Act20.「白ウサギの追捕」



「お前、もうアリスの記憶の欠片を見つけてたのか?」
ジャックが驚いたように、に尋ねる。

あの後、彼の屋敷で丸一日療養してから、その次の晩。もうこの屋敷に来てから三日目になる夜に、と常盤、ピーターとジャックは、四人で夕食を囲んでいた。
常盤とジャックの間に流れる非常に重苦しい空気を和ませようと、色々な話題を積極的に提供していただったが、いよいよ話題に尽き、何となく昨日見た不思議な夢の話をする。と、今まで適当に頷き相槌を打っていた三人が、一様に顔色を変えた。何か変なことでも言ったかと戸惑うに、昨日よりは幾らか元気を取り戻したジャックが言う。

お前の見たその夢こそが、これから探していかなければならない“アリスの記憶”の、一つだと。

「ただの夢じゃないかなあ。いくら不思議な夢だっていっても、小さな女の子と男の子が話していただけだし」
実のところ、ただの夢ではないと言う感覚はあった。だが、何しろ経験が無いのだ。は自信無さ気に彼らから視線を逸らす。しかしそんなとは逆に、他の三人はそれをただの夢だとは疑ってもいないようだった。不思議なまでに、確信している。

「でも、見せられた感じがしたって言っただろ?アリスと関わりを持っていたその少年の存在は些か信じ難いが……。夢の中のそいつらは青い薔薇の話をしていたんだな?」
「え、うん、まあ、そうだけど」
ジャックの言葉に、が頷く。先程からずっと、とジャックが話をすることが気に喰わないというようにムスッとしていた常盤も「驚いたな」と一言言った。え?と、は彼を見る。

「アリスの痕跡は、場所だけに残るものだと思っていた。だがよく考えれば、青薔薇も集団で移動し続ける“薔薇園”だ。アリスの記憶を持っていたとしてもおかしくはない……か」
「おかしくはないんですか」
適当に反応を示してから、は顎に手をやって考えるような仕草をした。彼の言う“思っていた”の根拠は、一体何なんだ?

「ちょっと、いいですか?ずっと不思議に思っていたんです。その―――アリスと、前にもこんなことがあった訳じゃないんでしょう?なのに、なんでこんなに手順が明確なんですか?記憶の欠片とか、それがどういうものだとか……」
がそう言うと、ジャックは不思議そうな顔をした。常盤は、申し訳無さそうに言う。

「決まっているんだ。白ウサギがアリスを追うときの手順は、それ以外に無いと」
「決まっているんですか」
はあ、と溜息を吐きたい気持ちだったが、考えても分からないことは分かったことにしようと決めた。じゃないと話が進まない。は腕を組み納得したかのような素振りを見せる。ジャックは、と青薔薇の遭遇は結果的には良かったんじゃないかという冗談を途中まで言いかけて、常盤に睨まれて止める。しかし常盤が何か言う前に、が割って入った。

「で、でも、だとしたら順調な一歩ですよね!」
「そ、そうだな」
ジャックも空気を読んでに合わせようとするが、それは結局空気を読んだことにならない。とジャックが仲良くなることが、常盤は一番気に入らないのだから。はそれにあまり気付かない振りをして、やりすごす。ジャックは苦笑いして、やり過ごせずにいる。……病み上がりなのに、容赦無しだなあ。

「これからはいっぱい、頑張らないと」
の口を自然とついて出た言葉に、常盤がまた困ったような顔をして、ジャックはニヤリと笑った。

「大丈夫だ。お前はスペードのジャック様を味方に付けたんだからな。大船に乗った気で居ろ」
「じゃあ、あとはクイーンとキングだね」
何気なく言ったの言葉に常盤は、「それは難しいな」と考え込むような仕草を見せた。ジャックはといえば、それにもう一つ付け加えてしまう。

「あと、ジョーカーだろ」
そんな厄介そうな存在までいるのだろうか、とは苦笑する。「なあ、」とジャックはテーブルの端で静かにスープを啜っているピーターに、何となしに声を掛けた。それに気付いたピーターが、一言だけ言う。

「早く食べないと冷めるよ」
そんなピーターに、があっけらかんと言った。

「あなた、あまり他人事みたいな態度でいると殺されちゃうよ」


彼女の言葉に、その場が水を打ったように静まりかえる。



(あれ、おかしいな!この冗談、中々面白いと思ったのに!なんだかとっても静かだなあ!)



*



夕食後、と常盤は一旦黄櫨の待つ家へと帰ることになった。どうやら帰りはジャックの屋敷の馬車が送り届けてくれるらしい。食後特有の眠気を感じていたは、歩かなくて良いのは幸いだと思った。しかし、このままでは馬車の中で寝てしまいかねない。折角の馬車旅の機会を寝て過ごすのは勿体ないと、ぼやけてきた頭を目覚めさせる為に一足先に外に出たは……そこに先客を見つけた。
屋敷の正面玄関の直ぐ近く、大きな噴水の淵に、ピーターが腰掛けている。その赤い瞳が、の方を向いた。どうしよう、と、は思わず立ち止まる。
常盤やジャックもそれぞれに分かり難かったが、には彼が一番分からなかった。別に分かりたい訳でも無いけれど、こうして二人になった時に、接し方に困ってしまう。ある程度交流を経てしまった今、まさかあの街での時のように喧嘩腰で接する訳にもいくまい。

「……何してるの?」
「涼んでる」
(まあ、そうだよなあ)
このまま屋敷の中にUターンしてしまえば楽だろうけど、それではあまりに不自然だ。とりあえず彼から少し離れたところに腰掛けて、自分も涼むことにする。彼は何も言ってこなかった。夜の空気は、良く冷えていて心地良い。はそれをより堪能したいと思い、自然と空を仰ぎ見た。空は曇っていて、月も星もどこにも見えない。

「……そういえば、アリスっていつまでに捕まえればいいとか、あるの?」
世界が消えるまでに捕まえなくてはならないのだろうけど、それまでにどれ程の時間が残されているのかが気になって、は訊ねた。話の限りではそんなに余裕も無い、ということだし、もしかすると彼らには大体の目安が付いているのではないかと思ったのだ。ピーターは最初、彼女が空に向かって話しかけていると思っていたのだが、その内その目が自分の方を向いたのを見て、それが自分に対するものだと気付く。

「ああ……最初に言わなかったっけ。次の満月までだよ」

ぴしり。の表情が固まる。(今、この人、なんて言った?次の満月まで、だって!?)

「い、いやいや、聞いてないって全然」
には、自分の顔が青褪めていくのが手に取るように分かった。だって、そんな、だってだって、

「そんなの間に合うわけない。新月の日に見た月、結構大きかったよ?満月かと思ってたんだけど……違うにしてもあれじゃあすぐにでも」
例えあれが欠け始めの月だったとしても、あれから欠けていって、新月を越し、また満ちるまでが最長だ。最高でも、あと一ヶ月しか残されていないということになる。

焦るにピーターは、「大丈夫でしょ」と事も無げに言った。「何が大丈夫なのよ」と責めるの声は、ショックで震えている。そんなに一瞥をくれてから、彼も先程の彼女と同じように空を仰いだ。にはその目がまるで、分厚い雲を透かして月や星々を見ているように思えた。

「まだ、当分月は満ちないよ。月が満ちるのは月がそうしたい時だけで、いつその気になるのかは分からないけど……空気ぐらい読んでくれるでしょ」

「……なに、それ」
のんびりした口調の彼に、は脱力させられてしまう。「この世界は、月にも心があるの?」と訊けば、「じゃあ君の世界の月には心はなかったの?」と訊き返された。は当たり前じゃない、と言いかけて、やめた。だって、言い切れることじゃないから。

(そっか……青薔薇の時も、本当は新月だったのを月が助けてくれたんだもんね)



屋敷から出てきた常盤に名前を呼ばれて、は立ち上がった。常盤の後ろには、ジャックが少しふらつきながらも、杖に助けられて立っていた。見送りだろうか。は未だ回復しきっていない彼の様子に、か弱い女としての自分の立場が無いように感じて「そのステッキ、素敵ね」と、小さく嫌味を零した。

馬の蹄の鳴る音で目を向ければ、ぴしりと皺一つない背広を着た紳士が、門の前に馬車を止めていた。それはまるで映画に出てくるような大きな馬車で、舞踏会に行くわけでもないのにわくわくしてしまう。

「君は、何を見ても楽しそうだね」
気だるそうに立ち上がったピーターにそう言われたは、この国に来る途中に浮かべていたような笑顔で、言った。

「楽しくないものを見たら、わたしだってそれなりに楽しくないよ」


マンホールの向こう側の不思議の国。ポケットの中のきらきらした手錠。悪戯好きな鏡。終わらないお茶会。悪魔の青い薔薇。気まぐれな月。
絵本の中から抜け出したピカピカでふわふわの夢物語が、今はわたしの世界を取り巻いている。不思議で、綺麗で、少し怖い。素敵なもの。

(不謹慎かもしれないけど、わたしだってそういうのが大好きな普通の女の子だもの。少し位は、楽しんだって良いでしょう?)



どうせ有限の、夢なんだから。






――― 第一章『白ウサギの追捕』完 ―――
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