Act15.「蚊帳の外の主人公」



 頭上では規則正しい振り子時計の音が、無数に重なることで不協和音を成している。聞く者の心音を急かし、追いやるような暴力的な音。苛々を誘い、冷静さを奪っていく耳障りな音だ。

 足元には割れた砂時計が砂漠を作っており、すり鉢状の穴になっている。穴の奥には馬車ほどもある機械仕掛けの虫。それは巨大な蟻地獄だった。穴の主は大きな鎌状の顎をこれ見よがしに開き、滑り落ちてくる侵入者を待ち構えている。侵入者――ピーターは、虫に向けてライフルを構えた。

 銃声が響く。立て続けにもう一度、二度。金属製の虫の身体は錆だらけで、脆い部分を狙えばすぐに瓦解していった。錆の赤いにおいは血か、毒か。どちらにしろ死を思わせるにおいだった。

 虫が壊れて動かなくなったのを見届けたように、振り子時計がボーン、ボーン、と褪せた褐色の音色を響かせる。まるで終わりの合図だ。ピーターは誰に言う訳でもなく「うるさい」と文句を言う。

「今日はこの辺にしよう、ハイハイ、おしまいおしまい」
 空気みたいな掴みどころのない声。パンパンと軽快に手を打ち鳴らす音。ピーターが見上げた先には、宙に漂う少年の姿があった。“時間くん”である。現世に体の無い時間くんの姿が見えるのは、ここが表の世界ではなく裏のバックグラウンドだからだ。

 今二人が居るのは、侯爵邸の隣にある時計塔の内部である。来訪者を迷わせる複雑なつくりの時計塔。正しい道順を進み数多の鍵を開ければ、その先は時間を管理しているバックグラウンドと繋がっている。ピーターは時間くんの手引きと指示でバックグラウンドに侵入していた。

 時計塔に通い始めてからの数日。時間くんから聞き、また自分の目で確認して、ピーターにはいくつか分かったことがある。

 まず立ち入り禁止の侯爵邸は、ループする16月7日にヴォイドに襲撃されていたということ。夜になると悍ましい怪物の姿が、館の窓から見え隠れしていた。時間くんが言うにはその襲撃がループの原因に深く関わっているとのことだ。
 原因が発生した侯爵邸にはループのエネルギー負荷が集中し、それによってバグが引き起こされている。“未来という結果”から”原因という過去”を改変すること、因果律の矛盾によるエラー反応である。バグにより空間が崩壊状態であるという邸内に、足を踏み入れたことはまだない。(できれば一生、願い下げだ)

 時間くんがピーターに行くよう命じたのは、問題の原因である侯爵邸ではなく、その隣に立つ時計塔だった。時計塔は周辺一帯の空間、生物の時間を司る場所であるらしい。時間くんの指示は、時計塔の主がいる最上部までの“道を切り拓く”こと。具体的には、時計塔の各階に仕掛けられた防衛システムの壊滅である。先程の機械仕掛けの蟻地獄もその一つだった。

 時計塔の主というのがループの元凶であるに違いないが、時間くんはその正体を明かさなかった。しかしピーターには、その正体に見当がついている。ほぼ間違いなくあの記憶喪失の少女だろう。彼女は“侯爵”以上に強い力の、アリスネームを持った“キャラクター”なのだから。

 本来、時間操作の力を持つのは時間くんだけの筈だが、あの少女がそれを何らかの方法で奪い、時間くんは奪い返そうとしているのだろうか。……だがそれを確認しようとしても、時間くんは肯定も否定もしなかった。ただ若干、苦い顔をするだけである。

 恐らく、時間くんとあの少女の間には何らかの因縁があるのだろう。しかし……他でもない時間くんが一キャラクターなどに手を焼くだろうか? ピーターの知る限り、時間くんはアリスに次いで強大な力を持つ存在である。もしかするとアリスの異変で、時間くんの力が弱体化しているのかもしれない。

(……とても、弱っているようには見えないな)
 ピーターは、空中でへらへらしているその呑気な顔を見る。
 弱体化どころか、時間くんの力は以前にも増していると感じていた。少し前に彼が異世界への扉を開いた時、その力に驚かされたものだ。

 結局肝心なところは明かされないまま、ピーターは時計塔での戦いを強いられている。様々な生物の姿形を模した防衛システムは、皆一様に侵入者に容赦なく襲い掛かって来た。ピーターはここに来た翌日からの四日間、それらを毎日相手にし続けているのである。

 何より納得がいかないのは、この戦いの目的だった。塔の主と直接対決してループを止めるために、道を切り拓いている訳ではないのだ。時間くんが言うには……『機が熟した時、が進みやすいように、君は道を作っておいてね』とのこと。

 のどこにそんな期待できる要素があるのか分からないが、時間くんは彼女にこの問題を解決させようとしているらしい。が動きやすいように、面倒な下準備をしておけと言うのだ。何故自分が彼女のお膳立てをしなければならないのか。不満しかないが、それを言ったところで、時間くんは何かが変わる相手でもなかった。

 恐らく時間くんはループの原因、事の真相の全てを知っている。そしてに解決させたがっている。だが、彼女には何も情報を開示しない。時計塔や侯爵邸の状況も、ピーターは口止めされていた。

時間くん曰く『事実を知ることで、真実を遠ざけることもあるんだよ。事実と真実は異なる。彼女が見つけないと、真実にはならない』とのこと。それらしいようで、全く分からない、彼らしい言葉だった。

がどうやって解決するのか、楽しみだなあ。そう思わない?」
「思わない。全然」
 ばっさり否定しても、時間くんは空っぽの顔で笑っているだけ。その顔は楽しんでいるようで、どこか違う風にも見える。ピーターの中の時間くんは、面白いか面白くないか、それだけで全てを決めるような――“ぶっ飛んだ奴”で、堪え性も無かった筈だ。そんな彼がこんなに回りくどいことをするのは何故だろう?

 ピーターはその疑問を口にしなかったが、時間くんのニコニコ顔は若干、歪む。時間くんは人の思考を読み取ってしまうのだ。

「僕はね、余計な事を言わない君が好きだよ」
「……まだ、何も言ってないでしょ」
 時間くんに逆らうべきではない。彼にとって都合のいい存在でいることが、自分にとっても一番都合がいいのだ。

 時間くんは感情の読めない顔で「ふうん」と言って、気まぐれな風みたいにどこかへ姿を消してしまう。その姿はなんとなく、何かから逃げていくように見えた。


 ピーターが時計塔の外に出ると、まだ夜が遠い夕方だった。今日は随分早く切り上げたな、と思う。それだけ進捗が良いということだろう。ピーターは圧し掛かる疲労から頭を押さえた。

「どうして僕だけ、こんな目に」
 このストレスから解放される為には、新しい白ウサギの少女に早いところ何とかしてもらうしかない。だが当のはといえば……恐らく彼女もループを引き起こした犯人にあたりを付けているのだろうが、何故かその人物と悠長に祭りなどを楽しんでいる。

 一昨日の晩、まるで平和な世界の何も知らない一般人の顔で、親しい友人同士のように接していた彼女達の姿を思い出した。自分ばかり苦労させられている、とを恨めしく思う気持ちはあった筈だが、面と向かって話した時に思ったより苛々しなかったのは――ただ疲れていたからに違いない。

 折角早めに解放されたのだ。今日くらいはゆっくり過ごそう……と、ピーターは街の方に足を向けた。



 *



 キルクルスの街は祭りの前日で、賑やかといえば聞こえがいいが、疲弊した体には騒々しいだけである。ピーターは静かなカフェでのんびり一息つきたいと思った。ループ問題、時間くん、のこと……山積みのストレスを癒すためには、極上のコーヒーと美味しい食事しかない。

 しかしどこの店も混んでいて落ち着けそうになかった。パンでも買っていって、人気のない林で休むのが吉だろう。パンといえばちょうど気になっていた店がある。先日から渡されたあのレーズンバターパンの店だ。あれは、一流の職人を抱える城の食堂や、城下町の人気店の味に慣れていても、また食べたくなる逸品だった。パンはちょうど良い焼き加減で、バタークリームにはホワイトチョコが混ざっていたし。

 ――アリスによる虚無化が始まる前、忙しくも比較的穏やかだった日々が懐かしかった。休日にはとっておきのコーヒー豆を挽いて、手間と時間をかけてケーキやパイを焼く。……この問題が解決したら、パンも焼いてみよう。

 と、現実逃避気味に歩いていると、に(一方的に)教えられたパン屋が見えてきた。客足は少なくないが、比較的落ち着いている入りやすい雰囲気の店だ。その向かいにあるカフェは狭いテラスに人がひしめき合っていて、絶対に立ち寄りたくないと思った。
 ……筈だった。が、ピーターは少し逡巡した後で、そのカフェに向かって歩き出す。店先に見えた“見間違い”を確認するために。

「いらっしゃいませー! ……あ」
 テラスに料理を運び終えた給仕が、新たな客の気配ににこやかに振り返り――顔を引き攣らせた。彼女は“しまった”とバツが悪そうな顔を浮かべたが、すぐに諦めたのか開き直ったのか、芝居がかった笑みを貼り付ける。

「お一人様ですか?」
「君……何してるの」
 ピーターは呆れた顔で、給仕に勤しんでいるを見下ろした。エプロンを身に付け、髪を括って、トレーを抱えている。一体何のつもりでこんなことをしているのか……あまりに想定外すぎて脱力してしまった。時間くんより、彼女の行動の方がよっぽど不可解かもしれない。

「ここのお店、人手不足らしくて。良かったら一緒に手伝っていく?」
 なんちゃって、あはは! と乾いた笑いを零すを、ピーターがジトっと睨む。つまらない冗談なんて言うんじゃなかった……と後悔するに、ピーターがいつも通りの億劫そうな調子で言った。

「いいよ。でも条件がある」
 えっ、とが目を丸くする。自分の耳を疑ったが、いつまでも立ち去らない彼を見るに聞き間違いではないらしい。本気で彼に手伝わせる気はなかったは、気まずさからやはり、つまらない冗談なんて言うんじゃなかったと思った。 inserted by FC2 system