Act12.「渦中の君へ、」



重たい銃声が歪んだ空間に轟く。いつ油断するだろう、いつ命を手放すだろうと、物陰からいくつもの丸い視線が窺っていた。ピーターは先程もそうしたように、彼らに向けて引き金をひく。
再び筒音が響き、いくつかの気配が消えた感覚と、再び迫り来る新たな気配に、ピーターは肩を落とした。……きりが無い。

主である公爵とその夫人の居なくなった屋敷。最近になって国中で目立つ動きをするようになった所謂“自然現象”に類される彼らとピーターがここでこの様な命のやり取りを始めたのは、彼がこの町に来て二回目の真夜中からだ。

ピーターには、始めからこの街の異常の原因がユリウスか橙、または二人であるということが分かっていた。それは、こことは異なる世界からやってきたには気付けなくとも、この国の住人ならば誰にでも分かる常識なのだ。
ユリウスと橙のような称号のある人間の本拠地と言っても良いこの街は、彼らのテリトリーでしかなく、ここでは彼らの存在に勝るものは無い。この街に流れる時間も運命も全てが彼らに沿っている。だから、原因は二人の他には有り得ない。例えば国王、または……アリスから侵略でもされない限りは、彼ら以外の者が時間を繰り返させてしまうほど、この空間を乱すことは出来ないのだ。
(あるいは、時間そのものに、魔が差さない限りは―――)

ざわり。

より一層不穏な空気を肌で感じて、ピーターは舌打ちした。気が付けばいつの間にか死角を作ってしまっていたらしい。直ぐ後ろに迫る冷たい気配に、どこからともなく取り出した短剣を銃の先端に装着して、距離を取るように横に一の軌跡を描いた。恐れを知らない彼らは薙ぎ飛ばされてもなお、起き上がって逆転の機を窺っている。

この晩、この屋敷に襲撃した彼らは、俗に“アリスの悲観”だと言われている黒い化け物だ。アリスが嘆き悲しむ心がそのまま彼女の認識の元に具現化して表れたものだ、と定義付けたのはピーターの友人である常盤だったが、ピーターには今一つ納得がいかない。悲しむのならば、もう少し静かにひっそりとしてもらいたいものだ。このように攻撃的なものが悲観なら、アリスはきっと非常に暴力的な考えの持ち主なのだろう。あともう一つ納得がいかないのは、そこまでアリスとこの国の事を理解していながら何故常盤は、ご執心の新しい白ウサギに何も話さないのかという事だ。

新しい白ウサギである彼女は、本当に何も知らない。知らなすぎる。この世界の殆どが疑問であるように、彼女はいつも諦めたような顔をしている。きっとあの化け物についても、この空間や時間についても、何も知らないに違いない。もしかすると、常盤に何か言われたのかもしれない。彼は、彼女が白ウサギであることに反対しているようだったから。


「どうして僕がこんな目に……」
頭が痛かった。居るべき筈の主を失った空間は規律と法則を失い、混迷した空間に成り果てている。しかし、化け物を倒す度にノイズがかった視界は開けて、セピア色の世界が鮮明になっていく。その生態は詳しく解き明かされてはいないが、一つ分かっていることは、彼らは空間に影響を与えることが出来るということだ。だから彼らに侵攻されれば、世界は壊れていく。アリスの忘却とはまた違う、崩壊だ。こちらは忘却よりも随分前から始まっている現象だった。そしてどういうわけか、彼らはこの繰り返しにも参加している。
おそらく彼らはこの61年間、毎晩欠かさず公爵の館に訪れ、空間の破壊を繰り返しているのだろう。しかしこの繰り返し劇は不完全なものだ。一度倒してしまえば、彼らは二度と復活しない。そして彼らを消せば消す程に、この空間は正常に戻っていく。

何故僕がこのように一人で戦わなければならないのか。そんなことは決まっている。
新しい白ウサギが何もしないから、僕が何とかするしかないのだ。

【彼】が何故あの少女を選んだのかは、未だに分からない。常盤が何故、あの少女を気にするのかも分からない。あの少女にそこまでの何かが在るというのだろうか。少なくとも僕にはその辺の町娘と変わらないような、ただの少女にしか見えない。……そう決め付けてしまえないのは、青薔薇の一件の所為だろう。あの一件が引っ掛かって、彼女の正体なんてものを疑ってしまう。だが、今までの彼女を見る限り戦えるとも思えないし、特別頭が良いとも思えない。……掴み所のないところと、その冷静さと度胸は、見上げたものだと思うが。

何にしろ、こんなところで最期の時を迎えるつもりは無い。巻き込まれたのは、あの少女に少しでも油断していた僕の自業自得なのだから、さっさと解決して、さっさと帰ろう。この屋敷から化け物を一掃することができれば、きっと原因が分かるだろうから。

さて、今晩はもう少しだけ頑張ったら終りにしよう。



*



コンコン、と軽くノックをしてみるが、扉の向こうからは何の反応も無い。ピーターは静かにドアを開けて、そっと中に入った。一回きりだったが、以前来たときよりも部屋の中が綺麗になっている。埃っぽかった空気はすっかり洗われており、微かに甘い香りがしていた。小さなベッドの上では、が毛布にしがみ付く様にして眠っている。

部屋に人が入ってきても気が付かないなんて、どれだけ警戒心が無いんだ。ピーターは溜息を付いて、ベッドの横の椅子に腰掛ける。少し目蓋が重いような気がした。やはり連日の化け物との戦いが堪えているのだろう。その所為もあってか、目の前で至極平和そうな顔で安らかな寝息を立てている少女を見ていると苛々した。この子は何を考えているのだろう。

彼女はいつも、朝食の後はすぐに街へ出て行く。夜は夜で橙を追って外に飛び出していく。そして、それ程の行動力がありながら、何もせずに帰ってくる。一体彼女は何がしたいのだろう。

そういえば昨日の夕方、意図的にではないにしても関所破りをしてしまった事に関して、関所で手続きを済ませた後(驚くべきことに手続きは“今日にも”反映されていた)、街で彼女に出会った。彼女は何故かエプロン姿でトレーを片手に喫茶店らしき店で働いていて、つい呆気に取られて見てみぬ振りをすることも忘れて足を止めてしまった。すると、彼女はあろう事か手伝いを要求してきたではないか。
最初は当然、そんな事にかまけている時間など無いと断ろうとしたが……料理は僕の趣味だった。それに最近ろくに料理など出来ていなかったことを考え、つい、誘惑に負けた。まさか居候先の台所を好き勝手に使うわけにもいかないし、なにより店の台所ならば調理器具や食材だって揃っている。ついつい、やってみてもいいか、と思ってしまったのだ。
特にお菓子作りは好きだったから、まあ、楽しかったけど。

―――それでもあの後、少しだけ後悔した。彼女と関わるとあの掴み所のないゆらりゆらりとした雰囲気に感化されてしまうようで、それが嫌だった。
今日だって、彼女が公爵に絡まれようがどうだろうが放っておけばよかったのだ。ただあまりに勝手な公爵の言い分と、自分よりも遥かに大きな男相手に少しも屈しない彼女を見ていて、これまたつい、助けようだなんて思ってしまった。

はあ、とピーターは深く溜息を吐いた。溜息が癖になりつつあった。かさり、という紙の擦れる音に彼の長い耳がピクリと動く。かさり。何の音かと思えば、が腕の下に紙切れを敷いてしまっている様だ。ピーターはそっと、彼女の下からその紙きれを抜き取る。

「………女の子?」
紙の上は、細々とした絵で賑やかに埋められていた。その賑やかさ故に一つ一つの絵には目がいかなかったが、その中心で微笑んでいる髪の長い少女には自然と目が引かれた。ピアノの横で佇んでいるその少女は何故だか目に焼きつくようだった。誰か思い入れのあるモデルでもいるのだろうか……。ふ、と何気なくその紙を裏返して、ピーターは固まった。


「……なにこれ」
明らかにモデルの居るその絵に、ピーターはどういう顔をすべきなのか迷いながら、その紙の角で眠っているの額を軽く刺した。いつもの歳不相応の大人びた表情ではなく、随分と幼いその寝顔が少し歪む。

「いたい……あ、……ええっ!!」
は鬱陶しそうに紙を手で払いのけて薄っすらと目蓋を上げ―――、視界に彼を認めると裏返った声で飛び起きた。

「君、何、勝手に描いてるの」
「え?……ああ!人の作品を勝手に……!っていうか、何勝手に入ってきてるの!?」
「この部屋は僕達二人に割り当てられたんだから、僕の部屋でもある。自分の部屋に入るのに許可が必要?それにちゃんとノックしたし」
「だからって……ああ、もう、何しにきたの?」
「今日は風が強かったから」
「え?………いつもどこで寝てるの!?」
の言葉に、ピーターは上を指す。は彼の指し示す通り天井を見上げて、また驚いたような声をあげた。

「屋根の上!?どれだけアウトドア派なの!?森で生活してたとか言ってたし……」
「別に。ちなみに、突っ込むところが違う」
「え?……あ!“今日は風が強かった”って……!」
「そうだね。その他は至っていつも通りだけど、また一つ変化だ」
「………なんか、機嫌良さ気だね。絵に描いてあげたから?」
「そんなわけないでしょ。勝手に人を簡略化して……」
さくっ。二度目の紙の角での攻撃に、が渋い顔をして声だけでからから笑った。

「ごめんごめん、調子に乗っちゃった。寝惚けてるんだから多少多めに見てね」
「だったらもう一度寝たら」
「いやいや、この状況で寝れないって。わたしだってそこまで神経図太くない。それに……」
は、可哀想なくらいへこんだ自身の腹を労るように撫でた。今朝の朝食は、その前の出来事によっていつも以上に喉を通らなかった。昼食は図書館で飲んだ一杯のミントティーのみ。夕食はまた、寝過ごしてしまった。それでも腹の虫が鳴らないのは、既にその地点を超えているからだろう。は自身は空腹だ、と言い聞かせる。

「お腹空いた、かも。……何か用意しておいてくれてないかな」
「さあ。僕も夕方からさっきまでずっと居なかったから」
「そうなの?ううん……とりあえず一階に行ってくる。あなたは何もいらないの?」
「今日はいい」
「そう」
はまだどこかぼんやりした顔で頷くと、どこか覚束ない足取りで部屋を出ようとした。しかしピーターがその背を呼び止める。

「君、この紙だけど……」
「え?ああ……どうぞ、記念に貰ってやってください」
「何の記念だ。……じゃなくて、この図書館二階、ってやつ」
「ああ、それね。この街の大図書館、二階が立ち入り禁止になってるんだけど……ちょっと気になることがあってさ」
「入りたいの?」
意外な問いかけに、は目を丸くしながら気の抜けたような声で「はい」と答えた。ピーターは少しだけ視線をずらして何かを考えていたようだったが、やがて「いいよ」と軽い調子で返す。

「いいよって……連れてってくれるの?」
「まあ。明日ね」
そっか……“まあ”で、連れてってくれるのか……。はメイシャの店の手伝いの件で彼の予想外の行動に免疫が出来ていたのか、特に深い理由を考える事もなく素直に喜んでおく事にした。ありがとう、と言ったか言わないか、いや、多分言っただろう。言ってから、は部屋を出て―――すぐにまた踵を返して戻ってきた。

「い、一緒に下に行きませんかね。ユリウスさんに会ったら気まずいので」
「………。」
ピーターは包み隠さず面倒臭そうな顔で溜息を溢して、椅子から腰を持ち上げた。は申し訳なさそうな顔でへらりと笑っている。


(僕は何をしてるんだろう)

きっとまた後悔するだろうが、既に感化されつつあることは否めなかった。
inserted by FC2 system