Act13.「街の大図書館」



がやがや。わいわい。常々、この街の賑わいは何かに似ていると思っていた。ようやく気付く。毎週火曜日のタイムセールス時のスーパーだ。

「本当に連れていってくれるとはね」
は少し後ろを歩くピーターに話しかける。実を言うと家を出てからずっと会話がなく、そろそろ気まずい頃だったのだ。元々仲良くお喋りをするような関係ではなかったが、無言を通すには道のりは長すぎた。
ピーターはそれが自分に掛けられている言葉だとすぐに気付けなかったのか、少し遅れて、口を開く。

「じゃあ、やっぱりやめようかな」
「あなたはここまで来た労力を無駄にするというの?もう引き返すより、目的地の方が近いじゃない」
「……嫌な子だよね、君って」
「……まあ、よく言われない事もないから否定はしないけど」
流れる人、息衝く街にふらふらと視線を漂わせれば、自然とメイシャの店が目に入る。彼女の店は今日も今日とて大繁盛だ。手伝いを始めたあの少女は混み入った店内に少々戸惑いながらも、額に汗を滲ませて爽やかな顔をしている。の顔から、表情が消えた。
そのことに彼女自身が気付くのは、メイシャの店が見えなくなった頃、ショーウィンドウに映った自分の顔を見たときだった。酷い顔をしていた。何を考えていた?そんなの決まっている。

(メイシャさんの手伝いを始めたのはわたしで、お店が上手く回るように一生懸命工夫したのだってわたしなのに)
目を閉じれば、笑顔でハイビスカスティーを差し出すメイシャが目蓋の奥に居た。
けれどそれも今はもう存在しない出来事なのだ。は苛々と、その感情をかき消した。

「あ、ここだよー」
は間延びした声を上げながら、聳え立つ建物を昨日ぶりに見上げる。その横をピーターが通り過ぎながら、さらりと言った。

「見れば分かるよ。第一入り口に図書館って書いてあるし」
「そんなことわたしだって分かってるよ!何、かっこつけちゃって」
「なにそれ、別にかっこつけてなんてないよ」
「つけてるよ、その片眼鏡とか。なんなのおしゃれさんなの?」
「あのね、これはモノクルっていうんだよ。あとファッションじゃないし。僕、左だけ視力悪いんだよ」
「天然パーマめ」
「少しくらい真っ直ぐだからって威張らないでよね」
門を潜ってから図書館の入り口までの間、二人はどうでもいいような言い合いをしていたが、実のところ互いにそれとなく言葉を返していただけで、確かにどうでも良かった。
どうでも良かったが、はその他愛もないやりとりが心地よく感じ、不思議と苛々が収まるのを感じていた。

館内に入り、は件の場所まで彼を誘導する。重たそうな扉の近くには、やはり厳格な顔の司書が居た。

「君はここで待ってて」
「え?ああ、うん」
ピーターはに待つように言うと、司書と何か話しを始める。は通路を行く人々の邪魔にならないように、と壁際に後ずさる。しかし背に触れたのは冷たい壁ではなく、温度のある人だった。

「わっ!」

驚いた。相手が歩いていたことで案外強い衝撃が生まれ、は突き飛ばされてよろめく。相手の方は重たそうな鞄を肩にかけている為に、よりも不安定だった。しかしギリギリ、尻餅をつくのは免れたようだ。

「す、すみません!僕が余所見をしていて……。大丈夫でしたか?」
「ごめんなさ……あ」
「……え?あの、―――僕に何か?」
「い、いいえいいえ、人違いです。すみません、気にしないで下さい」
は、はい。と濁った返事をする彼は、ユリリオ、その人だった。

(……ユリリオくんだ!途中の道で見かけないと思ったら、そうか、彼はまだ図書館の中にいる時間だったのか!)
納得するを、ユリリオは無遠慮に眺める。今度はの方が、「何か?」だ。

「なんだか君、僕の知っている人に似ているみたいな、そんな気がするなあ。誰だったろう?」
(然様でございますか。恐らく、その人ならわたくしも存じあげておりますよ)
本当ならそう言ってしまいたいところ。けれどは素知らぬ振りで、「そうなんですか」と興味無さげに笑みを返した。

「何してるの。もう入れるよ」
「補佐官様、そちらの……お嬢様がお連れ様でしょうか?鍵をお開けしますので、こちらへどうぞ」
話はもう終わったようで、二人の視線はとユリリオに向けられている。ユリリオは、「あ、あれ、あ、ご、ごめんね!」と訳の分からない謝罪を述べて、慌てた様子で鞄を肩にかけなおすと足早に去ろうとする。そうして彼はの横を通り過ぎるとき、―――ぽつりとこんなことを言うのだ。

「宝の地図でも、あるといいね」

「……えっ?」
は息を呑んで、彼を振り返る。後ろ姿からは、彼が一体どんな顔をしているのか知る事は出来なかった。メイシャの店の前を通った時にも感じた心の中の蟠りが、再び首をもたげる。もう一度「こちらへ」と急かす司書の声には引き戻されて、急いで扉へ駆け寄った。
遂に重たそうな扉が開かれると、ランプの灯りに階段が照らされる。その埃っぽい道に、はわくわくと冒険心が疼くのを感じた。

「こんなに早く開けてもらえるのね」
「国王陛下の補佐官様ですからね。お断りする理由がございません」
階段の先を行く司書が答えた。そもそもどうやって身元証明を……?とがピーターを見やれば、その手にはなにやら大層な装飾が施された紙があり、ちょうど丸められたところだった。それが証明の役割を果たしたのだろうか。紙は筒状になると赤いリボンを巻かれ、スッと空気に混じって消えていった。はその様子に目を瞬かせる。

「き、消えた……!あなた、魔法使いだったの?」
「魔法?そんなんじゃないよ。これには種も仕掛けもあるし、なによりそんな夢のあるものじゃない。ただの手品で、哲学だ」
「哲学?」
「……空間に物を認識することで、物は手元に現れる。ただ、持っていないものは出せないけどね。元から持っていて、持っている事を一時的に忘れた状態にすれば、物は空間に霧状になって漂うんだ。思い出す事でまた結晶化する。ただ誰でも出来るわけじゃなくて、それなりに認識の根本を理解できるセンスと、慣れが必要だよ。称号持ちは優遇されてるから、殆どができると思うけどね」
珍しく真面目に解説してくれる彼に、は驚きつつも「ありがとう」と素直に礼を言った。

「わたし、時々思うよ。この世界が本当はわたしの見ているただの夢なんじゃないかって。空間に、ただのわたしの思い込みという認識で作られた世界なんじゃないかって。だとしたら、認識の話ばっかりするあなた達はわたしにそれを気付かせて、目を覚まさせようとしてるんじゃないかとか。はは、あなた達をわたしの夢にしちゃうなんて、失礼だよね」
ピーターは少し黙った後で、「変な子」とだけ言った。司書は振り返る事はなかったが、彼と同じようなことを思っているのが雰囲気から読み取れた。「わたしって変な子」と、も言った。

階段は思ったより長いような、短いような、普通の長さだった。踏み入れた部屋は、一斉に灯った壁の蝋燭の明かりで空気がオレンジ色をしている。司書は終わったら下の者に声を掛けるようにと言い残して、来た道を戻っていった。

「この部屋……こんなに蝋燭ばっかりで大丈夫かな。すごく……メラメラしてるんだけど。本が燃えそうなんだけど」
「まさか。そんなわけないでしょ」
何に対してのまさかなの。この世界の火は燃え移らないの。と思いながら、それともこれは火では無いのかと、は長く伸びる火に顔を近付けてみる。……ああ成る程。電気だ。この国に電気があることは既に知っている。常盤の家の、の部屋にあるシャンデリアにも、電気が灯る。橙は、ドライヤーで髪を乾かしていた。

「よく見ないと分からないね、これは」
は電気の火にそっと触れる。そこには固いカバーがあり、やはり指は燃えない。
彼女は今まで、この国の一般的な照明はランプのように、炎で照らすものだと考えていた。何故なら、街中や店ではそれ以外に見なかったからである。時々、「ランプにしては明るすぎないか」とか、「まるで電気みたいに消えるランプだ」などと感じることもあったが、見た目を信じてあまり疑わなかった。もしかするとあれらも灯油やガスで燃やされている炎ではなく、それらしく見えるように作られた電気ランプだったのかもしれない。

「紛らわしい。なんでこんな形を」
「この方がそれらしいから」
「それらしい?」
「この国の雰囲気にあってるでしょ」
「まあ、そうかもしれないけど。……もしかして、洗濯機とか、炊飯器とかもあったり?」
「もうこの話はやめよう、世界の秩序が乱れる。この国では便利な生活を送るために、知らないフリをしなくちゃいけないことだってあるんだよ」
ピーターは少し早口だった。ドライヤーとか洗濯機とか、そういう国の雰囲気を壊す文明の利器を、知らない顔を装いながら使っている人々。その様子を想像して、は少しおかしくなった。

「ほら、君は何をしにきたの」
「も、勿論当初の目的を忘れたわけじゃないよ!えっと、確かなんか……紙切れの束みたいなのを探してて、」
「……これじゃないの」
バサッという音と共に、の視界が真っ白になった。重力に倣って、羊皮紙はの顔から滑り落ちて手元に収まる。

「早いし、痛……くはないけど、驚いた。もっと紳士的に受け渡しをしようよ」
「君が淑女ならね」
こんなにおしとやかで慎ましやかなわたしのどこが淑女ではないと言うのだろうか。は心の内で首を傾げながら、手元の書面に視線を落とす。そして、一番上の文字を読み上げた。


「“万年時計塔”?これ……どこかで見た事あると思ったんだけど」
「橙が持ってた設計図だね」
「そうそう橙の……ってええ!そう、そうだよ!!気付くの早い!さっきから何もかも早いよ!ああ……あなた前に見てたもんね、橙の設計図。でもこれって、設計図っていうよりも地図みたいだよね。何、これ?」
しかし彼から返事は無い。

「何か知ってるの?」
「知ってるよ」
「………」
「………」
「え!?これって知っていることを教えてくれる流れじゃないの!?わたしはてっきり……」
「勝手にてっきり思わないでよ。嫌だよ、面倒だし。長くなるから」
「そんな!まさかここまで来て!!」
「どうせ君は時間のことだってまだ知らないんでしょ」
は彼の言葉に疑問符を浮かべる。時間を知らないのか、などと言われたのは初めてだったからだ。
彼は先日、この世界の時間の定義について調べろと言っていた。そしてはユリリオと図書館に来た際に、何冊か時間をテーマにした本に目を通していた。そこから得た情報によると、時間の役割そのものはの居た世界と変わらない。世界を動かす、流れるものだ。……しかし、本当にそれだけだろうか。わたしは本当に時間を知っていると言っていいのだろうか。知っていたとしても、それが満足なものではないから、彼の言いたいことが分からないのではないか。と、は次第に自信が無くなってくる。よく考えれば、知ったような気になっているだけなのかもしれない。時間とは何かと訊かれれば、ここにあるものと答える他に無いのだ。

「………」
「………」
「………もしかして、またてっきり思ってるんじゃ……」
ヘラリと頷くにピーターは溜息を付いて、本棚と本棚の間に消えていった。と、思えばすぐに一冊の本を、さっきよりは丁寧に投げて寄越す。受け取ることは容易だっただろうが、は思わず身を退いた。その本は似ていたのだ。本の怪物に!しかしよく見ればごくごく普通の本で、確かに若草色をしていたが、表面はざらついてはいなかったし、脈打ちもしていないようだった。

「君は何をしてるの」
「似てたの!わたしを飲み込んだ本に……。そもそもあの本の所為でこんなことになったんだから」
「本が人を飲み込む?まさか」
この国の“まさか”の境界が分からない。は本当の事だと主張しながら、慎重に本を拾い上げた。

「その本に、時間についての説明があるから」
そういうと彼は彼で椅子に腰掛け、設計図の描かれた羊皮紙をペラペラと読み始めた。

(あら、随分親切な事で)
は少し離れた場所に座って、同じように本を読み始める。


本には確かに時間について書かれているようだったが、が先日読んだような時間の「役割」ではなく、時間そのものについて書かれていた。そこに書かれていることは初めて知ることばかりで、またあまりに簡潔に要点だけが述べられているので、逆に理解するのに時間を要した。


“時間は個としての性格を持っている”

“世界に流れる時間と、全ての観測者によって観測される時間は一致しない”

“時間は何ものにも捕らわれず、彼の領域に対して絶対的な権利を有している”

―――時間、という概念は一体何であったか。時間とは流れるものだ。1時間は60分、3,600秒。1日は24時間、86,400秒。1年は……8,760時間、31,536,000秒。こうして考えてみれば、時間はあまりにも有限な資産だ。今、こうしている1秒自体は短くとも、それを3,600度繰り返せば1時間が経ってしまう。早い、恐ろしく早い。わたしがもし100年生きる事が出来たとしても。秒にすればたったの………………3,153,600,000秒。1秒の3,153,600,000回の訪れで終わってしまうのだ。なんて恐ろしい!けれど時間とは抗えないもので、どうにもならない規則だとずっと思っていた。しかし、ここに記されている時間は違う。一言で言 えば、めちゃくちゃな存在だ。
全ての観測者によって時間が違う?嫌な時間ほど過ぎるのが 遅かったり、楽しい時間ほど早かったりするのが、感じるだけではなく“事実”であると?それは……なに?第一“彼”だなんて、これではまるで、時間という生き物がいるみたいだ。

「これじゃまるで時間の意味が分からないよ。時間って基準じゃないの?」
「分かって。あと、あんまりそういう事言うと時間くんが怒るよ」
「時間くん……って。じゃあ、個としての性格ってやっぱりそういうことだったの?でもそんなまさか」
「そこに書いてあることに対しての文句は常盤に言ってよ」
「……じゃあこれを書いたのって」
以前常盤が言っていた“世界の管理”には、定義付けることも含まれるのかもしれない。こんなに厚い本を書くのは大変だったろうなあ、とが洩らすと、ピーターが「あの人には時間が過ぎないからいいんだよ。君みたいに時間くんに基準がどうとか規律がどうとか言って、彼に嫌われて時間を止められてるから」と言った。真面目な彼らしい話だ。そして確かにあの場所は、ずっと6時だった。大変驚きだが、彼の言う“過ぎない”とは本当にそのままの意味なのだろう。

「僕の知っている中では、常盤が一番昔からこの国に居る。だから管理人なんだけどね。あと、黄櫨も結構昔から居るよ」
「昔って、あなたより?」
「僕は、全体から見れば最近だよ」
「じゃあ、黄櫨くんの方が長く生きてるんだ?」
「年下なのに変わりは無いけどね。黄櫨も常盤と居るようになってから誕生日が来てないみたいだし」
誕生日が来なければ歳を取らないなんて、羨ましい。黄櫨ぐらいの歳だったら、もう少し大きくなりたいと思うものかもしれないけれど。と、は思った。

……それにしても、今日は随分彼とお喋りをしている気がする。はそれに気付いて、それからなんとなく黙ってみようと思った。しかし再び目を落とした先の文面に、また顔を上げる。

「“時間は白ウサギの時計を社にしている”って!それって時計がその“時間くん”が居る本拠地ってことだよね?あなた、時計は?」
白ウサギの時計って言えば懐中時計よね。と言うに、ピーターはちょっと眉を顰めて静かに言った。

「失くした。前に言わなかったっけ?」
「言ってないよ。多分」
どうやらピーターはその話をしたくないようだった。あからさまに態度で示されて、は追及を諦める。何の気まぐれか、折角彼が協力的になっているのだ。機嫌を損ねることはなるべく避けたかった。

「それで、時間については分かったの?」
彼にそう問われて、は清清しい笑顔で答えた。



「うん。分からないことが、分かったわ」
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