Act11.「目蓋の裏の残光」



「アタシたちって、親子みたいよね!」

何もこんな日に言わなくても良いだろうという事を、純白のドレスに身を包んだ少女は言った。

「皆言うもの。あんたには、“あんな小娘に誑かされてどうする。彼女は所詮あんたの地位や財産にしか興味が無いんだ。冷静に現実を見ろ”って。アタシには、“これから若くてかっこいい人とたくさん恋愛が出来るだろうに、勿体無い、早まるな”って。本当に、皆して同じこと言うんだから!」

少女は赤い髪を揺らして、意地の悪い顔でクスクスと笑う。その言葉に、似合わないタキシードを着込んだ男はむっとして俯いた。少女は踊り子のように軽やかなステップを踏んで男の傍まで寄ると、幸せそうな笑みを浮かべて、その小さな手を男の無骨な手の甲に滑らせる。

「他の人は知らないのよ。アタシたちがどれほど愛し合っているかなんて。アタシが××××であることなんて関係なくあんたのことが好きだってことも、あんたが何度言ったってアタシの愛を心から信じないくらいに冷静だってことも、アタシが、これから一つも新しい恋愛なんてしなくてもいいくらいの、素敵な恋をしていることも」

皆知らないんだわ!でも、アタシ達だけが知っていれば良いの、そうでしょ!!

少女は風のようにすり抜け、いつの間にか男の手が届かないところでくるくると回っていた。空でも抱きかかえるように両腕を左右に伸ばして、少女はくるくると回り、純白のドレスがひらひらと広がる様子を楽しんでいる。少女のあまりに無邪気な姿に、折角の清楚で慎ましやかなドレスは卑近なものに成り下がっていたが、それでも少女は、美しかった。




「きっと、こんなときが、ずっと続くんだわ」


そうだといいと、男は願った。



*



ユリウスは重たい目蓋を開けた。目に入ったのは、見慣れた埃っぽい壁紙だ。
全身に気だるさが圧し掛かっていて、ソファから上半身を起こすことにも苦労する。近くの水差しから水を一口飲むと、大きく息を吐いた。すると、朝食も取らずに部屋に篭っていたため腹が無様な音を立てる。……ああ、自分は、いつから眠ってしまっていたのだろうか。随分と、懐かしい夢を見たものだ。

目を閉じれば、目蓋の裏に燃え盛るような彼女の赤がちらつく。しかしそれも時と共に暗闇に解けていった。その暗闇が数日前からこの家に居る少女の髪の色に似ていて、ユリウスは忌々しげに眉を寄せる。
とピーターの二人が初めてこの家に来たときの衝撃は、とても忘れられない。その日の前の日も、また更に前の日も、誰一人客人が訪れることのなかったこの家に突如現れた外野は、平穏な日々の終わりを予感させるものでしか無かった。

ピーターとは、これまで何度か顔を合わせたことがあった。社交的ではないユリウスであるが、公爵という立場上必ず出なければならない会合がある。例えば城での舞踏会や各祭典などがそれにあたるが、会場で玉座のすぐ横に控えている彼を知らずにいることは、不可能だった。貴族達の間では“補佐官は気ままで身勝手だが、有能な人物である”という認識が広まっているようで、ユリウス本人は彼と特に言葉を交わしたこともなかったが、周囲の噂から油断ならない人物だということは窺い知れていた。そんな人物が何故、この街へどのようにしてやって来たのか。周囲に“無愛想で失礼な男だ”という認識で通っているユリウスは、例え彼が相手でもそのペースを変えることはなく、問い詰めた。“事故”というのが、彼の答えだった。

『僕を警戒しているようですけれど、警戒すべきは僕と共に居たあの少女の方だと思いますよ。あの少女は訳有って現在白ウサギの役に就いていますが、少々特殊な存在なので、何をするか分からない』
それは、この街へ来たばかりの日にピーターが言った言葉だった。しかし、ユリウスにはあの少女がそれほど脅威を秘めた存在だとは思えなかった。確かにその言動を見てみれば、侮れない部分があるのは認めざるを得ない。だが、注意深くしていれば、なんとか誤魔化せるのではないかと思っていた。そしていずれ彼らも、この街の、この一日のただの一員になるだろうと。

しかし今朝、橙に変化が現れた。

その変化の原因は、少女だった。

脅してみても怯えず、それどころか鋭い眼光で睨み返してきた彼女。ユリウスは自身が、自分より遥かに小さな少女を恐れはじめていることに気が付く。それまでは特に強さを感じさせることのなかった少女だったが、またどんな状況でも弱いと感じさせることもなく、いつもの調子を乱さなかった。そう、彼女は動じない。影響を与え、他人を呑み込み、場を流す側の物なのだ。
そして、警戒するように忠告こそしたピーターだったが、やはりユリウスの味方という訳ではなく、今朝の事からすれば彼女の側に付いているようだ。

油断のならない敵が二人も、自分と橙のすぐ側に居続ける。神経質なユリウスは気が狂ってしまいそうだった。だが、狂ってしまうことなど許されない。

自分には、守るべきものがあるのだから。



「ちょっとー!昼ぐらい食べなさいよねー!!」
ドアの前で自分に呼びかける橙の声を聞きながら、ユリウスは自身の決心を確認した。

あの日から、この声を、この愛おしい少女の全てを守ると、決めたのだ。

(この平穏を、誰にも壊させはしない)



*



「ユリリオくん、ここの本は、人を食べちゃったりはしないんだよね?」
「えっ!君は変わった……いや、ユニークな人なんだね!本は人を食べたりしないよ」
当然のことを言われて、は恥ずかしくなる。図書館は思ったよりも広く、大きかった。たくさんの本棚に、たくさんの本が所狭しと身を寄せ合っている。常盤のところの図書館の二倍はあったが、あれが個人の所有するものであるということを考えれば、そもそも比較できることが驚きだった。

「そうだよね。はは、わたし何言ってるんだろ……」
ちゃんはファンタジー小説が好きなのかな。僕も結構読むんだ。あっちの本棚に色々あるから、えっと、行こうよ」
ユリリオとの時間は案外楽しいものだった。穏やかで柔和な彼の空気が、には合っていたのかもしれない。暫く色々な本棚の間を歩き回った後、二人は図書館の休憩スペースで、彼お勧めのアイスミントティーを飲みながら雑談を交わす。

「そういえば、ユリリオくんは何でわたしを……ええと……案内してくれる気になったの?」
「あ、ご、ごめん、迷惑だったかな」
「いやいや、そんなことはないけど。ちょっと意外かなって」
ユリリオは第一印象よりもずっと、大人しい男性だった。気を遣っているのかたくさん喋ってくれるものの、その言葉はどこかぎこちなく、女性と、いや、人と話すのがあまり得意ではないような気がしたのだ。

「僕も少し、自分に吃驚してるんだ。本を拾ってくれたお礼を何かしたかった、っていうのもあったけど……けどなんだか、君をとても誘いたかったんだ。まあ、その……変な話なんだけど、君に断られるような気がして、それで、ちょっと意地になって……ううん、なんて言いたいのか分からなくなってきた。僕は変だね」
「……確かに、変かも!」
始めのときよりも彼の口調が強引だと感じたのは、気の所為ではなかったようだ。笑いながら手元のストローを弄るに、ユリリオもはは、と頭をかいた。

「あれ?そういえばこの図書館、外から見たときは二階建てだったと思ったんだけど……階段が見当たらないね?」
「階段は、ホラ、あそこだよ。あの鉄扉の向こうにあるんだ」
「……わあー、なんだか怪しい感じがする。隠し階段みたい。いや、隠してるのか」
「そうそう。あそこは一般人は立ち入り禁止なんだ。どうやら二階は、貴重な書物の保管場所になっているみたいで」
「宝の地図とか?」
「かもね」
二人は少し怪しげな笑みを浮かべて冗談を言い合い、笑った。その横を一人の司書が胸に大切そうに何かを抱えて走り去っていく。その足の向かう先は件の鉄扉で。司書はその扉に手をかける前に、一度こちらを振り返った。厳格そうな女性の剣山のような視線に、思わずユリリオは竦みあがる。が、は女性の手元に釘付けになっていた。

(今の、どこかで見たことがある?)

女性が達の横を通り過ぎるたった一瞬だったが、女性の抱える紙の束の先頭の書面が残像として目に残っていた。そこには何か図形のようなものが書かれていたような気がする。

女性は不審そうにを見ながら、鉄の向こうへと姿を消した。


ちゃん、どうかしたのかい?あの司書さんを知ってるの?」
「えっ、そっちじゃない、けど……。ユリリオくん、本当に二階には入れないの?」
「えー!……そうだなあ、貴族様とかだったら入れるんだろうなあ。あ、でも隣町の町長さんがこの間入っていくのを見たよ」
「……例えば、“白ウサギ”とか、“眠りネズミ”の役を持った人だったら?」
「し、称号持ちかい!?そりゃ、入れるだろうさ!当たり前だよ、そりゃあね!」
ユリウスのあまりの剣幕に、は少し身を退いた。どうやらそのような役を持った人のことを、“称号持ち”と呼ぶことがあるらしい。

「称号持ちって……そんなに凄いの?」
ユリリオはの言葉に周囲を見回して、誰も聞いていない事にほっと息をつくと、声を潜めて言った。


「き、君は驚くような事を言うんだね……!けど、凄いなんてもんじゃないんだよ。そりゃあ高貴な生まれの方たちとか、そういう人たちだって凄いけどさ。そういうんじゃないんだ。知ってるだろうけど、称号持ちの彼らは、存在そのものが特別だから、ただのかさ増しの駒である僕らとは全然違うんだ。……だから、あまりそういうことは口にしない方が……」
「ご、ごめんなさい」
は慌てて謝った。何せ称号持ちと呼ばれる人達が身近にほいほい居るものだから、実感が湧かない。更には自身もそれに仲間入りしているのだから。
しかし、自身をかさ増しと言い切ったユリリオは、あまりにも卑屈だ。これがこの世界の普通なのだろうか。

『アリスや、白ウサギ、眠りネズミはこの世界の流れに組み込まれている無くてはならない唯一無二の駒だから、他のありふれた役よりは様々な面で断然優遇されている』
この世界に初めて来た日、常盤が言ったことだ。疑ってはいなかったが、どういうわけか“称号持ち”というのは想像以上に特別な存在らしい。

(じゃあ、わたしも入れるってことかな……)
けれど、身分を証明するものは何も持ち合わせていない。

ちゃん、入りたかったの?」
「……いや、なんとなく、ちょっと」
見覚えのある紙面の内容が気になったからか、又は入るなと言われたからか、はどうしても入り込んでやりたくなった。実力行使なんて、後先を考えない真似ができないようなつまらない成長をしてしまった自分が悔やまれる。

(中学生の頃は、屋上の鍵を壊して侵入したりしたんだけどなあ)
は最近、つまらないつまらないと思っていた世界をつまらなくしていたのは他ならぬ自分だったのだと、感じていた。


*



ユリリオと別れて屋根裏部屋に帰って来ても、頭の隅(実質半分以上)には禁じられた部屋への侵入願望が在り続けていた。どうしようもないのだから、早く忘れた方が良いだろう。は一階のテーブルに置きっぱなしになっていたペンとメモ用紙を勝手に拝借し、落描きをしてモヤモヤした気持ちを紛らわす。

―――時間が経つにつれ、図書館の書面に対する“見たことがあるかもしれない”は“見たことがある”に変わっていた。あと少し、もう少しでそれが何であったかに気付けるような気がするというのに。こんな状況下なのだから、それが何か重要なヒントになり得る場合だって……と考えてしまうのは、アニメの観すぎか、ゲームのやりすぎだろうか。

手元の落描きはいつのまにかメモ用紙の端までいっぱいに広がっていて、星や花に囲まれて中央で笑っている髪の長い女の子が、見慣れた姿に似ているような気がした。はその少女の横に、少女が大好きなピアノを小さく描き足す。まるで玩具のピアノだ。
完成したそれをは一通り眺めて、うん、と満足げに頷く。しかしまだ描き足りずに、裏面に移る。描きながら何を描こうか決めていると、いつの間にかそれは耳の長い生き物になっていた。どうせなら……という遊び心で、その生き物に片方だけの眼鏡をかけて、ライフ……ル……は軽くトラウマになっているため、鍋を持たせておいた。

(あと、ついでにネクタイも。……うんうん、傑作!)
は小さく笑みを溢す。それから、もしかしたら彼ならば図書館の二階へ行けるのではないかと思いつく。

(今はわたしに白ウサギの称号を譲ってるとしても、補佐官様なんだから、偉い人だよね?一応)
思いついたままそのメモに“大図書館二階……”まで書いて、諦めた。何か特別重要なことならまだしも、ただ気になるからという理由だけで彼が付いてきてくれるとは思えない。絶対無い。

はペンとメモを放り出して、枕に顔を沈めた。こんなに諦めの悪い自分は、まるで自分ではないみたいだ。諦められないことを諦めようとし続ける自分も、珍しい。両極端だと言われることの多い自分がこんな風になっているのは、可能性を握ったピーターが不親切で無愛想で、時々協力的だからである。

(どうせきっと、あの書面には対したことは書かれていない。だから、忘れよう。見たことがあるものなら、二度も見なくたって良いじゃないか)

そうしてうだうだと考えている内、はいつの間にか眠ってしまった。
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