Act17.「ジャックと青薔薇(前)」



館の地下。廊下の突き当たり。閉じられた一室のドアが、ガタガタと大きな音を立てて暴れている。まるで呪われた開かずの間であるその部屋に、一人の男がのんびりと近付いた。

「……いつから書庫が、お化け屋敷になったんだろう」
家主である友人から“変わった本が手に入った”と言われ、暇潰しにそれを取りにここまで来た男は、ドアを内側から叩く音に長い耳を不快気に折り畳んでぼそりとそう言った。その声に反応して、騒音が止む。そして、騒音は聞き慣れた彼の友人の声に変わった。

「ピーター!そこに居るのか!?このドアを開けてくれ、頼む!」
「……常盤?何ふざけてるの」
「話は後だ!いいから早くしてくれ!」
常盤は夕食後からずっと、ジャックとアリスの事について調べていた筈だ。なのに何故、こんな状況になっているのかが分からない。ピーターは改めてよくドアを見る。一つ、二つ、三つ、色々な種類の施錠が金銀銅と、そのドアを飾っていた。これじゃあ開く訳がない。この館の全ての鍵を管理しているのはジャックであるから、彼と喧嘩にでもなって閉じ込められたのだろうか。しかし、自分と彼らならまだしも、彼ら二人が喧嘩するだなんて考え難かった。……いつの間にそこまで親しくなったのだろう?

「これ、絶対に開かないんだけど」
「ああ、もう!じゃあ壊せばいいだろう!?」
「……僕は一切責任を持たないからね」
ピーターはひとつ溜息を溢してから、どこからともなく長身のライフルを取り出して、銃口を焦りと苛立ちの混ざった声のする方へと向ける。気配からは、少しずらして。

一発、二発、三発、彼の体が反動で僅かに揺れた。

古い木の焦げる匂いが立ちのぼる。バッキリと空いた大きな穴を、内側から常盤が椅子の足で広げていく。重厚な歴史をその身に染み込ませていた美しい木扉が、威厳すら醸し出していた木扉が、それ“だったもの”に変えられる。

やがてそこから出てきた常盤に、ピーターは「派手にやったね」と声を掛けたが、しかし言い終えない内に彼はどこかへ走っていってしまった。肩を叩こうとした手が、目的を失い宙で彷徨う。

「全く……何だって言うんだか」
本当に、訳が分からない。しかしどんな面倒事であれ友人が関わっているのならば、見過ごせば後悔するのは自分である。後悔なんてきりのないものをする方がよっぽど面倒だと知っている彼は、眉間を解してから、その後を追った。



ジャックの様子がいつもと違うことには、気が付いていた。いつもより口数が少なく、表情が硬い。気付いていて何もしなかったのは……私が悪かった。
常盤は階段を駆け上りながら、数刻前の自身を悔いていた。書庫に閉じ込められ、鍵を掛けられた後、ドア越しにジャックの言った言葉が気になる。「悪いな」と、彼は確かにそう言った。嫌な予感がした。彼は、何を謝っているのか。何を、する気なのか。―――今日、このタイミングで何かをしでかす気なら、それにはきっと彼女が関わっているに違いない。

階段を上りきった常盤は、が居た筈の客室の扉を乱暴に開ける。やはりそこに、彼女は居ない。嫌な予感が強くなる。片っぱしから一つ一つ部屋の中を確認していくが、そのどれにも、とジャックの姿は無かった。

「常盤、さっきから一体何してるの」
遅れてやってきたピーターの問いかけに、常盤は片腕で頭を抱えながら言った。

「ピーター、今夜の月は……どのくらい出ていた?」
「今夜の月?……ああ、少しも出てないよ。今夜は新月だ」
かちり、と常盤の中で何かが噛み合う。それは根拠の無い、直感的な確信だった。
月の出ない暗い夜には“アレ”が出る。そしてジャックは何故か“アレ”を呼び寄せやすい体質をしている。ならば―――

「外だ」
「は?」
「外に、居るんだ」
そう言い残して常盤はまた走って行ってしまう。居る、というのは、誰のことだろうか。向かう先が定まったのか、彼の走る速度は先程よりも速い。今度は置いていかれないようにすぐ後ろを走りながら、ピーターはその焦燥に満ちた横顔を盗み見る。元からそれ程慎重とは言い難い彼だが、久しぶりに会ってからというものずっと、ずっと変だった。落ち着きは無いし、常に苛々しているようだし、何よりも、何事にも執着をみせないような男が、今は一体何の為に、誰の為に必死になっているというのだろう。

ああ、誰の為だなんて、考える必要もない―――あの少女が、全ての原因で間違いなかった。

彼女が一体どのような人物なのか、ピーターにはそれを知るだけの情報も興味も無い。ただ分かっているのは、初めて会った時のキラキラした目で自分を追いかけてきた彼女。兵士達に怯え、銃声に震える彼女。アリスを捕まえろと言われて戸惑い、警戒と威嚇の眼差しを向けてきた彼女。今日街で会ったときの、しっかりとした眼差しでやけに挑戦的な彼女。それだけだったが……そこから一つの像を導き出すことが出来るようには思えなかった。全てを足したところで、どうやって割ったらいいのかが分からない。ああ、実に分からない。何より、知る必要などないと思っていたのに。

彼女が一番アリスに近かったから白ウサギになれた。まだ、その“彼女”が誰なのかわかっていない時に、過去も未来も知っている【彼】はそう言った。【彼】は、彼女こそがこの国の結末を作るべきなのだと、笑って言った。彼女が白ウサギになってしまったのは偶然だったが、【彼】にとっては全ては決まっていることだった。

【彼】の言うことなら、きっと間違いはない。彼女が作るべき“結末”が、果たしてこの国にとって幸せなものなのかは分からない。しかし【彼】が言うならば、それがこの国の運命なのだ。だから、彼女をここへ連れ込んだその後は、放っておけば良かった。そして友人も、適当に右左を教えた後は、そうしておくべきだった。しかし、そうはならなかった。

ピーターは久々に会った友人が、まさかまだ彼女と行動を共にしているなどとは夢にも思わなかったのだ。

恐らくこれから色々な面倒事が彼女を中心にして回っていくだろう。そしてそれは、彼女の周りの人間をも巻き込む。ピーターは何とかして、常盤がその渦から抜け出せなくなる前に、彼をそこから遠ざけなくてはならないと思った。

「こっちだ」
自分を誘導する常盤の声に、ピーターは少し驚いた。周りのことなど何も目に入っていないだろうと思っていたが、隣に居る奴のことぐらいは気にかけることができるらしい。
ガサガサと背の高い金木犀の間をすり抜けて、目的地までの距離を省く。金木犀の次はライトアップされた噴水を横切って、石段を飛び越える。それが、館を囲むように茂る森への一番の近道なのだ。

真っ暗な、まるでそこだけを切り抜いたかのような森に近付くと、見慣れた後姿が見えてきた。ジャックだ。彼が森の一歩手前で佇んでいる。何かを見ている様子だったが、ここからではちょうど彼の体に隠されて、その視線の先を窺い知ることは出来ない。それに、電灯の明かりも月明かりの手助けも無い夜の森を見るには、まだ目が闇に慣れていなかった。

と、急に常盤が足を止めた。それはあまりに突然で、ピーターは肩をぶつけてしまう。ここから話しかければ、充分ジャックに声は届くだろうが、それにしても普通に会話を交わすには遠すぎた。一体何なのかと、ピーターは不満そうに常盤の名を呼んだ。しかし彼は何の反応も示さない。その声に応えるように振り返ったのは、ジャックだった。

「ああ……来たのか」
そう言って、ジャックは薄っすらと疲れきった笑みを浮かべる。そんな彼の様子に只ならぬ何かを察したピーターは歩み寄り―――そして、彼の前に咲いた青い花を見つけた。ああ、かつてこの“青い悪魔”がこれ程美しく咲いているところを見たことがあっただろうか。そしてその美しさの理由は、贄でしかない。ピーターは常盤の心中を察して、言葉を失った。

暗闇の中で横たわっているのは、あの少女だった。
その身を薔薇に捧げられた少女は無数の棘に肌を貫かれ、その血は青の花弁に紫色の染みを作っている。少女の身体のあちこちで蠢いている青の薔薇は、既にその身体に巣食っているように見えた。その様子は見ているだけで痛々しく、思わず自身の腕を手繰り寄せたくなる。

彼女は、生きているのだろうか。その顔は髪で隠れてよく見えなかったが、前髪の隙間から覗く少女の瞳は既に光を失っていた。ぐったりと項垂れる体は糸の切れた人形のようで、事切れたようにしか思えない。しかし、死んでいるとも言い切れない。何故なら青薔薇達は一向に彼女から離れる様子はなく、それはまだ彼女に精気が残っているからだと考えられるからだ。ただどちらにしろ、手遅れであることは間違いないだろう。

ピーターは、先程から動きを止めたままの常盤に目を向ける。そして、見なければよかったと後悔した。常盤は酷く衝撃を受けたようで、しかし目の前にあるのが一体何なのか理解できていないような、理解したくないだけのような、まずどうしていいのか分からないような、そんな顔をしていた。ジャックはといえば、とても今ここに駆けつけて“事故にあった災難な少女を見つけた”なんて顔はしていない。彼は嘘でもそのような顔をしているべきだった。このままではまずい、と、ピーターがジャックに弁明の余地を与える。

「……ジャック。これは、どういうこと?」
「どういうって言われてもなあ。見た通りだよ」
ジャックはあっけらかんと言い放った。常盤の視線が、少女から彼に移る。ピーターは咄嗟に二人の間に割って入ろうとしたが、一足遅かった。常盤の手中に現れた短銃の銃口は、既にジャックの額を捕らえている。
(ああ、駄目だ。ジャックもおかしくなってるし、常盤も完全に頭に血が上ってる)

「見たとおりじゃ、分からないだろう?」
常盤は低く唸るような声でそう言うと、引き金に指を掛けた。ジャックは挑発するように肩を竦める。

「本当は分かってるんだろ?全て俺が計ったんだよ。元から彼女に協力する気なんて無かった。だから新月の夜に彼女を招いたんじゃないか。好奇心で夜の森に踏み込んだ馬鹿な女が薔薇に喰われる、っていうシナリオだったんだがなあ。白ウサギを追いかけるくらいの少女なら、それくらいしでかしたっておかしくないだろ?」
ただ、こんなに早くに発見されてしまうのは予想外だった。と言うジャックを、常盤はどこまでも無表情に見ていた。虚ろなその目が、僅かに細められる。やばい、とピーターが常盤の腕を掴んだ次の瞬間には、ジャックのすぐ後ろの木の幹に弾丸が埋まっていた。薔薇の匂いに火薬のそれが混ざる。

間違い無く、常盤はジャックを殺す気だ。

「常盤、落ち着いて。ジャックは青薔薇の瘴気にやられてるんだよ」
「邪魔するなピーター!」
常盤は軌道を曲げた友人の腕を振り払い、構え直す。ジャックはそんな彼を鼻で笑った。

「お前、どうかしちまったんじゃないのか。なんでそこまで必死になる?この数日間で、たかだかあんな少女に誑かされたとでも言うのか?お前もちゃんと女に興味が有ったんだな!」
「ジャック!」
少し黙っていろと、ピーターが声を荒げる。常盤はいつ二発目を撃ってもおかしくはないというのに、ジャックは彼の神経を逆撫でするようなことしか言わないのだから、どうにかこの場を丸く収めようだなんて不毛な事を考えているピーターには腹立たしいことこの上ない。しかしその赤い瞳がジャックを睨んだとき、彼はもう笑ってはいなかった。

「ああ、全く、そうだよ、どうかしているんだよお前らは」
ジャックはそう言って二人を睨んだ後で、少女らしきものに目を向ける。

「……なんで、あんなのが白ウサギなんだよ。おかしいだろ。おかしいだろ、どう考えたって。この世界のことを何も知らない外の世界の人間がこの世界を救うって時点でまず有り得ないだろ。知識も地位も権力も武力も持たないようなただの人間に、この国で一体どれだけのことが出来る?一体何が出来るって言うんだ?ああ、そうさ、何も出来るわけが無い!お前達、おかしいんじゃないのか?もうすぐ、この国は最初から何も無かったかのように消されるんだぞ?今までずっと生きてきた場所が、一緒に居た奴らが全部消えるんだぞ?なのになんで、そんなに平気な顔で居られるんだよ!俺はそんなのごめんだ!いくらこの国を創ったのがアリスだからって、それが、彼女がこの国を壊していい理由にはならない!そうだろ!俺たちは今ここでこうして生きている。違うか!?」

一気に喚き散らすジャックにピーターは少しだけ驚くが、常盤にはもう彼の言葉の意味を考えて、一々聞いてやろうだなんて気は無い。ここで二発目、だ。今度はジャックが自ら体を反らせて避けたが、その頬にスッと赤が引かれる。ピーターはもうどうすることもできず、とりあえず友人一人を失うことを覚悟しながら痛む米神を押さえた。ジャックは垂れ流れるそれをそのままに、吼えるように吐き捨てる。

「大体なあ、女なんて非力で弱い生き物に、この国をどうにかできる訳が無いだろうが!!」
最早、彼自身にも何を言っているのか分かっていない。そんな支離滅裂な言葉に、律儀にも返答を返すものが居た。


「そう?女は痛みには強いのよ。ほら」



一瞬、その場の全てのものが動きを止めた。ジャックは幽霊でも見るような目で、暗闇の中を見ている。ピーターと常盤の二人も同様に驚いていたが、常盤はすぐに安堵が勝ったようで、大きく彼女の名前を呼んだ。


!!」



(おまたせしました。おはようございます。っていうか男女差別反対だ、この野郎!)
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