Act13.「終わらないお茶会」



目が覚めた瞬間、はすぐにここが慣れ親しんだ自分の部屋ではないと気付き、昨日の後半に起こった一連の出来事を思い出して、ろくにまどろむことも出来なかった。それから多分、彼女の短い生涯の中では一番の寝起きの良さで、飛び降りるようにベッドから抜け出す。まず最初に時計を探したものの見当たらず、は代わりに窓のカーテンを開けた。

すると大きな窓から眩しい朝日が差し込んで、思わず目を閉じる。……なんて事には、ならなかった。

「……夕方、だ」

今にも鮮血を零しそうな空が、赤々と広がっている。そこに、目を細める眩しい朝日は無かった。はフラフラと、抜け出したベッドに戻って腰掛ける。昨日眠ってしまったのは夜。今起きたのは夕方。体は充分に休まっているのだから、その分だけ寝たということで、つまり……殆ど一日寝て過ごした?人様の家で??

(どうしよう)
図々しい。失礼極まりない。非常識だ。

本当ならすぐにでも部屋を出て家主に謝りに行きたかったのだが、寝起きの自分の格好が気になって鏡のない部屋の、窓ガラスの前に立つ。すると我ながら、あまり見ていられないような少女がそこには立っていた。薄く施していた化粧はすっかり落ちていたし、髪はぼさぼさで、目は腫れぼったい。顔全体が起きたばかりですと言わんばかりに緩みきっていた。とにかく少しでも見られるようにしようと、手櫛で髪を撫でつけ、手の甲で顔を拭ってみる。……まだ、絶対に誰にも会いたくなかった。

コンコン。ドアが控えめにノックされる。音の鳴った位置の低さから考えて、誰なのかは予想がついた。第一この家の住人は二人しか知らない。は何か返事をしなければと、小さく咳払いをして声を整える。

「はい」
「おはよう。起きた?」
「うん、えっと、今起きたんだけど……。あ、起きたばかりだから……」
今は誰とも顔を合わせたくない。ドアは開けられない。それを直接言葉にすることは無かったが、あの少年ならばきっと察してくれるだろう。そしての思ったとおり、黄櫨はドア越しに用件を述べた。

「ここに着替えを置いておくから」
コト。と、床に何かが置かれる音。は何か言おうとしたが、小さな足音はあっという間に階段を下りていってしまった。周囲から完全に人の気配が消えたのを確認して、は恐る恐るドアを開ける。すると足元に黄櫨が置いていったに違いない大きな白い箱を見つけて、それを手に取り速やかに中に戻った。箱は、思ったよりも重たい。幼い少年にこんな物を運ばせてしまった罪悪感が少なからず湧いて出る。早く身なりを整えて、お礼を言わなくては。

しかし箱を開けてみて、一気に気が重くなった。

薄い桃色の、なんだか良い匂いのする素敵な薄紙に包まれていたのは、緑色のシャツブラウスに、明るい橙色のネクタイ。それから黒のサスペンダーと、同色のショートパンツ。なんだか、見覚えがある。
“あれ”は黒に近い深緑色だったがこれは若草色であったり、シャツの袖がパフスリーブであったり、襟元や袖に控えめなフリルがついていたり、パンツは膝上までだったりと、記憶上のものとは結構な違いがあったが、根本的に似ているのだ。緑に橙のにんじんカラーコーディネートなんて、あまり見るものじゃない。つまり、これじゃあまるで元白ウサギだったピーターとお揃いみたいだ、と言うことである。
これも、認識がどうこうという話に関係しているのだろうか。多分、この世界の人達やわたし自身の中にある白ウサギのイメージが彼でしかないから、この格好が白ウサギらしく振舞うことになるのだろう。……と、分かったつもりになってみる。頭は不思議なくらい、この新しい地に適応しているようだったが、心はそこまで臨機応変にいくものじゃない。起きた瞬間からずっと続いている妙な感覚は、学校やバイトの時間を心配しなくてもいいということへの違和感だろうか。起きる時に、携帯のアラームが鳴っていなかったからだろうか。母親が起こしにこなかったからだろうか。

(……お母さん、今頃心配しているだろうな)
警察に捜索願いを出して、一晩中寝ずにわたしの事を探していたらどうしよう……。ああ、ああ、考えてはだめだ!!
は即座に、その考えを振り切る。置いてきた家族のことを考えると悲しくてどうしようもなくなってしまうから、それについて考えることは、昨日からずっと避けていたのに。

―――とにかく今は、郷に従わなくては。

はカーディガンを脱いで、デザインは好みだけれどあまり好きになれそうもない服に袖を通す。新しい服特有の、パリパリとした匂いがした。上下共にサイズがちょうど良くて、僅かに困惑する。だが、同じ箱に入っていた可愛らしい赤い靴に少しだけ機嫌を良くする。
着替えを終えると、乱雑に開けた箱とカーディガンを手早く片付ける。クローゼットの中には、昨晩しまった制服が先客として鎮座していた。はその上に畳んだカーディガンを乗せる。彼女が元の世界から持ってきたものは、これだけ。身に纏っていた衣服だけだった。
せめて携帯電話をポケットの中に入れておけばよかった、とは後悔する。彼女が携帯電話をポケットに入れている時と鞄に入れている時は半々で、生憎、今回は後者だった。が最後にそれを使用したのは、下校途中の電車で紫と最新のアプリゲームを遊んだ時で、駅の改札を出る時に定期と共に鞄にしまってしまったのだろう。もし今ここに携帯電話があったとしても、電波はきっと通じないに違いない。しかし、それでも試してみたかった。通信できなくとも、画面上に映し出される日常に安堵したかった。

は静かに、クローゼットを閉める。それから皺の寄ったベッドの上を直し、最後に顔全体を両手の平で拭って、部屋を出た。

(それにしても、どうしてどこにも鏡がないんだろう)
部屋を出てまず始めにしたのが、鏡を探すことだった。しかしいくら探しても、満足に身嗜みを確認できるようなものはどこにも見当たらない。無いものは仕方がないと、は諦めて窓ガラスで妥協する。それから、昨日の記憶をあてに階段を下りることにした。
小さなホテルくらいはある屋敷は、ホテルとは違いどこにも案内図が無い為に、どこをどう行けばいいのか分からない。しかし、少し進むと暖かい食事の香りが鼻孔を擽り、それを道標にして歩くと、すぐに人の気配と話し声に辿り着くことができた。

が辿り着いたのは、中庭だった。オレンジ色のガーベラが咲き散りばめられた庭の真ん中で、白いテーブルを囲んだ常盤と黄櫨が、何やら話し込んでいる。出て行き辛いが、そうも言っていられないだろう。こういったことは時間をおけば置くほど、躊躇すればするほど、どんどん難しくなるものでもある。はゆっくりと、彼らに歩み寄っていった。

「東の方は捜索範囲から外そう。遠くに行けば移動に時間がかかる。それに見合うだけの成果も保障されていない。だったら、近くから潰していった方が良い」
「まあそうだね。城から離れれば離れるほど敵も多いだろうし。残された時間と安全面から、僕も付近の捜索を優先させた方が良いと思うよ。―――それと、が不思議そうな顔で後ろに立っていることに、そろそろ気付いて」
黄櫨の言葉で常盤が驚いたように振り返る。どうも、と軽く頭を下げると、彼はぎこちなくおはようと言って、自分の隣の席を引いた。まあ、空いている席は一つしかないので選択肢はないのだけれど。

「おはよう、
勧められた席に大人しく腰掛けると、正面に座る黄櫨が無表情のままにそう言った。

「おはよう黄櫨くん。さっきは有難うね」
小さく笑いかけながらそう口にした後で、はふと、彼におはようと言われるのはこれで本日二回目ではないかと思った。そしてが何も言わない内に、黄櫨は彼女の心の内に気が付いて、答える。

「さっきは顔を合わせてなかったし、は言ってくれなかったからね」
「ごめんね、寝惚けてて……。仕切り直してくれて有難う。挨拶って大切だと、わたしも思うよ」
はそう口にした後で、常盤にまだ挨拶を返していないことに気が付いた。しかし、今から返すこともとって付けたようで不自然に思え、また、彼が気にした様子を出さないために謝ることも出来ない。でも、謝っておけば良かった。と、は思う。

(空気が、重い)
わたしだけかもしれないけど、なんだか気まずい。ああ、遅くまで寝ていたことに対しての謝罪も済んでいない。それは、今言うべきだろうか?それともやっぱり、先に挨拶を返すべきだろうか?だとしたらそれは、どのような流れで?
は自身の急激なコミュニケーション能力の低下を感じた。きっとその原因は、彼に対して持ってしまっている苦手意識にあるのだろう。

そこでやはり、黄櫨が空気を察する。

「結構様になってるね、その格好」
「そうかな?なんだか見覚えのある感じだけど、こういう可愛らしい服は好きだよ」
「僕もすごく見慣れた感じ。……着心地も悪くないでしょ?常盤が贔屓にしてる仕立て屋に頼んだんだ。昨晩の内に発注して、さっき届いたばかりなんだよ」
黄櫨が常盤の名前を出した事には、に彼との会話のきっかけを提供する意図があった。それは、自然でありながら、分かりやすい。は左隣に顔を向ける。
本日初めてまともに目を合わせた彼は、少し困ったような顔をしていた。彼はきっと、わたしが既に彼に対して苦手意識を持っていることに気付いているのだろう。彼が手を差し伸べてくれたおかげで、わたしは右も左も分からないこの国で路頭に迷うこともなく、こうして綺麗な服を着て食事の席についていられるというのに。わたしは、何て身の程知らずな子なのだろう。

「あの、本当に色々と有難う御座います。えっと……似合ってますか?」
「あ、ああ、凄く似合っている。その色は可愛気のない男よりも君みたいな子の方が合うな」
結び慣れていない所為で曲がっていたネクタイを、常盤が直してくれる。しかし手が伸びてきた時に思わずビクリと過剰反応してしまった自分の体が、はとても恨めしい。やはりそれは尾を引いて、二人の間の空気はより重苦しいものとなってしまったのだから。黄櫨は呆れ果てて、あからさまに溜息を吐いた。

「ねえ、お腹空いてるでしょ?なんでも好きなものを好きなだけ、好きなように食べて良いよ」
そう言われて、は改めてテーブルの上に目をやった。
野菜やチーズがたっぷりと挟まったサンドウィッチ。クルトン入りのコンソメスープ。こんがり肌の丸いパン。ヨーグルト。どれも美味しそうではあるが、いまいち食欲が湧かないのが正直なところであった。胃の中は、確かに空いている。しかし、慣れない環境で慣れない人達と慣れない食事をすることは、にとっては億劫だった。
食事は、自分を作ることだ。そこには予定調和の美が存在する。もし毎食決まった内容のものを、決まった環境で食べ続けることを強制されたとしても、彼女はそれを苦には思わないだろう。

「とっても美味しそうだね。有難う。黄櫨くん達は、晩御飯の途中だったの?」
黄櫨から皿を受け取って、ナプキンに包まれた銀色のナイフとフォークに手を伸ばしながら、は訊ねた。その問いには常盤が、の為に用意した新しいカップに熱々のココアを注ぎながら答える。またココアか、とはウンザリした。

「いや、今は6時のお茶会の途中なんだ」
だったらお茶を出して欲しい。ルビーのように輝く紅茶が飲みたい。しかし、カップの中に揺れるのはチョコレート色だ。

「あの、ずっと寝ていたのでお尋ねしたいんですけど、今はわたしがここへ来た次の日の夕方ですよね?」
「ああ。今は君がここへ来てから一回目の夕方に違いない」
「本当に、長い間眠ってしまっていて、すみませんでした」  
「いや、思ったより早起きで驚いているくらいだ。まだ夜が明けたばかりだからな」
夕方なのに、夜が明けたばかり。そんな彼の言葉に、は不思議には思えど驚くことは無かった。

「また、わたしの知らないこの世界の話なんですね?」
どんな不可思議なことでも、知らない事と切り離して考えれば、さほど困惑することもない。は「いただきます」と手を合わせてから、サラダを少しだけ取り分けた。瑞々しいレタスと青々としたキュウリが、口の中で弾ける。ドレッシングが要らない美味しさだ。食欲がないと言っても、美味しいものは美味しい。
思わず口を突いて出た感想と共に顔を綻ばせたを見て、常盤が優しく微笑んだ。

「君の口に合うようで良かった。それで、君の知らない話についてなんだが……つまり、今この国には朝も昼も無い。あるのは夕方と夜だけで、赤と黒が入れ替わりに空を支配している。夜が明ければ夕方で、次にまた夜が来る」
「今、ということは、以前は朝と昼もあったのですよね?」
「ああ。なぜ朝と昼が消えてしまったのかだが……その原因は、この国を統べるのが夕方と夜を司る夕闇の王ただ一人になってしまったことにある。以前彼と共にこの国を治めていた朝と昼の女王は、今や彼に裏切られ、茨の森の地下牢に幽閉されている。だから、朝の光も昼の光もここまでは届かない。と、いう訳だ。……一気に話してしまったが、大丈夫か?」
気遣う常盤に、ははっきりと頷く。彼女の中での“理解”の定義は、昨日、大きく変わったのだ。

「とてもよく分かりました。有難うございます。……でも、朝と昼が無いなんて、時間が分かり難いですね。いつも時計を持ち歩いていないといけないかも」
「そうだな。まあ、この家の敷地内はずっと6時のままだから、ここでは時計は意味を持たないが。あるのは―――あれだけだ」
ほら、と常盤がちょっと離れたところの柱にかけてある時計を指差した。その時計には針が二本あり、細い針は秒を、太い針は分を刻んでいる。時間を刻む短い針は無い。おかしな時計だ。何時間経ったかではなく、6時が何回回ったかを考えなくてはならないのだろうか?

「ずっと6時だと、日付が進まないんだよね」
黄櫨がぼそりと言った。……良く見ればテーブルの端に卓上カレンダーがあるが、これもまたおかしなカレンダーで、日付が10月の7日のみしかない。同じ日付の、同じ曜日が連なっている。全然意味が分からない。

「これは……流石に不便すぎるように思うな。でも、どうして6時のままなの?」
「常盤はね、時間に嫌われてるんだよ。だから常盤の周りだけ、いつも6時のままなんだ」
黄櫨の言葉に、常盤が苦笑する。……時間に好き嫌いなどという思想があったとは、知らなかった。
彼らの言っていることは非常に難しいのだが、難解というには違う。ただ黙って聞いて、丸ごと飲み込めばいい。ああ、そうなんだと分かったふりをすれば良い。慣れたら住み心地の良い世界なのかもしれないなと思いながら、は今度は真っ赤なミニトマトを口にした。
それからは彼らも茶を飲んだり菓子をつまんだりと、緩やかなお茶会の時間が流れていった。途中の会話で、は自分が時計(元の世界で使われていた時間の分かる普通のもの)の短針半周分くらいしか眠っていなかったことを知り、ひとまず安心するのだった。

(あれ、でも6時のお茶会っていつになれば終わるんだろう?)
終わりがないのだから、いつ終わらせても良いのかもしれない。
……終わらないお茶会。その主催者。この時には、常盤のこの世界での“役”に大方の見当が付いていたのだが、肝心の決め手となるものが彼の頭の上にないのは、やはりこの世界がどこか捻じ曲がっているからだろうか。

そんなことを考えぼんやりしていたら、に見向きもされなかったスコーンが、痺れを切らしたようにすこーんと飛んでいった。まるで羽が生えたかのように。

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