Act14.「初対面の友人」



 は昨日と一昨日と同じ場所で、ある人物を待っていた。その人物とは勿論、橙である。今日の橙にとってはまだ見ぬ他人だが、にとって橙は、たった二日だが濃密な時間を過ごした友人だった。

 彼女と最初にここで出会った時のことを思い出す。橙は異邦人の存在に少なからず警戒している様子だった。あの時はピーターと二人だったが、今日は一人。一対一なら幾らか警戒を解いてくれるだろうか? は彼女が現れたらどういう顔をして、何を言おうか考えながら、そわそわと木の葉や地面を見ていた。

 そしてようやく、待ち人が現れる。

「あら……こんなところで、何をしているの?」
 時計塔のある方向から姿を現した少女は、余所余所しい顔と声色でそう言った。は彼女の硬い表情に、昨日とは別人のようだと感じる。外見が同じでも中身の感情が違うだけで、人はこんなにも変わって見えるのだと知った。

「観光で来たのですが、道に迷ってしまって」
「もしかして時計塔を見に来たの? 一般人は立ち入り禁止になってるわよ」
「あ、そうなの?」
 道理で林に出入りする人が少ない筈だ。自由に立ち入れるなら、祭りの目玉である時計塔に向かう人々でこの林は賑わっていただろう。(それにしても……やっぱり橙は記憶喪失には思えない。知り過ぎている。慣れ過ぎている)

「残念だったわね。……もう帰るの?」
「えっ? ……そうだね。時計塔に行けないなら、街に戻ろうかな」
 今日ここに来たのは時計塔が目的ではなかったが、“目的本人”にそれをどう伝えればいいか分からなかった。最初の日も二度目も、どうしてあれほど仲良くなれたのだろう? は戻ると言いつつ、その場を立ち去ることができない。ここで諦めて帰ってはいけない気がした。
 不思議なのは橙だ。何故か彼女も、もどかしさを抱いているような、何か言いたげな顔でを見ている。じっと見つめてくるその目は、まるで何かを待っているみたいだ。は……挑戦してみることにした。

「良かったら一緒に、前夜祭を見て回らない?」
 がそう言うと、まだ名乗りも名乗られもしていない少女はパッと顔を明るくさせ、満面の笑みで「いいわね!」と頷いた。は彼女の変わりように驚き、訝しみ、嬉しくなる。

「わたしは。よろしくね」
「アタシは橙よ。、よろしく!」
 早く行きましょ! と急かす橙に連れられて、昨日同様に一度アドルフに会ってから、二人は街に出た。昨日より遥かに険しさを増していたアドルフの迫力に、は心臓も胃も、全ての内臓が縮む思いだった。

「まずはお揃いの髪飾りを買いましょうよ!」
 街に着くや否や、橙は電飾髪飾りを売る屋台にを引っ張っていった。は、あれ? と思う。昨晩は自分の方がこの屋台に惹かれていて、それに気付いた橙が背中を押してくれる流れだった筈だ。どうして変わってしまったのだろう。屋台に慣れた自分が昨日ほど釘付けになっていなかったからだろうか。
 は考えを巡らせながら、屋台に並ぶ髪飾りを眺めた。その顔が、橙には真剣に品物を選んでいるように見えたのだろう。「迷うわよねーっ。あ、どうせだからお互いのものを選び合いましょ!」と彼女は提案する。

 は了承して、橙に似合いそうな髪飾りを選び始めた。彼女の濃いオレンジ色の髪はパッと目を引く華やかさだ。装飾品はそれを引き立てる控えめなものがいいだろうと、昨日はシンプルな朝顔に似た花にした。しかし活発な彼女には、もっと派手な物が似合うかもしれない。今回は、一番大きく一番派手なガーベラの飾りを選ぶことにした。

 橙が選んでくれるものは変わらないだろうと思っていたが、橙の手にも昨日とは違う花がある。それは他とは一風変わったデザインで、枝に桜のつぼみと花が表現されたものだった。つぼみは仄かな光を孕んでおり、開いた花はより明るい光を放っている。

 二人は選んだ飾りを交換して、それぞれ自分の髪に付けた。橙の飾りは昨日のものより彼女に似合っている。は自分の飾りも、昨日より似合っているのではないかと思った。

「さあ! 次は飲み食いしましょ飲み食い!」
「花の次は団子、ね」
「お団子もいいわねー! 見てみて、ミルクチーズ団子ですって」
「絶対それ美味しいやつじゃん」
 橙が指差した先では、手の平にころんと収まるくらいの大き目の団子が、長い串の上で連なっている。五、六、七……白くて丸いモチモチが七個も刺さっていた。橙とは一本ずつ買い、湯気の立つ出来立てのそれに、はむっと噛みつく。すると、餅と蒸しパンの中間のような不思議な食感の生地の中から、とろっと濃厚な甘い練乳、塩気のあるチーズソースが溢れた。舌先から脳内に幸福が走る。

 “美味しいーっ!”と二人の声がぴったり重なり、それが面白くて笑い合った。

 それから先も、昨日とは殆ど違う展開だった。橙は昨日は食べていなかったものを食べていたし、もそうだった。射的は昨日と同じく全く的に当たらなかったが、くじ引きは昨日より良いものが当たり、その賞品である大きなぬいぐるみを抱きかかえるのには苦労した。

 夜が更け、少しずつ賑わいが落ち着いてくる。と橙は遊び疲れて、道の端に設置してあるベンチに腰かけ、少しずつ片付けを始めた屋台を見ていた。橙は食べ過ぎたのか「苦しいわ」と言って腹をさすっている。はちらっと彼女の腹部を見て……違和感を抱いた。そういえば、彼女は今日はいつものへそ出しルックではない。デザインはほぼ同じだが、少し丈の長いトップスになっていた。昨日、食後の腹部の膨らみを気にしていたことと何か関係あるのだろうか? あるようにしか思えない。

(本当に、本当に記憶喪失なの? ここは昨日と同じなの?)

 祭りの終わりを寂しそうに眺めるその横顔に、な心の中で問いかける。だがそれを口にするのは、楽しそうに過ごしている彼女の平和を壊してしまうみたいで気が引けた。

「なんだか、帰りたくないわね。勿体ない感じがするわ」
「そうだね。ねえ……今日がもう一回来たらいいって、思う?」
 がそう言うと、橙は突拍子もないおとぎ話でも聞いたように目を瞬かせた。彼女の茶色の瞳に祭りの灯りが吸い込まれ、まつ毛の先でパチパチ弾けて星になる。

は随分可愛いことを言うのねっ! そうね、そうだったらいいかもね?」
 明るい笑顔の彼女に、何もおかしなところは見当たらない。は照れるでもなく、ただ少し眉を下げて笑った。橙はの表情が寂しく切なそうに見えたのか、優しい顔になる。

「アタシは、あと何百回くらい、今日が来ても良いと思うわ。楽しかったもの!」
 橙のその言葉には、不思議な魔力が宿っていた。キラキラ輝く強い力。それは魔法なんて言葉では片付けられない、彼女自身の人を惹き付ける魅力だ。明るく可愛く、強さと儚さを持ち合わせた少女。橙からは物語の主人公のような特別なオーラを感じる。

 見つめ過ぎていたのか、橙が居心地悪そうに「なに?」と言った。は誤魔化すように、膝上に座らせている巨大なクマの手を握る。

「いや、何でも。そうだ、このぬいぐるみ持ってく?」
「持って帰るの大変そうだし、にあげるわ。似合ってるわよ?」
 橙は満腹を思わせない軽快な動きでベンチから立ち上がり、くるっと回って空を抱く。は綺麗な蝶を愛でるようにそれを眺めた。鮮やかな蝶の色の正体は、身に纏う鱗粉であり、本体は透明であるらしい。だから触れてはいけないのだ。

 と橙は「また明日」の指切りをして、別れた。
 林の奥に橙の姿が完全に消えたのを見届け、は寒さにも似た喪失感を覚える。周りの空気と夜の闇が重い。自分が小さく頼りなく感じられる。今夜の素敵な友人も、数時間後にはまた居なくなってしまうのだ。

「わたし、何してるんだろ」
「本当にね」
 の虚しい独り言は、独り言にならなかった。はびくっと声の方を振り返る。そこにはピーターが、やはり呆れ顔で立っていた。その顔がいつもより冷たく見えないのは、彼の手にある大きなクレープの存在が緩和しているからに違いない。それはも昨日食べた、あの巨大なクレープだ。かつて山だったであろうその生クリームは、既に谷になりかけている。

「いつから見てたの?」
「今さっき。ずっと見てるほど暇じゃないよ。で、君は何をしてたの?」
 ピーターの声からは、余計な事をしてくれるな、という意を感じる。は何と答えるべきか分からなかった。ただ、自分は明日も橙に会いに行くのだろうという不思議な確信がある。何故だろうか? ……きっと彼女が、このループを解く鍵になると思っているからだ。だがそこに言葉にできる根拠が見つからず、答えられない。

「まだ、分からない」
「……まだ?」
「うん、そう」
 曖昧に笑うに、ピーターは不思議なものを見る目をした。は何だかおかしくなった。現実世界の自分の方が、不思議の国の彼よりもよっぽどおかしなことを言っている。

 はてっきりピーターに馬鹿にされるだろうと思ったが、彼は気が抜けたような、どこかぼうっとした様子である。いつもの独特の気迫がない。祭り前に会った時も思ったが、とても疲れて見えた。彼は何をしているのだろう? ちゃんと休めているのだろうか?

「あの、大丈夫? 何か大変なことがあるなら……手伝えることがあれば、手伝うけど」
「ないよ。まだ」
 ピーターの返事に、はおや? と思った。ばっさり切り捨てられると思っていたが、それは彼らしくない言い回しだ。甘いものを食べた口は、多少甘くなるのかもしれない。

「そのクレープ、夕食?」
「デザート」
「デザート……は大事だよね、うん」
「何か言いたげだね」
 ピーターは何か文句でもあるのか、というような顔で、手元のクレープをぱくっとする。果物も、生クリームも、モチモチの生地も巻き込んだひと口は、大きいのに随分と綺麗なひと口だった。は昨日懲りた筈のそのクレープを、明日また食べてみようと思った。

「いや、ただ、可愛いものを食べているな、と思っただけだよ」
「君に言われたくないけど」
 は自分の腕の中のクマのぬいぐるみを見て「確かに」と顔をふやかした。

 それにしても……と、は彼をこっそり観察する。
 いつも不機嫌そうな顔で、物理的にも精神的にも他人を見下している彼に、その可愛さを凝縮したみたいな食べ物は似合わない気がした。いや、そうでもないかもしれない。見れば見るほど、何だかどんどん似合うと思えて来た。そういえば最初に落ちてきた長い穴の中でも、彼はケーキを味わっていた。甘いものが好きなのだろうか? 甘いものといえば……

「さっき渡したパンは食べた?」
「あれは、」
 ピーターはすぐには答えず、またひと口クレープを齧る。その行為は時間を稼いでいるように、逸らした視線は言葉を探しているように見えた。……得体の知れない異世界人から貰ったものなど口を付けず処分してしまっただろうか?
 彼はごくりと生クリームを飲み込んでから、そっぽを向いたまま言う。

「なかなか、だった」
「あ! 美味しかったんだ。良かった」
 は嬉しそうに、訊かれてもいないのにパン屋の場所を教える。そして明日食べたいものがまた一つ増えるのだった。

「じゃあ、僕はもう行くから」
「うん……そういえばあなたは、今どこにいるの? 何をしているの?」
「色々あるんだよ。僕にも。しなくちゃいけないことが」

 いつもより上手くコミュニケーション出来ている、と調子に乗っていただったが、肝心な部分ははぐらかされてしまった。自分が言えたことではないが、お互い何も得るものがない会話だったと思う。だがどこか充足感に似た感覚があった。今はもう、橙と別れた時に感じていた虚しさが、不思議と消えている。

 ピーターは、もう話は終わりだというように、さっと背を向けて林の方へ歩いて行ってしまった。は一度も振り返らないその背を見送る。付いていったらどうなるだろうと思ったが、多分撒かれて終わりな気がした。 inserted by FC2 system