Act12.「前夜祭」



 隣の部屋のドアが開閉する音。誰かが階段を踏み鳴らす音。廊下に響く話し声。賑やかな外の様子には目を覚ました。ベッドに横たわったままカーテンのヒダから外を覗き見ると、空はまだ赤い。しかし直に夜になるだろうという暮れの気配を漂わせていた。

 ホテルの騒々しさは、観光を終えて戻って来た人々によるものだろうか。それとも休憩を終えてこれから観光に出ていくところなのだろうか。

 はもう少しだけゴロゴロしていたい、と布団と戯れる。これほど開放的なまどろみは久しぶりだった。今の自分は肩身の狭い居候ではなく、本当の一人きりで、自由気ままなのである。だからこんな風に昼寝して、いつまでもベッドの上に居たって、気が咎めることはない……訳はない。

 こうしている間にも、どこかでヴォイドとの戦いを続けているかもしれない常盤やジャック、エース達のことが心配だったし、突然姿を消した自分を探しているかもしれない黄櫨も気掛かりだった。それと恐らく“ループ問題”の解決に向けて動いているだろうピーターのことを考えると、自分だけゆっくりしている訳にはいかない。

 実のところ、自分に何かが出来るような気はせず、ここで大人しくしていればいつのまにかピーターが解決してくれるのではないか……とも思っていた。彼は物臭に見えて、意外と真面目で行動力があるのだ。共にセブンス領に来てからというもの、アドルフと話をしたりこのホテルを手配したり、何かしら動動き続けている。比べて自分は、何をしていただろうか?

(人任せの足手まといは、嫌だ)
 ヴォイドとの戦闘でも感じていたが、何も出来ずに見ているだけなのは辛かった。無害な傍観者ならまだしも、守られるお荷物だなんて最悪である。自立した当事者として人に、物事に向き合っていたいのだ。

 その為にはまず行動あるのみ! さあ、寝る前に断念した街の探索を再会しよう。気分は宿屋から冒険に出発するRPGの勇者である。休息によりHP、MP共に満タンだった。

「いざ、キルクルスの街へ……なんてね」
 自分を鼓舞するその台詞は、やけに安っぽい響きに聞こえた。



 *



 夜を間近にした街は一層活気付いていた。暗くなり屋台の明かりが目立つからそう見えるのだろうか。それとも、光に集る習性が人間にもあるということか。

 眠る前に街で浴びせられた奇妙な視線は、いくらか和らいでいる。休息により心身に余裕が出来たことも大きいが、実際に視線の数が減っているのも間違いなさそうだ。

(やっぱり、あの視線は初見限定のものなのかもしれない)
 まだ明るい内からそこに居る屋台の店番が、自分に対してその他大勢以上の反応をしないのは、恐らくそういうことなのだろう。街が、そこを行きかう人々が、部外者の存在に慣れていっている。とはいえまだまだ注目を浴びているのは確かで、は視線を避け早足で街を歩いた。

 行く当てもなく、道が続く限り歩き、眺める。親しみの無い街並みは新鮮で面白味があるが、平たい絵のようにとっかかりがない。そのどこかに、繰り返す時間から抜け出すヒントがあるとは思えなかった。

 時間……は、街外れの空に突き出している時計塔を見た。この街の新しいシンボルである時計塔。時間にまつわる塔と、ここで起きているループ問題。その二つには何かしら関係があるかもしれない。そう思ったは早速、街外れにある時計塔に行ってみることにした。時計塔に向かうには、またあの林の中を通る必要がありそうだ。もう橙の家も、最初に自分達が出てきた場所もろくに覚えていなかったが、見えている時計塔を目指すだけなのだから道に迷うことは無いだろう。

 ――という考えは甘かった。林の中に入ると、空を覆う木々が時計塔を隠してしまう。開けた場所に出て、時計塔が見えたかと思えば、思っていた方向ではないところに進んでいたり、戻っていたり。できるだけ歩きやすい整備された道を選んでいた所為かもしれないが、大分遠回りをさせられている気がした。

 日は、完全に沈みつつある。思ったより暗い林に臆し、引き返すか引き返さないか悩み始めた頃……は自分の立っている場所に何となく見覚えがあるような気がした。どこも似た景色ばかりの中で確証はないが、昨日バグを抜けて辿り着いた場所に似ている。橙に出会った場所に似ている。そして曖昧なそれは、次の瞬間確信に変わった。

 はその場所で、再び赤い髪の少女に出会うのだ。

「あ、アンタは……」
 こんな場所で人に会うとは思っていなかったのか、驚いた顔で振り返る橙に――この状況に、はハッとした。昨日と同じくらいの時間帯、同じ場所、自分たちの出会い。既に顔見知りであることや、ピーターが居ないことなど条件は違うにしても、同じ展開をなぞらされていると感じた。一度そう思ってしまうと、ここに来たことさえ自分の意志ではないように疑ってしまう。

、だったわよね?」
「うん、数時間ぶり。こんなところで何してるの?」
「それはこっちの台詞よ」

 は橙が何かしら答えた後に、自分は“話題の時計塔を近くで見たくて”と嘘でも本当でもない回答をしようと思ったが、橙は結局答えず、にも追及してこなかったため、その言い訳は機会を失ってしまった。

「ねえ? 明日のお祭り、一緒に行こうって行ったけど、アタシ達なんの約束もしなかったわよね。一緒に行く気、なかったでしょ?」
 橙が意地悪く笑う。「それも、お互い様でしょ」とも笑った。

「じゃあ、今から前夜祭に繰り出しちゃう……?」
 は軽い調子でそう言ったが、口にした後で静かに後悔した。橙に関わるなと言っていた、アドルフの厳めしい顔が浮かんだのだ。彼女と会って交流を深めていることが知られたら厄介かもしれない。しかし橙はそんなの気持ちを知る由もなく「いいわね!」と手を叩いて同意した。

「そうと決まれば早速行きましょう! あ、アタシ、うちの人に一言だけ言ってくるわ!」
 そう言って駆け出す橙を、は追いかける。“うちの人”というのはアドルフのことだろうが……橙のその呼び方に、は違和感を抱いた。父親のことを呼ぶにしては、なんだか不思議な響きに感じられたからだ。(まあ、家族は“家の人”で間違いないだろうけど)
 橙は彼のことを直接呼ぶとき、なんと言っていただろう? お父さん、パパ、父上、親父……一度もそのように呼んでいるところを聞いたことが無い気がした。

 今朝(という名の夕方)出たばかりのその家の表では、やはり昨日同様に険しい顔のアドルフがどっしり構えている。彼は戻ってきた橙に「どこへ行っていたんだ」と言いかけ、彼女の後ろにを見つけて明らかにぎょっとし、言葉を途切れさせた。ゴーグルで見えない彼の目は、それでも雄弁に“何故お前が橙と一緒に居る”と言っている。はその迫力にたじろぐが、橙はさっぱり何にも気付いていない。

と街に遊びに行ってくるわね! 夕食は適当に食べてて!」
 橙は明るくそう言うと、アドルフの答えを待たずにの手を引いて、颯爽と家を離れた。荷物一つ持たず、特別な準備もせず、どこまでも身軽である。はてっきりアドルフが止めるだろうと思ったが、彼は橙の強い口調や楽しそうな様子に何も言えないのか、黙って立ち尽くしていた。

「……あんなに適当で、大丈夫だったの? 後で怒られない?」
「ダイジョーブよ! 平気平気」
 あっけらかんとした橙から、何となくアドルフが彼女に手を焼いている様子が窺える。厳しい父親に見えるが、やっぱり娘には弱いのだろうか。

 早足の橙と共に街に戻ってくる頃には、すっかり夜になっていた。

 街の入口には夕方に見かけて気になっていた、電飾の髪飾りを売る屋台がある。そこには子供や若い女性が集まって、楽しそうに品物を選んでいた。飾りはどれもガラスで出来ており、様々な花がモチーフになっている。どういう仕組みなのか、花の中心からパラパラと出ている繊維のようなものが、電気でピカピカ光っていた。まだ明るい夕方でも心惹かれるものがあったが、夜になると一層美しい。

 髪飾りを付けている人々は、そうすることで祭への参加権を得たみたいな顔をしている。はテーマパークで売られているキャラクター物のカチューシャや帽子を思い出した。非日常への没入感を高めてくれる特別なアイテム。この祭りにおいてはそれが、この髪飾りなのだろう。

 の見ているものに気付いた橙が「一緒に付けるわよ!」と言って、彼女の背を屋台に向けてぐいぐい押す。は自分の金でもないのに装飾品など買っていいものだろうか、と後ろめたい気持ちになったが、すっかり乗り気の橙と間近で見た飾りの愛らしさに負けて、結局手に取ってしまった。

「こっちの方が似合うんじゃない?」
「橙はこれかな……ほら、いい感じ」
 自分のものを選ぶのも楽しいが、誰かのものを選ぶのも楽しい。は橙との交流に、気持ちの高揚を感じていた。これは同年代の同性との時間でしか味わえない、特別な何かだ。の中の少女の部分が満たされていく。

 と橙は互いの髪飾りを選んで、衝動買いの達成感と心地良い罪悪感を抱きながら、より賑やかな中央道に向かう。は、一人の時には疎外感を感じていたこの街が、今はとても居心地が良いと感じた。何故か橙と二人で居ると、それだけで全く印象が違う。認められ、受け入れられているようで、自分もこの中の一員なのだと思えた。

「ふうん。前日なのに結構出店が出てるのね!」
 橙は連なる屋台に目を輝かせ、ゆっくり歩いている間も惜しいのか、半ば駆け足でそこへ吸い込まれていく。子供みたいに無邪気な橙を人混みの中に見失わないよう、は慌てて追いかけた。屋台では様々な食べ物、飲み物、雑貨が売られており、橙は早速「アレも美味しそうだし、コレも食べたいわ」と苦悩していた。

 屋台に並んでいる飲食物は、の世界と全く同じような物もあれば、少し違うものもあった。祭りが時計塔の完成を祝うものだからか、時計をモチーフにした品が多い。例えば手の平より大きい大判焼きに似た焼き菓子には、表面に時計の絵の焼き印が入っている。チュロスと思しき揚げ菓子は、長さや太さが様々で、それぞれ時針、分針、秒針をイメージしているらしかった。橙は数本のチュロスを購入して花束のように持ち、満足そうな笑みを浮かべている。

 も何か食べようと思い、折角だからこの街でしか食べられないものにしよう……と考えていた筈が、何故か元の世界でも馴染みのあるクレープにしてしまった。年の近い少女と共に居ることで、学校帰りの遊び気分になったのかもしれない。しかし出て来たクレープは、放課後を懐かしむことのできるものではなく、見たことが無いくらい巨大なものだった。目の前に掲げると頭の先から顎まで全部隠れてしまう程で、分厚い生地に生クリームやフルーツ、マシュマロやチョコレート、クッキーまで盛りだくさんだ。ずしっと重く、両手で抱えなくてはいけない。

「これ、食べきれるかな……」
「そんなの余裕でしょ!」
 そういう橙は、もう次に買うものを探してキョロキョロしている。元気で可愛い子だな、とは微笑んだ。


 それから二人は、散々祭りを楽しんだ。射的をし、くじ引きをし、他愛もない景品に笑い合い、甘いものもしょっぱいものも満足いくまで堪能した。食べきれる気のしなかったのクレープは、橙がつまみ食いと称して手伝い、気付けば二人の胃にすっかり収まっている。食後に飲んだ電球型のボトルに入っている“電気ソーダ”は、名前の通りソーダに電気が通っており、舌がビリビリ痺れて面白かった。

 夜が更け、少しずつ祭りの賑やかさが落ち着いてくる。と橙は遊び疲れて、道の端のベンチに腰かけ、片付けを始めた屋台を見ていた。橙は食べ過ぎたのか「苦しいわ」と言って腹をさすっている。へそ出しルックで露わになったその腹はあれだけ食べたものがどこに消えたかという程ぺったんこで……ということもなく、ぽっこり膨らんでいた。「お祭り当日はお腹の隠れる服を着てこようかしら」と言う橙は、明日もしっかり食べる気らしい。――明日が来れば、だが。

「お祭りの終わりって、何だか寂しいよね」
「分かるわ。帰りたくない感じよね。もう一回、髪飾りのところからやり直したいわ」
「そうそう、そんな感じ」
 は同意しながら、実際にやり直すことは可能なのだろうな、と思った。……また今日の0時になれば、同じ一日が始まるのだろう。そうしたら橙も今夜のことを忘れてしまうのだろうか? 一緒に過ごした時間が無かったことになるのだろうか? は想像して「寂しい」ともう一度呟いた。

「良かったら明日も、一緒に回りましょうよ。あっ……でも、あなた恋人と来ていたんだったかしら」
「ん? ……違う」
「……旦那さん?」
「もっと違う」
 ははっきりと、無の表情で否定する。アドルフも自分とピーターの関係を誤解していた。この親子には本当に困ったものだ……と思うが、確かに男女二人で観光旅行といえば、普通はそのように想像するのかもしれない。

「わたしも、橙とまたお祭りに来たいな」
「やった! じゃあ今度こそ、約束ね」
 橙が小指を突き出した。指切りげんまんは、この国にも存在するらしい。はその指にそっと自分の小指を絡めた。ぎゅっと結ばれる感覚に嬉しくなり、またどこか後ろめたくもなる。頭の片隅には元の世界に居る親友の姿がちらついていた。

 紫。本当は、誰よりも彼女と祭りで遊びたかった。彼女と居るのが一番楽しい。自分がそう思うのと同じように彼女も思っていて、それは二人の間で不変のものだった。お互いが一番の親友だった。
 だが橙と過ごす時間も、何物にも代えがたい楽しい時間だったのは事実だ。そして二人だけの約束を交わしている今も、どんどん掛け替えのなさを増していく。

(浮気をしている時の気分って、こんな感じかな?)

「さて、明日の楽しみが出来たからもう寂しくないわね。明日は12時に、街の入口で待ち合せしましょ」
「うん、そうしよう」

 それから二人はもう少しの間だけお喋りを続け、最後の屋台も店じまいを始める頃、街の外れで別れた。月明りに照らされた林は、思っていたより明るい。一人で帰る橙を心配しただったが、橙は慣れた様子で歩いて行ってしまう。記憶喪失だった筈の彼女は、街への道中も街中でも、一切迷う様子がなかった。体が覚えているのだろうか?

 林に消えていく橙の後ろ姿を、は暫く眺めていた。視線に気付いた橙が振り返り「また明日ね」と、月明りより眩しい笑顔を浮かべる。も「また明日ね」を手を振った。

 だがその約束は、きっと果たされない。
 ループの原因を明らかにしなければ、きっと何も変わらないのだろう。 inserted by FC2 system