しい言葉に、顔を強張らせた。
しかし、どれだけ鼻に意識を集中させても火薬の匂いなどしてこないし、銃声も悲鳴も全く聞こえてこない。静かなことこの上ないのだから、襲撃という言葉にも実感が湧かず、どう対処すべきか分からない。逃げなくてよいのだろうか。地区Bとは、ここからどのくらいの距離にある場所なのか。

、私は少し出かけてくるから、君は黄櫨と一緒に図書館にでも居なさい。絶対に外に出るんじゃないぞ」
ぽん、との頭を数回撫でるように叩いた常盤は、東の空の方を一瞥した後で早足にどこかへ行ってしまった。彼の腰には、先程までは無かった筈の銃が下げられている。この国に銃刀法は存在しないのだろうか。彼の日常は、それを携帯せざるを得ない危険なものなのなのだろうか。物騒な様子に、は不安になった。その背を、ちょん、と小さな手がつつく。

「行こう」
「どこへ?」
「図書館。あそこには本がたくさんあるから、退屈しないよ」
「でも」
。言われたでしょ、僕と一緒に居ろって」
「……うん」
平和な世界に住んでいたには関わりの無かったことが、起きているらしかった。は大丈夫なのかと訊こうとしたが、これといった変化も無く落ち着いた様子の黄櫨を見て思い直す。もしかすると、今起こっていることはこの世界にとってはそれほど珍しい事でもないのかもしれない。……しかし、それでも訊かずにはいられなかった。彼らが慣れていたとしても、自分はそうではないのだから。

「……大丈夫なの?」
「まあ、多分ね。B−4/3は遠い訳でもないけど近い訳でもないから、ここに居れば大丈夫だよ」
「常盤さんは?」
「常盤は大丈夫だよ。大丈夫大丈夫」
その口調は存外に軽かった。軽すぎて、違和感がある。は黄櫨の無表情に少しだけ張り詰めた何かを察して、その言葉は彼が自身に言い聞かせているものなのではないかと、そう思った。

黄櫨とはテーブルの上のものにカバーをしてから、トレイにティーポットと二つのカップだけ乗せて、テラスを後にする。どうにも心が落ち着かないに、そして自身に、黄櫨はもう一度「大丈夫だよ」と言った。
不安を振り払うように見上げた空には、丸い月が浮かんでいた。はどきりするが、黄櫨は平然と「小望月だよ。満月じゃない」と言って、早足で家の中へと入っていく。はその後ろ姿に付いていきながら、なんとなく避難訓練の約束事なんかを思い出していたけれど、今は特に使い時ではなかった。

(お・か・し・も・ち。押さない!駆けない!喋らない!戻らない!―――近付かない!!)


この図書館は黄櫨が一日の大半を過ごす場所で、殆ど彼の自室のようだったが、ここにある本の全ては常盤が個人的に集めたものだという。数日前に初めて訪れた時、はその貯蔵量に、圧倒されたものだ。5メートル以上はある高い天井でさえ窮屈だと言わんばかりの大きな本棚が、数え切れないくらい並んでいる。そして、それに隙間無く詰められた本、本、本。何千何万、…恐らくそれ以上の、本。ここはとても個人の所有しているものとは思えない、立派な図書館だ。
きっと、生涯をかけても全てを読了することは出来まい。は考えただけでも気の遠くなる思いで、本棚を見上げた。けれどその挑戦は、黄櫨に言わせれば良い暇潰しなのだという。暇を潰すのは結構だが、それで睡眠時間を削るのはいかがなものかと、は思った。

黄櫨は、既に本を開いている。は並び連なる大量の本に、手に取る一冊を選び兼ねていた。すると黄櫨が本に視線を落としたまま、一つの方向を指差す。

「物語のある本だったら、そっちだよ」
「あ、有難う」
やはり読むからには起承転結が無ければ、とは早速黄櫨の指し示す方向に向かう。
本が彼女に向けるその背はそれぞれに様々な色や柄をしていたが、その本棚には一際目立つ団体が鎮座していた。紫色の、集団だ。なにかのシリーズものなのだろう―――『世にも奇抜な物語』と書かれている。

とりあえずその本のシリーズ1を手にとって、は黄櫨の隣の椅子に腰掛けた。その本はまず一行目から期待以上に奇抜で、読んでいて飽きることは無かったのだが、どうしてもそわそわして集中できない。
……襲撃って、何だろう。……テロリストとかだろうか?
一度気にし始めてしまうとその思考は止まらず、は読書どころではなくなってしまった。この本の続きはまたの機会にしようと、読み始めたばかりのその本を棚に戻すことにする。読書は好きだが、心に余裕のある時にするものだと思った。
本棚に出来た一つの隙間を綺麗に埋めたとき、“どこか”から耳鳴りがした。キ―――ン、という音は、耳鳴りならば間違いなく耳からしているのだけど、それでも発生源があるように思えてならなかった。は耳を叩きながら、その発生源を探す。

図書館の一番奥まで歩いて、行き着いたのは一つの本棚で、更には一つの段で、一冊の本だった。他と比べて明らかな異彩を放つその本は、新芽のように鮮やかな緑で、表面のカバーはザラザラしていた。触れてみると脈打っているように感じたが、それは自分の手の脈だろう。
……耳鳴りの原因は間違いなくこの本であるようだった。何故ならその本に近付けば近付くほど耳鳴りは大きくなっていき、手に取った途端に止まったからだ。一体何の本なのだろう。少し危険な気はしたが、まるで物語に登場する魔法の本みたいで、少しもわくわくしなかったかと言えば嘘になる。(どうやらわたしはまだ、この世界にまともなファンタジーを求めているみたいだ)

はドキドキしながら、本を開く。―――やはり普通の本ではなかった。そこに広がっていたのは、文字でも絵でもなく、大きく開かれた口だったのだから。

そして、わたしは飲まれたのだ。文字通り、ばっくりと。ごっくりと。
(―――本じゃなくて、食肉植物!?)


「……?」
が物音一つ立てなくなったことを不審に思い、黄櫨は立ち上がって彼女の姿を探した。一つ一つ本棚と本棚の隙間を見て回る。そうこうしている内に、この図書館に自分以外の気配が無くなっていることに気が付いて、焦り、嫌な予感から小走りになった。しかし彼女の姿は見当たらない。黄櫨がとうとう最後の本棚まで来てしまったとき、彼はそこで開かれたままうつ伏せに落ちている本を見つけた。
本棚に戻そうと反射的に伸ばした手は、危険を感知して止まる。本は警戒心の強い少年に悔しそうに歯軋りして、バタバタ暴れ始めた。黄櫨は見覚えの無い本(とは呼べないそれ)にただ目を丸くして見ていることしか出来なかった。

本は疲れたのかやがて動かなくなり、その体から植物の根のようなものを伸ばし絨毯に張り付くと、下へ下へと潜るように消えていった。……そこにはもう、何も、無い。

この世界には、鏡のような悪戯好きの存在が少なくない。それらの内の何かがこの図書館の本に紛れて、そして―――きっと、多分、恐らく、を巻き込んでどうにかしてしまったのだろう。常盤に彼女を任されておきながら、彼の信用を裏切るような結果になってしまったことに、黄櫨は僅かに目頭が熱くなるのを感じた。

図書館はひたすら静かだった。



*



本に飲み込まれたは、視界が真っ白になった。しかし、その真っ白な世界に色が付いたのはすぐだった。
怪物のような大きな口に、その鋭い歯で噛み砕かれることなく丸呑みされただったが、その後辿り着いたのは食道でも胃袋でも、そもそも体内ではなかった。
レンガ造りの塀、地面、真っ白な小望月、濃紺を吸い込んだ夜の空気。それらに囲まれたここは―――

「……外?」
見覚えの無いこの場所は、どうやら常盤の家の近辺では無さそうだ。勿論、元の世界でも無い。……さて、一体全体どうして、自分はこんなところに居るのだろうか。先程までは確かに、図書館に居たというのに。そして、あの本は一体―――

「そこに居るのは誰だ!一般人はすぐに避難しろと―――、」
混乱で人の気配に気付かなかったは、突然声をかけられて驚く。振り返ればそこに居たのは、軍服を纏った自分とそう歳の変わらないような少年だった。その姿を確認したは、一層驚き、大きな声を上げる。

「ああ!あなたは―――!」
「……お前はあの時の!」
の反応に、少年も彼女と同様の表情を浮かべた。指を指し合う事は無かったものの、互いに相手を見て、ひどく驚いている。
その少年は、がこの国に来た直後、彼女に槍を向けたあの兵士だった。は元々人の顔を覚えるのが得意ではない上に、彼の顔は暗がりで見ただけでうろ覚えだったが、彼の軍服のゼッケンに描かれた一つのハートと、相手の反応も併せてみるに間違いないだろう。は相手を確認した後、真っ先に「逃げなくては」と考えた。しかし―――それを実行に移す前に、突風と煙に襲われた。

は思わず、目を閉じる。耳に届くのは……金属音、銃声、悲鳴―――火薬の匂い!

(分かった。ここ、地区 B−4/3って場所だ)

おかしもち、おかしもち、おかしもちおかしもち!
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