Act11.「キルクルスの街」



 キルクルスの街は、が不思議の国で見てきた中でも一層、異世界らしい場所だった。複雑で無機質な工場街には、いたるところに金属製の建物が聳え立っており、空気まで錆色をしている。息を吸うと、鼻や喉には灰色の味を感じた。プシュー、ガタガタ、ガチャンと鳴り響く物づくりの音。街中には様々な明度の電灯が輝いていて昼間のように明るい。空に立ち上る煙が、無数の電線に囲われた夕空に雲を作っている。くすんだ街の中でその夕焼け色だけが、恐ろしく鮮やかだった。

「へえ。独特な街だね」
「……君のところも、大概だったけど」
 隣を歩くピーターが、こちらをちらりとも見ずに言った。……そういえば彼は、わたしの世界に来たことがあったのだったな。と、はどこか不思議な気持ちで最初の出会いを思い出す。あの時の彼も、今の自分のように異世界らしさを感じていたのだろうか。

「そういえば……あなたは、あの日初めてわたしの世界に来たの? 自由に行き来できるわけじゃないんでしょ?」
 すべきことをしないと帰れないように、意義がなければ移動できないに違いない。しかしその問いに返答はなかった。半分くらいは無視されるだろうと心構えの出来ていたは、ダメージを受けることもなく黙って歩く。に特に目指す場所は無いが、迷いのない足取りのピーターはどこかへ向かっているようだった。

 街はどこも賑わっており、明日の祭りのためと思われる装飾がいたるところに施されている。カラフルな逆三角形のガーランドが、彩度の低い工場街を華やかに彩っていた。風にヒラヒラ靡く長い帯状の布は七夕飾りを彷彿とさせる。まだ祭りの前日ではあるが、道には既に多数の屋台が出ていた。中でも目を引くのは、ピカピカ輝く電飾の髪飾りを売る屋台である。台の上には様々な花を模した飾りがずらりと並んでいた。それをお揃いで付けて、楽しそうに笑い合う少女たち。

(もしわたしが本当に観光で来ていたら、仲のいい友達と一緒だったら、あんな風にはしゃいでいたかな)
 連れて来たい友人として思い浮かぶのはただ一人。紫の艶やかな黒髪には、どんな飾りが似合うだろうか?

 思考が旅立ちかけていた時、ピーターが足を止めた。も止まる。目的地に着いたのだろうか? 彼の目線の先を追うと、そこには大きくはないが小奇麗な建物が立っていた。どうやら宿泊施設の様だ。

 ピーターがの目前に何かをぶら下げる。は反射的に手を出し、落ちてくる物を受け取った。それはナンバープレートの付いた小さなカギだった。

「観光客が多くてどこも満室で、取るのに苦労したよ。感謝して欲しい」
「えっ、あ、部屋を取ってくれたの? ありがとう」
 ピーターの恩着せがましい言い方に、は素直に礼を述べる。正直なところ感謝しかなかった。面倒臭がりで、且つ自分に良い心象を抱いていない彼が、手間をかけてくれたのだから。ピーターはの反応が予想外だったのか、眉を顰める。

「あとこれも」
「え? なに?」
 立て続けに渡された小さな革袋を受け取り、は首を傾げながらその中を覗き見る。そこに入っていたのは……貨幣。金。支払いの手段で、価値の尺度として社会に流通するもの。それも結構な額が入っていた。

「それくらいあれば、足りるでしょ」
 ピーターの言葉に、はこの後の展開が予測できた。泊る場所、当面の生活費を渡すということは恐らく……。

「ここからは別行動にしよう」
(やっぱりね〜)
 あとは好きにしろということらしい。別に全く寂しくないが、不安ではある。

「あなたはこれからどうするの?」
「僕は僕で、この街から出る方法を探す」
 その言葉の前半が強調されているのは、と協力する気は毛頭ないという意思表示なのだろう。は、まあそれも仕方ないかと思う。それに例え協力しろと言われても、自分に何ができるかも分からない。だったら一人行動の方がこちらも気が楽だ。

「そう。じゃあ、わたしもわたしで、色々考えてみるね。もし何か話がある時はどうすればいい? あなたもこのホテルに泊ってるの?」
「いや、一部屋しか空いてなかったから」
 じゃあどこに? とが尋ねる前に、ピーターは背を向けて歩き出してしまった。相変わらず自分勝手だと思うが、それでも色々と気遣ってくれたことは確かである。はもう一度小さな声で「ありがとう」と言った。勿論、彼が振り返ることはなかったが。



 *



 ピーターと別れたは、一度ホテルの部屋に入ったものの、置く荷物もないのですぐに外に出てきた。さて、これからどうするべきだろう? 少しだけ考えて、まずは街を歩いてみることにした。物語を進めるためにはまず探索、だなんてゲーム脳な発想だと思ったが、現実においてもそれ以上に有効な手が見つからなかった。それに街の様子を把握することで、何か時間のループについて分かるかもしれない。

 賑やかな街を歩いていると、ベンチに座って煙草をふかしている男性と目が合った。あなたの事を見ていたのではありませんよ、と言い訳するように男性の手元の新聞へ視線を逃がす。新聞には大きな文字で『16月8日時計塔設立祭』という見出しがあった。祭りが明日なのだから、今日は7日で間違いなさそうだ。

 どうやら明日の祭りは、時計塔の設立を祝うものらしい。時計塔……は、そういえば昨日そのようなものを見たな、と思い出す。近くの店の壁にも、新聞と似た見出しの貼り紙があった。紙面を読むに時計塔はつい最近、街外れの丘に建てられたということだ。この街にとって大切な、新たなランドマークになるという。……それなら街の中心に立てるべきだったんじゃないだろうか。

 ガシャン! と、近くで何かが割れる音がして、はビクリとする。音に続いて「すみません!」と謝罪する女性の声が聞こえてきた。
 がそちらの方を見ると、道横にある飲食店のテラスで、店員が客に頭を下げていた。彼女の足元には割れた食器と食事がぶちまけられている。客は横暴な態度で悪態をついていた。何があったのかは知らないが、強く責められ何度も頭を下げる女性が気の毒に思えて、また多少の野次馬精神をもってその様子を眺めていると――店員と客の目が、こちらに向けられた。目が合う。は巻き込まれでもしたら大変だと、足早にそこから立ち去った。

 ベンチの男性、店員、客。彼らと目が合ったのは偶然だと思っていたが、そうではないとすぐに思い知る。道行く人々と異様に目が合うのだ。彼らはまるでが歩く広告塔だとでもいうように、一様に目を留めていく。それはほんの僅かな時間だったが、違和感を抱くには十分だった。
 ピーターと歩いていた時も視線が集まるのを感じていたが、単に背が高くウサギ耳を生やした彼が目立っているだけだと思っていた。誰かと一緒にいることで気が紛れて、そこまで気にならなかったというのもある。だが一人になるとその異様さをハッキリ感じた。

 目、目、目。そこかしこから刺さる視線。
 街全体がまるで――を異物だと認識しているようである。

 気付いてしまうと神経が尖って過敏になり、人々の視線は耳をつんざく騒音の如く、を追い立てた。一旦ホテルに戻ろうと踵を返すの傍で、小さな少年が「あっ」と声を上げる。何の拍子か、少年の手から風船の紐が離れていってしまったのだ。黄色い風船は電線をかいくぐって空にのぼっていき、小さく、小さく、赤い空に溶けていく。
 少年は泣きながらそれを見ていたが、やがて母親に手を引かれそこを離れていった。少年も母親も、やはりを見ていた。

(もう、はやく、戻ろう)
 しかしまだまだ終わらない。バサバサという音がしてそちらに目を向けると、本の山を抱えた青年が、何冊かを地面に落としてしまっていた。両手が塞がっていて拾うことができないのか、困り顔を浮かべている。は見て見ぬふりもどうかと思い、それを拾うことにした。

「大丈夫ですか? 運ぶの手伝いましょうか?」
 そう申し出ると、青年は本の向こう側から覗くように……他の者と同様の目でを見たが、それも一瞬だけですぐに恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。

「ありがとう、でも大丈夫。すぐそこだから。僕の鞄に入れておいてもらえるかな?」
 そう言われて、は彼の大きなショルダーバッグに数冊の本を入れる。それから“すぐそこ”と示されたであろう場所を見た。そこには石造りの立派な建物が立っていて、金属だらけの街では浮いた存在感を放っている。

「あれは何の建物ですか?」
「図書館だよ。時計塔もいいけど、この街は図書館も誇れると思うんだよね。特に工業技術書の充実ぶりときたら! もう、本当にすごいんだ」
 青年は熱っぽい口調で語るが、の反応が薄いことに気付き、喉元の伝えきれない何かを押し戻して笑った。手元の本を顎で指し「この本はこれから返すところ」と言う。

「図書館を知らないということは、君も明日の祭りのためにこの街に来たのかい?」
「はい、そんなところです」
「そっか。じゃあ、その……良かったらこの後、街を案内しようか?」

「……いえ、折角ですが。今日はちょっと疲れてしまって」
 反射的に断ってしまったが、もしかすると申し出を受けていた方が良かったかもしれない。街のことは街の人に聞くのが一番だろう。だが、どうしてもそんな気にはなれなかった。言葉通り本当に疲れていたのだ。昨晩ろくに眠れていない所為か、街の人々の視線の所為か、心身ともに辛さを感じていた。
 名も知らないその青年は残念そうにしていたが、の身を案じる言葉をかけて、図書館に吸い込まれていった。

 は溜息を吐く。こうしている内にもまた、どこかの誰かからの視線。ただ、一度を視認した者はその視線を二度繰り返すことはなかった。全員に見られ尽くせば、妙な目で見られることはなくなるのだろうか? はホテルに着くと、自分の部屋まで急いで向かい、ドアを閉めてその場に座り込む。室内には誰の視線も無いが、それでも残像として無数の目が浮かんでくるようだった。

(これはどういうことなんだろう?)
 クタクタの体を皺ひとつないベッドに横たえて、枕を抱きしめる。
 賑やかで忙しない街。ごく普通に平和な生活を送る人々。しかし彼らが自分に向ける視線は明らかに異様で、無視できない。――まるで“お前は誰だ”と問うている目だった。

 祭りで観光客が多いというこの街は、特別閉鎖的、排他的という訳でもないのだろう。それどころか街全体が観光客相手の商売に勤しんでいるようだった。その中で自分だけが、村社会にやってきた余所者扱いされるのはおかしい。余所者は他にもたくさん居る筈なのだから。

 だとすれば彼らが見ていた余所者とは、もしかすると……“ループの外から来た者”なのだろうか。

 この街ではアドルフ以外、誰も時間のループに気付いていないという話だった。それは平然と生活している人々を見れば察することができたが、意識として気付いていないにしても、無意識下で何か感じているものがあるのかもしれない。もしそうなら、時間のループとは思ったより不完全なものなのかもしれない。ただ巻き戻して再生するのとは違う。もう一度なぞって演じるような、紛いものなのかもしれない。

 率直に、怖いと思った。得体の知れないものに対する恐怖が、心と体に圧し掛かってくる。だがここで一人籠っていても何も解決しないのは分かっていた。いや、もしかするとピーターがどうにかしてくれるかもしれないが……黙って待っているのは性に合わない。誰かに自分の物語を任せるのは嫌だ。

 少し眠って元気になったら、夕食がてらまた街へ繰り出そうと思った。 inserted by FC2 system