Act19.「大図書館」



 重厚な石造りの図書館は、光も影も全て無彩色に見えた。しかし中に入ると、白い照明と窓から差し込む夕陽とが混ざり合って、不愛想な外観とは裏腹に暖かく親しみやすい。は自分の後を付いてくるピーターを『どういうつもりだろう?』と気にしながら、敢えて何も問うことをせずただ突き進む。そして、図書館の奥にある“求めている情報を探してくれる検索機”の前に辿り着いた。

 検索機は世界観にそぐわない現代的なタッチパネルで、液晶画面に触れて操作するものだった。は、これは自分の世界にある機械のタッチパネルと同じものなのだろうか? と疑問を持ったが……考えたところで、そもそも自分の世界のタッチパネルの仕組みも分からない。分からない以上、どちらも自分にとっては等しく魔法の道具なのかもしれなかった。

 指先で画面に触れると『知りたいことを思い浮かべて“検索する”ボタンにタッチしてください』と表示される。

(思い浮かべて?)
 その言葉で、検索機が一気に胡散臭いものに思えた。以前ユリリオが操作していた時、は図書館の中をうろうろしていて、彼の操作をあまり見ていなかった。もっとちゃんと見ておけば良かった、と後悔する。……本当に、頭に思い浮かべるだけで良いのだろうか?

(わたしが知りたいのは……)
 がまだ思考を形にし終えない内に、画面がピカッと光った。そこには『検索完了』の文字。まさかと思っている内に、機械からガーッと紙が排出される。そこには何冊かの本のタイトルと、本棚の位置が印刷されていた。ざっと見るに、その結果にはしっかりと自分の意志が反映されているようである。はその紙を頼りに、本棚の森に踏み入った。

「えっと」と紙面をなぞりながら、リストアップされた本を一冊一冊手元に積んでいく。『時間とは何か』『時間くんの正体に迫る』『タイムトラベラー 〜六の魔法〜』『お茶の時間が100倍楽しくなるレシピ集』……自分の思考の揺らぎか、機械の精度の問題か、多少趣旨が違いそうな本も入っていたが、一応それらも取っておいた。そして、リストもあと一冊になる。しかし最後の一冊は、自分の頭より遥か高い位置にあり、背伸びしても届きそうになかった。周囲に司書らしき姿は無い……本棚によじ登ってしまおうか……と考えた時、ふっと背中が温かくなる。背後から自分にかかる影に、はどきりと心臓を跳ねさせた。肩越しに振り返れば、ごく近い距離にピーターが立っている。彼はの取ろうとした本を軽々棚から抜き取ると、それをの頭の上に雑に置いた。

「これでしょ」
「……ありがとう」
 は一瞬、これが少女漫画だったら何かしら始まるのだろうか? と思いはしたが、あまり考えないようにした。

 この図書館には、いくつかの読書スペースが設けられている。はその中から人気のない場所を選んで、集めてきた本をテーブルに置いた。一応持ってきたものの、明らかに求めているものではない本は片隅に寄せ、それらしい本から開いていく。が本を読み始めると、ピーターは彼女から一つ席を空けて座り、片隅に寄せられたレシピ本を読み始めた。それから暫く、ページを捲る音しかしない静かな時間が続いた。


 ――『時間とは何か』

 時間とは、無限を有限に刻むもの。過去と今と未来を作る、変化を生み出すエネルギーである。時間エネルギーを生み出す“ゼンマイ”は国に、街に、人に、あらゆる単位で存在しており、無数にあるゼンマイを管理し時間を司る存在が、通称“時間くん”である。

 時間エネルギーは、世界を世界たらしめる重要なファクター(因子)の一つとされている。ファクターには時間の他、可視世界と不可視世界の境界を生み、内と外を隔てる鏡があるが、鏡はエネルギーではなく、エネルギーの作用を変化させる触媒である。

 ――『時間くんの正体に迫る』

 時間くんは人格を有しており、意思、感情と思しきものも確認できている。時間くんの所存一つで時間に影響が出るため、その存在を不用意に扱うことは危険である。時間くんを決して軽んじてはならない。我々は時間くんを大切に、日々を生きるべきである。

 時計は時間くんとの接点であり、時間くんの一部を垣間見るものである。時計を作る者は必ず所定の手順に従って作らなければならない。時計が大きく、その機構が複雑になればなるほど時間くんとの繋がりが強くなると言われている。過去に時間くんを支配しようとした国が巨大な時計を作ったが、膨大な時間エネルギーが爆発を起こし大勢の者が行方不明となる事件があった。事件の詳細は――【検閲により削除されました】

 ――『時間くんの正体に迫る2』

 時間くんは我々の居る表世界において、姿形を持たない。時計を介することで、意識のみを表世界に下ろすことができるという。過去、裏世界であるバックグラウンドに介入した経験のある数人の証言によると、バックグラウンドでは人の姿を模していたとのことだ。大人とも子供ともつかない年頃の、中性的な見た目をしていたという。

 余談だが“鏡”には人格が存在しない。しかし、人の意識エネルギーを原動力とし、姿を模写し、語り掛けてくるという。

 ――『タイムトラベラー 〜六の魔法〜』

 愛する恋人を不幸な事故で失った青年は、魔法使いから“六回だけ過去に戻れる薬”を手に入れる。事故の前に戻り恋人を救おうとする青年だが、運命を維持しようとする死神の妨害により失敗してしまった。時間遡行を二回、三回と繰り返す内、彼は魔法の薬の秘密を知ってしまう。この薬は一回目は事故の六時間前、二回目は六日前、三回目は六週間前、四回目は六ヵ月前に戻ったのである。五回目はなんと六年前。恐らく残された一回は六十年前に戻るのだろう。救える確証はなく、六十年前に戻れば彼女と共に生きることもできない。彼が下した最後の決断は――

(ハッ! いけない、いけない、脱線してしまった)
 は分厚い小説本をテーブルの上に戻した。まだ裏表紙のあらすじしか読んでいないが、あやうく引き込まれるところだった。……それにしても、あらすじでネタバレしすぎではないだろうか? これは序章で、まだまだ怒涛の展開が待ち受けているとでもいうのだろうか? ……は本から気を逸らすように、両腕を上げてぐっと伸びをした。ピーターがちらっとを見る。
「分かってきた?」と偉そうに言う彼に「どうかな」とは返した。

 時間を生み出しているゼンマイ。それを管理し、時間を操作できる唯一の存在が時間くん。であるなら、この街のゼンマイを操作しているのも時間くんという存在なのだろう。時間くんは表世界には姿形が無いと言うが、時間くんとの繋がりが強くなるという“大きく複雑な時計”を使って出てくることはできないだろうか? この街には出来たばかりの大きな時計塔がある。時計塔の完成と共に、時間くんが表世界に出てきて、何らかの理由で時間をループさせているのかもしれない。

 時間くんは、大人でも子供でもない年頃の、中性的な見た目をしているという。それは……少女とは言えないだろうか。肩上で揺れる短い髪と少し険のある顔は、中性的と言えなくもない。そして何より、時間に影響力を持つ少女。

(やっぱり……橙が時間くん?)

 がその考えを口にすることはなかったが、誰かがどこかで吹き出した。は驚いて周囲をキョロキョロ見回すが、ここには自分達以外誰もいない。無表情のピーターに、今のが聞こえたかどうか尋ねようとすると、彼は面倒そうに目を逸らした。何か知っていると言わんばかりである。

『あはは! 橙が時間くんかあ! そっか、そうだね。それもいい』
 今度ははっきり聞こえた。はその声に聞き覚えがあった。過去に二度、自分に語り掛けてきたあの謎の声である。確かピーターが持つ“依り代”を介してこちらに話しかけていると言っていた。バグ空間での一件依頼その存在は鳴りを潜めていた為、は今の今まですっかり忘れていたが、ピーターはずっと一人ではなく誰かと一緒だったのだろうか。

『忘れてたなんて酷いなあ』
「あなたは一体誰なの?」
 口にしない心の声をさも当然のように読み取られ、は不快感を覚えた。姿が見えない声だけの得体のしれない相手……年齢も性別も定まらない中性的な声……もしかするとこの声は……

「あなたが、時間くん?」
 空気が、音もなく笑った。イエスともノーとも言わないその笑いを、は肯定として受け取る。

「あなたが時間くんなら、橙は? 時間を操作できるのはあなただけなんでしょ? 橙は何もしていないの?」
『だから、橙が時間くんでも僕は良いって言ってるじゃない』
(良いとか悪いとかじゃなくて……事実を知りたいんだけどな)
『事実なんてどうでもいいよ。君はもう、橙の正体を知っている筈なんだから』
 声の言うことに、は眉を寄せた。橙の正体……それが分からずに質問しているというのに、知っている訳がない。声は不満そうなを優しく諭す。

『君が、この数回の夜を過ごした橙が、橙の正体だよ』
 は最初、何を言われているのか分からなかったが――この数日のことを思い出すと、心はそれを理解しているようだった。

 明るくて気が強くて、人を引っ張っていく元気な子。美味しいものに目が無くて、つい食べ過ぎて後悔している、無邪気な子。繊細なところもあり、目が離せない危うい子。……それこそが、橙の正体なのだ。

『問題を解決するためには、事実に惑わされない真実が必要なんだよ。君は君の真実のために、ただの橙を知る必要があった。だから僕は何も教えないでいた』
「……それで、結局どうやって解決すればいいの? 橙が原因だとしたら、やっぱり説得しかないってこと?」
『さあ? 記憶が無いなら話しても無駄かもしれないし、もし変に刺激して橙の精神状態に異常をきたすようなことがあれば……昨晩、身をもって知ったよね?』

 確かに、記憶の無い橙を説得できるイメージは湧かない。そもそも、橙が意識的にループを引き起こしているようにも思えなかった。より深い潜在意識下で何かをしているのだとしたら、まずはそれを呼び起こすことが必要なのではないだろうか。しかし下手なことをすればまた、昨日の二の舞になるかもしれない。

「じゃあ……どうすれば」
 が困り切って弱った声を出すのを聞いて、ピーターは少しいい気味だと思った。に対してではなく、彼女に謎の期待を寄せていた時間くんに対してだ。時間くんは彼のその考えを読み取り「フン」と不満を漏らす。そしてその矛先をに向けた。

『君は本当に本物の? おかしいなあ。ならもっとワーッとあっという間に解決しちゃうと思ったのに。普通だし、まともだし、期待外れだなあ』
「えっと……何の話?」
『君の話だけど』
 は訳が分からず、姿の見えない宙を見つめた。自分のことを知っているかのように言われるのは、これが初めてではない。の脳裏にネズミ耳の少年が過る。

『あーあ。仕方ないからヒントをあげる。君もお察しのように、ここの時間を繰り返している原因は橙だよ。繰り返しを終えたいなら、彼女に時間を進ませたいと思わせなきゃいけない』
「どうやって?」
『考えてごらんよ』
「……まずは、時間を進ませたくない理由を、知らなくちゃいけないよね?」
 その時、唐突に空気がピリッとした。まるで空間全体に電気が走ったみたいなそれに、は体を強張らせる。直感で、それが声の主の怒りだと感じた。(なんで? わたし、何かまずいこと言った?)

『橙を殺せば、ここの時間は永遠に止まるよ』
 刺々しい声が紡ぐ物々しい言葉。は何の話か分からず呆然とするが、敵意が自分に向いていないことと、どことなく硬い顔をしているピーターを見て察する。この言葉は自分に向けられたものではなく、ピーターの心の声に向けて放たれたものなのだろう、と。時間くんの言葉から予測するに……

「ねえ……まさか、橙を殺そうなんて思ってないよね?」
「そこまでは思ってない。ただ、原因を排除したらどうなるか考えただけで」
 それは同じことではないだろうか? は非難したいような呆れるような、それでいてどこか共感できるところもあると思った。自分だって彼女が友人にならなければ同じことを考えたかもしれない。姿の無い声はの胸中に、より鋭さを増した。

『今、ここのゼンマイの所有者は橙なんだ。軽率な真似は身を滅ぼすということを忘れないようにね』
 言葉尻は優しいが口調は全く優しくない。声はそれだけ吐き捨てると、テレビの電源を切ったみたいにプツリと気配を途絶えさせた。居なくなったのだろうか。とピーターは何とも言えない顔を見合わせ、同時に溜息を吐く。

「今の声は、一体何なの?」
「まあ、君のお察しの通りだよ」
「そう……じゃあ、やっぱり時間くんなんだ」
 空間を支配する圧倒的な存在感。心を見通す異質な力。何でも知っていそうな口ぶりなのに、全てを教えてはくれない。自分の足で歩ませようとしているところも、まるで神だった。気配の消えた今もまだ全身が強張っている。

「彼はずっと、君にこの問題を解決させたがってた。黙って見ているつもりだと思ってたけど、飽きたみたいだね」
「ああ、わたしが“期待外れ”だからだね。あなたは色々知ってたの?」
「知っていることも言えることも、それほど無いよ」
 ピーターの力ない返答に、は彼が時間くんに口止めされているのではないかと思った。何も怖いものなど無さそうな彼でも、時間くんという存在は無下にできないらしい。はピーターを困らせないよう「そう」と素直に頷いた。

「わたしが何かするなら、協力はしてくれる?」
 の言葉に、ピーターはぴくりと眉を上げた。

「何をするつもり?」
「わたしは、橙がどんな秘密を抱えているのか知りたい。でも直接訊く訳にはいかないし、侯爵様も教えてくれないと思う。だから……時計塔に行ってみようかなって。時計は時間と深い関係がありそうだし、何か分かるかも」

 の言葉に、ピーターは“いよいよか”と思った。結局自分の切り拓いた道を、彼女は進んでいくのだ。「そうかもね」と適当に相槌を打つと、は同意を得られたことにほっと息をつく。しかしすぐに浮かない顔で「でもなあ」と頬杖をついた。「なに?」と訊けば、は「時計塔の周りには犬のロボットがいて近付けなくて」と言う。ピーターは拍子抜けした。

「なんだ、そんなことか。あれくらいすぐ壊せるよ」
 ピーターは今度もが安心の表情を浮かべると思ったが、予想に反して彼女の顔は複雑そうである。反応の理由が分からず疑問符を浮かべるピーターに、は微妙な笑みを浮かべた。

「いやあ……殺すとか壊すとか、頼りになるなあと思って」
 不思議の国に来た日、トランプ兵に銃を放った彼のことを恐ろしく思ったものだが、ヴォイドの時も今も、味方になるととても心強かった。 inserted by FC2 system